前を向く者と置き去りにされた者 1
茜色の西日が、都心の街並みを染め上げる。
稽古終わりのレッスン生たちが、フリースペースに集まりだした。宿題をしたり、ダンスの確認をしたりと騒がしい中、奥のテーブルに座る純は、ノートや参考書をリュックにしまっていく。
一緒に勉強していた月子は、先ほど父親が迎えに来たからと帰っていった。連絡を受けて急いで帰り支度をする月子の姿と、しみじみとした声を思い出す。
「去年のことで過保護になってんの。あの人も父親らしい感情持ってたんだな~」
ふふ、と笑みをこぼす純の耳に、背後から近づく足音が聞こえてきた。
「あ、やっぱり。いたいた~」
振り向けば、古橋がさわやかな笑顔を浮かべて見下ろしている。
「渡辺さんはもう帰られたんですか?」
純は狐目を細めてうなずいた。
「じゃあ、星乃さんももう帰ります?」
「いえ、ダンスの練習をしようと思ってて」
「僕もついていっていいですか?」
「もちろん」
リュックを背負いながら立ち上がる。古橋を見つめ、笑みを深めた。
あの日以来、古橋と一緒にいると、熊沢からかばってくれたときの光景を思い出す。
味方など一人もいなかったあの状況で、自分が強くならなければいけなかったあの状況で、身を挺してくれた。古橋もまた、怖かったはずなのに。
マネージャーとしてまっすぐ向き合ってくれる古橋の存在が今、どれほど心強いか――。
「あ、そうだ。ダンスの練習する前に、古橋さんにお願いしたいことがあるんですけど……」
遠慮がちに目を伏せる純に、古橋は胸をたたく。
「僕にできることならなんなりと!」
「ほんとうですか? よかった~。じゃあ、ここ二年分のアイドル雑誌を、持ってきてくれますか?」
名のあるタレントを多く抱えるFMPでは、所属タレントがさまざまな雑誌で取材を受け、表紙を飾っている。取材内容や写真を過去資料として番組に提出することもあり、膨大な量の雑誌を保管する資料室が存在していた。
「へ? アイドル雑誌? 構いませんけど、どのアイドル雑誌ですか?」
メジャーなものからマイナーなものまで、アイドル雑誌と呼ばれるものは多岐に渡る。
「全部です。月刊、隔月刊、増刊号、季刊、アイドルが必ず表紙に出る雑誌全部です。アイドルは男女問いません」
その要求に、さすがの古橋も渋い表情を浮かべた。
「一応、あるにはあると思うんですが、それで二年となるとそれなりの量に」
「構いません。全部持ってきてください」
純はほほ笑みながら、前のめりに古橋へ差し迫る。琥珀色の瞳に気おされる古橋は、たじろぎながらうなずいた。
「わ、わかりました。さすがに、全部は無理かもしれませんが」
「じゃあ、持てるだけ持ってきてください」
「え、え~……」
「先にスタジオ行ってますね?」
管理窓口に歩いていく純の後ろ姿を見て、古橋は力の抜けた声を出す。
「もしかして、意外と、人使い荒い?」
†
シューズのこすれる音や楽曲を響かせるはずのスタジオは、無音を極めていた。床にはアイドル雑誌が積み上げられている。
練習着姿で片膝を立てながら座る純は、雑誌をパラパラとめくっていた。読み終えたものは別の場所に積み重ねていく。
純が重点的に見ているのはインタビュー記事だ。男性アイドル、女性アイドル、そしてinnocence gift。すべてのインタビューに目を通し、頭に叩き込む。
ときおり口元に握りこぶしを当てて考えこむ姿は、さながら試験問題を読み解く受験生だ。
純の気迫に、そばでしゃがんでいる古橋は声をかけられない。短く息をつき、純が読み終えて積んでいる雑誌を一冊手に取った。
適当にめくっていく中で、あるページに目が留まる。
「おっ、これめちゃくちゃいいじゃないですか~」
明るくパッとした声に、純は目を向けた。
「星乃さんの良さがめっちゃ出てますよ。ビジュが盛れてますねぇ」
見ていたページを純に向けてくる。
そこに写るのは、暗い背景の中で、派手なアイドル衣装を着るイノセンスギフトだ。みな真面目な顔つきで正面に視線を向けている。端にいる純は、今のように片膝を立てて座っていた。
「あ……やめてください」
視界に入らないよう手で遮り、顔をそらした。全身に、鳥肌が広がっていく。
「え? でも」
「自分が写ってるやつは、見たくないんです」
「そんなこと言わずに~。こんなにかっこいいのに~」
古橋がどんなに見せようとしても、純が顔を向けることはなかった。出している手が、小さく震えている。
アイドルとして異様な反応を見せる純に、古橋は眉尻を下げ、雑誌の向きを自分に戻した。
「すごくよく写ってるから。今後の参考になればいいなって思ったんですけど。……すみません」
純は手をおろし、安堵の息をつく。
昔から、写真はどうも苦手だ。写されたくないし、写っているのを見ることができない。雑誌を読んでいる最中も、自分が写るページを直視するのは避けていた。
自分の姿が、他の芸能人に比べてどうしてもおかしく見えるのだ。容姿も劣り、オーラもなく、ひたすら惨めに見える。アイドルらしくカッコつけた姿は特に、吐き気がするほど気持ち悪い。
「……かっこいいと思うんだけどなあ、この星乃純」
再びページを眺める古橋が、真剣に続ける。
「気だるげ~な感じが際立っていて。こう……流し目がいいんですよね。ミステリアスな魅力が出てるっていうか」
その声に、お世辞や冗談の類はなかった。だからこそ、純は眉尻を下げ、持っていた雑誌に視線を戻す。そこに写るのは千晶だ。
制服姿で頬づえをつき、完璧な顔でほほ笑んでいる。――天と地の差をこれでもかと見せつけていた。
逃げるように、ページをめくる。
「僕は笑顔で写ってるときよりこっちのほうがかっこよくて好きだな。星乃さんの笑顔はちょっと無理してる感じがあってぎこちないんですけど。こういう表情は素の良さが出てる感じがしていいんですよね」
純はなにも返さなかった。まっすぐな言葉を向けてくる古橋を、見ることができない。
「って、新任風情がなに言ってんだって話ですよね。すみません、生意気言っちゃって。てっきり、そういう表情管理とか、自分の映りを研究してるもんだとばかり思ってたんですけど、違うんですか?」
「……そんな、たいそうなことをしてるつもりは、なくて」
「もったいない。そういうところを意識すれば、もっとよくなると思うのにな」
自身が売れたいと思っているわけでもなければ、誰かに売れてほしいと願われているわけでもない。純の目標はあくまでも、三年以内にグループをトップにのし上げることだ。
グループの現状は坂口千晶一強。圧倒的に活躍している千晶だからこそ、雑誌に映っているページ数もほかのメンバーより多かった。
人気やビジュアルだけで言えば、メンバー全員が集まっても千晶には敵わない。これでは、グループというより、千晶とその他だと認識する人がいてもおかしくなかった。
純は頭を抱え、ため息をつく。この状況からどうグループをのしあげろというのか――。
会長の言うとおり、こんなのむちゃぶりだ。




