ステージ裏の決意 2
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なんとか、放送事故をぎりぎり回避した。
パフォーマンスの中の、ほんの数秒の出来事。爽太の足が引っかかったのを見てから、純は無我夢中だった。このままじゃだめだと、体が勝手に動いていた。
自分でも何をしていたのかよく覚えていない。自分の行動が正解だったのか、生放送が終わった今でもわからない。
控室に戻り、制服に着替えた純は、壁際を向いてしゃがむ。
激しい心臓の動きがおさまらない。胸をおさえる手も震えている。純にとって、あのイレギュラーなステージは負担が大きすぎた。
着替えを終えた千晶の、小ばかにする声が冴えわたる。
「なにがフォローする、だ。自分が後輩にフォローされてんじゃん、かっこわる~」
しかし返事はない。爽太はテーブルに座り、余っているケータリングのチョコ菓子に手を付けていた。
千晶はわざわざ爽太の後ろに近づき、声を張る。
「もっとしっかりしてくれないと困るんだけど? あんなんで転んでんのアイドルとしてダサすぎるから」
それでも返事をしない爽太に、千晶はわかりやすくむくれる。が、控室に入ってきた熊沢に気づき、顔をこわばらせた。
熊沢は、二人のいるテーブルにまっすぐ向かう。爽太を見下ろし、穏やかに言い放った。
「おまえ、芸歴何年目だ?」
爽太は冷静に見上げ、答える。
「……六年目です」
「だよな?」
熊沢は瞬時に顔をゆがませ、声に嫌悪をにじませた。
「ぽっと出の星乃じゃねえんだぞ。もっとしっかりしろよ、和田ぁ! おまえまでポンコツになったら、このグループ終わりだぞ?」
爽太は眉をひそめ、目をそらす。しかし反論はしなかった。
「プロのパフォーマンスとしてどうなんだって話なんだよ。金もらってんだから、それに見合った働きぐらいちゃんとしろや! あのレベルじゃセンターもイラ立って当然。だろ?」
熊沢の口角が上がり、鼻を鳴らす。
「ずっとセンター奪われたままで気に入らないのはわかるけどよ。いい加減自分の立場をしっかりわきまえろ!」
爽太は返事をせず、じっと耐えていた。膝の上に置いたこぶしを握りしめ、精一杯、感情を抑え込んでいる。
「……最初にポンコツな動きしてたの、坂口千晶ですよね?」
その声に、千晶だけでなく、その場にいるスタッフ全員の肝が、さあっと冷えこんだ。
声の主はもちろん、純だった。立ち上がり、自身を守るよう腕を組みながら、まっすぐに熊沢を見据えている。
「熊沢さん、もしかして俺たちの仕事っぷり、見てませんでした?」
「本番前はあんなに縮こまってたのに。終わったらここぞとばかりによくしゃべるな」
熊沢は爽太を尻目に、純のもとへずんずんと近づいていく。そこに張りぼての笑みはない。嫌悪とイラ立ちを隠すことなく顔に出し、その目つきは純を見下していた。
「いいか? 勘違いするな。アイドルとしてようやく最低限のことをできるようになったおまえが、俺に意見できる立場にあると思うな。その口を、俺の前で二度と開くんじゃない」
その気迫に圧倒されながらも、純はまっすぐ見つめ返した。息が詰まり、今にも力が抜けそうだ。心臓がバクバクと動いているのを悟られないよう、必死に言葉を並べていく。
「まあ、確かに。グループのセンターはあくまでも坂口千晶ですからね。坂口千晶のイメージが悪くなれば、結果としてグループのイメージダウンにつながるし、そうなると熊沢さんの出世も、怪しくなりますもんね」
熊沢の目元がぴくりと動いたのと同時に、純は狐目を怪しく細めた。
「でも、だからって、イノギフ使って次期社長の座を狙おうなんて、夢を見るには無謀だと思いますけど」
青筋の浮かぶ力んだ手が、伸びてくる。純に届く前に、間に入って遮る者がいた。
予想していなかった光景に、純の目が見開く。
「あ……」
純をかばうよう手を広げて立っていたのは、古橋だ。
「お、落ち着いてください。あの……」
言葉が続かない。
無理もない。今の熊沢は誰も近寄れず、手が出せないほどの形相ですごんでいる。それでも古橋は、声を絞り出した。
「僕はちゃんと、見てました。和田と、星乃を、責めるのは、違うと思います」
古橋の心臓が激しく脈打つのを、純の耳は聞き取っていた。
「じゃあ、全部センターの千晶が悪い、と?」
「それは……」
「結果も残さないようなやつはな、守られる価値なんてないんだよ。それがたとえ、親が幅効かせてる二世だとしてもな。……それがウチの方針だ」
古橋の肩に、手を置く。そのまま力強く握りながら、後ろにいる純を覗き込んだ。無理やり口角を上げた顔で、軽蔑をのせた声を放つ。
「ほんと、おまえはメンバーとしてなにも貢献できてないくせに、言うことはいっちょ前なんだよな」
純は負けじと見つめ返す。
――俺を何度も助けてくれたあの子なら。強く、気高い渡辺月子なら、この言葉になんて返すだろう。
「貢献? しましたよ? 俺に感謝してほしいくらいです」
――風変わりで権威のある銀慈会長は、どう皮肉るのだろう。
「ネットで爽太の失態を叩かれることもなければ、『坂口千晶が足ひっかけたんじゃね?』なんてことにもならずに済むはずですから」
――人望の厚いパパなら。社交的で強いママなら。どうやって笑顔で切り抜ける?
「ほんとうによかったですね。坂口千晶、今、大事な時期なんでしょ? 熊沢さんにとって」
古橋の肩をつかむ手が、ぎりぎりと強くなる。
純を守ろうとする古橋は、これ以上はやめてくれと言わんばかりに縮こまっていた。
熊沢は深く息をつき、古橋の肩から手を離す。
「さ! とりあえず片づけて撤収!」
二人に背を向け、何事もなかったかのように、周囲のスタッフやメンバーに指示を出し始めた。
「各自忘れ物がないように! なにか不備があった場合は連絡してください!」
主任マネージャーらしく、ほかのスタッフに声をかけ回っていく。
真っ青な顔で心臓をおさえる古橋に、純は背中をさすってあげた。爽太がバッグを肩にかけて近づき、純のリュックを差し出す。
「純……ごめん」
絶望。悲観。感傷。
謝罪の一言に、あらゆる感情が混ざっていた。
「俺が、事故、起こすなんて思わなかった。坂口の言うとおりだよ。純にフォローされるなんて、情けない」
「そんなこと……」
受け取ったリュックを背負う純に、爽太は目を伏せながら、一段と小さい声で続けた。
「フォローしてくれて、ありがと。本番中だし、難しかっただろ。もし純が助けてくれなかったら、俺、カメラの前で、坂口のこと殴り飛ばしてたかも」
「よかった。そうならな」
――もう、嫌だ。
爽太の全身が、そう言っていた。
固まる純に、爽太は目を向ける。
「どうした?」
目を合わせた瞬間、ぶわりと。純の中に、爽太の考えていることすべてが入り込んできた。
――ほら、しょせんいろいろ持ってるやつが強いだけ。
――俺はただの、千晶のお飾り。
――俺がこの世界に、しがみついてるだけなんだ。
――やっぱりもう、潮時、なんだろうな。
それらは純の頭で数秒もせず分析と再構築を繰り返し、複数の映像を作り上げていく。
千晶と、爽太の言い争う声。小突きあうケンカ。鼻で笑う熊沢の、度重なる失言。輝く千晶と、影から抜け出せない爽太。
アイドルの仕事に夢と希望を見いだせなくなった爽太は、グループを、離れていく。
「純?」
虚空を見つめて瞬きすらしていなかった純を、爽太だけでなく古橋も不安げに見すえていた。我に返った純は、いつもどおりの笑みを浮かべる。
「ごめん、ちょっと、ぼうっとしてた」
純は、ほかのスタッフと話し込んでいる熊沢に目を向ける。
ついに、自分だけでなくグループ全体に影響が出始めた。
innocence giftをトップにのし上げるのであれば、今年度こそ、あの厄介な人物をグループの前から消さなければならない。




