堕ちたバーターの役割 2
じっとしている爽太の前をゆっくりと横切ったのは、監督だ。台本片手に次のセットへ向かい、先を歩くディレクターに声をかけた。
「あのさ、これ、リテイクとか追加シーンって……」
「いやあ、難しいですよ。坂口さんの余裕がないわけですから、プロデューサーだって応じてくれるかどうか」
「まあ、そうだよねぇ」
段取りよく動くスタッフのおかげで、教室での撮影準備はすでに整っている。監督、助監督、カメラや照明の技術スタッフが集まり、シーンの出演者たちがそれぞれの位置についた。
スタッフの後方で待機する爽太のもとに、ようやく田波が駆けつける。
「すみません、和田さん。なかなか、そばにいることができなくて」
撮影の邪魔にならないよう声を抑えていた。
「なにかあったら、ちゃんと言ってくださいね」
「はい。……でも、大丈夫です」
リハーサルが、始まった。主演の千晶とクラスメイト数人による、教室での会話シーン。しかし緊張のせいか、クラスメイト役の一人がNGを出す。二、三回ほど繰り返すが、つっかかったり、セリフを飛ばしたりしていた。
千晶と爽太がこれまでにNGを出さなかったこともあり、殺伐とした空気がうっすらと漂い始める。
「大丈夫大丈夫! 落ち着いて! 『おまえの宝物、プリティプリティなんちゃらかんちゃらバターハニーミラクルガールメアリーちゃん』、だよ! 言える言える!」
キャストの緊張をなんとか払しょくさせようと、助監督が明るい声を放った。
その励ましにうなずくクラスメイト役を、主演の千晶は冷ややかな目で見つめる。なんとかリハを終え、本番も問題なく撮ることができた。
「シーン十。少しセット変えます! 机と植物の変更お願いします!」
爽太と田波のもとに、千晶が動き回るスタッフの間を抜けて来る。口角をかすかにあげ、鼻を鳴らした。
「あいつさ、同じクラスなんだよ。俺のテストの点数バカにしてきてマジうざかったんだけどさ。あいつ、勉強できても仕事できねえじゃん」
せわしないスタジオで、その一言一句を爽太の耳はしっかりと聞き取っていた。田波も、誰も、その言動をたしなめることはない。
――わざわざそんなことを言うためだけにこっち来たの?
もちろん、口には出さない。容姿も才能も評価されている千晶だ。これくらいの暴言や愚痴はみな許してくれる。爽太がわざわざ目くじらを立てることでもなかった。
――俺がセンターならそんなこと、絶対に口にしないのに。渡辺月子や、純だって、きっと……。
黒々とした感情を振り払うように頭を振る。今は、余計なことを考えないようにしなければ。
次のシーンでは爽太も出演する。気を引き締めるために、大きく深呼吸をした。
ちょっとした遅れは見せつつも、おおむね予定通りに撮影は進んでいく。最後の最後まで爽太はミスもなく、かといって特筆したなにかもなく、自身が出演するぶんの撮影を無事に終わらせることができた。
「熱海役の和田爽太さんオールアップです! ありがとうございます! お疲れさまでした!」
カットがかかったその場で、一斉に拍手を受ける。女性スタッフから小さい花束を渡された。
「あ、ありがとうございます。お疲れさまでした」
切り詰められたスケジュールの中、自分の役目は終わった。これ以上、長々ととどまることもない。あとは支度を済ませて帰るだけだ。
しかし、千晶の撮影が終わるまで待っていてほしいと田波に頼まれた。千晶がクランクアップする際、同じグループのメンバーとして一緒に拍手してほしいのだ、と。
千晶とよく共演する歩夢や空も、毎回同じようにしていると言われれば、嫌がるそぶりを見せるわけにはいかない。
控室に戻った爽太は、そのまま撮影終了まで待機することになった。衣装から私服に着替え、早々に帰り支度を済ませる。スタッフに気を使わせず、邪魔にならないよう、テーブルに座って静かに過ごした。
――こんなとき、純だったら、学校の課題したり勉強したりして時間つぶすんだろうな。
なにもすることがない爽太は、ただぼうっと虚空を見つめることしかできなかった。
一時間ほどたつと、田波が「そろそろですよ」と呼びに来る。自身の荷物をもって控室を後にし、田波の後ろをついていった。
今まさに撮影が終わった教室のスタジオで、助監督のクランクアップの掛け声が大きく響く。その場にいるスタッフ全員が一斉に拍手した。廊下に立つ田波と爽太も、教室の窓から中を見て手をたたく。
スタッフに囲まれたその中心で、笑顔の千晶が花束を受け取っていた。
「田波さん、お疲れさまです」
熊沢が二人の背後に現れ、田波に爽太の送迎を促した。
最後まで残った爽太の役目は、一分足らずで終わる。
いまだにライトが当たっている千晶に背を向け、田波とともに現場を後にした。取材が控えている千晶に、声をかけることすらない。
†
集まった取材陣に主役を演じた心境を聞かれる千晶は、にこやかに回答していった。一人で複数の質問に答えていくその姿は、煌々としたオーラを放ち、堂々としている。
クランクアップから十分弱。カメラの前でドラマの告知と宣伝を行い、ようやくその場を離れることができた。
控室に戻ろうと進む千晶の視界に、監督の姿が入ってくる。何かを探すようにあたりを見渡しながら、千晶の前を横切っていた。
この状況でわざわざ声をかけるのも……とためらったが、千晶は主演で出させてもらった身。やはり礼儀は大事だと、監督のもとへ向かう。
「監督、お疲れさまでした」
深々と頭を下げる千晶に、監督は動きを止めて向き直った。
「ああ、お疲れさま。よかったよ。さすがFMPのルーキーってとこだね」
「ありがとうございます」
監督の声は落ち着いていたが、とにかく不愛想で、なにを考えているのか読み取れない。今回の作品で千晶をどう評価しているのかも謎だ。
「坂口くんは、お父さんの作品に出たことはあるのかな?」
「ないです」
唐突な質問に、思わず口調が強くなった。かろうじて、笑みはキープ。
「ああ、だよね」
なにを意図した質問なのか、わからない。だが、いい印象を持たれていないことはよくわかった。
ほほ笑みの裏側で、父親を出された不快な感情と、評価を得られなかった悔しさが、むくむくと膨れ上がっていく。
千晶のもとに駆け付けた熊沢が、監督に頭を下げた。
「お世話になりました、如月監督。今後ともぜひ、よろしくお願いします」
「うん、出演してくれてありがとう。お疲れさまでした」
熊沢に促され、千晶は監督に背を向ける。
遠くなる背中を見送る監督に、テレビ局のプロデューサーが腰を低くして近づいてきた。
「お疲れさまでした如月監督。いかがでした? FMPの子は」
監督は声を抑えて返す。
「まあ、いいんじゃないですか。顔がよくて、真面目で、ちゃんと時間通りに終わらせてくれて」
「なぁんか含みのある言い方ですね」
「いやいやそんなこと。最初から最後まで、坂口千晶って感じで、さすがでした。あの顔ですから、彼目的で見てくれる人がたくさんいるんでしょうね」
「……それ、褒めてらっしゃいます?」
眉をひそめるプロデューサーに、あくまでも淡々と続けた。
「やだなあ、褒めてますよ。演技とか役名じゃなくて『坂口千晶』として売れていくタイプですよね。……渡辺くんが使いたがらないタイプの役者だってことがよくわかりました」
「如月監督も渡辺監督も厳しすぎるんですよ。今はまだ高校生ですし、そんなものでしょう。今後の成長に期待ということで……」
「やっぱり、まだ中学生の渡辺月子の代わり、とはいきませんでしたね」
チクリと刺した皮肉に、プロデューサ―は居心地悪そうに苦笑する。
「まあまあ、そうおっしゃらず。渡辺月子はスケジュール的に厳しいって話でしたし。ドラマの話が出た時点では、去年の事件をちょっと引きずってましたから、スポンサーがいい顔しなかったんですよ」
「まさか主人公の性別も性格も変更することになるとは思わなかったな~」
冗談交じりの声色だが、その顔は無表情。撤収作業を続けるスタッフたちのほうへと歩いていく。プロデューサーが急いであとを追った。
「監督~、機嫌直してくださいよ。来年夏の、オムニバスホラー、担当なさいますよね? その際はなんとかFMPに交渉かけてみますから。そのときは出演してもらえるはずです」
「ふうん、じゃあ期待しておこうかな」




