61話 幻灯ニルヴァーナⅣ
あれから一夜、二夜と経過してゆく。
期せずして訪れた旅人をよそ者と非難する者はおらず、寧ろ神の遣いとして過剰と感じられるほどに手厚くもてなした。
一行には、これが不気味に思えてならない。最初のうちは、提供された豪華な食事に対してガツガツと齧り付いていたニケも、次第にこの状況の薄気味悪さを感じていったようで、今や集落の民から受ける覚えのない感謝は苦笑いで流している。いくらお調子者とはいえ、虚偽の信仰で全身を塗り固められるのは、決して気分が良いものではないのだ。
発端は、ナズナの"予知夢"が的中したこと。
その後、彼女に幾つか疑問点を訊いてはみたものの、返事はどれも的を得ない、ふわふわとしたものばかり。何か隠し事をしているのは、ウィルから見れば一目瞭然である。どうしてはぐらかすような真似をするのか。彼女を責めたくはないが、もっと自分を信用してほしいと切に願うばかりであった。
姉妹の様子も、あれ以来どこかおかしい。性格や人柄が変わったわけではないが、どこか言動に違和感があるのだ。まるで、彼女らも集落の住民と同じく、ナズナを崇めんとしているようである。
この日は、祝福の日の前日。
前夜祭が盛大に行われるとの話ゆえ、一行は主落会から招待を受けるのだった。
現在、前夜祭開始から一時間ほど前。ウィルたちは橙に染まる景色を眺めながら、姉妹の家にて寛いでいる。
「前夜祭か。これは良いチャンスかもな」
「チャンス? なんのだよ」
「明日の作戦のこと。祭りがお開きになって集落の人たちが疲れ切っているうちに、俺たちは"妹"をこっそり連れ出して船大工さんの所に行く。船が完成次第すぐに出発できるし、確実だろ?」
「ほほう。じゃあ早く二人に伝えにいかんとな! 祭りの準備をするとか言ってたから、現地で見つけるしかないと思うけど」
二人はこうして策を練ってゆくが、ナズナは壁にもたれ掛かり、ぼーっと宙を見つめるばかり。彼らの話に耳を傾けようとはしなかった。
「ナズナ?」
ふと、彼女のそんな様子が目に入ったウィルが声をかける。
「…………え、あ、はい?」
「えっと、招待されたけど……ナズナは無理して行かなくて良いからな。ほら、ちょっと前まで意識飛んでたし、なんかいま盛大な勘違いを受けてるし。ちゃんと休まないと、ダメだと思うから」
「いえ、行きます。招待は私におくられてきたみたいなものですから」
「疲れを抱え込むのは、身体に毒だぞ?」
「なんともないです。いつもの元気な私ですよ。……そうだ、ミサちゃんの様子を見てきますね」
ナズナはにこりと微笑み、部屋を後にした。
それが無理に貼り付けられたものであることは、ウィルの目には明らかだった。彼は敢えて踏み込まず、彼女の背中を見守ることにした。
※
「…………」
「ウィル。君は相変わらず一押し足りないんだよな」
「……なんのことだ?」
「無害な男でいるだけじゃ、女の子の心は動かせないぜ。今みたいなときこそ、もっと喋らなきゃ」
ナズナに対するウィルの返事には、思うところがあったようで。ニケは珍しく、頼れる幼馴染にダメ出しをするのだった。
「……俺は知ってるんだ。彼女はまだ、完全に心を開いていないって。だったら、彼女の気持ちを汲み取れない俺が色々言うのはおかしい」
「そーいうとこだって。だから君は友達を作るのが下手なんだよ。ウィルの洞察力は凄いし、人を傷つけないように努力してるのも知ってる。でもナズナちゃんは一緒に旅してる仲じゃんか。腹を探ったりするのはやめてさ、もっと遠慮しないで本音をぶち撒けちまえばいいのに……と、僕ぁ思うね」
「それをやった結果、俺はクラスの除け者になった。虐められてるとこ、見てただろ? あの体験を覚えている限り、この性格は変えられない。でもナズナとは、今のところ上手くいってる。……このままいけば、友達になれそうなんだ。これが俺にとってどんな意味を持つのか、友達の多いお前には分からない。分かるわけない! 俺が言いたい放題言ってナズナを傷付けたら……俺は、もっと自分を憎むよ」
それは、元の世界でのトラウマに関わること。
今回のナズナのみならず、ミサに対しても同様だが、別段本音を隠している訳ではないのだ。ナズナには無茶をしてほしくないし、ミサは一日でも早く立ち直ってほしい。
だが、彼にはそれ以上踏み込む勇気がない。他人を動かすこと自体は簡単だ。多少の強引さを見せれば、きっと従ってくれるだろう。しかし、それは果たして彼女たちの本心による行動なのか。リーダー的な立ち位置となっている自分の指示だから、仕方なく従うのではないか。ウィルにとっては、それが何よりも恐ろしい。
「なんで、そうやって壁を作っちゃうかなぁ」
「でもちゃんと意思は伝えられるし、相手を傷付けることもない」
「……友達ってんなら、どーしても直接会って話したい、って思う時もあるじゃんか。でもさ、仮に君と友達になりたいって人がいても、その壁が邪魔で上手くいかない。本音で話したくても話せないのは、君だけだと思ったら大間違いだぜ?」
「………………」
幼馴染はそう言うと、少しだけ笑った。
ウィルは確かにナズナと友達になりたいと言ったが、それが紛れもなく本心であるからこそ、返す言葉が見つからない。友達とは、一方的な気持ちだけでは成り立たぬ関係なのだから。
これは失態だ。まさか、自分を理屈屋とからかうニケから、理屈で言い負かされるとは思いもしなかった。
だが、それで今の気持ちが変化することはない。変わるか否かは、あくまで本人次第なのだ。
「俺は……」
「……?」
「…………もう、嫌われたくないんだ」
ウィルは小声で呟き、座ってうずくまる。
(知ってるさ。僕は幼馴染なんだから)
ニケは、やれやれと肩を竦めると、幼馴染を横目に軽く欠伸をするのだった。
※
「いやはや! お集まりの皆さん! 前夜祭にようこそですじゃ!!」
集落の広場にて。いつの間にか設置されていた円形の踊り場に長が登壇し、大声で叫び始めた。相変わらず不気味なほどよく通る声だが、それはどうでも良い。
ウィル達は招待に応じ、この祭りへの参加を表明した。ウィルとニケだけでなく、結局のところナズナもそう決断した。そして驚くことに……
「その、なんかゴメン。ウチだけずっと引き篭もってて」
ミサもこの場に引きずり出されたのだった。
因みに引きずり出されたとの表現だが、これが案外大袈裟でも無いらしい。
「てゆーか、まさか、ナズナがいきなりキスしてくるなんて思わなかったんだけど。『お姫様を起こします!』とかなんとか言って……」
「い、い、言わないで下さいよ! あれは、その……ノリというか、いや、経験則というか……」
「え、ナズナって初キス済ませてたの!? ま、まさか経験済みだったりする?」
「け、経験は……というか、ホントに最近のできごとと言いますか……」
「お、お、おっとぉ!? ナズナちゃん、天然なようで、もしかして意外とやり手だった件!? これぁ僕としても黙って見ちゃおれませんなぁ!」
「お、おい! なに変な話してるんだよ! こんなときに……」
「そ、そうですよ! ウィルさんの言うとーり、ですよ! ……えーっと、ウィルさんちょっとニヤけてません? 何か想像してます!?」
長が何やら話をしているが、一行はそれどころではなかった。またウィルの脳内こそ、平静を保つことに必死であった。キス? ナズナにそんな趣味が? この天然な美少女が!? などなど、これらの無視し難い情報群を処理しなければ、作戦のことなどどだい考えられまい。ウィルとて少年なのだから、仕方ないことである。
しかし手段は如何であれ、ナズナのおかげでミサが再び顔を見せることができたのは事実。それについては、本当に感謝しなければならないと思った。
「であるからして! 逆さ藤の花が一面に咲いたこの時、この前夜祭という場を設けてですな! 神下ろしの場たる集落を清め、皆の心を一つに、神のもとへと近付けるのじゃ!」
(……長の話、全然聞いてなかったな。まあいい。明日の話をしないとだし、とりあえず姉妹を探さないと)
ウィルは、こほんと小さく咳払いをした後、長の話が終わるまでそのまま待ち続けるのであった。
※
前夜祭が始まった。
広場を巨大な篝火が照らすなか、集落の民は踊っては飲み、食っては踊りの、文字通りお祭り騒ぎである。
夜は一層深まり、一行は乱痴気に飲まれながらも周囲に目を向け続けた。しかし、姉妹の姿はなかなか見つからない。
「うーん。そんなに広くないし、結構すぐに見つけられると思ってたんだが」
「ですね〜。一体どこにいるんでしょう」
このままでは埒が開かないと、一行は一旦その場を離れ河沿いへと足を進める。歩き回ったせいか、みな疲労が溜まっており、涼しげな夜風に当たって休憩を取ることにしたのだ。
「それにしても疲れました」
「いやほんとに。僕はもう動きとうない」
「ウチ、もっかい探してこようか?」
「ミサちゃんは私たちと一緒です。何が何でも、絶対に」
流石は運動部というべきか。数日じっとしていたとはいえ、ミサの体力は衰えていないようだった。或いは、自分が迷惑をかけたとでも思っているのだろう。だが、ナズナの強い申し出によってそれは却下された。
確かに、ウィルとしても単独行動は避けてほしい気持ちはあるため、ナズナの言葉には異を唱えなかった。彼はこの集落を信用し切ってはいない。住民の急変した態度や、明日行われる異常な儀式。常識が通じないという意味では、倒すだけの魔獣に比べて幾分か厄介であると感じているため、一人で出歩くなど論外である。
「そ、そこまで言うなら素直に休むわ。……ウチのこと大好きか?」
「ミサちゃんだけじゃなくて、もちろんお二人も大好きですよ! でも、今はとくべつなんです。ミサちゃんは絶対に離しません」
「え、あの、これどうゆうノリ? きまずくなるからやめてほしいんだけど!?」
とは言うものの、彼女のミサへの執着は、側から見てもただならないものを感じた。何故ならば、彼女は先ほどからミサに対して頻繁に目を向けているのだから。
(これは……)
「恋……ですな」
「……!!」
いつの間にか、ニケが近くに寄って来ていたため、ウィルは肩を弾ませた。
「恋? おいおい、女同士でそれは」
「フッ、素人め。ライバル出現で焦ったか? だが安心したまえ。僕は星の数ほどの恋愛を経験した……いわばその道のプロだ。僕から言わせてもらえば、君にもまだ付け入る隙はある」
「……悉くフられてたじゃないか」
「黙れ。しかし油断するなよ? 真の恋ってのは性別の壁すらドロドロに溶かしてしまう。その甘さ、或いは情熱によってな。君がナズナちゃんを好きなら、それこそ……」
「ニケ、そろそろ元に戻ってくれ。さっきから何を言ってるのか全く分からん」
ニケも、ナズナも、それからミサも。今宵はどこか気分が昂っているように見えた。もしかしたら、前夜祭の愉しげな気に当てられ、場酔いしてしまったのかもしれない。そう考えれば微笑ましいもので、ウィルが感じていた緊張感も、幾分かほぐれてゆくのだった。
その時、川沿いの砂利を踏む音が聞こえてきた。
(……?)
四人は咄嗟に、その方向に目を向ける。
「あ、"姉"さん! それに"妹"さんも! なかなか見つからないから探しましたよ〜」
「ふふ、ちょっと長に呼ばれててね。……あら、二階の旅人さんも来てくれたのね」
「……うん。えっと、今まで親切にしてくれてたのにごめん。ウチ、正直いってウザかったよね」
一行の元へとやって来たのは、姉妹だった。
ウィルとしては、好都合である。探す手間が省けたことは勿論のこと、場所が祭りの場から離れているため、情報交換をするには絶好のタイミングなのだ。
「ううん、そんなことないわ。旅人さんが凄く傷付いてるのは分かってた。それに、私の用意したご飯はちゃんと食べてくれたし、貴女が良い子だっていうのは知っているもの」
「…………ありがと。ちょっとは楽になったかも」
愉しげに振る舞っているミサだが、無論まだ振り切れた訳ではない。こうして顔を見せ、会話をする中でも、時折無理が伝わってくる。だが、彼女は彼女なりに振る舞い方を模索しており、皆もそれに応えて彼女を支えると、口に出さずとも決めている。
先の"姉"の言葉は、彼女の大きな支えとなったに違いない。故にウィルたち三人は、改めて"姉"に対して感謝の視線を向けるのであった。
「良い機会ですし、早速、明日のことについて話し合いましょう」
「そうね。手短に済ませましょうか」
ウィルが話を切り出すと、六人は一箇所に集まった。小声でも互いの声が聞こえるように。
「まず、俺の策はこうです。前夜祭が明け、集落の皆が寝静まった、若しくは休憩をしている途中に」
「時間帯的には明朝……三時から四時頃かしらね」
「そうです。そこで俺がこっそり妹さんを連れ……」
ウィルの説明に、皆は真剣に耳を傾ける。"姉"も彼の策に理解を示したようで、相槌を打ちながら皆の理解が深まるようフォローを入れた。
「連れて……私の妹を殺すのね?」
ばたり、ばたりと地に伏せる。
地に頭を付けたのは、ニケとミサだ。
「…………え」
「冗談よ。言ってみただけだわ」
「い、いや。じょ、冗談って。こんな時によして下さいよ。……というか、ニケ? ミサ? なんで急に」
「具合でも悪くなったのかしら。後で診てあげないと大変だわ。それより、今は良い機会なんでしょう? 旅人さんのお話、聞かせてくれないかしら」
「…………い、いえ。先に家に帰らせていただきます。二人とも、さすがに心配ですし……」
"姉"はそうせがむものの、ウィルからすれば尋常ならざる事態だ。今は何よりも優先して、倒れた二人の安否を確かめねばならない。
「後頭部を軽く打っただけだわ。命には関わらないでしょう。それよりも、旅人さんのお話、聞かせてくれないかしら。」
「…………ど、どうしてそんなことが判るんですか。"姉"さん、失礼だとは思いますけど、さっきから少し変……というか、なんというか」
河のせせらぎが、耳に流れる。
周囲は夜の暗闇に染まり、頼れる灯りは祭りから漏れ出す活気のみ。橙の灯りに照らし出された"姉"の表情は……
「なぜ、そんなに平然としているんですか」
「あら、そう見えるかしら? 旅人さん、そろそろ聞かせて下さいな。貴方が今、どんな気持ちなのか」
ニケとミサの後ろには、巨大な蔓が生えていた。グネグネと揺らぐそれが後頭部を鞭打てば、人を気絶させることなど容易いだろう。
ウィルは息を飲み、反射的にナズナへと目を向けた。
「…………!!」
彼女の身体には、いつの間にやら細い蔓が絡み付き、身動きを完全に封じていた。更には、蔓は彼女の細い首をきりきりと絞め始め、声を上げる事すら叶わない様子だった。
「な、なにを? 一体、何をしているんですか」
「早く答えないと、私に殺されちゃうわよ? あの子」
「……っ!?」
ウィルの頭は、理解を拒絶した。
信じられない。あの優しい"姉"が、紛うことなき恩人が。
自分たちを殺そうとするなど、あり得る筈もないのだ。
瞬間、目を焼くような閃光と共に、地を揺るがすような轟音が鳴り響いた。
――この現象には見覚えがある。ローグリンの正門前にて、ナズナが騎士人形らに放っていた魔法。シャヴィはそれを、雷撃と呼んでいた。
「けほっ、けほっ!」
拘束が解かれたのか、ナズナは苦しそうに咳き込み始める。どうやら、先の雷撃で蔓の魔法が弱まったのだろう。
「ふふふ、凄いわ、その子。本当に神の遣いなのかしら」
「…………なぜですか? なんで、みんなを……? 妹さんを助けたいんでしょう!?」
"姉"が感心する傍、ナズナは声を荒げて問いかける。その怯え様はウィルの比にならず、全身の震えが止まらない様子だった。
先ほど放った雷撃は、現在使える魔法の中では最も殺傷力の高いものである。ナズナはそれを、恐るべき集中力をもって発動した。そして、雷撃は蔓を操る術者――"姉"に直撃したはずであった。にも関わらず、彼女は飄々としていた。即ち、"姉"は術師として完全に格上であり、且つ、悍ましい敵である。
「ごめんね、私、おかしいわよね。狂ってるわね。でも、逆らえないの。だから、明日まで眠っててもらうわ」
途端、巨大な蔓がウィルの背後に出現し、振り向かせる間も与えずに強烈な一撃を打ち込んだ。
それは、間を空けずしてナズナの背後にも現れ――
「……っ!!」
鞭のように襲い来るそれを、ナズナは巨大な蔓を出現させることによって、どうにか直撃を防いだ。
"姉"は軽く目を見開き、暫しの間硬直した。
「……? 理解できないわ。どうしてあの子が私の魔法を?」
その隙を見逃さず、ナズナは雷撃を放ち、逃げ出した。向かうは河畔林。船大工の家がある方向である。この場を切り抜けるには、船で対岸に渡るほかないのだ。
「…………っ!!」
だが、それを予想していたかのように、"妹"が彼女の前に立ち塞がる。
「ど、どいてください」
「あなたは、友達。でも……なんでこんな事しなきゃいけないんだろね。ウジウジの奴も、黒髪も、みんな良い人だった。ほんと、何でだろうね?」
「……わかってますか? このままだと死んじゃうんですよ? 私たちと一緒なら逃げられます。ウィルさんはああ見えて頭がいいですから、ばっちりな作戦を立ててくれますし」
「大丈夫。私が死なせないわ」
艶やかな色気を含んだ声が、背後から聞こえる。
ナズナは振り向き、それを目にした。
「…………"姉"さん、もう、やめてください」
指先には、毒々しい紅の凶器。
細く透き通る肌色を乱雑に包む、蔓の衣。
そして頭部に生える二本の角と、腰部からは荊棘に似た長い尻尾。
"姉"の姿は、人間の外見を残しながらも、本質的にかけ離れていた。例えるならば、ナズナの目からは"魔獣"のようであると、そう映ったに違いない。
十数秒経過した後、半異形と化した彼女は再び口を開いた。
「さすがに淵起までは真似できないようね。それとも、敢えて隠しているのかしら。まぁ、どちらでもいいわ。ぐっすり眠ってもらうわね」
その瞬間、視界が暗転した。
混乱と絶望が往々と流れ込む暗闇。
ナズナが最後に感じたものは痛みではなく、夜闇の凍えであった。




