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蜃気楼の岬から  作者: ピンギーノ
一・三章 幻想河の遺歌(下)
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80話 幻想河の遺歌I

 「……なんだ、あれは」


 藍色の丘上にて、集落を見渡す剣士は呟いた。

 夢喰いの動作が停止したことから、かの少女らによって事態の収拾が付いたのかと思ったが……夢の世界の崩壊が始まるどころか、先ほど戦闘が繰り広げられていた時よりもおどろおどろしい気配が周囲に漂い始めるのだった。


 剣士は深く息を飲み、メナス河の()()()へと視線を上げる。


 「あの黒い壁は、一体なんなのだ」


 世界の端が暗転している、としか表現しようがない状況が、視界いっぱいに広がっていた。まるで、神がかった力によって書き換えられてしまったかのように。







 「ぐ、ぐふぅ……っ!!」


 湿気が全身に絡む、冷え切った地下室。立てかけられたランプの弱々しい灯が、男の鮮血を仄かに照らした。

 男は主落会の一人であったが、その思想の魂胆は集落の長とは異なる位置にある。この哀れな老人は最後の最後まで、神への盲信に取り憑かれていたのだ。故に、横に転がる同胞の亡骸を視認しようとも、自らの腹を刀で引き裂こうとも、彼の眼はただ一点を見つめるのみ。


 「これで、これで我が神の真なる御姿が顕現なさる……っ!! さぁ、とこしえの呪具……利剣戦火(いくさび)よ。我らが血肉を硝薬とし、我らが信仰を繋ぎ止めし積年の封印を焼き斬りたまえ!」


 主落会の男は呪いの剣を掲げ、床に敷かれた絨毯――贄を置いた魔法陣の上に突き立てる。


 その瞬間、紫色に揺らめく魔素の炎が、魔法陣を中心に部屋中に広がり始めた。




 「なんだよ、これ……」


 その場に居合わせた黒髪の少年は、眼前の光景に唖然とする。血を流し斃れ伏す二人の老人、部屋の隅で気を失っている"妹"。魔法陣の中心で仰向けに寝かされているミサ。理解しようなどとは思わないが、それだけに現状の歪さがひしひしと感じ取れる。


 (……これは、色々とやばい気がするぞ)


 ニケの直感は間違ってはいなかった。取り敢えず"妹"を炎の届いていない安全な場所へと引きずり、すぐさま魔法陣の上に寝かされているミサの方へと向かい、手を伸ばした……その時である。


 視界が一瞬のうちに暗転。身体中から何かが生えて来るような気味の悪い感触を最後に、ニケの意識は途絶えてしまった。







 「…………」


 黒槍は、少女の形をした魔獣の胸を深々と貫いた。

 にも関わらず、魔獣は船首の上にて、月光に照らされながらケタケタと笑っている。


 「…………せっかくだから、旅人さんのお利口さに免じてヒントをあげましょう。世界はたった今、"私"によって書き換えられたわ。たとえ貴女たちが私の認識外に出ようとしても、概念の壁に阻まれてしまうでしょう」


 「待て。お前が夢喰いの本体なんだろ? そんな事しても悪足掻(わるあが)きにしかならないと思うけど」


 「ふふ、果たしてそうかしらね。そういえば、金髪の旅人――いえ、()()()ちゃんなら分かると思うのだけれど、何百にも渡るループの中で、夢喰いの私は一体何をしていたでしょう?」


 「……何が言いたいんですか」


 高所に居座る魔獣は、首を傾げる無知な人間を見下ろしながら妖しい微笑みを浮かべた。


 「あら、ご存知ないの。意外と薄情ね? ほら、貴女の役に立ちたいとか言って強さを望んだお友達がいたでしょう?」


 「………………ニケさんがどうかしました…………彼は確かあなたに師事していましたね。それで最初は気を失って、目が覚めたら淵起を使えるようになってて…………」


 つらつらと呟いていたナズナは、途中で何かに気づいたのか、はっと息を呑んだ。

 ニケに魔法を教えていたのは、間違いなく"姉"の姿をした夢喰いだった。そもそも本来の"姉"は魔法を不得手としており、教鞭を取れるほどの腕は持ち合わせていない。

 加えて、"淵起"があれほど簡単に習得できるなど、思えば相当に稀なことである。何せ、ナズナでさえも使えるとは言い切れない魔法だ。知識量的には魔法の初学者にすら劣るニケがいきなり使えるようになるなど、偶然にしては滑稽な話。彼が使ったのは、本当に淵起なのか?




 更に言うならば、彼が教わったのは本当に魔法なのだろうか……?




 「……借り物の身体はじきに崩れ落ちる。答え合わせの時間はもうすぐ訪れるわ。……さあ、始めましょう。幻想の河に降り立つは、夢喰らいの神。この地の魔素を喰らいつくし、果ては全ての人間を胃の中で飼い殺すの」


 歪みに歪んだ笑みで己が理想を語った直後、"姉"の形はぼろぼろと崩れ、空気へと離散した。二人は構わず、集落の方へと目を向ける。


 「ニケさん……!」


 ナズナが呟いた数秒後のことである。

 集落の方面から、紫色の火柱が上がった。


 衝撃波が伝い、大気が震える。二人の背筋に、悪寒が走った。


 「……今すぐに戻らないと! ニケが、ミサが、大変なことに」


 「わ、わかってます。今すぐ、あの発生地に」


 口ではそう言ったものの、ナズナの足取りは鉛のように重かった。魔素感知が未熟なウィルには分からないだろうが、魔力の発生源から伝わるは不吉を煮詰めたかのような悍ましさ。近付こうにも、目を合わせた瞬間に魂を握り潰されそうな、恐ろしい何かが居るような気がしてならない。


 (…………)


 ニケとミサが大変な状況にあるのは承知している。夢喰いの口ぶりから、二人を助けなければ夢の世界から脱出することは叶わないのだろう。……それ以前に、仲間の危機を見過ごすような人にはなりたくない。


 ただ、そこへ向かったとして今のナズナたちに何が出来るだろうか。ウィルは魔力を使い果たし満身創痍。ナズナの魔法は通用する保証がない。あの河の悪魔を凌駕する圧力を前に、一体どうすれば……




 「ナズナ、これは恐らくだけど、俺たちは戦いに行くんじゃない」


 「……は? それも、なんかの策……的な? …………言ってる意味がわかんないのですが」


 ウィルが急にこんなことを言うのだから、ナズナの頭は再び混乱し始めた。強大な敵が出現した以上、戦闘を避けられないことは彼も分かっているはず。ウィルは思慮深い男だから、今回も何か考えがあっての発言なのだろうが……

 戦いに行かないとは如何ほどか。真意を問うべく、ナズナはいつものように首を傾げた。


 「あくまで推測だけど、夢喰いは次の器にニケを選んだんじゃないかと思う。メナスちゃんを騙る自分が殺された時、すぐに復活が出来るようニケの魔素に取り入ったんだ」


 「…………なる、ほど?」


 「だとしたら、戦いはもう始まっている。俺の仮説通りの事が起きているなら、『ニケとミサ』の立ち位置は話に聞いた『夢喰いと御嫁様』の構図とほぼ同じだ。だから、今はニケが夢喰いと戦ってるんだよ。俺たちに出来るのは、精々手助けが精一杯だ」


 「え、全然分かりません。どうやってその『だから』に繋がるのでしょうか」


 操縦室に向かうナズナの後ろ髪に続きながら、ウィルは自身が立てた推論の説明を試みる、はずだった。

 ……彼女を安心させるための言葉であったが、その思惑とは異なりかえって困惑させてしまったようだ。ウィルは焦りを前面に出しながらも、どうにか疑念の解消に努めんとする。


 「メナスちゃんが"姉"さんの身体を借りているとき、夢喰いが強制的に意識を乗っ取ることはなかった。わざわざメナスちゃんを殺して乗っ取ったと自白してたし、意識ある人間を乗っ取ることは不可能なんだろう。それで、いま夢喰いはニケの身体に宿りたがっていると仮定すると……ニケはまだ現実世界で生きているから、メナスちゃんと同じように自分の意志があるはずなんだ。……きっと今は、身体の主導権の奪い合いになってるんじゃないかな」


 「……つまり、夢喰いの意識とニケさんの意識が戦っていると。だから、私たちが出来ることは限られていると。そう仰るのですね」


 「だいたいそんな感じ。夢喰いと御嫁様の関係が互いにどんな作用を齎すのかは分からないけど……俺たちはあの二人を信じて、全力で援護するしかない」


 天にまで昇るような紫色の魔力は渦を巻き、異形な大樹へとその姿を変化させた。その様を見遣るウィルは、じっと奥歯を噛み締めた。

 大樹が夢喰いの魔力で構成されていることは、日の目を見るよりも明らか。よって、ウィル達に残された役目といえば……


 「夢喰いの魔力を少しでも抑える。ではあの大樹の枝払いをするべきですね。よく分からない戦いになってしまいましたが……二人を助けると思えば、なんだか力が湧いてくる気がします」


 大樹が夢喰いの魔力で、その幹の中にニケ達が居るとすれば、枝を切ることによって少しでも夢喰いの魔力を離散させることが出来るはずだ。ナズナが自分と同じ結論に辿り着いたことを認め、ウィルはほっと胸を撫で下ろした。


 「尚更じっとしてなんかいられませんね」


 ナズナははっきりと呟くと、操縦台に魔力を流し込み、針路を集落の方向へと戻す。


 「ニケとミサがこの戦いに打ち勝てば、この世界は夢喰いの支配から抜け出せる。……今度こそ、終わりにしよう」


 ナズナはウィルの声を受け、しみじみと感じた。

 長過ぎた繰り返しを断ち切るための戦い。それを成すためならば、今一度本気になっても良いかもしれない。


 彼らと、また現実で会うために。

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