ステージ裏の決意 1
生放送前のリハーサルを終えたfresh giftは、控室で本番の準備に取り掛かっていた。
衣装に着替える最中、純は頭の中で、ダンスのイメージトレーニングをこれでもかと繰り返す。
ヘアメイクがクリップを落とす音、スマホの着信音、廊下でスタッフが誰かを呼ぶ大声。余計な音が耳に突き刺さるたび、イメージがぐちゃぐちゃと崩れていく。やはりイヤーマフがないと落ち着かない。
なんとか着替えを済ませ、壁につま先をつけるようにしてたたずむ。耳を手でふさぎ、目をつぶって、まぶたの裏に本番の光景を映しだした。頭の中ではただひたすら、パフォーマンスに徹している。
同じく着替えを終えた爽太が、壁に向かってじっとしている純に気づいた。驚かせないようゆっくり近づき、背中に手を当てる。びくりと震えながら振り向く純に、ほほ笑んだ。
「大丈夫だよ。リハ、うまくできてただろ。本番もうまくできる」
「和田さん、メイク入ってください!」
スタッフに呼ばれ、返事をした爽太は離れていく。
「あ、今のうちになんか食べとけよ。ケータリング、俺は食べないし。本番中に腹が鳴るって結構恥ずかしいだろ?」
化粧台の前に座る爽太を見て、純は中央に置かれたテーブルに向かう。不安はぬぐえなかったが、不安にとらわれすぎるのもよくない。
王道のアイドルらしい、白色の衣装に折り目がつかないよう気をつけながら、イスに浅く座る。
用意されたケータリングの中で、歯に色がつかないサラダせんべいを手に取った。衣装を汚さないよう、取り出したお菓子を一口でほおばる。
そのとなりに、すでにヘアセットも着替えも終えた千晶が座った。純に視線を向け、ためらいがちに一度そらし、また向ける。
「あのさ」
びくりと震えた純に、千晶は眉をひそめる。
「さっき、俺、映画の撮影で……」
委縮したように固まる純は、千晶に顔を向けようとせず、咀嚼を続けている。その姿に、千晶はイラ立ちを隠せなかった。
「なんなの? 無視すんなよ」
「してない」
「俺おまえにそんな態度取られるようなこと、した?」
「してない」
「調子乗んなよ、おまえのほうが年上でも、俺のほうが先輩なんだからな!」
反響するその声に、空気が濁り始める。千晶の正面に座っていた歩夢も、あくせくと動き回るスタッフも、ヘアセット中の爽太も、視線を向けるだけで声はかけない。
飲み込んだ純は、ようやく、千晶へ顔を向ける。しかし、目を合わせることはできなかった。千晶の首元を見るのがせいぜいだ。
ごちゃ混ぜになった感情が、千晶の全身から色濃く漂っている。それらは純にずっしりとのしかかり、押しつぶそうとしてきた。ほんとうなら、この手のタイプは近寄ることすらも避けたい。
おびえるような純の態度に目つきを悪くする千晶は、ため息混じりに吐き捨てた。
「なに? まさか緊張してんの? この程度の仕事で? まあ、ろくに仕事の数こなせてないもんなぁ?」
言い返さない純に、千晶が抱く嫌悪と腹立たしさはどんどん膨らんでいく。
「もう三年目なのにそんなんで大丈夫? この先不安だわ~。こっちはトップ目指してっから、いつまでも成長しないやつにいられるの迷惑なんだよね。このままじゃおまえ、クビになってもおかしくなくね?」
「坂口の立場で言うことじゃないだろ」
爽太の冷静な声が、濁り切った空気を両断した。その後ろ姿に、千晶はゆがめた顔を向ける。
スプレーで髪を固められている爽太は、鏡越しに続けた。
「センターだからってなんでもかんでも言っていいわけじゃないだろ。メンバーのこと下に見てんなよ」
ヘアセットを終え、立ち上がった爽太は振り向く。化粧台を指さし、純に代わるよう促した。
向かう純とすれ違いざま、先ほどよりも柔らかい声を放つ。
「大丈夫だよ。なにかあれば、俺がフォローする」
純は控えめな笑みでうなずき、化粧台に座った。背中に突き刺さる黒々とした視線を、感じながら。
†
音楽番組の生放送が始まる。
出演者全員でのオープニング撮影を終え、fresh giftはひな壇に移動した。
リアルタイムでの撮影に、スタッフもアーティストも気を引き締めている。周囲に蔓延する緊張や焦燥は、純が飲み込まれそうになるほどだ。
その中でも、となりから漂ういびつな感情に、純は気が気でなかった。なにかよからぬことを考えている。ただひたすらに、嫌な予感がする。
ほかのアーティストの紹介中、歌唱中、CM中、となりに視線を向けた。
そこに座るのは千晶だ。数秒見ていると千晶のほうが気づき、目を合わせようとしてくる。が、その前に正面へ向き直った。
思考を読みたいのだが、目を合わせる恐怖のほうが勝つ。パフォーマンスを控えている状態で、千晶からの嫌悪と不快感を一身に浴びる余裕はない。
そうこうしているうちにfresh giftが紹介され、ひな壇からステージに移動する。イヤモニを耳にセットし、立ち位置に着けば、失敗できないプレッシャーも、千晶に対する不安もピークに達した。
胸に手を当て、深呼吸。
大丈夫。振りはそこまで難しくない。
爽太が言ったとおり、たくさん練習したのだから、よほどのことがなければ大丈夫。――しかしそれは、ダンスに限って言えばの話だ。
曲が始まってしばらく、千晶に抱いていた不安が、確信に変わる。
千晶の動きがリハーサルと異なるのだ。
パフォーマンスに集中する純の視界の端で、千晶と爽太がぶつかった。それだけにとどまらず、爽太とポジションを代わらなければならない部分で千晶がその場から動こうとしない。
機転を利かせた爽太が千晶の場所でダンスを続けている。その笑顔の裏でイライラしているのを、純は肌で感じ取っていた。
ダンスをミスなく踊ることで精いっぱいの純は、この状況にどうすることもできない。
もし純が同じようなことをされていたら、全体のフォーメーションがボロボロになっているはずだ。千晶もそれをわかっていて爽太にちょっかいをかけている。
そしてついに、それは起こった。
間奏中。曲も終盤だ。全員で体を回転させながら移動していく。
千晶が爽太とすれ違うその一瞬、足を出した。後ろから片足を払いのけられた爽太は体勢を崩し、背中から倒れていく。
爽太の視界に入るのは、頭上にあるはずの舞台照明だ。
経験の長い爽太ですら、ここから立ち直すことはできない。衝撃を覚悟しながら目をつぶり、このあとどうごまかそうか必死に考えた。
が、間一髪、両手を握られ一気に引き戻される。目を開ければ、立ち位置から全速力で走ってきた純が、そこにいた。
「あ……」
息を切らしながらもアイドルらしい笑顔を浮かべる純は、手をつかんだまま、曲と振りに合わせてその場で回転する。うまいタイミングで手を離し、爽太を本来の立ち位置に戻した。
が、純は戻ることなく爽太の肩に腕を回す。カメラ目線で爽太のパート分、口を動かした。千晶に対する怒りや放心で、爽太が自身のパートをすっかり忘れていたからだ。
それが終われば、爽太の背中を軽くたたいてもとのポジションに戻る。最後の最後までパフォーマンスに徹し、ラストはカメラの前に集合。純も爽太も、笑顔で手を振った。
番組MCに映像が切り替わる直前、顔を両手で覆う爽太と、その背中をさすりながら励ます純の姿が映されていた。




