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蜃気楼の岬から  作者: ピンギーノ
一・三章 幻想河の遺歌(下)
94/95

84話 辿る道を照らしながら

 (………………)


 まぶたが重い。

 叶うならば、もう一眠りしたいところだ。


 しかし、意識の片隅では理解している。身体の側面から伝わる、冷たく硬い感触。瞼を動かそうとも一切差し込まぬ光。


 ここは夢喰いの巣。元は長の家の地下室であり、今となっては薄暗く寂しげな洞窟である。


 「……現実。戻って来れましたか」


 ナズナはまぶたをゆっくり擦ると何を思ったか、無造作に魔法陣を手元に描いた。


 「向こうの記憶は消えませんでしたか……いっそ綺麗さっぱり無くなっていれば良かったものを」


 彼女は魔法陣に、魔力を流し込む。

 静かな、それに反して凶悪な色を放つ魔力。ナズナは、あまりにも自然な動作でそれを後ろに向けた。


 ――途端、魔法が起動した。


 手のひらサイズの魔法陣は大きく広がり、そこから巨大な黒槍が真っ直ぐ射出する。その方向には……


 (……さようなら、魔獣さん。集落の想いを受け継ぐ形になって癪ですが、まぁ因果応報ということで)


 「これで、本当の意味で眠れるでしょう」と、宙を仰いで呟くナズナ。四人が巻き込まれた元凶……現実世界における夢喰いの本体は、たった今貫かれた。

 四人を眠らせ、この場所に引きずり込み、長い間魔素を搾取し続けていたのだろう。自分の身体には目立った外傷がないことから、夢喰いという非肉食魔獣の性質を感じる。人肉を口にしない魔獣は獰猛性が控えめな分、狡猾な方法で人間を襲う種が多いとされているが、裏を返すと罠さえ破ればナズナの魔力であっても対処できる。大方予想通りの結末であった。


 「さて」


 ナズナは夢喰いの亡骸から視線を外し、今度は目下に転がる三人の姿に目を向ける。


 「…………っ!? 体内魔素が枯れかけている。現実ではどれくらいの時間が経ったの……?」


 ナズナは彼らの容態を確認するなり、徐々に冷や汗を流し始めた。三人の体には、身体を起こし、動かせるだけの魔素が残っていなかった。辛うじて生命活動を行えている……という状態である。魔獣から魔素を吸われ続けていたのだから当然ではあるが、まさかここまで衰弱しているとは。まさしく、ナズナの予測していた最悪の事態の一歩手前であった。


 (……焦ってはだめ。まだ三人は生きているのだから。まずは三人を地上に出して、新鮮な魔素を……いいえ、確か土地の魔素は失われてしまったから、そんな時間はない。もうじきこの大地は崩壊する……!)


 夢の世界における戦いの最中、土地神たるメナスちゃんは、自身の持つ全ての力をナズナに託した。代償として、ここら一帯を漂う魔素は消失。よって自然環境は壊滅の一途を辿ることになるだろう。草木は枯れ、大地は崩れ、河は濁り始める。

 そんな状況下では、三人の回復を待つことなど不可能に等しい。


 一行の窮地は、依然として継続していた。




 「まずい、まずい、まずい…………っ!! ここじゃ自然回復は無理。私の魔素を移したいけど、みんなの身体は弱っているし下手なことしたら死ぬかもしれない。しかも、ここたぶんあと三分もしないうちに崩落する……何か、何か使える魔法は……」


 抑えていた焦燥が、崩壊のタイムリミットが近づくと共に表面化する。思考を巡らせ、夢の世界で覚えた魔法を懸命に(まさぐ)るナズナ。しかし……


 (…………黒槍、雷撃、風刃、防護壁、火球、光線、草鞭……どれもこれも、この状況を覆すには足りない)


 ナズナは、例外はあれど一度目にした魔法を再現できるといった異能を持っている。ただ、彼女が夢の世界の繰り返しにて目にしてきたものは、いずれも戦闘に関わるものばかり。人を道具としか思えなくなり、玩具のようにもて遊び……いつしか集落の人々との戦いを引き起こし、着々と魔法使いとしての力を育んでいったのだ。

 その結果、彼女は気付く。


 自分は、戦うことしか出来ない魔法使いなのだ。




 「きっとこれは報いだ。私の知ってる魔法は誰かを傷付けるものばかり……私の力じゃ、みんなを助けられない…………っ!」


 気付いた途端、ナズナの乾いた双眸からは後悔と失望が止めどなく溢れていた。頬は濡れず、鼻を啜ることもない。そんな自分の様子に、ただただ胸を締め付けられていた。


 彼女は一人、茫然と俯く。

 一人ならば、昏い地下を抜け外へと飛び出し、生き延びることも出来るだろう。河畔林の先に船が遺されていれば操縦して対岸に渡ることも叶う。そうでなければ、北部の大国オムニスにでも行けば良い。


 自分が生き抜くための選択は残されている。だが、ナズナは踏み出そうとはしなかった。

 自分を仲間だと、友達だと認めてくれた三人を此処に置き去るという選択が脳裏に過ぎると、理性が身体を押し留めるのだ。




 (…………決めました。皆さん、なるべく苦しまずに逝きましょう。そういう魔法は、知っているんです)


 ナズナは、仲間と共に心中することを選んだ。




 天井から落ちる岩盤に押し潰される苦しみよりも、氾濫した河に飲み込まれ溺れる苦しみよりも、効率的な自死の方法を知っている。幾度にも渡る繰り返しの中で習得し、何度も何度も使って脳に馴染ませた、麻薬のような魔法。


 「苦しむ間なんて与えません。どうか一緒に、私と……」


 ナズナは、慣れた動作で魔法陣を展開させる。

 この世の苦しみを掻き集めたような赤黒い輝きを放ち、魔力が陣の中を飛び回った。


 (……………………)


 超速展開(クイックリロード)など不要な程に、馴染ませた魔法にも関わらず、此度の発動は妙に長く感じる。何故かと自分に問うも、答えは分かり切っていた。


 ――本当はどうしたいのか。

 剣士がウィルに投げた問いが、今になって頭を過ぎる。


 (世界の理不尽に、私はまた……)


 ナズナが最後の思いを巡らせる。

 魔法発動まで、十秒足らず。


 彼女は、すぐ傍まで近寄っている影を見ていなかった。






 「……ストップだ、お嬢さん」


 声が耳に触れた直後、強く腕を掴まれる。

 殆ど放心状態にあったナズナは、それによって意識が削がれ、魔法の中断を余儀なくされてしまった。


 「夢喰いの討伐、ご苦労さん。ギルドの関係者として、礼を言っとくぜ」


 ぼやける視界で、ナズナは声の主を捉える。

 パーマのかかった長い黒髪。彫りの深い顔立ちに、優しげな目元。そして下部を覆う無精髭。ゆったりとしたジャケットを羽織る洒落者は、苦笑いを浮かべながら四人を見下ろしていた。


 「………………貴方は……何処かで見たような……」


 か細い声でそう呟くも、彼女は思い出せない。

 男は、まるで幼子をあやすような声色で「そうかもね」とか「うんうん」などと言ってみせる。


 「オレはオーディン。オムニスって国のちょっと偉い人なんだけど、此処に来た理由は至極単純。だいぶ昔にデッドァライブされた魔獣が死んだからね。オレちょっと暇してたから、ギルドの代わりにちょっと凸ってみたってワケ」


 「……オーディンさん…………? やっぱり、何処かで……」


 「んはっ、実はオレも一目見た時からそう思ってたんよ。あれ、見たことあるかも? って……ククッ、冗談。今どきベタすぎっしょ」


 オーディンと名乗る男は、戯けた様子で言葉を返す。まともに取り合う気はないと見えるが、別段腹立たしいとか、そういった煮えたぎるような感情は湧いてこなかった。

 この男は敵に回したくない。直感的にそう思うのである。


 「んで話戻すけどさ、君らがやったことはオムニス(うち)的にも価値のある事なんよ。だから、オレとしては報酬を差しあげたいってワケ」


 「………………報酬……?」


 「おん。じゃあ、時間ないんで秒で選んでちょ。一、このままオレに保護される。二、メナス河の対岸に飛ばされる。……前者はオムニス直行便的なやつで。更に、オレの特権で国が手厚く衣食住をサービスを提供っておまけ付きだ。生活に困ることは殆ど無いはず」


 「…………」


 「んで後者は……そのまんまの意味。飛ばされた後に関してはオレも関与しない。…………まぁ野放しってのも胸が痛むから、その先の街付近に着地って感じ? ほんとそれだけ。まぁ、どちらを選ぶかは明白だよな?」




 ――胡散臭いな。

 ナズナは心からそう思った。




 「…………では、後者で。向こう岸に行かせて下さい」


 だがナズナは一切の疑念を放り捨て、望みを口にした。

 この男の真意を探る余裕など無いし、どうせ本心を知ったところでどうする事も出来ないだろうから。

 そんな返答を耳にしたオーディンは、面白くなさそうに苦笑いを浮かべていた。


 「はぁ、だいぶ怖い思いをしたと思うんだけどねー。どんだけ強情なんだっつの。それでもまだ苦しみたいってんなら、しゃーなしか」


 「……まだ、旅の途中なので」


 「………………あ、そ」


 ナズナの返事に一瞬だけ目を丸くすると、オーディンは目線を外し、適当に返した。

 そして何処から取り出したのか、まるで苔むしたかのような見た目の壺を地面に置く。


 「今からちょっとだけ意識失うけど安心してちょ。目が覚めたらきっと素敵な景色が広がっているはずだよん」


 「この魔法道具……なにこの術式、頭が痛くなりそう」


 「…………まいいや。じゃ、おやすみ」


 ナズナの言葉から何かを感じ取ったのか、若干興味ありげな表情を浮かべる男。

 体内魔素量の底が見えないのに加え、A級冒険者が討ち損ねた魔獣を討伐。そして、魔法道具の内部術式の解析を行えるときた。


 この少女のことを探らんと腰を据えかけたものの、オーディンは天井からポロポロと土砂が崩れ落ちる様を目にした。故に思考を瞬間的に切り替え、すぐさま行動に移る。

 オーディンが右手の指を鳴らすと、ナズナの身体は吊るし糸が切れたかのように脱力し、地に伏してしまった。そして次の瞬間、壺からもくもくと若葉色の煙が溢れ出す。

 煙は四人の身体を包み込み、あろうことか皆の身体を徐々に縮めてゆく。


 拳大ほどに小さくなった四人の身体は宙に浮き始め、煙の中を壺の口へと流れてゆき……静かに吸い込まれていった。ふわふわと移動するその様は、まるで雲の中をゆっくりと飛んでいるようだった。




 (よし、じゃあ時間がないんで早速……)


 オーディンは四人の入った壺を持ち上げると、そのまま目にも止まらぬ速度で飛び上がった。岩の天井を貫き、地上へと飛び出し、空へと到達。


 「狙いは…………うん、あそこが良さそうだ。大陸東部の自治行政区画。一人の大富豪が描いた玩具箱であり、国々の金融と思惑が日々入り乱れる秘密裏の社交場。…………闘技と賭博の都、シルトポリス。ま、せいぜい楽しんでや」


 オーディンは大きく振りかぶり、空中で投球の姿勢を取る。

 そして息を強く吐くと同時に、遥か遠方に向けて壺を投げ飛ばした。壺は一直線の軌道を描きながら、東の地へと飛んでいった。








 煌びやかな光を纏い東へと飛んでゆく様は、さながら流れ星のようで。

 その光に一瞬だけ照らし出されたメナスの地からは、大地を構成していた魔素の残滓が、次々と空へと立ち昇ってゆく様子が見えた。


 霧は晴れ、今宵は月がよく見える。

 小さな魔素の残滓は淡い月光を浴びながら、空への旅路を辿るのであった。


 幻想の河を越え、安らかに。











作者です。

今回をもちまして、三章を完結と致します。


次話以降は幕間を一話投稿したのち物語の舞台を次章へと移す予定ですが、構想の見直し等から、四章の公開まで暫しお時間を頂きたく存じます。


ここまでお付き合いいただいた読者の皆様には、感謝の言葉が尽きません。拙作を読んでいただき、本当にありがとうございました。

今後とも、「蜃気楼の岬から」を宜しくお願い致します!

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