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星乃純は死んで消えたい  作者: 冷泉 伽夜
三年目
126/139

トラウマのファンレター 1


 エントランスの管理窓口では、爽太が貸出票に名前を記入していた。事務員からスタジオの鍵を受け取り、窓口の横に面した廊下に体を向ける。その際、フリースペースにいる純に気づき、足を止めた。


 テーブルに座り、緑色のヘッドフォンをしながら雑誌を読んでいる。その横顔はどこか気だるげだ。リュックを膝にのせるように抱えている。テーブルには、雑誌がこれでもかと積み上げられていた。


 爽太は怪訝(けげん)な顔で純のもとに向かう。ある程度近づくと、純はびくりと震え、あわててヘッドフォンを取った。リュックにしまい、不安げに爽太を見る。


 ――熊沢に叱られたからとはいえ、そこまで過敏にならなくてもいいのに。


「ごめん。邪魔した?」


 純は首を振り、読んでいた雑誌を閉じた。


「これ、どうしたの?」


 爽太の視線が、積みあがった雑誌に向かう。よく見れば、どれもこれもアイドル雑誌だ。


古橋(ふるはし)マネに頼んで読ませてもらってるんだ。今後の参考になるかなって」


「へえ、研究熱心だね。偉いな、純は」


 爽太も、古橋と同じように表情管理とカメラ映りの研究だと思った。純が読み終えて積んでいた雑誌を手に取り、ぱらぱらとめくっていく。


「……古橋マネとは、うまくいってるんだ?」


 ちらりと見れば、純はいつもと同じ、穏やかな笑みを浮かべていた。


「うん。いい人だよ」


「でも上司が熊沢だから、あんまり信用しないほうがいいんじゃない」


「……そうかな。今のところそんな片鱗(へんりん)は見せないけど」


「ま、でも、純だから、古橋マネもいろいろやりやすいんだろうな」


 ページをめくる爽太の手が、止まる。その見開きに映るのは、innocence(イノセンス) gift(ギフト)。全員で映るその中心にいるのは、やはり千晶だ。


 一息ついて雑誌を閉じた爽太は、元の位置に戻す。


「ドラマの撮影、どうだった?」


 いきなりの質問に、身構える。


 爽太をじっと見上げていた純の瞳も、笑みも、声色も、すべてがお見通しだと言わんばかりで、返事に戸惑った。


「どうって。普通だよ」


 目にかかる前髪を指で流しながら答える。


「いたって普通。いつもどおり、無難に。大きな失敗も、目立つこともなく」


「それはよかった。なにも問題なかったってことじゃん」


「問題……。そうだな。問題は、なかった」


「問題なく仕事を終えた以上にいいことってないよ」


「それは、そうだな。でも、坂口みたいな、結果は残せてないから」


「問題なく終わらせたことはいい結果だよ」


 純の優しい言葉が、いちいち突き刺さってくる。否定したくないし、肯定もしたくない。どちらにしても(みじ)めな気分になるからだ。


 爽太は何度も(まばた)きをして、顔を伏せた。視線が定まらない。純の琥珀色の瞳を、見ていられない。


「確かに、バーターとしてはいい仕事しただろうな」


 もう、これ以上、純には自身の情けない部分に踏み入ってほしくない。


「坂口がいれば、他はどうでもよかったんだよ。俺じゃなくてもよかった。最低限、必要なことができるなら。……純でもよかった」


 これ以上は、言わせないでほしい。察してほしい。


 あの淡々とした撮影があまりにも虚しくて。仕事のための努力も全部無駄に終わったような気がして。評価がすべて千晶に向かうと思うとなんとも言えなくて。とにかく、胸が押しつぶされそうなほど、苦しい。


「でも、どんな形であれ、その役に選ばれたのは爽太なんだよね? 爽太が問題なく最後まで役を(まっと)うできたなら、それは一つの結果として評価できることだと思うけどな」


「そういうことじゃないんだよ。イノギフみたいなもんなの。ダンスも、歌も、演技力も、俺に、千晶以上のことは求められてない。必死になって努力して、できることはなんでもやったのに。結局……今の俺はイノギフの、端っこで」


 純と、目があった。


 これ以上は、ダメだ。行き場のない激情を、純にぶつけたくない。先輩として、そのようなみっともないマネはしたくない。


 それでも、口から出てくる言葉が止まらなかった。


「きっと、純もいつか、俺が欲しかったものを全部、簡単につかんでいくよ」


 爽太の瞳ににじむ悲痛と羨望(せんぼう)を、純の瞳はしっかりと感じとる。


「……そう見える?」


「俺みたいに何も持ってないやつががんばったところで、飛びぬけたものを持ってるやつに全部奪われる。俺は純みたいに勉強ができるわけじゃない。バラエティのレギュラーも持ってない。芸能人の親とか友達とか、そんなコネも持ってない」


 テーブルに積まれたアイドル雑誌をちらりと見た。


「でも努力の量はみんな同じ。頑張ってるのは俺だけじゃない。それなら、なにも持ってない俺より、持ってる純のほうが、選ばれるに決まってるだろ」


 こんなことを純に言ったところで、どうしようもないことはわかっている。だが、我慢できず吐き捨てるくらいに、爽太は追い詰められていた。「辞めたい」という言葉を口にしなかっただけで万々歳だ。


 いてもいなくても同じように扱われる日々は、爽太の自尊心を確実に削り落としていく。


「アイドルをするの、つらい?」


 ひときわ重く、優しい声だった。先ほどまでの言動が、子供じみて恥ずかしく思えるくらいに。


「……そうだな。このままじゃ、自分のこと、嫌になる」


「レッスン生の頃の自分は、好きだった?」


 爽太は返事をせず、目をつぶった。頭の中で過去を巡り、口を開く。


「イノギフに選ばれたとき、うれしかったんだ。たとえセンターじゃなかったとしても、デビューするのは奇跡みたいなものだから」


 うっすらと目をひらき、ため息をつく。


「でも、最近思うんだ。俺がただ、デビューしたグループにしがみついてるだけなんじゃないかって。俺のことなんて、誰も、望んでいないのに」


「爽太のファンが、望んでいたとしても?」


「身近にいる人間に認められなきゃ、ファンを喜ばせるチャンスすらくれないよ。……与えられた環境の中で、自分でできることにも、限界はあるんだ」


 もうセンターになることはないと思い知らされた今の爽太に、あの頃持っていた希望も余裕も、努力する元気もない。がんばったところですべてが無駄になるなら、もうなにもがんばらないほうがいい。


「……純?」


 ふと、爽太は、純の視線が自分からそれていることに気づく。視線の先を追って振り返るが、そこにはなにもない。管理窓口と、そのとなりにエレベーターへ続く廊下があるだけだ。


 しかしすぐに、廊下の奥からバタバタと足音が近づいてきた。古橋が姿を現し、二人を見つけて声をかける。


「あ、星乃さん!」


 その後ろから、へろへろになった田波(たなみ)が歩いてくる。古橋は気にせず爽太と純に駆け寄り、純の前に封筒を差し出した。


「星乃さん、これ。ファンレター。ぜひ、読んでほしくて」


 純はそれをじっと見据え、返事をしない。表情も目つきも特筆するほど変化は見せないのに、その全身から生じる空気はがらりと変わる。


 我に返っていたたまれない爽太は、純と古橋を交互に見て、下がった。


「先に。自主練いっとくね」


 二人に背を向け、すれ違いざま田波に会釈し、入れ違いに廊下の奥へ向かっていく。

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