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星乃純は死んで消えたい  作者: 冷泉 伽夜
三年目
121/139

まどろみの果て



 夏休み期間に入ると、fresh(フレッシュ) gift(ギフト)はこれまでと比べ物にならない忙しさを見せた。


 ショッピングモールやテーマパークでのショー。アイドルフェスの参加。中規模のライブハウスや劇場でのコンサートと、とにかく移動しまわっている。


 リハーサル、本番、移動、ホテルで軽く練習、リハーサル(ないときもある)、本番、県を挟んで移動――の繰り返し。そのあいだにinnocence(イノセンス) gift(ギフト)のドーム公演も挟んでいた。


 どの会場でも、ライブは大盛況。千晶や歩夢を一目見たいがために、中高生や若い女性が集まってくる。


 純はfresh(フレッシュ) gift(ギフト)の一人として、一つ一つのライブに全力を出していた。極度の緊張と失敗できないプレッシャーのせいか、ステージに立てばスイッチを切られたかのように、意識と体が引き離される。


 徹底的にダンスパフォーマンスを叩きこまれた体は、音楽に合わせて勝手に動き、表情筋は笑顔をキープしていた。


 五感はすべてグレードダウン。ライブ中は最低限(一般的には通常)の機能しか働かず、いつもなら入ってくるはずの感情や思考はシャットアウトされている。


 それが功を奏したのか、大きなミスもなく乗り切っていた。


 ただし、その反動で公演中の記憶は一切残っていない。純の体は日に日に疲労が蓄積されていく。


「おまえが寝てどうすんだ星乃!」


 熊沢(くまさわ)の怒鳴り声で目を覚ます。しかしすぐにまぶたが閉じていった。


 劇場でのリハーサル。いたる方向からライトを照らされ、演出家から説明を受けている最中だというのに、純は立ったまま寝落ちしていた。そのたびに熊沢に怒鳴られ、爽太にも体をゆすられる。


「坂口のほうが忙しくて寝る暇もないんだぞ! 少しは見習え!」


 ほかの仕事も引き受けている千晶(ちあき)と歩夢は、ライブと仕事先の往復を繰り返していた。とにかくぎりぎりのスケジュールだ。当然、寝る暇もなければ、体を壊す暇もない。


「すみません……」


 目をこすりながら千晶を見てみると、優越感のある笑みを浮かべている。その表情は、純を無能だと、馬鹿にしていた。


 リハーサルを重ね、本番。ついに全国行脚の最終日を迎えた。スポットライトと歓声にまみれる中、劇場での公演が始まる。


 この日も千晶は、歌もダンスも完璧に仕上げたうえで、不特定多数の視線を受け止めていた。


 純も、端でミスなく踊っている。自分が見てもらえなくても構わない。そもそも見られたくない。悪目立ちしなければそれでいい。


 最終公演も当然大盛況。何ごともなく、予定どおりに幕を下ろした。


 観客への退場アナウンスが、控室に続く廊下にも届いている。舞台から引き上げた純は、控室まであと一歩というところで、脱力するよう両膝をついた。


「純!」


 前を歩いていた爽太がすぐに気づき、控室に駆け込む。純はその場で手をつくものの、立てそうにない。力が、入らない。


「大丈夫か? ほら、水」


 控室から飛び出た爽太が、純の前にしゃがみ、ペットボトルの水を差し出す。純は尻をつき、ぐったりと壁にもたれかかった。ペットボトルを受け取る余裕はない。


 爽太に続いて、熊沢が顔を出す。純を見下ろし、鼻を鳴らした。


「大した人気もないくせして」


 ペットボトルを持つ爽太の手が、ぎゅっと強くなる。純は言い返す気力もなかった。


「一番の後輩で、なにもできないおまえが、一番頑張ってる(ふう)を出すなよな」


 ――こんなやつ、スカウトじゃなきゃすぐに辞めさせるのに。


 純の頭に、痛みが走る。脈打つような痛みが、ガンガンと響き続けている。体が鉛のように重い。のどが、カラカラ――。


「んぐっ」


 ふたの空いたペットボトルの飲み口を、爽太が無理やり口に押しこんだ。


「とりあえず飲め。開演前からなにも飲んでなかっただろ」


 言われるがまま、口に流れてくる水を飲んでいく。ちょうどいいタイミングで、口から離された。のどの渇きがおさまり、安堵(あんど)の息をつく。


 純の視界は、そこでぶつりと途切れた。




          †




 新幹線の車窓は、田園から住宅街の風景へと変わっていく。廊下側に座る爽太は景色に目もくれず、マネージャーが用意してくれた幕の内弁当に手を付けていた。


 あけてからしばらくたつというのに、中身はそれぞれ一口分しか減っていない。箸を持つ手を止めて、ただぼんやりと弁当を見据えていた。


 ふと、となりの席に顔を向ける。少し座席を倒して眠っていたはずの純が、目をうっすらと開け、爽太に顔を向けていた。


 目を開けたまま寝ているのではないかと思った爽太は、声をかける。


「起きたの?」


「起きた。ここどこ?」


「新幹線」


「新幹線!」


 純はバッと飛び起きる。窓の景色を見ながら髪をかき上げ、私服に着替えているのを確認。自身から漂う、タバコと消臭剤が混ざり合った臭いに、少しむせた。


「俺、ずっと寝てたの?」


「うん。よく起きないなって感心するくらい。寝落ちしたのが、最後の公演でよかったな。いや、よくはないけど」


 瞬間、純の腹の音が鳴る。新幹線が急カーブでもしたかのような轟音(ごうおん)だ。赤面する純に、爽太が苦笑する。


「弁当、純のぶんもあるよ」


 純の前に出されたテーブルに、爽太が食べているものと同じ弁当が置かれていた。


「あれから一切飲み食いしてないわけだから、そりゃおなかすくよな」


「……いただきます」


 とりあえずふたを開け、割り箸を取り出し、一番腹持ちのいい白米をかきこむ。


 口にため込むよう咀嚼(そしゃく)する純に、爽太は頬を緩めた。


「あとで、熊沢マネと古橋マネにお礼言っておけよ」


 純は咀嚼(そしゃく)を続けながら爽太を見る。


「あのあと、現場はパニックだったんだぞ。俺が何度起こそうとしても起きなくて、みんな気絶したんじゃないかって撤収どころじゃなくなっちゃって」


「それは、ごめん」


「熊沢マネが呼吸とか脈とか確認して、でも一応病院かなって。で、古橋マネが事務所と両親に連絡したら、お母さんのほうから折り返しかかってきたみたいで」


「あー……」


 話を聞いていた純は、現場の状況が手に取るようにわかった。


 妃からの電話に、古橋はパニック。たどたどしく説明をするも、ひととおり聞いた妃が申し訳なさげに「それはたぶん寝てるだけでしょう」と一言。それでも古橋は冷静になれず、電話を変わった熊沢も半信半疑だった。


「一応、病院に連れていったほうが」


「頭を打ったとか外傷がないのであれば、やっぱり寝てるだけですよ。がんばったんですね、うちの子」


「いくらなんでもこの寝方は異常なのでは……」


「たまにあるんです。極度の疲労とかストレスで。病気、とかじゃありませんから。……純の体質については契約の際に社長もご存じのはずです。お聞きになっていませんか?」


 母親の絶対的な自信と、壁に寄りかかる純がたてる寝息で、熊沢はとりあえず様子見を決断。そして、こう思った。


 親子そろって面倒な言動しやがって、と――。


「一度、専門的な病院に連れていかれたほうがよろしいんじゃないですか。またこのような事態が起こらないとも限りませんから」


「ああ、そう、ですか。……すみません。ご迷惑おかけして」


 そして純は、今に至るまで目を覚まさなかった。


「純の着替えは古橋マネと俺で一緒にやった。めっちゃ体動かしてるのに起きないからほんとに怖かった」


「ごめん……」


「ホテルに置いていた荷物も全部マネージャーたちが運んでくれたんだ。熊沢マネに至っては新幹線乗るまで純のことおぶってたよ」


 終始文句たらたらで、機嫌悪かったけど――。爽太があえて言わなかった言葉まで聞こえてきた。


「ああ、だからか。どうりでタバコの臭いがすると思った」


「え?」


 シャツの腹部をつまんでくんくんと嗅ぎ、顔をゆがめる。爽太は気まずそうに純の前へ視線を向けた。純も同じ方向を見据え、口を開く。


「運んでくれてありがとうございます、熊沢さん。俺寝てたし、太ってるから結構重かったでしょ? 二世の劣等生をおぶるなんて、心底嫌だったんじゃないですか?」


「純……」


「ご迷惑おかけして、すみませんでした。現場で俺に何かあったら、責任追及されるのは熊沢さんですからね。出世に響くようなことにならなくてよかったです」


 前の席から、嫌悪と憤怒の混ざる、震えた声が返ってくる。


「てめえ。礼ぐらい素直に言えねえのか」


「……ありがとうございます。さらに不快な思いをさせたようですみません」


 舌打ちと、ペットボトルをつぶす音が響き、言葉は返ってこなかった。


 純の背中に、衝撃が襲う。下げたままの座席を、後ろから蹴られた。


 特徴的な甘い声が背中に刺さる。


「おまえ起きたんだったら座席あげ」


 言い終わる前に座席を戻した。


「いや、おまえさ……」


 千晶の不快げなため息を聞き流す純の姿が、爽太には勇ましく見えた。単に、寝起きで気を遣う余裕がないだけだったのだが――。


「もう、眠くない?」


「眠くないわけじゃないけど食欲のほうが勝ってる」


「なんだよ、それ」


 再び口いっぱいに詰め込んで、ゆっくり咀嚼(そしゃく)し、飲み込む純。爽太もようやく、箸を動かし始めた。


「ありがとう、爽太」


 純の声に、爽太は食べながら顔を向ける。


 箸をとめて爽太を見つめる純の顔には、はかなく、神秘的な笑みが浮かんでいた。細めている目の、琥珀色の瞳が透き通っている。


「爽太がいてくれたから、俺、fresh(フレッシュ) gift(ギフト)のライブを乗り越えられたよ」


「いや、俺はなにも……」


 爽太は、なんとも言い表せない圧を純から感じ取った。何もかもを見透かす瞳から逃げるよう、視線をそらす。


「俺にはまだ、爽太の助けが()()だよ。結構頼りにしてるんだ。これからも、一緒にがんばろうね」


 にっこりと笑う純に対し、爽太はなにも、返すことができなかった。


 



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