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蜃気楼の岬から  作者: ピンギーノ
幕間Ⅱ
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幕間 夜を彩るにはまだ早い

 空中を浮遊したまま東の地から目線を外すと、青年は真下へと顔を向けた。そこには、氾濫する大河の水と崩れゆく大地が。オーディンはその光景をぼうっと眺めながら、ある日の情景を思い起こしていた。


 「名も知らない、集落の姉妹。それと……ソンちゃん。これでもう、その地に縛られることはなくなった。どうかぐっすり眠ってくれ」


 彼の瞼の裏には、かつてその死を見送った姉妹と、自ら加護を授け、メナスの地へと送り出した友人の姿があった。

 夢喰いは臆病な魔獣だ。迂闊に近づけば容易く逃走されてしまうため、自らの手で討つのは困難。そのため、いずれオムニスに危害を加えうるこの危険因子(ゆめくい)の討伐は他人に任せるほかなかった。


 A級冒険者スノリ・トルソン。

 些細なきっかけから友人と呼べる仲まで発展した二人。オーディンは彼の皮肉屋な一面を気に入り、またトルソンはオーディンの話を聞くのが好きだった。

 事態は、とある王国の小粋な飲み屋での語らいを発端とする。


 丁度、日を跨ぐ頃合いだった。酔いが回ったオーディンは、いつものように笑い話に興じる傍、珍しく愚痴をこぼしてしまったのだ。


 「……まぁ、何が何でも楽しい話だけじゃないってワケ。例えば……ソンちゃんはメナスの集落ってご存知?」


 「知っているさ。ローグリン領の辺境ではあるが、魔女信仰を排し、その土地特有の神を信ずる一族の集落だろう。とうの昔に滅んだと聞いているが」


 「そうそう。でさ、これは大体半世紀くらい前の話なんだけどさ。これがまた後味悪くって」


 トルソンは黙って彼の話に耳を傾けた。

 数百年のあいだ集落が隠蔽していた闇取引の実態。魔獣に生贄を捧げる狂った儀式。集落の善良な少女と、生贄となってしまった彼女の妹。五十年以上経ったにも関わらず、彼は不意にその一件を頭に過らせるのだった。柄にもなく。


 「忘れて仕舞えばいい。君は君の役割をこなした……それでは不満か? だいたい、半世紀も前のことなど……」


 「オレは人よりもだいぶ長く生きてるからね。残念ながら、五十年なんてのはオレにとっては一瞬なんだ。まぁ、なんだかんだ五百年もすれば流石に薄れるだろうけど」


 珍しく、皮肉ではなく真っ当な励ましが返ってきた。加えてトルソンの言い分はもっともであるから、オーディンは反射的に笑みを溢す。その励ましが彼の後ろ髪を知らず知らずのうちに引っ張っていることに、トルソンは暫くしてから気付くのだった。


 そして、数秒の沈黙が場を冷ませた時。トルソンは右手のロックグラスを静かに置き、意を決したような面持ちで隣の友人を見据えた。


 「では、その夢喰いとかいう魔獣は私が討とう。君のような手練れではなく、私のような弱者であればソイツも逃げることはあるまい」


 「おいおい、何でそうなるよ? オレは………………いや、ははっ、冗談だっての。オレがいちいち引きずるとか、そんなのあり得ないってことくらい分かるっしょ。さっきのはいつものふざけた話をドラマチックに彩っただけで……」


 「それで君の未練が無くなるなら、私は友人として全力を尽くすさ。……案ずるな、私はこう見えてA級だからな。死ぬことはあるまい」


 「A級って……それは知識や戦術面が評価されただけでソンちゃんは武闘派じゃないじゃん。悪い事言わんからさ、やめとき」


 オーディンは空いたグラスを視界の隅に遣ると、さして間を置かずに次を頼む。

 ブランデーを基にした琥珀色。スライスした檸檬でグラスに蓋をし、さっぱりとした味わいが広がるカクテルを二つ。


 「…………はぁ、勝手に注文するのは構わんが」


 「いやぁ、そっちのグラスも空いてるからさ」


 「………………君の頼んだヤツだがな、私はどうもあの苦味が好きになれん」


 とぼけているのか、真剣なのか。そんな友人の掴みどころのない表情を尻目にトルソンは大きく溜息を吐くと、態とらしい声色で不満を溢した。


 「悪いな、もう頼んじまったよ」


 オーディンは、何処か諦めたような顔で告げる。


 「別に飲まんとは言っていない。…………君の方こそ、潰れるなよ」


 友人の表情には目を向けず、トルソンは再び言葉を返した。




 彼が夢喰いの餌へと成り果てる二週間ほど前の、束の間の語らいであった。




 そして時は流れ現在に至る訳だが、オーディンがこのタイミングでメナス河に現れナズナ達を救ったのは、彼の心の中にある慣性に従った結果に過ぎなかった。要するに気まぐれだ。

 仇を討ってくれたなどとは微塵も思っていないし、彼女たちのお陰で過去の因縁を断ち切れたというのも少し違う。

 オムニス王国特務機関総司令、オーディン・バロス。結局のところメナス河を取り巻く因縁など、悠久に近い時を過ごす彼にとっては微酔の際にふと追想する程度の些事でしかないのだから。


 ――本当に、(ただ)の気まぐれだろうか。


 本人からすれば、己の行動原理を言語化するなど面倒で堪らないことだろう。しかし、オーディンは敢えてその()()()()に時間を割かんとする。


 (シャヴィ・ギークの死に意味を与えたいから? ソンちゃんの仇を討ってくれたから? いや、違う。そんなんじゃない。オレがあの子たちを助けたのは、たぶん)




 紺色に塗り潰された東の空を眺めながら、浮遊する青年はその貌に微笑を飾り付ける。




 周囲の景色は粒子へと変換されてゆく。土地の魔素が死に絶え、力を喪失した物質は蛍のように宙を揺蕩う。河の底から露わになる巨大魔獣の死骸が、氾濫する水に侵食されゆく荒野が。粒子となって天へと昇っていった。

 記憶の灯火が最後に放つ輝きは、これ以上なく静謐で、盛大で、美しい。そんな音無き楽団の調べが夜のしじまを彩り……(つい)へと向かうのだ。


 幻想の河が遺した歌に、青年はじっと耳を傾けるのだった。

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