58話 虚構メモリ
夜が明け、朝日が昇る。
外から訪れた二人の旅人は、黙々と足を進めている。
昨日交わした約束の通り集落の長のもとを訪ね、夢の内容を知らせるのだ。
肝心の予知夢を見るという少女の顔は――曇っていた。
「ニケさん、大丈夫ですかねぇ」
「…………わからない。一応息はしていたから無事だと思いたいけど」
少女がぽつりと呟き、前を歩く少年がそれに答える。
昨日、魔法失敗をきっかけに意識が途切れたらしい旅人の少年は、とうとう朝になっても目を覚まさなかった。「自分も役に立ちたい」と"姉"に教えを乞うたものの、その望みは叶わなかったのだ。
"姉"はそれに関して責任を感じており、昨晩は憂いに沈んだ様子であった。事情を聞いたウィルとナズナの二人はすぐさまニケの居る寝室へと向かい、容態を見る。薄暗い部屋の中、静かに眠る仲間の顔を覗くウィルたちは不安の波に飲まれるも、自分たちに出来ることは何もないと悟り、部屋をそっと後にした。
"妹"が玄関のドアを開き家へと足を踏み入れたのは、それとほぼ同時刻の出来事である。
「……そ、そういえば、"妹"さんけっこー良いお方でした! ウィルさんのお話だとなかなかイジワルな感じでしたけど……やっぱりそんなことなかったです!」
「……相手がナズナみたいな同年代の女子だからかな。まあ、馴染めたようで何よりだ」
ミサとニケを除いた四人で食卓を囲い、夕食を終えた後のこと。ナズナは"妹"に話しかけるなり意気投合したようで、そのまま二人で彼女の部屋へと向かった。
"姉"は「あの子の分も……」と心配そうに呟き、少量の食事を乗せた膳を運び、階段をのぼる。残ったウィルとしては対岸に渡る方法を姉妹から聞き出したかったものの、ニケのこともあり中々に聞き出し難い状況だあった。そのため、そそくさと部屋に戻り早めの就寝を取ったのである。
そして、今に至る。
後ろを歩く少女の歩幅は狭く、先程から突拍子のない話題ばかり投げている。ウィルは一旦足を止めると、背後を振り向いて少女へ疑惑の視線を向けた。
「正直に話してくれ」
「…………は、はい?」
ナズナから見た少年の目からは、重圧じみたものが放たれている。これは真剣に応えないとダメだ……と思わせる気迫が、ひしひしと伝わるのだ。
「予知夢は見れたのか?」
「……………………」
問い掛けに答える者はいない。原っぱを撫でるそよ風の音が、東から西へと駆けてゆくのみである。
決まりが悪そうに苦笑いを浮かべるナズナに対し、ウィルは小さなため息をつく。
「そんなことだろうと思った。それで、どうする。長には正直に話して謝るか、適当なことを言って誤魔化すか。……俺は前者を勧めるけど」
「…………謝ったら、きっと許してくれますよね?」
「…………」
もはや呆れ果てたのか、ウィルはただ無言で再び前を向き、長の家へと足を動かし始めた。数百歩先に見据えるは幾つか並ぶ家屋。今からこの有様を集落の人間に晒しに行くことを考えると、どうも足が重い。
それはナズナも同様で、いつもの彼女と比べて何とも慎ましやかな雰囲気を纏っていることから、不安、あるいは昨日の発言への後悔を表面で訴えているのだ。
(…………さて、どう言い訳したものか)
対岸を渡るためには、長や集落の人間による協力が必要不可欠と判断しているウィル。
彼の心境は、背後に続く少女が考えるよりもずっと深刻であった。
※
「…………というわけでして、その、何と言いますか。昨日の言葉は単なる戯れというか、若さというか、いやそれはちょっと違うか。……えっと、僕たちに集落を害する気なんて毛ほどもなく……」
「毛ほども無い? それはワシの頭のことですかな?」
「いやだから、何度も言いますけどそんなこと全然気にしてないですから! とにかく、予知夢の話はどうか無かったことに。当然、祭りの開催を止める気もありません。……ほら、ナズナも」
「……う、うそ言ってごめんなさい…………」
昨日の失礼を、必死で謝罪する二人の旅人。ウィルに促されたナズナは、ついに頭を下げてその意を表した。相変わらず終始とぼけた様子の長だが、腹の中は探りようがない。ナズナを凝視する長はそのままじっと座るのみで、これといった反応を返さなかった。
「え、えっと――」
膠着した状況に痺れを切らしたウィルは、自身を落ち着かさるためか否か、兎角適当に声を発する。
「それで、今日は何が起こるのですかな?」
「………………はい?」
突然の長の言葉に、二人は目を丸くする。
予知夢は出鱈目であったと先程謝罪した筈だが、対する返答は非難でもなければ容赦でもない。全く予想外のものであった。
「で、ですからナズナには予知夢を見る力は無く」
「さあさあ、焦らしても良い事はありませんぞ! お嬢さん、この老いぼれに夢の内容を教えて下され」
気付けば、二人の背後には幾つもの人の気配。恐らくは集落のお偉方と推測するも、それを知ったところで現状が良い方向に傾く訳ではない。
背後の数名は目の前で交わされている談に意見することもなく、ただただじっとそこに立っている。だが一つ分かる事として、彼らの視線の先はウィルでも長でもなく、ナズナの背中へと向けられていた。
極めて気味の悪い空気だ。
言葉が全く噛み合わず、無駄に重い圧力が部屋を取り囲み、二人を縛り付けている。
隣に正座するナズナの震えを感じとるも、この異様な状況下、次の一声はどうしても喉を通らない。
「……あ……っと…………」
突き刺す重圧を感じながら、少女は何かを言わねばと声を発する。途切れ途切れの言葉には、差し迫る恐怖を必死にいなすかのような脆さが前面に押し出されていた。助けを求めているようにも聞こえるが、無慈悲にも彼女を救う者は現れない。
少女を包む孤独感は、まさしく磔と化していた。
「さあさあ、夢の内容を教えて下され」
それから十数分ほどの時が経過したが、長は未だこの調子である。背後の数人も動きを見せず、この場は完全に膠着状態だ。
長を含めた集落の重鎮。彼らの異常性は十分すぎるほどに伝わった。現状はもはや尋問であり、答えようのない問いとプレッシャーに晒されるナズナの精神は、徐々に狂い始めていた。ウィルはこの場を切り抜けるための策を絞り出さんと、視線を下にずらす。
(……狂ってる。なぜこんな事になるんだ? 話が通じないとかいうレベルじゃない。謝っても無駄、かといって虚偽を述べれば何をされるかわからない……もう、これは拷問の域だ。ナズナが潰される前に、どうにかして俺が手を打つ。最悪、集落を追い出されても構わない!)
仲間が苛まれることに比べれば、集落からの協力の取り付けを断念するなど些細なことである。ウィルの心も少女と同様に、限界を迎え始めていた。
仮に長との関係が悪化して集落を離れることになれば、大陸を縦断するメナス河を越えて東部へ渡るための手段は一つ。北へと向かい関所を通過し、四大国家の一つとされる"オムニス王国"に足を運ぶことだ。しかし、大国オムニスには忌まわしき仇敵が居を構えていることもあり、とても安全とは言い難い。
選択は難を極める。猶予は残されていない。
「きょ、今日の……」
「むむっ、今日の……?」
「今日の……お、お昼は…………お芋のバターやきとお野菜のスープです」
思わず、二度見した。
重圧渦巻く中、何を言い出すかと思えば――
「お、おおぉ、素晴らしい……! 集落の昼食めにゅーはワシらと係の者しか知らんはず。加えてお嬢さんの言う通り、今日の献立はそれでばっちり合っておる。よ、予知夢は本当じゃあぁ!?」
長が目を見開いて叫ぶと、背後からは拍手が鳴った。
鉛と風船がすり替わったような、事態の急変。当然付いていける筈もなく、ウィルの視線は忙しなく移ろう。ただし、最もこれに驚愕しているのはナズナ本人だ。苦笑いを浮かべたまま引き攣らせるといった奇妙な表情を浮かべているが、きっと思考を停止させているに違いない。戸惑う二人を他所に、長を含む老人たちはお祭り騒ぎで、笑いが絶えない様子だ。
暫くしてその場は解散となり、二人は早急に立ち去ろうとしたが、「まぁまぁ、ゆっくりしていきなされ」などと言われ、いつの間にか茶が振る舞われていた。
正直なところ落ち着いていられる訳もなく、集落の歴史やら何やらをつらつらと喋り続ける長を前に、無言で愛想笑いを浮かべるのであった。
※※※
――身体が暖かい。
温もりに包まれる少年は、瞼を薄く開いた。
(…………)
はっきりとしない頭で、瞳に映し出された景色をじっと見つめる。
「………………?」
身体の感覚が曖昧だ。
目蓋を右手で擦ろうにも、また足を動かそうにも、神経が途切れたかのように力が入らない。普段であれば不安が心を包み、じたばたと情けない姿を晒すところであるが、今は不思議と畏れを感じることはなく、意外なほどに精神が安定していた。
(…………僕は確か……)
声も上手く発せない状況下、なんとなく見つめていた景色が徐々に晴れていく様子を認識する。
それとは他所に、何故だかどうにも直前の記憶を思い起こせない。少年にとっては自分が居る場所よりも、朧げな意識の方が余程気掛かりである。
しかし、眼前の景色が鮮明になった瞬間、そんな少年の心は真逆の方向へと急変する。
「…………!!?」
怪物だ。
人の上半身ほどの大きさの黒い目玉が、近くで自分を見ている。
はっきりと視認できたのは、捕食者たる貌と、身体を支える巨大な腕。少年は恐怖のあまり目を逸らし、逃走を図るべく力の入らない身体を地に這わせた。だが、その行為が一刻の延命にすらならないことは自明。
泣き叫び友の名を呼ぼうとするも、声は喉元を過ぎる前に潰される。
「――!! ――!!」
景色は靄に覆われ、再び意識は霞み始める。
少年は最後まで、友の名を――
※※※
「……っ!?」
電流が流れたような感覚と共に、上半身が動く。
昼間の光が窓から差し込み、目下の毛布を鮮やかに照らしている。部屋の中は、木材の香りに満たされていた。
黒髪の少年は右手で目蓋を擦ると、力が抜けたかのように腕を下ろす。
時刻は昼。メナス河の畔にて。




