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蜃気楼の岬から  作者: ピンギーノ
一・三章 幻想河の遺歌(下)
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83話 幻想河の遺歌Ⅳ

 たった今、歯車が朽ちた。


 ――世界が消えてゆく。

 終末を告げる時計が停止した瞬間、箱庭の崩れる音が響き渡った。


 獲物を捕らえた夢喰い。

 体内に残された二人。


 両者の闘いは、これを持って終幕を迎える。

 晴れた霧の向こう。見上げた先の星空は、祝勝の証としては相応しい美しさであった。




※※※



 命を賭したウィルのひと断ち。

 一際太く、多量の魔素が流れ込む根の断面からは、みるみるうちに魔素が吹き出していった。


 その様子を遠方より見守っていた"妹"は、短く息を吐くと直ぐに大樹の方へと歩き出した。


 (今度はあたしが責任を果たす番だ)


 夢喰いを降ろす儀式が始まった時、彼女は嫌な予感を感じ取ったためニケとミサの側を離れることにした。無論、それは自分可愛さに甘えた行動ではない。ニケの体に夢喰いが宿った瞬間、あの場にいたところで、二人を救う手立てはないと悟ったのだ。

 実際、夢喰いの大樹化に巻き込まれずに済んだためその判断は正しかった。ただ、彼女は自身がこの状況の一端を担っていると自覚している。


 (旅人さんの死にたいって気持ち、痛いほど伝わった。けど、間違っても御嫁様(みなづけさま)の話なんてするんじゃなかった。……何が何でも、止めなきゃだめだったんだ。あの子の話をいちばん側で聞いた、第三者のあたしが)


 自由に死を選択できることは幸せだ、と感じる。

 だからこそ、仲間にも打ち明けられなかったであろうミサの苦しみを、受け止められた。彼女の姿が、生贄の責務に縛られている自分と重なったのだ。

 話を聞き、感情のままに提示してしまった選択。自分は死の恐怖に怯えずに済み、ミサの望みも叶う唯一の道だ。ただ、それが最善であるとは限らなかった。


 (けれど、あなたを救うのはあたしじゃない)


 山吹色の魔力が、大樹の根元に渦巻く。

 "妹"――シャオは、彼女の最愛の(ひと)の姿を想い起こしていた。


 (旅人さん、もう分かってると思うけど、伝えるね。この世界でいちばん大切なのは、辛いときでも傍に居てくれる人だと思うんだ。もっと話して、遊んで、ちょっと喧嘩して、仲直りして…………そしていつかその人と一緒に幸せになれるなら、生きることも悪くないって思えるはずだから)


 御嫁様たる魔力の、総開放。

 誰にも聞かれない心の中の声を乗せ、魔力の風は大地を撫でる。……大樹の周りを、色鮮やかな花々が埋め尽くした。

 消えゆく灯火のような、姉の最期の魔法。土地の記憶の欠片が妹の魔素に宿り、幻想の花園を作り上げたのだ。


 そして、魔法が集落中に広がった直後。




 ――!!!!




 呻き声にも似た大音量が地を激しく揺らすと同時に、大樹と化した夢喰いは崩れ落ちるのだった。






※※※






 「……んん…………」


 穏やかな暖気が、全身に降り注いでいる。

 少女は目を擦りながら、ゆっくりと身体を起こした。


 「み、ミサちゃん? …………大丈夫、ですか?」


 聞き覚えのある声が、左隣から聞こえる。ふとそちらに目を遣ると、自分の手を握りながら、表情に不安げな影を落とすナズナがいた。


 「…………うん、なんともないよ」


 ミサは普段通り素っ気なく答えると、周囲を見渡す。

 その光景に目を奪われるまでに、さほど時間はかからなかった。


 「…………これは一体……私たち、集落に居たんじゃ?」


 「ええ、集落の中ですよ。正確には、まだ夢の中なんですけどね」


 ナズナの言葉を受け取ると、ミサは悠然と、改めて周囲に広がる景色を眺める。


 ――花園が広がっていた。まるで宝石のような彩りが地面を覆い尽くし、月の灯りを浴びている。音は無く、暖かな風がそっと凪ぎ、花々をしとやかに揺らしている。


 「……驚きますよね。"妹"さん……いえ、きっとあの姉妹の魔法です。お花たちの魔力が、お二人を受け止めたんですよ」


 「…………? お二人……受け止める……」


 どうやら意識が未だ覚束ないようなので、ナズナは簡潔に事態の推移を話すことにした。

 不安の色が表れる面持ちでそれを聞くミサの心情は、ナズナには測れない。ただ、自滅願望を抱いていた以前の彼女を思えば、幾分か顔色が良くなっていることに気付くのだった。



 霧の晴れた空は、何処までも薄紫(あお)い。河の向こうには、歪みのようなものが見える。恐らくは、あの先が現実世界への出口であると直感的に感じ取れた。


 「そっか、ウィルが……」


 「今ごろ、ひと足先に戻っている頃でしょう。私たちも、早く帰らないとですね」


 「……うん」


 魔力を使い果たし、仲間のために命を落とした友人。無論、夢の世界の中の出来事ではあるため、死別というわけではない。しかし、同時に彼の決意の固さを感じた。ウィルにとって仲間は、命を賭すに値する存在なのだ。


 (…………ウィルだけじゃない。ナズナも傷だらけだし、すごく痛そう。それに、ニケだってあのとき……)


 救いの手を差し伸べてきた、黒髪の少年がいた。魔獣の呪いに冒されながらも、脳内を乗っ取られてそうになりながらも、負けじと真っ直ぐな目で励まし続けてくれた"ただの同級生"がいた。


 ――あぁ。やっと。

 暖かな気持ちが、ふつふつと湧き出てくる。


 「……早く、帰ろっか。一緒に」


 表情を綻ばせながら、ミサはナズナに告げる。


 ――やっと、叶ったんだ。


 初めての、他人に見せる心からの笑顔だった。







 「うっ、ううっ、なんだよぅ、こんなのあんまりだよぉ。あの麗しき"姉"さん、魔獣が化けてたってことなのかよ。……もう嫌だ。僕ぁこのまま飛び込むから邪魔してくれるなよ!」


 河沿いにて。

 ナズナとミサが向かった先。先の戦いでナズナが停めた船があるため、それに乗って脱出するという算段である。ニケ、剣士、妹、長の四人は先に着いており、中でも剣士には船の動作状況等を調べてもらっている最中だ。

 そんな中恥ずかしげもなく、実にみっともなく喚き散らす者がいた。


 「……………………チッ」


 ミサは思わず舌打ちをする。

 やはり、ニケはニケであった。


 「はいはい。もう好きにすれば? ……てか死んだらワンチャンまた会えるかもね。お姉ちゃんもあたしももう死人だし」


 「広大なメナスの大河に身を投げ、嘆きの果てに溺れ死ぬ若人。嗚呼、やっと手にした帰還の希望が潰えるその光景の何たる趣か。ぜひワシに見せて下さいな。さぁ、さぁ」


 「……な、な、なんなんだよお前ら揃いも揃って目を輝かせやがって! この集落にはサイコ野郎しかいねえのかよ! ……飛び込まないからな。何も期待するなよ」


 繰り広げられる茶番劇を間近で目に入れてしまったナズナとミサは、呆れ果てるほかない。ニケはそんな二人を目にすると、俊敏な動きでさささと駆け寄る。そして「さ、早くおさらばしようぜ!」と慌ただしく船に乗り込んだ。

 すれ違いざまの「本当に飛び込まなくていいんですかぁ?」という声は、ナズナの言葉である。ニケは一瞬だけギョッとした表情を見せるも、苦笑いで通り過ぎることにした。きっと、何も聞かなかったことにしたいのだろう。




 「…………」


 ミサは、何も言わず彼の背後に続く。道すがら俯いており、その表情は分からない。


 「……!」


 ナズナはその様子を見て、直ぐに勘付いた。


 (ははぁ、なるほど。ミサちゃんはなかなか奥手なんですねぇ。………………取り敢えず、暫くは傍観に徹しますか)


 薄いニヤけ面を浮かべながら、集落に背を向け、彼女もまた二人に続く。「ちょっと面白くなってきましたね」と、誰も聞き取れぬような声で囁くのだった。




 三人が甲板に乗ったと同時に、操縦室から一人の男が出て来た。三人の姿を確認した男はフン、と鼻を鳴らすと、船尾の方向へと歩き出す。陸へとそのまま飛び降りるつもりなのだろう。確かにこの男ならば、数メートル程度の高さなど問題にもなるまい。


 「…………剣士さん」


 ナズナは、その背中に声をかける。距離のせいだろうか。少しだけ、その姿は小さく見えた。

 剣士は振り向かずに、じっと足を止める。どうやら、一応別れの言葉を聞く気はあるらしい。そんな剣士にナズナは近寄るでもなく、何を思ったか頭を下げ始めた。


 「…………」


 暫く、そのまま時が過ぎる。

 剣士は短くため息を吐いたのち、未だ煙の絶えない集落へと目を遣りながら、背中越しに呟く。


 「案ずるな、船は問題なく動く。…………それとも、まだ何か用でもあるのか、魔女娘」


 「最後くらいちゃんとした呼び方をしてほしいものです。……望みは叶いましたか? 私が冗談混じりに告げた戯言じゃなくて、貴方が本当に為したかったことは」


 数秒の間。剣士は空を見上げながら語る。


 「私の望みは、もう叶わんよ。ただ、そうだな。少なくとも依頼人(ヤツ)がこの地に残した無念は晴らせただろう。それを成せただけでも、私は……」


 彼の言葉は心なしか暖かく、柔らかかった。彼の見据える先にあるものは如何なる記憶か。背中越しではあるが、その声色を耳にしたナズナは断言できる。男は過去ではなく、しっかりと前を見つめているのだった。


 「……物のついでだ。最後に私からも一つ、頼まれてくれるか」


 「ええ。なんなりと?」


 「大剣の少年に、よろしく伝えておいてくれ。真面目過ぎるきらいはあるが、あの勇気は私の同業者の中でもなかなか見られん。いつしか、お前を守る騎士へと立派に育つだろうな」


 「……さぁ、どうでしょう。それは強さというよりも、私と彼の関係次第ですね。そんな時が来るのを期待して、せいぜい仲を深めておきますよ〜」


 ナズナは戯けつつもそう言うと、船を降りる男の背中を見送った。直後、暖かな風が甲板を吹き抜ける。笛のような音を鳴らしながら、まるで現世へと戻る三人の背を押すかのように。







 「皆さん、いろいろお世話になりました〜! ちゃんと成仏して下さいねー!」


 「ほっほっほっ、ワシらの事はいいから疾く行きなされ。早くせんと、ほれ。だんだんあなた方の魂もこちら側に引きずりたくなってしまいますじゃ」


 「怖ぇよ。"ほれ"じゃねぇよ。目がマジだから笑えないんだよサイコじじぃ」


 「ふふ。冥界への旅路、そちらはどうかごゆ〜っくりと楽しんで下さいねぇ?」


 「おいおいおい、ナズナちゃんもこれ以上煽るなって! 化けて出てくるかもしれないだろ、お願いだからやめてください!」


 出発の刻だ。船の上の三人は、陸地に残った三人の姿に目をやる。

 仲が良いのか悪いのか、未だに毒を吐き合うナズナと長に肝を冷やすニケ。共闘して偽神を討ったとはいえ、ナズナが神を騙ったことに対しては余程鬱憤が溜まっていると見た。或いは、単にこの老人が生粋のサディストであるだけなのか。

 ……恐らくは両方だろうな、とやり取りを聞く誰もが感じた。


 「……シャオ。その、ウチのつまんない話、聞いてくれてありがと。おかげで、もっと生きようと思えてる」


 「そりゃ友達だから。友達が病んでたら寄り添うのは当然だよ。…………でも、本当にごめん。あたしが引き止めてれば、あんな大ごとにはならなかったよね」


 「ううん、良いんだ。共感してくれたおかげで気持ちが楽になった部分もあったから」


 二人が言葉を交わす最中、ナズナはニコニコと笑みを浮かべながら、操縦室へと向かう。ドアの開く音が、別れの訪れを唐突に実感させた。


 「でもまー、そっちに戻っても心配は要らないね。だって、今はあたしよりももっと良い相手がいるから。ね、黒髪の旅人さん?」


 「……え、ぼ、ぼく? あ、あの、如何なる観点からそんな考えに至られ……」

 「は、はあ? それどーゆー意味?? わけわかんないんだけど誰がこんなもやし陰キャを」


 「も、もや……そこまで言わんでも……」


 シャオはそんな二人を羨ましそうに眺めていた。「いいなー。私もこんな風にぃ」などと小声で呟きながら、きょろきょろと見回す。

 剣士は、そんな彼女と目を合わせるより先にそっぽを向いていた。視界に映り込もうとする長を無視しながら、シャオは残念そうに息をつく。


 そうこうしている内に、魔力の渦巻く気配が一帯に広がり始めた。床下が小刻みに振動し、重低音が空気を揺らす。ナズナが動力装置に魔素を流し込み、船を起動させたのだ。

 シャオは徐々に遠ざかってゆく影をぼうっと眺めながら、何となく思案する。自分が口ずさんでいたあの歌は何だったのか。

 大樹の出現と共に蘇った生前の記憶には、あのような歌を歌った記憶は無い。


 朧に霞んだ山吹の空。

 広野を流れ風は藤を薙ぐ――


 番で見渡す彼誰の色。

 清き身預けてまたあした。


 ――生前に存在しなかった歌だとすれば、これは夢の世界で作られたと考えるのが妥当ではないだろうか。

 では、誰が作ったのか? どのような思いが込められた歌なのか?


 


 (…………あーあ、それを考えるには時間が足りないみたい)


 視界が淡い光で霞み始めた瞬間、シャオはとうとう思考を放り出した。分からないものは分からない。だから最後は、そんなことよりも大事な想いを抱きながら別れようと思ったのだ。


 「…………みんなと出会えて良かった。()()()、行ってらっしゃい」


 その声は空気の中に溶け込むように、柔らかく消えていった。




 透明な、凪いだ水面に薄波を描きながら、船は旅人の影を運ぶ。段々と水面と混じりゆく夢の世界の集落を、ニケとミサの二人はじっと見ていた。


 「……ニケ」


 不意に口を開いたのはミサだ。

 先の罵倒もあり、今度は何事かとニケは構える。が、僅か数秒後に予想を遥かに超える衝撃を受ける事になろうとは思わなかった。


 「……………………ありがと」


 薄桜色の髪がよく似合う彼女は、陽だまりの中で微笑んでいた。

 実に珍しいことだ。彼女が自分に見せる表情といったら、まるでゴミを見るような冷酷なものばかりだったのに。いやに眩しく感じたのは、きっと陽射しと物珍しさによるものだろう。多分、そういうことなのだ。




 (…………長い、戦いでした)


 ボロボロの操縦室から二人の様子を眺めるナズナは、ガラスの外れた窓に両腕を乗せ、もたれかかっていた。力の抜けた手でまぶたを擦ると、次は壁を背に、ずるずると腰を下ろしてゆく。


 (少しだけ、眠くなってきました。船の進行方向は問題なく、あとは私の注いだ魔力が自動で外へ運んでくれるでしょう。…………ミサちゃん、ニケさん、ごめん。やることがなくなったので、少しだけ寝ようと思います)


 何日の時を繰り返したのだろうか。

 破り捨てて燃やしてしまいたい記憶ばかり。狂気に染まった言動、人の身に余る悪魔の快楽。その全てを、ナズナの体は憶えている。仲間の前では平然を装っているが、彼女の心の中は焦燥にも似た不快感に苛まれているのだった。ふとした瞬間に自分を壊してしまうのでは。いつか抑制が効かなくなるのではないか。

 自分が自分でいられなくなった時……いつか訪れるかもしれないその時への怯えを残したまま、ナズナの意識は微睡(まどろみ)の中へ溶けてゆくのであった。


 船は進む。

 夢と現実を結ぶ狭間へと。

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