トラウマのファンレター 1
エントランスの管理窓口では、爽太が貸出票に名前を記入していた。事務員からスタジオの鍵を受け取り、窓口の横に面した廊下に体を向ける。その際、フリースペースにいる純に気づき、足を止めた。
テーブルに座り、緑色のヘッドフォンをしながら雑誌を読んでいる。その横顔はどこか気だるげだ。リュックを膝にのせるように抱えている。テーブルには、雑誌がこれでもかと積み上げられていた。
爽太は怪訝な顔で純のもとに向かう。ある程度近づくと、純はびくりと震え、あわててヘッドフォンを取った。リュックにしまい、不安げに爽太を見る。
――熊沢に叱られたからとはいえ、そこまで過敏にならなくてもいいのに。
「ごめん。邪魔した?」
純は首を振り、読んでいた雑誌を閉じた。
「これ、どうしたの?」
爽太の視線が、積みあがった雑誌に向かう。よく見れば、どれもこれもアイドル雑誌だ。
「古橋マネに頼んで読ませてもらってるんだ。今後の参考になるかなって」
「へえ、研究熱心だね。偉いな、純は」
爽太も、古橋と同じように表情管理とカメラ映りの研究だと思った。純が読み終えて積んでいた雑誌を手に取り、ぱらぱらとめくっていく。
「……古橋マネとは、うまくいってるんだ?」
ちらりと見れば、純はいつもと同じ、穏やかな笑みを浮かべていた。
「うん。いい人だよ」
「でも上司が熊沢だから、あんまり信用しないほうがいいんじゃない」
「……そうかな。今のところそんな片鱗は見せないけど」
「ま、でも、純だから、古橋マネもいろいろやりやすいんだろうな」
ページをめくる爽太の手が、止まる。その見開きに映るのは、innocence gift。全員で映るその中心にいるのは、やはり千晶だ。
一息ついて雑誌を閉じた爽太は、元の位置に戻す。
「ドラマの撮影、どうだった?」
いきなりの質問に、身構える。
爽太をじっと見上げていた純の瞳も、笑みも、声色も、すべてがお見通しだと言わんばかりで、返事に戸惑った。
「どうって。普通だよ」
目にかかる前髪を指で流しながら答える。
「いたって普通。いつもどおり、無難に。大きな失敗も、目立つこともなく」
「それはよかった。なにも問題なかったってことじゃん」
「問題……。そうだな。問題は、なかった」
「問題なく仕事を終えた以上にいいことってないよ」
「それは、そうだな。でも、坂口みたいな、結果は残せてないから」
「問題なく終わらせたことはいい結果だよ」
純の優しい言葉が、いちいち突き刺さってくる。否定したくないし、肯定もしたくない。どちらにしても惨めな気分になるからだ。
爽太は何度も瞬きをして、顔を伏せた。視線が定まらない。純の琥珀色の瞳を、見ていられない。
「確かに、バーターとしてはいい仕事しただろうな」
もう、これ以上、純には自身の情けない部分に踏み入ってほしくない。
「坂口がいれば、他はどうでもよかったんだよ。俺じゃなくてもよかった。最低限、必要なことができるなら。……純でもよかった」
これ以上は、言わせないでほしい。察してほしい。
あの淡々とした撮影があまりにも虚しくて。仕事のための努力も全部無駄に終わったような気がして。評価がすべて千晶に向かうと思うとなんとも言えなくて。とにかく、胸が押しつぶされそうなほど、苦しい。
「でも、どんな形であれ、その役に選ばれたのは爽太なんだよね? 爽太が問題なく最後まで役を全うできたなら、それは一つの結果として評価できることだと思うけどな」
「そういうことじゃないんだよ。イノギフみたいなもんなの。ダンスも、歌も、演技力も、俺に、千晶以上のことは求められてない。必死になって努力して、できることはなんでもやったのに。結局……今の俺はイノギフの、端っこで」
純と、目があった。
これ以上は、ダメだ。行き場のない激情を、純にぶつけたくない。先輩として、そのようなみっともないマネはしたくない。
それでも、口から出てくる言葉が止まらなかった。
「きっと、純もいつか、俺が欲しかったものを全部、簡単につかんでいくよ」
爽太の瞳ににじむ悲痛と羨望を、純の瞳はしっかりと感じとる。
「……そう見える?」
「俺みたいに何も持ってないやつががんばったところで、飛びぬけたものを持ってるやつに全部奪われる。俺は純みたいに勉強ができるわけじゃない。バラエティのレギュラーも持ってない。芸能人の親とか友達とか、そんなコネも持ってない」
テーブルに積まれたアイドル雑誌をちらりと見た。
「でも努力の量はみんな同じ。頑張ってるのは俺だけじゃない。それなら、なにも持ってない俺より、持ってる純のほうが、選ばれるに決まってるだろ」
こんなことを純に言ったところで、どうしようもないことはわかっている。だが、我慢できず吐き捨てるくらいに、爽太は追い詰められていた。「辞めたい」という言葉を口にしなかっただけで万々歳だ。
いてもいなくても同じように扱われる日々は、爽太の自尊心を確実に削り落としていく。
「アイドルをするの、つらい?」
ひときわ重く、優しい声だった。先ほどまでの言動が、子供じみて恥ずかしく思えるくらいに。
「……そうだな。このままじゃ、自分のこと、嫌になる」
「レッスン生の頃の自分は、好きだった?」
爽太は返事をせず、目をつぶった。頭の中で過去を巡り、口を開く。
「イノギフに選ばれたとき、うれしかったんだ。たとえセンターじゃなかったとしても、デビューするのは奇跡みたいなものだから」
うっすらと目をひらき、ため息をつく。
「でも、最近思うんだ。俺がただ、デビューしたグループにしがみついてるだけなんじゃないかって。俺のことなんて、誰も、望んでいないのに」
「爽太のファンが、望んでいたとしても?」
「身近にいる人間に認められなきゃ、ファンを喜ばせるチャンスすらくれないよ。……与えられた環境の中で、自分でできることにも、限界はあるんだ」
もうセンターになることはないと思い知らされた今の爽太に、あの頃持っていた希望も余裕も、努力する元気もない。がんばったところですべてが無駄になるなら、もうなにもがんばらないほうがいい。
「……純?」
ふと、爽太は、純の視線が自分からそれていることに気づく。視線の先を追って振り返るが、そこにはなにもない。管理窓口と、そのとなりにエレベーターへ続く廊下があるだけだ。
しかしすぐに、廊下の奥からバタバタと足音が近づいてきた。古橋が姿を現し、二人を見つけて声をかける。
「あ、星乃さん!」
その後ろから、へろへろになった田波が歩いてくる。古橋は気にせず爽太と純に駆け寄り、純の前に封筒を差し出した。
「星乃さん、これ。ファンレター。ぜひ、読んでほしくて」
純はそれをじっと見据え、返事をしない。表情も目つきも特筆するほど変化は見せないのに、その全身から生じる空気はがらりと変わる。
我に返っていたたまれない爽太は、純と古橋を交互に見て、下がった。
「先に。自主練いっとくね」
二人に背を向け、すれ違いざま田波に会釈し、入れ違いに廊下の奥へ向かっていく。




