65話 霊象エビデンス
最初に目を付けた場所は、長の家だった。
立ち並ぶ家屋と見比べると、ひと回り大きい豪邸。儀式を執り行う"主落会"も根城にしているはずで、集落の秘密を握っているとすればそこしかあるまい。というのも前回の繰り返しの際、長の背後に偉そうな面々が控えていたから、ナズナが勝手にそう判断しただけだが。
だが、その推測もあながち大外れという訳ではないと思われた。何故ならば……
(……? なんか今、ピリッとしたような)
気の所為だろうか。目の前にある長の家から、微弱な何かを感じ取ったのだ。前回訪れた際は極度に緊張していたため、気を配る余裕などなかった。そのため、ナズナは物陰に身を隠し、目を細めて見張ることにした。
※
かれこれ身を潜め続け、時刻は昼過ぎ。
緩い陽気に揺れる陽射しをぼうっと見つめながら、ナズナは物思いに耽ていた。
集落の秘密。繰り返しという現象。二つを密接に結びつける何かが、長の家にある。少なくとも自分の勘はそう告げている。ならば、それを確かめるならば潜入するのが最も早いが……見つかった時のことを考えると後が怖いので、迂闊に近づく訳にはいかない。
(困りましたね。皆さんがお昼ご飯を食べに、食事場に行ったところを狙うつもりだったんですけど、全然出てきてくれません)
集落の住民は、昼食は食事場で取ると決められている。であれば、その隙を突いて家の中を調べれば良い。しかし、中にいるはずの長やら主落会の面々は、未だに姿を現さないのであった。
(……儀式の準備でもしてるんでしょうか? ここはいっそ強行突破した方がいい気がしてきました。失敗したらまた繰り返せばいいんだし……いやいや、これ以上しぬのはダメです。私の直感がマズいといってます)
現状が招いた唯一の利点は、やり直しが効くという事だ。確かに、当たって砕けようとも、繰り返しが起こるならば何ら問題あるまい。だが、そのたび精神に過剰な負荷が掛かるため、あまり好ましい方法ではないと彼女は理解している。
"死を体験している"という有り得ない精神状態。彼女はどうにか平静を保てているものの、それは単に見て見ぬフリをしているだけに過ぎない。
再び終わりを認識した時、自分は果たして今の人格を保てているのだろうか。
その恐怖が故に、葛藤に苛まれるのだった。
その時、背後から聞き覚えのある声と共に、足音が近づいてきた。ナズナは咄嗟に、脱兎の如き勢いで再び身を隠す。
(……? あれは、"妹"さんと…………ミサちゃん? どうしてこんな場所に。食事場は集落の中央なので、とっくに過ぎてると思いますが……)
ナズナの目には、確かに二人の姿が映っていた。
二人の少女は、何やら会話しながら長の家に向かって歩を進める。ナズナは陰湿さを自覚しながらも、こっそりとその声に聞き耳を立てることにした。
「……さっきのこと、やっぱり本当なの?」
「本当だよ。長の言ったことは全部ほんと。あたし、三日後に死ぬんだ」
その言葉を聞いたミサが、足を止める。
表情は見えないが、彼女はじっと、"妹"の顔を見ていた。
「話し相手になってくれてありがと。いろいろ言えてスッキリした。できれば、旅人さんとはもっと早く出会って……それで、友達になりたかったな」
「……」
"妹"はミサの目をはっきりと捉え、眩しく微笑んだ。その顔が本当に嬉しそうで、楽しそうで。ナズナは少しだけ、哀しい気持ちになった。
(………………)
先の会話から察するに、長は自分の家ではなく、姉妹の家に上がっていたことになる。だが、ナズナには勿論、彼とすれ違った記憶は無い。
どういうことですか? と頭をぐるぐる回していると、不意にミサのか細い声が、異様にはっきりと耳に届いた。
「みなづけさま、だっけ。その役、ウチにやらせて」
「……え」
風が通り抜け、家屋が軋む。
空に一瞬目を向ければ、薄い雲が陽の光を遮り始めていた。
「もう、耐えられないんだ。毛布を被っても、耳を塞いでも、あの声は絶対に聞こえてくる。ずっと、ずーっと私を監てくるの」
「どういう、こと?」
「私……ウチね、人を殺したの。それ以来、ウチの頭の中はずっと、色んな声とか悲鳴とかでいっぱいなんだ。ついでに視線も感じるし。だから、もう辞めたい。楽になれるなら、何だっていい」
動揺したのは、間近で聞いていた"妹"だけではない。
聞き耳を立てていたナズナもまた、彼女の言葉へと完全に意識を傾けていた。
なんだか、頭の中がぼんやりとしてきた。
二人はまだ何かを話しているが、全く耳に入らない。
暫くして、二人は長の家へと入っていった。それが良くない結末を招くことを肌で感じていたにも関わらず、引き止めることはできなかった。
繰り返しの鍵、集落に隠された謎。考えようにも、今は砂のように零れ落ちてしまう。
(どうして…………?)
ミサは、死を望んでいた。
※
何となく、河辺に座ってみた。
肌寒くなってきたから、もうそろそろ夕日が顔を出す頃合いだ。
「私、なにやってるんだろ」
金髪の少女は呟いた。終わりの時間は、刻一刻と迫って来ている。一秒でも早く、繰り返しから抜け出したい。その気持ちは本当なのに。
思うように、足が動かないのだ。
「…………君は」
低く、重い、大人の声がした。
誰だろう、と少女はゆっくりと振り向く。
「…………この河は危ない。陽が河の悪魔に喰われないうちに、友達の所へと戻りたまえ」
この男には見覚えがある。確か、ウィルの話にあった旅の剣士だ。
(そういえば、前になにか忠告してきましたね。魔獣は既に……なんだとか)
この男も、姉妹や長らと同じく掴みどころのない人間だ。素性が全くわからず、敵が味方かどうかも曖昧。直接ナズナ達に手を出した事はないものの、やはり警戒しない訳にはいかない。
(あ、この人なら何か知ってたり……いや、どうでしょう。望み薄ですけど、一応聞いてみますか)
ナズナはその場で立ち上がり、改めて男の顔を覗きこんだ。
「剣士さんって、確か集落の人じゃないんですよね」
「……ああ。魔獣の討伐の依頼を受け、この地に来たが……生前の記憶は曖昧でね。どうやら出身は忘れてしまったらしい」
自虐めいた笑みを浮かべる剣士。
それよりも、ナズナは聞き逃さなかった。この男、しれっととんでもないことを口走ったのだ。
「………………せいぜん?」
「ああ、私の勝手な解釈だがね」
「…………生前ってことは、生きる前。つまり、あなたは……?」
「少なくとも、生きている状態とは言えまい」
「…………ぇ!?」
胸の鼓動が、異様に早くなる。
ナズナはそのまま、気を失った。




