表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星乃純は死んで消えたい  作者: 冷泉 伽夜
三年目
127/139

トラウマのファンレター 2


 純はあいかわらず封筒を見下ろすだけで、受け取ろうとはしない。古橋も持ったまま、押し付けることはなかった。


 古橋のもとにまで来た田波が、息切れしながら封筒を取り上げる。


「ほら、困ってるじゃないの」


「え~、でも~……」


「でもじゃない!」


 古橋をたしなめようとする田波だったが、純の視線に気づき、顔を向けた。


 ようすをうかがう狐目が、じっと見上げている。不思議な力を感じさせる琥珀色の瞳。田波が委縮していると、その目が細くなった。


「田波マネージャー、今日はデスク作業だったんですか?」


「ああ、はい」


「いつも坂口くんたちに同行してるから、お話しするのは初めてですよね」


 物腰の柔らかい雰囲気に、田波の顔は安堵(あんど)の笑みが浮かぶ。


「古橋くんは、どうですか? マネージャーとして頼りになってます?」


「もちろん。古橋さんが担当になってくれてうれしいです」


「それはよかった」


「俺とまともにかかわろうとしてくれるの、古橋さんくらいですから。俺が殴られそうになったときも、間に立って守ってくれましたし」


「……え?」


 田波が「どういうこと?」と怪訝(けげん)な顔をとなりに向ける。その表情に怒られると思ったのか、古橋があわあわと返した。


「え、っとですね。実は、その、熊沢さんが殴ろうとして」


「はあ? 誰を?」


「え、と、星乃を、ですけど。でも今思うと僕がそう見えただけなのかな、というか」


「いや、そういうことはまず報告しないと! それ上にもちゃんと言った? とにかく、後で詳しく話を聞きますからね!」


 部下を叱責(しっせき)する社員の声に、エントランスにいた者がちらちらと視線をよこす。その視線に当然気づいていた純は眉尻を下げ、古橋に続けようとする田波を遮った。


「古橋さんは、俺のことを思って言わないでいてくれたんです。俺も、熊沢さんに余計なこと言っちゃったし、上の人に怒られるのは俺だろうから」


 古橋は微妙な表情を浮かべていた。


 純の見立てでは、古橋はだれに報告するべきかわからなかっただけだ。このことを報告すべきなのかどうかもわかっていなかった。


 しかしそれが今、純にとっては非常に都合がいい状況となっている。


「でも古橋さんが助けてくれてよかったです。あやうく本当に、殴られるところだったから。去年はそれで一回殴られちゃったから」


 さあっと青ざめた田波は、同じく困惑している古橋と顔を見合わせる。


「あの、星乃さん、それって」


 純はしまったとばかりに、二人に向けて両手を振った。


「あ、でも、そんな。大したことはないんですよ、ちょっと鼻血出ちゃっただけで。それに、俺、みんなが普通にできることでも、できないことのほうが多いし。去年は特に、大変な目に合ってる月子ちゃんを何とかしてあげたくて、事務所のいろんな人に余計なこと言っちゃって……イライラさせたのも、当然っていうか。それに今は、古橋さんが一緒にいていろいろ助けてくれるから、前よりも全然、つらくないんです」


 柔らかく、穏やかな純の笑みに、二人はなにも返せなかった。二人を見返す純は、不安げに視線を下げる。


「すみません。俺、気を使わせるようなこと、話しちゃいましたよね。俺、本当に大丈夫ですから」


「ああ、いえ……」


 微妙な空気に包まれる中、古橋はファンレターの件を思い出し、田波の手にあるそれを見て話題を変える。


「あの、話を戻しますけど。これ読んでみてください。男性ファンからみたいです。メンバーの中でも男性からもらうのは珍しいんじゃないですか?」


「男性……」


 純は古橋と目を合わせ、田波とも目を合わせる。ゆっくりと(まばた)きをして、柔らかい笑みを浮かべた。


「そっか。俺宛てのファンレター……届いてたんだ? 全然知らなかった。実際目の前にするとうれしいですね」


 腕を組む田波の、眉が寄る。


 それを確認した純は、ほほ笑んだまま二人を手で制した。


「でも、すみません。ちょっと、まだ読めない、かも……」


「そんな……」


「俺、古橋さんのこと信じてますから。その中身が、ちゃんとしたファンレターだってことはわかるんです。でも、やっぱり、怖くて……」


 前に出している手が、震え始めた。胸の動悸を、ほほ笑みで精いっぱいに隠す。


 わかっている。古橋が熊沢のようなことは、しない。


 それでも、頭の中ではあのときに読んだ手紙がフラッシュバックしていた。うかつに見てしまった、あの筆圧の濃い嫌悪。メンバーたちがファンレターに喜ぶ中で読まされ、破り捨てることすらできなかった。


「じゃあ、僕が代わりに声に出して読んであげますよ」


「いや、だいじょ」


「古橋くん」


 田波が(ひじ)をつき、眉尻を下げながら首を振る。


「星乃さん。大体の事情はわかりました。無理に読め、とは言いません。でも、定期的に送ってくれるファンがいるってことは、絶対に忘れないでくださいね。その方たちは、星乃さんに読んでもらえることを信じて送り続けてるんですから」


 田波の穏やかな笑みと、漂う強い意志に答えるよう、純はうなずく。


「あの、これまでの、俺のファンレターって、どこにあります?」


 田波の眉がピクリと動く。


「え?」


「あ、すみません。俺宛てのファンレターなんて、そんなに届かないですよね」


 田波は答えられず、古橋に顔を向けた。古橋も田波と同じ心境だったのか、困惑した顔で田波を見る。


 二人の反応に、純は顔から表情を消していた。


 ――なるほど。渡せる状況にないんだな。でも……ここまでは、順調だ。


 古橋が顔を向けてきたと同時に口角を上げる。田波が持っている封筒を、指さした。


「あ……じゃあ。このファンレター、古橋さんに持っててもらおうかな」


「え? 俺ですか?」


「古橋さんは一番俺の近くにいるし、こうみえてかなり、信頼してるんです。きっとしばらく異動もないですよね。俺が読みたくなるそのときまで、預かってもらってもいいですか?」


 純粋な歓喜の笑みが、古橋の顔にぱあっと浮かぶ。


「も、もちろん! 大事にとっておきますから。ほかのファンレターも!」


「ありがとうございます」


 純はリュックを背負いながら腰をあげる。


「じゃあ、俺、そろそろ自主練に行きますね。爽太を待たせてるし」


 テーブルの上に積み上げられた雑誌に手を伸ばすと、古橋がそれを制した。


「あ、僕が片付けておきますから。それが終われば、僕もすぐに行きます!」


「いつもすみません。ありがとうございます」


 古橋と田波に軽く会釈をして、純は廊下に向かう。その後ろ姿を見送る田波は、ぼそりとつぶやいた。


「いったい……どういうことなの?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ