62話 幻灯ニルヴァーナⅤ
「起きろ。いつまで寝てるつもりだい」
「…………」
「この期に及んで、また眠気に負けるのか君は! 頼むから起きろぉ!? 一大事なんだぞ!」
地下室。知っているはずだが、どうも思い出せない。そんな空気が漂うこの場所で、三人の少年少女が寝かされていた。
その内の一人ニケはパニックに陥りながら、隣で横たわる少年を揺する。
「…………」
ウォールランプが優しげな光を灯す中、ウィルは幼馴染の声によって目を覚ました。脳へと最初に流れ込んで来た情報は、硬い床の感触である。
「……!? ここは、どこだ?」
ウィルは即座に起き上がり、反射的に声を発する。その言葉は誰に向けたものでもない。問いを投げたところで、返せる者はいないだろうから。
「……今は、何時だ? あれから、どれくらい経ったんだ。ナズナはどこだ!?」
「それはわからん。でもたぶん、お祭りが始まってるのは確かだと思う。さっきからドタバタ聞こえるし」
「……まずい。このままだと"妹"が! いや、そもそも俺たちを気絶させたのが姉妹だから……?」
この場に居るのは三人のみ。ウィル、隣にニケ、そして壁に寄りかかり眠っているミサだ。
次第に昨晩の記憶が鮮明になってゆき、現状を直視せざるを得ない時が迫る。約束の時間は、早朝。祭りが始まる前に、誰にも見つからず"妹"を連れてゆく算段だった。しかし、当の本人たちにそれを妨害されてしまった。
「いまウィルが考えてることは、なんとなくわかる。でも、僕はその可能性は無いって信じてる。あんなに優しくしてくれたんだ。最初から騙していたとか、裏切っただとか、絶対にあり得ないよ」
「…………ニケ。俺の頭の中のモヤモヤをはっきり言語化してくれて助かった。お陰で冷静になれたよ」
直視したくないもの。二度は無いと心に誓ったこと。
ニケがはっきりと言葉にしたため、気付くことができたのだ。
「俺たちに取れる手段は一つ。ナズナを見つけ、船を奪うこと。元の世界に戻るには、それしかない」
ローグリンの地では、リッキーを名乗る男に騙され、恩人を失った。それを繰り返すくらいならば、手段を選ばずに突き進む。それが、ウィルの決断であった。
「あの方々を裏切るのか!? 君らしくないな! 第一、ちゃんと話してみないと分からないじゃないか。ほら、演技かもしれないだろ」
「あぁ。確かに、腹の内までは分からない。この行為には、もしかしたら意味があるのかも知れないな。でも、祭りはもう始まっている。姉妹が敵が味方か分からなくなった今、この集落に安全な場所なんて無い。取り返しがつかなくなる前に離れるべきだ」
「いや、でもよ……」
ニケの言葉は、聞く気にはなれない。昨日は諭されておいて何様のつもりだと、ウィル自身も感じている。ただ、この判断は譲れない。
やはり、信用するべきは仲間だけであった。
(周りを見るに、ここは洞穴か。向こうには階段が見えるが……鉄格子が邪魔だな)
三人が居る場所は、まるで地下牢だった。
どうにか脱出できないものかと、ウィルは思い付く限りの手段を試そうとする。
しかし、彼が出来るのは魔力を込めて突進する程度。鉄格子に向かって何度もぶつかってみたが、案の定自分の肩を痛めるだけで、徒労に終わった。
「ダメだ。もっと魔力がないと」
より多量の魔力で身体を覆えば、その分突進の威力は増加する。だが、今のウィルには魔力を自在に操ることはできない。
「うるさい。寝れないんだけど」
「……ミサ、起きてたのか。いや、ごめん、俺が起こしたのか」
不意に聞こえた声。その方向に顔を向けると、ミサが壁に寄りかかりながら、呆れた表情を浮かべていた。
「…………そうだ、きっとミサの鎖鎌なら鉄格子を壊せる。力を貸してくれないか?」
「やだ。ウチはもう、そういうことはしない」
「いやいや、人に向かって振り回せって言ってるんじゃない。この檻を壊してくれればそれでいいんだ。魔獣と戦えって言ってるわけじゃないし、全然」
「ウィル。やっぱりあんたはリーダーに向いてるわ。論理的だし、分析力あるし、自分たちの目的を決して見失わない。なにより、人に対してこんなに冷酷になれるんだから」
彼には、ミサの真意が分からない。
少しだけ、力を貸してくれればそれで良いのだ。現状を突破するには、ミサの力を使うのが最も効率的。ニケは確かに魔法を習得したようだが、キノコで鉄を折ることは出来まい。
彼女は賢い。理屈で外堀を埋めたような自分の頭よりも、ずっと。人を殺めた武器を手に取りたくない気持ちは分からなくもないが、ここを動かねばこの先何が待ち受けているのか。その恐ろしさを察することのできない彼女ではない筈である。
「…………」
ウィルは再び鉄格子に目を向け、ゆっくりと息を吐く。
(ミサに無理をさせたくはない。彼女がイヤだと言ってる以上、やっぱり俺が一人でどうにかするしかない。俺は、考えることだけが取り柄なんだから)
ニケのように魔法が使えるわけでも、ミサのように武器を自在に使いこなせるわけでもない。しかし、彼にも出来ることはある。この囚われの状況を覆す方法を模索し、実行に移し、二人を連れて地上に出る。策を練ることこそが、己の存在意義であると信じていた。
(鉄格子か。いっそのこと体当たりを続けてみるか? いやいや、俺の身体と魔力がもたないし、やっぱり鉄はびくともしないだろう。鉄、か。うーん、鉄、鉄、てつ……)
「ウィル、もう諦めろ。君の言いたいことはまぁ分かるけどさ、まずどうやって外に出るのさ。地下牢から抜け出すなんて……ん? いや、まぁついこの間こんな話聞いた気がするけどさぁ」
ふと、背後にいるニケの声が耳に入る。
ウィルはそれを受け、勢いよく顔を上げた。すると、彼は唐突に手を掲げ、強く念じ始める。
――収納。リッキーを名乗る男に教わった、物体を一つだけ出し入れできる空間を、魔力によって作り出す魔法だ。
ウィルが亜空間に収納した物。それは――
「シャヴィさん……………………ここで使わせてもらいます」
ウィルが取り出した瞬間。ミサが目を見開き、それを凝視した。
四人の旅を見送った恩人が、ウィルに託したもの。
巨大な剣の未だ絶えない緋い輝きは、表現し難い安堵感を放っていた。
「一か八か」
ウィルは剣の柄を両手で持ち、それらしく構えようとする。
(……!? 重っ!!)
しかし、剣の規格外の重量に体重を持って行かれ、前方によろめいてしまった。
(シャヴィさんはこれを片手で……)
剣の元の主の姿を思い浮かべながら、ウィルはそれに負けじと、全身から魔力を解き放つ。
シャヴィはこの剣で、爆発的な炎を放っていた。正確には、剣で切り裂いた空間から魔法が放たれていたのだが、ウィルはその魔法を、"魔法陣と儀式を組み合わせた魔法"と推測している。
魔法陣の発動は比較的簡単な分、大掛かりな魔法は発動し難い。しかし、それを補うべく"切り裂く"という儀式を経ることで、魔法の規模が飛躍的に上昇するのだ。
当然ながら、ウィルにそれほどの魔法を扱う技量と才能は無い。だが、魔法で最も重要なファクターは意志の力であると教わった。
であれば、単純な話だ。
(想像するんだ。この剣から炎が吹き上がるイメージを。あの魔法を、あの炎を思い出すんだ……!)
ウィルは強く目を瞑り、意識を深く沈める。
過去の情景に心の目を向け、自分が触れている形見の確かな記憶を辿る。
切り開くための力が要る。
そう願った瞬間であった。
「……!?」
剣からは炎が吹き上がり、刃となって鉄格子を切り裂く。想像を絶する迫力に、ウィルは思わず手を離してしまった。
使い手の魔力の性質上、力の開放は一瞬の出来事で、炎の刃は直ぐに消滅してしまう。
シャヴィのようにはいかなかったものの、結果を見れば上出来だ。まさか、成功するとは思いもしなかったのだから。だが、呆けている暇はない。ウィルは地面に横たわった剣の柄を両手で握ると、そのまま収納した。
ちょうど収納し終えた時のこと。彼は、全身を倦怠感のような"悪寒"が、全身にのしかかる感覚に襲われた。
(もしかして、魔素が底を尽きそう、なのか? 困ったな。逃げなきゃいけない、ってのに)
ふらふらと、切り開いた道を行き、階段に足を乗せる。ニケはそんな彼を追って、慌てて牢を飛び出した。
※
「……なんだよ、これ」
どうやら、旅の少年の居た場所は長の家の地下室だったようだ。にも関わらず、彼の反応は涼しげである。集落には、とうに闇が蔓延っていることを知っているため、もはや余程のことがない限り驚くことはあるまい。
そう思っていた少年だが、朦朧とする意識の中で見た光景は、彼の表情を曇らせるのに十分すぎるものだった。
集落の広場、中央の踊り場にて。
麻縄で磔にされている者がいた。恐らくは、船大工が言っていた"御嫁様"だろう。だが、その者は少年のよく知る顔であった。
「…………なんで。なんであそこにいるんだ」
腰まで届く長い黄金色の金髪、白い肌に浮世離れした美貌。
そこに居たのは"妹"ではなく、仲間の姿であった。
「このお方は、予知夢を用いて御告げをお聞きすることができる。神聖なこと他ならぬ存在であらせられる! しかし、しかしじゃぁ!! ワシらの神は、果たして他所から来た者に予知の力をお与えになるような、薄情ものか!?」
「否、そのような記述は無し!」
「否、神の力は神のもの。おれたち人間に与える道理は無い!」
磔にされている仲間のとなりで、長が何やら叫んでいる。
ぐらぐらと眩暈に襲われる少年だが、耳を澄まさずとも聞き取れるくらいには、その場は異様な熱気で沸いていた。
※
「きっと、きっとじゃ。このお方、いや、この娘は、悲しいことに異教徒なのじゃ! なんと、なんと悲しき事か! ワシが思うに恐らくは魔女の手先じゃろう。我が神の元で預言者を名乗り祭りを中止するなどと言ったこととも繋がり、旅人を装い集落の民を騙し集落の信仰を滅さんとしたこの邪教、穢らわしき魔女信仰の卑しき御方。…………ですが安心しなされ! それでも神はお許しなさるでしょうぞ!」
「おぉ、なんとも忌々しき娘よ」
「しかし、我が神のなんと寛大な御心!」
「祝福だ! 我らも祝わねばなるまいて!」
ナズナは長の顔に視線を移し、息を荒げながら問う。
「許す……ですか、そう、ですよね! こんな事、もうやめましょう! 私魔女なんて知らないですし、集落に害を与えるなんて考えてすら」
「ええ、許しましょうぞ、旅のお方。……んうぉっふぉん! 皆の衆! 今からこの娘に刻印を刻み込みますぞ! 民一人一人の烙印を身体で受け止めること。その刻印を償いの証とする! さすれば神もお許しになるはずじゃ」
長が言い終わる前に、十個の焼印がナズナを取り囲むように並べられた。長さ一メートルほどの棒の先には、ジワリと熱された金具。
「………………意味が、わかりませんけど」
ナズナは、未だ理解を拒み続けていた。
その熱そうな金属はなんなのか。それを使って一体何をするのか。何故自分は縛られているのか。全部が疑問で、全部がおかしくて。
しかし、長は自分を許すと言った。集落に危害を加えたつもりは無いが、もしかしたら悪気がなくとも傷つけてしまっていた、という事も考えられなくはない。
それでも、許してくれるのだ。きっと、その言葉は真実だ。
ナズナは引き攣った笑みを浮かべながら、何気なく遠くを見やる。
「――――」
栗色の髪。黒髪の少年。
少女は二人の姿を確認した。ひょっとして、助けに来てくれたのだろうか――と思ったのも束の間。小さく芽吹いた希望は凍てつき、その命を無惨に散らす。
二人は横たわっていた。彼らの中央に立つは、見知らぬ大男。無垢な瞳でこちらを見つめる身体には、赤い何かがべっとりと付着している。
「……っ!! い、いや……っ」
思わず悲鳴を上げそうになった瞬間、ドスりと響く衝撃が身体を襲う。
「――――っ!!?」
声にならない声が喉を焼いた。
熱された金具が背中に押し当てられ、蒸発したような音が、耳元を突く。
それは、生涯一度も味わったことのないような、想像を絶する痛みだった。張り巡らされた神経が悲鳴をあげ、思考力を葬り去る。
「あ、あ……あぁ……」
「皆の衆、ワシに続くのじゃ! 今宵は歓天喜地、祝福の日! 神が降り立ち、集落に百寿の祝福をお与えになる日! 約束されし契りを果たすべく、捧げ物に聖なる印を刻み込むのじゃぁぁ!」
※
――ひとりひとりと、十人がそれを手に取り、私の身体に一気に押し込む。十人が終わったら、休む間もなく次の十人が、代わる代わるやってくる。
お腹が、二の腕が、太ももが、指が、胸が、顔が。
私は涙を流しながら、地獄のような痛みに耐え続ける。どうやら簡単に死なせてはくれないらしい。
――とうとう、視界が黒く染まった。両目をやられてしまった。でも、代わりに歌が聴こえた。聴き覚えのない歌。人々は楽しそうに、すごく嬉しそうに。その歌を歌っていた。
――音が潰えた。最後に聞こえたのは、ブツリと何かが切れる音。
激しい痛みはまだ続く。身体の内側が灼かれてゆく。
――なんで。どうして。私は何もしてないのに。
※※※
目が覚める。暗い、とても暗い場所だ。
無意識のうちに炎の魔法であかりを灯し、少女は周囲を見渡した。
ゴツゴツとした床と岩壁。ここはどうやら、洞穴らしい。そして、周囲に満ちる謎の濃霧。
少女はゆっくりと、覚束ぬ視界で周りに目を向ける。
「……ウィル、さん? ニケ、さんに、ミサちゃん、も?」
少女はか細く息を漏らす。
仲間の横たわる姿が、乱雑に置かれていたのだ。
「……はやく、離れないと。ここは、駄目です。本当に、だめ……」
意識が段々と薄れてゆく。
――あぁ、またあの集落に誘われるのか。何処となくそんな予感がした。
彼女はその場で倒れ、再び意識を手放しかける。
霧に満ちた、謎の洞穴。
眠りに落ちる直前のこと。
彼女の目は、蠢く巨大な何かを、朧げではあるが確実に捉えていた。
それが何かと思う余裕もなく、ナズナは意識の深層へと落ちていった。




