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星乃純は死んで消えたい  作者: 冷泉 伽夜
三年目
105/139

センターの失態 1


 この日、innocence(イノセンス) gift(ギフト)のセンターである坂口千晶は、大寝坊をしでかした。主演に抜擢(ばってき)された映画の、ロケ撮影だったにもかかわらずだ。


 早朝、何度もかかってくる電話に起こされ、寝ぼけ眼で出た瞬間、怒号が放たれる。


「おい、坂口! てめえなにしてんだ! まさか寝てたんじゃねえだろうな! 昨日からさんざん言っておいただろ! 今日は映画のロケ日だって!」


 飛び起きた千晶は身支度もそこそこに家を飛び出す。すでに家の前で待機していた熊沢の運転で、現場となる郊外の山林へと急いだ。




          †




 到着した現場の空気は、地獄のように冷え切っている。


 それもそのはず。このときすでに、撮影開始予定を二時間も過ぎていたのだから。


 撮影スタッフも、共演者も、千晶に対する印象はダダ下がり。


 準備のためロケバスに駆け込んだ千晶に、熊沢が吐き捨てた。


「まさかおまえがこんなことしでかすとはな。今日は何言われても自業自得だ。耐えていい結果を残して来い」


 すぐに着替えとヘアメイクを済ませ、謝罪も満足にできないまま撮影場所に向かう。


 木々に挟まれた暗い林道を、先導するスタッフとともに進んだ。


 その際、待機していた大物ベテラン女優の前を横切る。ふくよかな体型で派手柄の着物を着こなすその人は、わざとらしく言い放った。


「ほんと勘弁してほしいわぁ。外だし暑いし虫もいるのに」


 木陰が広がる山林の中は、強い日差しが入ってこない。しかし、じめじめとした湿気が肌にまとわりつき、衣装をいつもより重く感じさせる。


「結局早朝のシーンは撮れないし。はやく来た意味ないじゃない」


 千晶の背中に、嫌味がドスリと突き刺さる。そのまま無視することもできず、振り向いて頭を下げた。


「すみませ」


「八雲さぁん!」


 甘えるように高く、しかし下品には感じさせない魅惑的な声。大物女優のそばに、別の女優がすっと寄る。


「バスの中、涼しいですよ。出番まだですよね? 中にいらしたら?」


 真っ黒なフレアコートに身を包む、ボブヘアの女優。色気のある狐目を細め、バスが止まる駐車場のほうへ手を向ける。


「この湿気ですもの。意外と汗かいちゃいますよねぇ」


 女優、美浜(みはま)(きさき)


 星乃純の、母親だ。


 その瞳の色は純と同じ、黄金のような琥珀色をしている。


「のどかわいてません? 私たちの衣装だとなおさら、定期的に水分取らなくちゃ」


「お気遣いありがと、妃ちゃん。でも、下手に飲んだら帯がきつくなるのよ」


「じゃあ、せめてロケバスで涼みましょうよ、一緒に。着替えてからだいぶ時間がたってるでしょう?」


 大物女優と妃に改めて謝罪しようとする千晶だったが、スタッフに促され、移動せざるを得なかった。


 指示された場所に立つ千晶は、気を取り直すよう深呼吸。今の状況に心を乱されず集中し、役になり切らなくてはならない。




          †




 林の中を、千晶は裸足で駆け抜けていた。両手はロープで縛られたまま、息を切らし、ときおり振り返る。


 盛り上がった木の幹に足を取られ、前のめりに転倒。


「うあっ」


 早く起き上がらなければ。まだ追手は来ていない。大丈夫だ。間に合う。


 立ち上がろうとする千晶の前に現れたのは、厚底のブーツ。見上げた千晶を、妃が笑みを浮かべて見下ろしている。


 その後ろから、ぞろぞろと、黒スーツのいかつい男たちが出てきた。千晶を囲み、短機関銃(サブマシンガン)を向ける。


 絶体絶命。打開策はないかと周囲を見渡す千晶の頭に、妃が拳銃を構えて撃鉄を起こした。


「クーイズクイズ、な~んのクイズ?」


 この場に似つかわしくない。妃のひょうひょうとした声。


「あなたが今から殺される理由はなんでしょ~か?」


 穏やかな笑みを浮かべているが、その全身から、卒倒しそうなほどの殺気を漂わせている。


「正解したら、見逃してあげる」


 泥にまみれた顔でにらみつける千晶に、妃がひるむことはない。ただただ、クイズの答えを待っている。


「おまえらに……おまえらなんかに、俺が殺される理由なんて、ない!」


 妃はさらに、口角を上げた。その笑みは妖しく、禍々しく、神々しい。背筋を凍らせ、絶望的な未来をこれでもかと想像させる。


「ざあんねん」


 魅惑的な甘い声が、残酷に告げた。


「不正解」


 響く銃声。飛び立つ野鳥たち。のぼっていく硝煙。


 そこで、カットがかかる。


 千晶が遅刻した分、撮影は急ピッチで進められた。休む暇もなく次のシーン、別のシーン、移動してさらに本番。スタッフも演者も、てんやわんやだ。


 それでも、予定どおりの時刻にすべてを終わらせることはできなかった。主役が二時間も遅刻したのだから当然だ。


 頭上にはまだ、すっきりとした青空が広がっている。このまま解散か、今日中に撮れるシーンを撮るか、機材のそばでスタッフたちが真剣に話し合っていた。そのあいだ、役者陣はひとまず休憩。


 ロケバスの前で、妃は衣装スタッフの手を借りながらコートを脱ぎ、そのまま預かってもらった。


 中身は薄手の、シンプルな白ワンピースだ。首元を手であおぎながら息をつく。


 スタッフからすでに開かれた日傘を受け取り、日光から全身を守った。


「お疲れさま、妃ちゃん」


 例の大物女優が声をかけてきた。扇子で顔をあおぎながら、スタッフに日傘をさしてもらっている。


「あ、お疲れさまですー」


「あんたの演技、見てたけど、あれはだめでしょ、妃ちゃん」


「え? だめでした?」


 大物女優は手の甲を口元に当て、上品に笑う。


「最初から最後まで、主役を食っちゃってたわよ」


「え? そう、ですか?」


 妃はきょとんとした顔で首をかしげた。


「あははっ。嫌だわ、妃ちゃん。てっきりわざとかと思ってたのに。いいわいいわ、あなたはそのままでいて」


「はあ……」


「みんなべた褒めしてたわよ、妃ちゃんのこと。年を重ねるたびに演技力に磨きがかかってるわね」


「うふふ、うれしいです~」


 二人が談笑するそのころ、千晶は次の仕事が差し迫っていた。ほとんどが現場に残っている中、速やかに帰り支度をし、熊沢とともに謝罪とあいさつをして回る。


 大物女優と妃のもとにもやってきた。謝罪して頭を下げる二人に、大物女優が鼻を鳴らす。


「一番の若手が一番遅く来て、一番早く帰るのね~」


「しょうがないですよ、八雲さん」


 妃が苦笑しながらフォローした。


「人気者だからスケジュールぎちぎちなんでしょう。ほら、早くいかないとまた遅刻しちゃうわよ」


 ほらほら、と追い払うしぐさをする妃は、さながら迷い込んだ小動物を逃すプリンセスのようだった。

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