68話 魔女の淫眠Ⅱ
――例えば、集落の姉妹。
彼女らは、栗色の髪の少年……ウィルと、それからニケとミサを。三人の仲間を助けてくれた恩人だ。しかし、その腹の中は未だ判然としない。なぜならば、過去の繰り返しを通して何度かナズナたちを嵌めようと画策し、集落の贄にしようと試みていたからだ。
敵か味方かは分からないが……それがどうであれ、今のナズナにとってはもはや些事である。
"姉"は、強大な力を持つ魔法使いだが、彼女の実力の大部分は"淵起"に依存していることがわかった。
自身の魔力を荊棘に似た性質へと変換し、纏う。それにより魔力の質が飛躍的に向上するほか、一部の植物魔法が魔法陣や詠唱を経ずとも発動できるようになる。また最も厄介なものとして、彼女の放つ荊棘の魔力は触れるだけで肌に傷が付く。接近されても厄介、植物魔法も脅威と、内に狂気を潜ませている彼女の性格に相応しい、戦闘に特化した淵起であるとナズナは評価したのだった。
ただし幾らナズナといえど、術者固有の魔法である淵起をコピーすることはできない。固有の特殊能力は、術者本人にしか扱えないのである。よって、彼女には面白みを見出せないから、今やとっくに関心の外なのだ。
「た、旅人さ……ん?」
だから、虫の息でそう問い掛けられるも、ナズナの心には何も響かない。どうせ敵となり得るのだから、早い段階で潰しておいた方が良いとさえ考えた。
地に伏す彼女を無機質な目で見下ろすと、ナズナは手の平の上に小ぶりの魔法陣を出現させる。
「…………」
"姉"がじっと、金髪の少女に目線を合わせる。
そこに込められている感情は、少々読み取りづらい。恐怖とは少し違うし、憎しみともまた異なる気がする。
……少なくとも、これから自らの命を奪おうとする者への感情ではなく、何かを訴えかけているような、伝えたくて仕方がないような、そんな目だった。
ナズナは手の平を天へと掲げると、魔法陣から黒き大槍の先端を覗かせ、勢いよく放った。
――背後に向かって。
黒き大槍は術者の狙い通り、見事に対象を貫いていた。散開する血液のにおいと、質量の大きな物体がドサりと倒れる音。
ナズナが振り向いた先には、大男が斃れていた。大男の身体は次第に無数の魔素へと拡散してゆき、崩れていった。まるで、ドライアイスが昇華するかのように。
ここで初めて、この無垢な大男の正体に辿り着いた。ウィルやナズナが"大男"と思っていた姿は、あくまで外殻。中心部の人物を隠すための、鎧のようなものだったのだ。
「なるほど、ウィルさんの話に何度か出ていた大男さん。見つからないなと思ってたら、そーいうからくりでしたか」
「………………」
黒き大槍に胸を穿たれた、大男の中にいた人物。
鮮血に包まれる"彼女"は、眠るように安らかな表情を浮かべ、姉と同じく地に伏している。
「初日、ウィルさんが家を飛び出したあと、あなたはニケさんと少し会話したのち、集落に向かいました。ウィルさんが情報あつめに奮闘する一方で、あなたは長の家に上がり、大男の姿をまとう? 的な魔法をかけられた。そのあと、ウィルさんをぼこぼこにしたと……合ってます? 私のすいり」
ナズナは亡骸を見つめ、淡々と声を発する。
「まぁ、あなたに悪気はなさそうです。何度か地下に監禁されて怪しい事されてるのを見たので、どう考えても偉そうなじじぃ達の実験に利用されただけなんでしょう。……実験の結果には興味あるので、次の繰り返しはじじぃ達に協力してみますか。すごい魔法が見られると良いなぁ」
事切れた"姉妹"を横目に、ナズナはその場を軽やかな足取りで離れる。向かう先は、集落の外。
(また一つヒミツをあばきました。…………でも、結局どれだけがんばっても集落の外の怪物には勝てないんですよね。このまえ試した結合魔法だって、不思議な力でかき消されましたし)
今回の繰り返しはこれでお終い。我慢の限界だ。
彼女はそそくさと、自分を喰らってくれる怪物のもとへと向かうのだった。
※※
――例えば、旅の剣士。
未だ謎の多い人物ではあるが、ナズナにとってそれは重要ではない。魔獣の性質や夢の世界のことなど、様々な知識を備えているのだろうが、やっぱりそれも重要ではない。
彼はオムニス王国という場所からやって来た、ギルドの冒険者だ。件の魔獣を討伐するために寄越されるのだから、相当腕が立つに違いない。ナズナの興味は彼の知識や考察ではなく、使用する魔法のみに向いている。
しかし――
「君と戦うつもりはない」
「……なんでですか。もしかして怖いんですか? 私が」
「無意味だからだ。……リストに載っていないものを討伐したところで、報酬は貰えないからな」
夜半、河辺にて薪を焚べ暖をとる剣士は、彼女に視線を向けることなく、淡白な反応を返す。
それとは対照的に、流れるように紡がれる癇に触るような言い回しと態度を受けたナズナの内心は、穏やかではない。
「討伐? リスト? 私みたいな女の子を魔獣みたいにいうのどうかと思いますけど」
「実際似たようなものだろう。底知れぬオドに、剥き出しの殺意、人間らしい理性が欠片も感じられぬ思考回路。君の魔力は、私の目にはひどく醜悪なものに映っている。……私を喰らって満足するなら、勝手にするがいいさ」
「……私は無意味に人を殺したりしません。この集落の人々とは違います。なんなら彼らが……彼らのほうが、よっぽど魔獣じゃないですか」
少女が何を言おうとも、剣士の男は微動だにしなかった。炎の揺らぎを見つめ……暫くしたら瞼を閉じる。
興がそがれ、剣士の力に愛想を尽かしたナズナは、座ったまま静かに眠りにつく剣士に侮蔑の目を向けた後、集落への路を歩き始めた。
――私が魔獣? 馬鹿なこと言わないでください。そりゃ、少しおかしくなってることは自覚してますけど、それでも私はれっきとした人間です。
――でも、うん。やっぱりそうですよね。魔獣なのは寧ろ、ここの人たちの方じゃないですか。考えずともわかりますけど、私たちはただの被害者なのです。
※
繰り返しの最初に目覚める平野。
立ち並ぶ集落の家屋を横切り、傾斜を登ると、そこに辿り着く。集落や大河が見渡せるが、わざわざ大人が足腰を疲弊させてまで来るような場所ではない。集落の人間にとってこの景色は、子供時代に見慣れているだろうから。
最近は、意味もなくここに来ることが多い。暇潰しの際に日を跨がねばならない場合に限るが、この場所にて肌を包むひんやりとした空気は、なんとも言えぬ心地よさを生むのだ。
静かで、空気が澄んでいる。
目下の集落をじっと凝視する一方で、ナズナは自身が歪な笑みを浮かべていることに気付かない。
「私は、無意味に人を殺したりしません」
先の言葉を反復する。
嘘ではない。殺しに限らずとも、無意味に人を傷付けることは忌むべき邪悪であり、ナズナの最も嫌う行いの一つであった。
だが、拠り所のない理由があったならば?
どうしても、致し方なく、しょうがなく、余儀なく選択せざるを得ない状況が訪れてしまったのならば。
「非道いことをされました。私だけでなく、私の大切な友達も。……危険でずる賢い、魔獣の群れです。私がここで退治しなきゃ、大変なことになりますよねぇ」
ランプや街灯が点々と置かれているだけの、家屋の群れ。夜間にここから見下ろすと、どことなく寂しげな風情を感じる。
しかし、彼女が見ている光景は全く異なるもの。
血色の光が集落の地を覆い、妖しく輝く。
莫大な魔素量によって構成された、あまりにも巨大な魔法陣。限りなき体内魔素使役可能量が、複数人でしか成し得ぬはずの魔法の実現を可能にしているのだ。
「……」
ナズナが集落を一睨したのち、それが合図となり、彼女の体から魔力が解き放たれる。
地に展開された魔法陣から空に向かって立ち昇る、紅き無数の光の粒子。
やがて金属を削るような甲高い爆音と共に、眩い閃光が溢れ出した。同時に巻き起こるは高熱の嵐。咄嗟に防護魔法で身を覆ったナズナは堪らず目を瞑り、顔を背ける。
数十秒経過したのち、興味が抑えきれぬ様子の彼女は再び集落に目を遣った。
そこに広がる景色は、まさに圧巻の一言。
地上と天空を繋ぐ、紅色の光柱。柱の周囲には大量の稲妻が蛇のようにうねり、魔法の破壊力の凄まじさを物語っていた。
「…………」
それにしても、桁外れの破壊力である。規模と威力は予想を遥かに超越し、また爆発の余韻のような何かが、術者である彼女の肌をピリピリと刺激していた。
正直なところ、ここまでするつもりはなかった。辛うじて目視できる大地は丸ごと抉り取られ、瓦礫すらも残ってはいない。
いつかの繰り返しの最後、主落会と長は本当にこの魔法を自分に向けて放ったのだろうか。数日後に祭りが控える中、旅の術者一人を消すために、集落を消し飛ばしうる魔法を放つのはどうも不可解である。
なお、無尽蔵のオドを持つ彼女であれば、魔法自体は再現できる。しかし、魔力量――魔法の出力自体はあまり大きくないため、ここまでの威力を発揮できる道理はないのだ。
防護魔法を解いたナズナはじっと光の柱を見つめ、回し慣れぬ頭を回転させる。
「……っ」
不意に、急激な嘔吐感が襲ってきた。
ナズナは反射的に口元を右手で覆うも、堪え切れなくなり、その場で吐き出す。
(…………はい?)
恐る恐る右手に視線を落とした彼女は、視界に映る有り様を見て驚愕した。
へばり付く血液に、黒ずむ皮膚。何が起こったのかと考えるも、突然の身体損傷に理解がまるで追いつかない。
周囲に生物の気配がないことから、外敵からの攻撃でないことは明らか。さすがに体内魔素量は今の魔法で減少したが、それでも全体の一割に届かない程度の消費であり、損傷と関連づけるには無理がある。であれば、考えられる原因は――
「この魔法、いったい……?」
※
身体が、至る箇所から崩れてゆく感覚だ。
皮膚は焼け爛れ、じわじわとした苦痛が全身を苛む。呼吸器官は完全に停止し、今は有り余る体内魔素の補助をもって、辛うじて生命活動を保てている状態だ。恐らく、あと数分だろうか。もう長くはない。
「これじゃ、まるで死にかけの魔獣ですねぇ」と、彼女は剣士の言葉を借りて自身の現状を蔑み、微笑を浮かべた。
虚の砂の感触を靴の下から感じ、少女は周囲を見渡す。わざわざ魔法の爆心地を訪れたわけだが、明確な理由はない。なんとなく、自分の魔法が作り出した光景を、目に焼き付けておきたかったのである。
「ふふ、ふふふふ」
思わず、笑みが溢れる。愉快、痛快? そんな感情はあり得ない。――なにより私らしくない。
完全に無意識だ。人々を集落ごと消し飛ばしたことの、何がそんなに面白いというのか。
両腕を掴み、へたり込む。表面に露出した神経が過敏に反応したが……昂った心の前では取るに足らない情報だ。
「ふふ、あ、あははは……わ、笑いが、止まりません! な、なんで……ぇ、なんでなのぉ?」
感情の制御ができない。この様な惨状を招き、涙を浮かべながらケタケタと腹を抱えている自分を、自分だと認めたくはない。
当然、何かに意識が乗っ取られているわけでもなければ、変に強がっているわけでもない。
即ちこういった一面が元々自分の内側にて確実に存在しており、磨耗し切った精神と強大な力を前に、急激に開花した――してしまったのだ。
歓喜、悲哀、愉悦……忙しなく回る頭に、少しだけ嫌気が差し始めた。単純に、疲れてきたのである。
「まぁともかく、今回はここらが潮時でしょうか。毎回いろんな発見があって、退屈しないですね」
満足した少女は、終わりを迎えんと準備に取り掛かる。"本来の目的"である、終わりの悦楽に身を投げるために。
そこで、彼女の脳内に妙案が降りる。
「あ、この魔法…………もしかして痛みとか感じずにイけるのではっ!?」
思い付いた後は早かった。
先まで生じかけていた葛藤は何処へ行ったのやら、目をキラキラと輝かせながら、頭上に巨大な血色魔法陣を展開させる少女。
黒の大槍も、激しい雷撃も、炎の玉も。相当な痛みを覚悟せねばならないので、自分に向けることは避けてきた。しかし、この圧倒的な破壊力の前では、恐らく痛みを認識する間もなく……
――焦らしを続けた甲斐がありました。これこそが集落の秘密だったのです。そういうことにしておきます。
――正直、怪物や河の魔獣に食べられるときも、痛みじたいは一瞬だけ感じていました。運が悪いと……大変でしたし。
――でも、この魔法なら。
――この魔法なら、より楽にいけるはず!!
――集落の皆さんには、感謝しないとですね。
全身から、再び魔力が解き放たれる。
魔法陣が鮮やかに発光し、大量の魔力が伝う。光の粒子は、地上に向かって降ってきた。
――ありがとうございました。恐らくもう会うことはあまりないかもですが…………また、いつかの繰り返しで、私の気が変わった時にでも。
浄化の光が、灰の積もった地へと差し込む五秒前。血色に染まる少女は天を見上げ、静かに微笑むのだった。




