64話 カルマ
馬鹿げている。本当に。
集落から離れようにも、霧と謎の怪物によって脱出が不可能になるとは。
これでは打つ手無しではないか、と。穏やかな陽光降り注ぐ草原の中で、少女は途方に暮れていた。
(嫌でも集落の中で何かをしないと、抜け出せないって事ですか? 意味わかりません。一体こんな地獄みたいな場所でどうしろと?)
暫くしたら、また少年が腑抜けた面でやってくるのだろう。その光景を、あと何度見なければならないのか。想像しただけでも、気が狂いそうだった。
(いやいや、ウィルさんが悪い訳ではありません。悪いのはここの人間です。本当に)
俯き、短くため息を溢す。
風に揺れる花々を見つめながら、ナズナは慣れないながらも思考を巡らせんとした。しかし――
(ダメだ、やっぱり幾ら考えてもヒラメキはやってきません。私の頭じゃなーんにも思い付きません)
繰り返しを終わらせる方法。そんなものがあれば、当然今すぐ実行に移っているわけで。にも関わらず現実というのはあまりにも無慈悲なもので、手掛かりはあまりにも少なかった。要するに完全に手詰まりの状態であるから、ぼうっと呆けるほか無いのである。
ナズナは今一度顔をあげ、虚ろな目を青い空に向ける。
(決めました。全部話しちゃいますか。ウィルさんに信じてもらうしかないですよ、もう)
ナズナの知る栗色髪の少年は、一言で言えば理屈屋だ。人の言葉を簡単には信じず、不可思議な現象を説明するとなれば、きちんと根拠立てて証明せねばなるまい。だが一方で、心を許した人間にはその限りではない。意外と情に脆く、自分が多少なりとも強引さを見せれば、渋々ながらも従ってくれることが判明しているのだ。
(人を試してるみたいで嫌ですけど、今回は本当に例外なんです。このいかれた場所から脱出するまでの間だけですから、許してください!)
彼女が心の中で手を合わせると、予想通り、集落の方面から少年がやってきた。
「…………ナズナ……なのか?」
その声を聞くなり彼女は微笑み、すぐさま言葉を返す。
「はい! 私ですよ〜」
※
場所は食事場。
黒髪の少年ニケとウィル、そしてナズナは、向かい合ってテーブルに着いていた。周囲に集落の人間は見当たらないが、ナズナが念のためにとうるさく言うので、声を抑えながらの密談となった。
「数日間を……繰り返している……?」
「おおう、まじかよナズナちゃん」
二人の反応は大凡予想通り。簡単には信じてもらえる筈はなく、それを証明することは不可能だ。だから、ナズナは一つ、手を打つことにした。
「信じてくれたらき……っすをし、してあげます……けど?」
「ぬ、ぬぁ、ずなちゃっ!?」
「…………ナズナ、一回落ち着こう。飛ばし過ぎだ」
頬を朱に染め、且つ引き攣らせた笑みでいきなりそんなことを口走るものだから、聞き手の頭は一瞬で蒸発してしまった。ニケが頭を抱えながら狼狽える一方で、ウィルは一周回って冷静さを取り戻していた。
「まず前提として、ここは異世界だから、俺たちの常識は通用しないと考えている。誰がどんな話をしようと俺は否定から入らないことに決めたんだ。といっても、繰り返しの証拠を見せるのはたぶん難しい。……だから、信じるか信じないかは、ナズナの顔を見て判断したいんだ。まずは落ち着いて――」
「うそ……あの時のウィルさんはキスって聞いただけでニヤニヤしてたのに!?」
「……悪いが全く身に覚えがないな」
「にやけが隠せていなかったから分かりますって! なのに、どうしてこんなに動じないんですか!?」
「人を呼ぶぞ。一旦口を閉じてくれ」
ナズナとて、彼の言葉の正しさは分かっている。彼女はただ、羞恥心を誤魔化したくて必死なのだ。
なりふり構わず相手を動揺させ、強引に言うことを聞かせる算段だった。しかし、こうも平静を保たれては、プライドが傷付くばかりでなく、自分の奇行を何度も思い返してしまいそうになる。
(最悪です。……クソです。なんでこうなったんでしょう? 元はといえばミサちゃんが……いや、悪いのはもちろん私なんですけども)
ナズナは呼吸を荒げながら汗を拭うと、漸く口を閉じた。ウィルはそれを確認したのち、軽くため息を吐くと、柔らかい口調で話を切り出す。
「まぁ、俄には信じ難いことだけど、仮に繰り返しとやらが起きているとして。抜け出すための手段はあるのか? あと、繰り返しが発生するための条件を教えてほしい」
「抜けだすための方法がわからないからウィルさんたちに相談してるんです。くりかえしの条件というか、私が死ねば自動的にまき戻っているみたいです」
「……死ぬ? この集落で?」
「はい。本当にやばいですよここ。生贄とかあるし。いちおう言っておきますけど、外に出ても無駄だったので、集落の中で何かをやらないといけないような気がします」
ナズナの話を真剣に聞いてみたは良いものの、さすがのウィルも頭を抱えている様子だ。
彼は一度腰を上げ、また座り直すと、テーブルに肘をつきながら話を再開する。
因みに、ニケは未だに挙動不審な様子であった。彼にとっても、余程先の発言が衝撃的だったらしい。
「憶測だけど、集落全体にかかっている魔法か何かが原因だったりしないか? ほら、ローグリンの上空を覆ったあの魔法陣みたいにさ」
「うーん、否定できませんけど、実際のところそんな気配はないんですよね。私けっこう敏感なのでそういうのは感じとりやすいんです」
「なるほど。……もっと詳しい話が聞きたい。ナズナ、出来れば事の顛末を話してもらえるか?」
「ちょっとは聞く気になったようですね! わかりました。できるだけ詳しくお話ししますね」
ナズナはこうして、自身の体験を語り始めるのであった。根拠のない妄想と捉えられればそこまでだ。だが、能天気な彼女の想像にしては、その内容はあまりに凄惨なものであった。
ウィルは感傷に溺れる間もなく、またいちいち疑問を浮かべる間もなく、気付けば聞き入ってしまっていた。
若い娘の命を代償に集落の百年の安寧を神に祈る、負の慣わし。それを本来の役割である"妹"ではなく、ミサやナズナが無理矢理やらされたというのだ。
※
「ど、どこまで信じて良いのか分からないけど」
「全部本当のことですって」
「えっとつまり、姉妹は最初から俺たちを"妹"の身代わりにするつもりだった、ってことになるな。ただ、仮にそうだとしても、俺は姉妹の手を借りるべきだと思う」
「え、何でですか? 私たちの敵なんですよ?」
ウィルはナズナの言葉を真剣に受け止め、その上でそう結論付けた。当然、彼女にとっては疑問である。姉妹の本性を間近で目にしたからこそ、その選択はあり得ないのだ。
反発したくなるのは仕方のないことだが、その反応はウィルにとっては予想通りであったようで、彼女の不満が爆発する前に、話を進めることにした。
「一周目の記憶、おぼろげなんだっけ?」
「はい。怪物が出たってことと、生贄にされたミサちゃんのもとにウィルさんが駆けつけたことだけは覚えてますが。たしかあのとき私は船大工さんの船に乗ってて……あれ、なんで私はミサちゃんとウィルさんのことを知ってるんでしょう……?」
「みんなで船に乗って、集落を脱出しようとしたんだろ。だったら、少なくとも姉妹の目的はそれなんじゃないか?」
「…………もうちょっと分かりやすく」
「姉妹は必ずしも集落の儀式に肯定的じゃないってことだよ。彼女たちの目的が集落を出ることなら、わざと俺たちに集落の人間の注目を浴びさせて、その隙に船大工と一緒に逃げ出す。それが確実で、最も効率的な手段の筈だから」
「……まぁ、なくはないかも、ですが」
「だったら、俺たちがやるべき事は一つ。姉妹から本当の意味で信頼を勝ち取ることだ。『この人達となら、より簡単に集落から脱出できる』って思わせればいい」
「……な、なる、ほど?」
少年の言葉が耳に入る度、ナズナの声に勢いがなくなってゆく。彼の言いたいことは何となく分かったが、どちらかといえば不安であった。
「では、どうやって? これ正直に言って話し合うんですか」
「うーん、話し合うのも手だけど、"姉"さんの性格的に軽くあしらわれそうなんだよな。"妹"は、今どこに居るのか不明。だから、ここは行動あるのみだ」
「行動、ですか」
ナズナの反応に頷くと、ウィルは双眸に鋭い光を宿し、彼女の顔を改めて見つめる。
「俺とニケが船の修理を手伝って、祭りの日が来る前に逃げ出せるようにする。その間、繰り返しの脱出の手掛かりはナズナが探す。いま思い付く中じゃ、これが一番良い手だと思う」
ナズナは彼の眼差しを受け止め、今一度その言葉を吟味し始めた。
祝福の日に完成する船。日程を早めにずらす事が出来れば、生贄に関する物事に関わる前に脱出することが叶う。確かに、単純ながら解決手段としては理に適っているとナズナは感じた。だが……
「脱出の方法さがし、手伝ってくれないんですか……?」
「そういう魔法絡みの事柄は、ナズナの専門分野だろ。俺なんか連れてっても何も役に立たないし……きっと足を引っ張るだろうから」
「…………私ひとりだと……こう言ってはなんですが、ふ、不安……なんです。集落の人たちにあんな事された身としては、その、どうも歩きずらいというか」
「……確かにそう、だな。トラウマ植え付けた人々に会いに行くって考えると……うん」
「ごめんなさい。さっきから我儘ですね、私」
二人の会話は、ここで一旦途切れる。
数日間の繰り返しという、あまりに不可思議な現象に襲われているナズナ。彼女の心は、徐々に不安と恐怖に蝕まれてゆく。たとえウィルであっても、繰り返しを脱出するための方法を探ることは困難なのだ。
もしかしたら、一生この数日間を過ごす羽目になるのではないか。祝福の日を迎えるたびに、あの恐怖を味わわねばならないのではないか。
(脱出する方法……まさか無いなんてことは)
敢えて目を逸らしていた事だが、いよいよその可能性が現実味を帯びてきた。
それに気付いたナズナは、ぐるぐると無意味な思考で頭の中を回す。拒みたくても、拒み切れなかった。
「フッ、それなら、僕がナズナちゃんのナイトになろう」
突然、そんなことを恥ずかし気もなく発する者がいた。彼は不敵な笑みを浮かべ、テーブルに肘をつき、ゆっくりと指を組む。
「ニケ? 悪いがお前には船の修理を」
「おいおい、何のために僕が空気を読んで今まで黙っていたと思ってるんだい? 僕ぁね、女の子が困ってたら迷わず助けに行くのさ。その瞬間のために、僕は生きている」
「…………分かった。そこまで言うなら、ナズナを頼むよ。船の修理は……そのぶん俺が働くか」
やれやれ、と呆れたように肩を上げるウィル。
そのやり取りを間近で見ていたナズナは、ホッとした反面、一度湧き出た不安を拭えずにいた。
(繰り返しからの脱出。集落を探したところで、見つかるのでしょうか……それが本当に不安なんですよぉ)
ニケが頼りないとは思っていない。何をすれば正解なのかが、全く掴めないのである。
ナズナの顔を横目で見たウィルは、微かに憂鬱気な表情を浮かべる。彼女の不安が伝染したのか、彼にもモヤモヤとした思考が次々と浮かんでくるのであった。
(ナズナの話、正直、根拠も何もない話だ。だけど、信じたい。ナズナがこんなに怯えてるなんて、以前の能天気な彼女からは考えられないから。……自分がリーダーに向いてるかとか、そんなことは今は関係ない。仲間の悩みには、全力で応えなきゃいけないんだ)
三人は食事場を後にし、姉妹の家へと向かう。
※
この後、"姉"から船大工の小屋に案内され、三人で集落の問題と船大工の頼みを聞くことになった。
――全て、ナズナの話に聞いた通りだった。
彼女は本当に、祝福の日までの数日間を繰り返しているのかもしれない。
と、ウィルは改めて彼女の言葉を思い起こす。
話に信憑性が出てきたところで、時は翌日の朝。ナズナ、ニケ、"姉"と共に再び小屋へと訪れたウィルは、船大工に向かって迷わず提案した。
「俺にも、船の修理を手伝わせてください。俺たちには、早く集落を出なければならない事情があります」
「その気持ちは嬉しいがな、今更トーシロが手伝ったところで、どーにもならん。船のことはオレ様に任せて、お前らは計画を立てるなり、怪しまれんように過ごしててくれや」
「俺としては、夜通し働くことも薮坂ではありません。……どんな作業もすぐに覚えて、役に立ってみせます。ですから、どうかお願いします」
この言葉を告げると同時に、頭を下げた。
これには船大工はおろか、隣でその様子を見ていた"姉"すらも、目を丸くしていた。
申し訳ない、とナズナは素直に謝りたかった。
弱気になってうじうじしていたのは、寧ろ今回は自分の方だ。彼女の頭の中では、自らの情けない言動を映し続けていた。ウィルはうじうじ野郎だが、困難に向かう勇気を持っている。それすら視えていなかった自分に対し、嫌悪感が膨れ上がりそうになる。
「……ニケさんも、手伝ってあげてください」
意識せずとも、口にしていた。
当のニケは驚き、憂わしげに彼女を凝視する。「本当に大丈夫なん?」と問われれば、「問題ないですよ」といつもの調子を装って答えた。ニケは戸惑いながらも、それでも彼女の意思を尊重せんと数回首を縦に振る。
一度見た光景だからだろうか。緊張感溢れていた船大工とのやり取りも、今となっては流れるような速度で時が経過するように感じるのだ。
結局ナズナは一人、脱出の手掛かりを探すことにした。
「あの……」
ひょっとして、何か勘付いたのだろうか。小屋の外に出たナズナに向かって、"姉"が唐突に声を掛けた。
「どうしましたー?」
刺される……! と一瞬身構えたが、背筋がぞわりとするような、冷たい敵意は感じない。ナズナは、にこりと笑みを貼り付け、応じた。
「貴女も、旅人さんも、何か焦っているような気がする。……私の気のせいかもしれないけれど」
その佇まい、おっとりとした声、言葉の間。何故だかその全てが不気味に感じた。波長のズレと形容すべきだろうか、返答一つで何かが大きく傾いてしまうような、そんな危うい吊り橋の上に立たされている気分に陥る。これも、気のせいかもしれないが。
「…………こんな所からは、早く離れないと、いけません。私は……私は、どうやらちょっと疲れてしまったようです」
旅の少女の言葉を聞き届けた"姉"は、「そう」と一言だけ口にし、小屋に戻っていった。
ナズナは、集落に向かう。
望みは限りなく薄い。だが、たとえ惰性であっても探さねばならない。
ウィルも、ニケも、ミサも。自分が脱出口を見つけなければ、全員がこのまま目的を見失ってしまう。だから、どれだけ辛かろうがやらなければならないのだ。
(せめて、あと一回。あと一回だけなら、本気で頑張れます)
根底から来るのは、恐らくは依存への恐怖。
幾度と繰り返される終わり、その恐怖が身体に染み付いてしまう前に、何としてでも。




