センターの失態 2
妃にうまく促され、熊沢は一礼して去っていく。千晶も頭を下げて、熊沢の後を追った。
「優しいわねぇ、妃ちゃんは」
「引き留めたところで私たちにメリットはないでしょ?」
スタッフに声をかけられた二人は、水の入った紙コップを渡される。ちびちびと飲み進める大物女優が、思い出したように尋ねた。
「そういえば、あの子。息子くんと同じグループなんでしょ?」
コップに口をつけていた妃は、動きを止める。
「現役の高校生アイドルかぁ。妃ちゃんや恵くんと同じことやってるのね。なんだか感慨深いわぁ」
口元からコップを下げる妃の顔は、ほの暗い影がうっすらと覆っていた。物憂げに目を伏せて返事をしない。
「やだ、ごめんなさい。変なこと言っちゃったかしら」
眉尻を下げた大物女優が、口元を扇子で隠す。
「え? ああ、いえいえ」
思い出したように笑みを浮かべ、首を振った。
「実は、息子がなかなか連絡くれなくって。こっちから連絡しても無視されちゃうんです」
「あら、それは不安ね。でも仕事に関してはマネージャーがようすを教えてくれるんじゃないの?」
「ん~。私のところには来ないですね。本人にいたっては仕事のことも学校のことも全然教えてくれないし」
「反抗期かしら?」
「そうなのかも。同じ仕事してるんだからアドバイスだってできるのに、必要ないって態度なんです。私が会いたくても全然会ってくれないし」
「思春期の男の子なんてそんなもんよ。そのくせ自分の用件はこれでもかと送り付けて来るのよね。学校に持っていかなきゃいけないもの朝に言ってくるとかさ」
「そうなんですよ~! ほんと必要最低限って感じ」
人当たりのいい態度で会話を続ける妃だったが、純に対する本心を、決して口にすることはなかった。
†
飲まず食わずの撮影から一時退却した千晶は、都内の撮影スタジオに来ていた。
着替えもメイクも終えて、コンビニで買ったトマトジュースに口をつける。控室にはケータリングのお菓子があるものの、一切手をつけようとしない。
スタッフに呼ばれた千晶は、控室を出てセットへ移動する。その際、先導するスタッフから資料を見せられた。
「今回はふれあいショーの宣伝ということで……まずは、ごろ寝をして『だれか~』お尻を振って『かまって~』……で、最後にターンして手招きしながら『動物園だニャン、待ってるニャン』で、お願いします」
千晶が着ているのは、三毛猫の着ぐるみだ。顔の部分がぽっかりとあいている。暑苦しさに耐えながら、スタッフの説明に笑顔でうなずいていた。
――なにがにゃんにゃんだよ。だっる。あほくさ。ばかばかしい。なんで俺がこんなこと……。
など、口が裂けても言えない。
これも、アイドルの仕事。業界で生き抜くために必要な、踏み台の一つだ。
すでにスタッフが待機している撮影スタジオに入り、あいさつをしながらカメラの前に移動する。グリーンバックを背にして、スタッフの指示を受けながら、カメラに頭を向ける形で体を伏せた。
カウントを出すスタッフを確認し、カメラが回った瞬間、ごろ寝をしてスタート。台本通り、順調にOKを出し続けていく。
最後にはじけるような笑顔で手招きし、声を張った。
「動物園だにゃん! ふれあいショー開催中だニャン! みんなのこと、待ってるニャ~ン!」
撮影を見守る女性スタッフたちの、頬が緩む。モニターを確認している監督も、機嫌よく笑っていた。
「はいOKでーす! めちゃくちゃよかったよ! CM見た女の子たちメロメロになるんじゃない?」
「ありがとうございます!」
CM撮影ではなんの不備もなく仕事を終わらせることができた。千晶は安堵の息をつき、その場を後にする。
†
「お疲れさま、さすが坂口千晶、だな」
送迎車での移動中、運転する熊沢の声は上機嫌だ。
斜め後ろの座席に座る千晶は、ぱきっとした力強い二重の目で運転席を見つめる。
「あの、さっきの仕事、なんですけど」
「なに? にゃんにゃん撮影?」
「ああいった仕事は、ほかのメンバーのほうが」
吹き出す笑いが、続きを遮った。
「いつも以上に媚びてたなぁ、女どもに。いいじゃん、女性スタッフからの評判良かったし、あれならファンももっと増えるぞ」
「でも、ああいうのって、俺じゃなくても」
「世の女たちは坂口のにゃんにゃんだから見たいんだろ~?」
茶化してくる熊沢に、千晶は語気を強める。
「でも、歩夢とか浜崎くんとか。あの二人のほうが身長低いし、かわいらしく見えるっていうか。俺には、合ってないかなって……」
熊沢は口角を上げながら、しばらく無言を貫いた。千晶がまずいと思ったその瞬間、鼻を鳴らす。
「そういえば今日、大寝坊だったな」
車内の空気が一瞬で張り詰めた。
「すみません」
そこを指摘されると、もう何も言えない。熊沢もそれをわかってやっている。
怒鳴りもせず責め立てることもなかったが、ミスした千晶の言葉に耳を貸すつもりはない。それどころか、容赦なく叩き潰してくる。
「遅刻ってのは本来めちゃくちゃシビアなんだぞ。あの現場であれくらいで済んだのは、おまえがイノギフのセンターで売れっ子だからだ」
だからこそ、千晶は労働基準法の時間ぎりぎりまで仕事を詰めこまれ、生活リズムが崩れるほどの忙しさに身を置かれている。学校に行く暇もなければ寝る時間も十分ではない。
ミスをしたときにそれを言い訳にすることも許されない。当たり前の状況として受け入れ、自分自身を律していかなければならなかった。
「一度のミスを許してほしいなら、数十倍の量をこなして結果残さないとな。メンバーの中で一番売れていると自覚してるなら、なおさら」
純に対してものを言うときに比べれば、わかりやすい嫌悪もなく、イラ立ちも出さない。それでも、圧をかけていることに変わりはなかった。
「……はい。すみません」
おとなしく謝る聞き分けのいい千晶に、熊沢は機嫌よくほほ笑む。
「しっかりしてくれよ、坂口。おまえが、グループをひっぱってるんだから。な? おまえがセンターとして、メンバーの手本になって、グループをのし上げるんだ」
「はい」
「おまえの力で国民的グループになったら……渡辺月子なんて目じゃないぞ。それこそ反対した親父さんを見返すことができる。アイドル、坂口千晶として」
「そう、ですね」
千晶は言われるがまま、深く、うなずいた。しかしその顔は、高校生らしくもなくアイドルらしくもない、憂いに満ちている。
「そんな顔するな。この後は生放送だぞ。アイドルなんだから、ファンに余計な心配かけさせないようにな」
「はい……わかってます」
坂口千晶はこれからもアイドルとして、どんな仕事だろうと笑顔で耐え続けなければならない。




