沈黙と本音の車内 1
女性誌の取材を終えた千晶は、再び事務所に戻り、スタジオを借りて自主練に励んでいた。センターがパフォーマンスでミスをするのは許されない。ある程度仕込んだら、ドラマの台本を暗記し、演技の練習。
表情管理。滑舌。鏡を見ながら細かく調整していく。
ノックして顔をのぞかせた田波に、まだいるのかと驚かれ、帰るよう促された。
田波に付き添われながら裏口へ出れば、外はすっかり暗くなっている。周辺の建物の明かりが、煌々と灯っていた。
「すみません、坂口さん。送迎車が今ちょっと空いてないみたいで、タクシーで帰ってもらってもいいですか?」
「五千円で足りますか?」
「十分ですよ。レシートはちゃんととっといてくださいね。じゃあすぐに呼ぶんで」
裏口に、着信音が響き渡る。田波のスマホだ。ジャケットから取り出し、相手を確認した。
「あ、すみません。局のプロデューサーからなので出ますね」
電話の対応を始めた田波を横目に、千晶は正面を向く。
裏口には、先客がいた。イヤーマフをつけながらたたずむ後ろ姿を、無言で見据える。
足音を立てないよう近づき、となりにぴたりととまって、顔を覗き込んだ。千晶が想像していたとおりの人物だ。
琥珀色の瞳が、夜景を反射して光っている。
「それ、はずせよ」
自身の耳を、指で渦を描くような動きで指し示した。
イヤーマフのことを言っているのだ。はずさなくても聞こえてはいるのだが、純はわざわざ反論するのもめんどくさいので外し、首にかける。相変わらず目を合わせなかったが、千晶の口角が上がっていることには気づいていた。
「送迎車、もうないんだってよ」
「……そうなんだ」
「まあ、俺はタクシーで帰るけど」
知っている。先ほどの会話はすべて聞こえていた。
「一緒に乗せてってやろうか?」
「あー……いや」
「遠慮すんな。金なら俺が出してやるよ」
自信満々に胸を張る千晶に、純はどう返事をしようか考えあぐねていた。この手のタイプは対応が難しい。断れば不機嫌になって根を持ち、一緒に乗れば上から目線で傲慢な態度を取るのだ。
「っていうか、おまえ、ここでなにしてたんだ? 仕事ないんだから、こんな時間までいる必要ないだろ」
「……勉強」
純の頭が導く、一番無難な回答。
千晶は、いまだに目を合わせようとしない純に、馬鹿にした笑みを浮かべた。
「勉強? いや、それ事務所でやることじゃねえだろ」
なんと返そうか再び考えていると、となりにいる千晶より向こう側、事務所の影から曲がりこんでくる送迎車に気づいた。その走行音に、千晶も顔を向ける。
送迎車は二人の前に停まり、後部座席のドアが開いた。
「ごめんごめん、ちょっと遅くなった~」
出てきたのは、派手な千鳥柄のシャツを着こなす、長身の男だ。こっくりとした赤毛は純とまったく同じ。二重の目は丸く大きく、表情ははつらつとしている。
ドームツアーを行う歌手でありながら、冠番組を複数持つ国民的タレント。純の父親である、星乃恵だ。
千晶に気づくと、テレビに映るときと同じように、輝かしい笑みを浮かべてみせた。
「あ、お疲れさま」
千晶は体をこわばらせ、会釈した。
「……お疲れさまです」
純に視線を移す恵は、「俺、まさかやらかしちゃった?」とその目で不安げに聞いてきた。純は反応を示さず、千晶に視線を向ける。
恵よりも居心地の悪い顔をして、うつむいていた。その全身から、複雑に絡まりあった感情がふつふつと湧き上がっている。
「えぇ? 星乃さん?」
ようやく局のプロデューサーと電話を終えた田波が、恵の存在に目をみはった。スマホをジャケットにしまい、急いで千晶のもとに駆けつける。
「お疲れさまです。これからご帰宅ですか?」
「あー、えっと」
恵の顔に、いたずらがバレた子どものような笑みが浮かぶ。
「俺このあとラジオの生放送でさ~、そのついでに純を送るつもりだったんだ。みんなには内緒ね?」
口元に人差し指を当てるその姿は、万人に好かれる愛嬌の良さに満ちていた。
「もしかしたら、星乃恵が職権乱用して社用車使ってるって、思うやつがいるかもしれないじゃん? 一応、許可はもらってるんだけどね~。こういうときじゃないと息子となかなか会えないしさ~」
「ふふっ。はい。わかりました」
社交的な恵の人柄に、田波も自然と頬が緩む。
千晶は、顔を伏せたままだった。誰とも目を合わせようとしない。片方の二の腕をぎゅっと握りながら、この時間が早く過ぎるよう祈っている。
千晶に視線を向けた恵は、軽く尋ねた。
「きみも、今から帰るとこ?」
千晶のようすを察した田波が、代わりに答える。
「はい。今からタクシーを呼ぶところで」
「まだ呼んでないの? じゃあ、一緒に乗りなよ。送るよ、うちのマネージャーが」
「え?」
困惑する田波のとなりで、千晶が顔を上げる。眉尻を下げ、手を振り、いつもとは違う自信のない声を出した。
「あの、大丈夫です。そんな。一人で帰れますし」
「でもタクシー代もったいなくない?」
「あ、その、申し訳ないですし」
「気にすんな。純と同じ。ついでにのせるだけなんだから。ナベさんちなら俺もわかるし~」
田波が腕時計を見ながら遠慮がちに尋ねる。
「あの、ありがたいんですが、大丈夫なんですか? ラジオの時間……」
「ああ、大丈夫大丈夫。まだ余裕あるから」
戸惑う千晶と田波を横目に、純は後部座席へ進み始めた。こうなったら恵は引かない。
「あ、もし上からなんか言われたら、俺の名前出していいよ」
ドアを開けて乗り込むと、運転席に座る青寺マネージャーと目が合う。軽く頭を下げて、奥の座席に進んだ。
「ほら、純も乗ったんだから、早く乗って」
これ以上断れない千晶は、純に続いておそるおそる乗り込む。田波と一言交わした恵が助手席に乗れば、車はすぐに走り出した。




