56話 紅棘ウィザーリィ
「重要なのはイメージ力。イメージ……イメージかぁ」
「例えばお花を咲かせる魔法なんだけど、まずは自分の身体を木だと思って……あ、難しかったら植木鉢でも良いわ」
「植木鉢? こ、こ、こうですか?」
ニケは"姉"の言う通りに、脳内にその状態を浮かべる。しかし……
「……えっと、今の旅人さんは宙を見つめてぼーっとしてるだけね。肉体はあくまで植木鉢。体中の魔素を土だとか根だとか葉っぱだとかを構成していく……ようなイメージなのよ!」
「……分かんないところがまた増えていく!?」
自身の知識を曝け出すのも厭わず、魔法を使用する際の感覚を一つ一つ伝えんとする彼女であったが、思いも寄らず苦戦していた。というのも、魔法に関する知識が皆無であるニケが術式を書くだの意志を込めるだの言われたとしてもイマイチ要領を掴めないのは言わずもがな、実のところ彼女自身がいわゆる感覚派であることから、具体性を欠くような言葉で教えを授けられたところで土台理解出来かねる話であった。
「うう、ごめんなさい。人に教えるのってやっぱり難しいわ」
魔法に対する理解の甘さから、旅人の少年の決意を挫いてしまったと"姉"は瞳を伏せる。しかし、彼女を責める声は返ってこない。頭を悩ませるばかりと思われた少年は、不意に席を立つ。
「ここに居ても何も浮かびそうにないので……外出てみます。ほら、植物ってんなら、外にいる方が何か湧いてくるかも!」
姉妹の家から離れ、当てもなくぶらぶらと歩き回るニケ。"姉"も、ミサに一言だけ告げた後、彼の背に続くことにした。
この集落において、よそ者に対して寛容な者ばかりでないことは、ウィルを襲った暴力の跡を見れば理解できた。彼やナズナと再会した時のこと、その事実はニケが真っ先に姉妹の家に向かった理由の一つでもある。逆に、あのような酷い目に遭いながらナズナに付いて再び集落を回る決断をした幼馴染には、尊敬の念を抱かざるを得ない。
幾らイメージを掴みたいからといって、人通りのある場所に向かうつもりは毛頭無い。姉妹の家が集落の外れにあることは、全くもって幸いであった。
西に傾きつつある陽光を反射する大河を眺め、ニケは胸いっぱいに空気を吸う。
「良いところですな。なんて言うかな、これが俗に言う空気が美味しいってやつなんですかね! 生まれて始めて、こんな気分になりましたよ」
「………………………………ありがとう」
「え、なんで貴女が感謝を…………そ、そうか。僕は気付いてしまった。きっとこれも、いま貴女と共に歩いているからに違いない! 貴女がここに居るだけで、周りの空気は浄化されてしまうのでしょう!」
「……? 私、何か言ったかしら。えっと、それより……魔法のイメージね! 確かに、実際に触れてみた方が良いわね。そうだ、川に沿って少しだけ南に歩くと河畔林があるんだけど、そこまで行ってみる?」
彼女はそうニケに提案するも、彼は何故か首を縦に振ろうとせず、額に軽くしわを寄せた。
「か......はんりん? ってのは何か分からないけど…………ごめんなさい、今は此処らへんで手掛かりを見つけてみます。だって、自然がこんなに広がってるんだ。この景色を見てるとなんだか、何かを掴めるような気がしてきましたよ!」
「…………謝る必要は無いわ。自分の直感を信じるのもとても大事なことだから」
"姉"はそう言うと、そっとニケに微笑んだ。
その数秒後、彼女は不意に自身の右手を胸の前まで上げる。
「見たり触れたりするだけで魔法を思い描くのはなかなか難しいから、ちょっとだけ見せてあげるわ。あくまで一例としてね」
辺りを軽く見回すも、前方には旅人の少年と大河、背後には自分たちの家があるのみ。集落の方向からは特に視線なども感じない。
彼女は右手に意識を集中させ、静かに目を瞑る。
「……!?」
途端、ニケは両目を見開き、後ずさった。
驚愕のあまり、その衝撃を声に出すことすら出来ない。
彼女の右腕には腕輪を連想させる円状の術式が幾つか連なっており、その先端たる手は――
「……想像していたものとはちょっとだけ違っていたかしら」
「………………」
彼女の右手は青黒く変色し、五本の指先は全て薔薇の棘のように鋭く紅い凶器へと変貌していた。
しかし、魔法の披露はこれでは終わらない。
少年の反応が面白かったのか、"姉"は思わず口元をニヤリと歪ませる。普段は質実で人の良い彼女ではあるが、その内に秘めたる本性は妹と同様に悪戯好きである。
興が乗ったのか、今度は魔力を迸らせて全身を殻のように覆い始めた。ニケにとっては理解不能な光景が続くばかりで、こうなっては押し黙るほかあるまい。
次第に、魔力で編まれた殻はガラガラと剥がれ落ちる。
その中から現れる人物は、当然ながら"姉"その人。しかしながら、ニケはその後もますます混迷を極めることになる。
「どうしたの? そんなお化けでも見たような顔して」
「……これは……魔法……?」
彼女の行った"魔法"とやらを一言で表すならば、容姿の変化――即ち変身である。
凶器の指先は両手に、毒々しい紅が滲み出す。
胴体には幾つもの蔦が纏わり付き、細く透き通る肌色を乱雑に包んでいる。
そして最も目立つ特徴として、頭部の左右にはこれまた棘のような二本の角が、腰部からは荊棘に似た長い尻尾が生えていた。
麗しい顔は元の彼女のままであることから、それが"姉"であることはニケにも理解出来る。しかし、今の彼女の容姿は人間とは少しだけ異なる異形。薄ら笑いを浮かべたその貌は、人のものか、或いは鬼のものか。
「…………ごめん。ちょっと悪ノリが過ぎたわね」
容姿はそのままに、迸っていた魔力を引っ込めた。とはいえ、ニケにとっては状況を把握出来かねる事態は継続している。
あくまで初見の印象ではあるが、彼女の姿には、ローグリンの正門前にてナズナやガトーらと対峙していた異形に近いものを感じた。
ただ目の前に立つ彼女とかの異形とでは、判然たる事柄として、視認出来ない"圧"の有無が両者の本質的な違いを示していた。かの異形の放つ魔力には、邪気とも形容すべき恐ろしいモノが混ざっていたようにニケは感じる。
それと比較して眼前の"姉"からは、そういった身を竦ませるようなモノは感じられない。
見た目こそ異形へと変貌したが、彼女がニケの知っている"姉"であることは疑いようもなかった。
「えっと……そうね。私が特に気に入っているのはこの尻尾なのだけど、これ生やすのには結構苦労したのよ。イメージ強めるために尻尾型のアクセ作って一日中過ごしてた時もあったけど、妹からの視線が痛かったわ……」
「……あ、あはは。それは……もう……。あははは」
この女性、お淑やかな外面の割に意外とぶっ飛んでいる人間なのではないかと思い始めるニケであった。
※
広がる草の絨毯の上に寝転がり、土に触れ、肌で風を感じる。"姉"は言った。自分の身体はあくまで植木鉢。身体の内部に種を作り、発芽させ、魔法として具現化させるのだ。
複雑な術式を扱わない、"儀式"に分類される魔法である。とはいえ、簡単に成功するわけではない。魔法とは魂で魔素に語りかけることであるから、最悪の場合魂と肉体が乖離し、意識は消えてなくなってしまう。
ナズナはどうにか助かったようだが、自分は魔法の初心者であるため、失敗すれば本当に死んでしまうかもしれない――と、胸中落ち着かない様子のニケ。
"姉"はそれを察しているものの、感情を奮い立たせるような行動は敢えて取らなかった。
自分の試練なのだから、自分の力で乗り越えるべき――といった指導方針ではない。本音を言えば、少年の望みは早く叶えてあげたい。手助けしたくて仕方がないから、それ故にもどかしさに唇を噛む。
何しろ、少年は今朝初めて会話しただけの旅人であり、彼のことは何一つとして分からないのだ。
出身は何処なのか。好きな食べ物は何か。どんな旅をして来たのか。どうしてメナス河を渡ろうとしているのか。……どこへ向かおうとしているのか。
ニケの人となりや背景を知らない彼女の言葉では、彼の意志を阻害してしまう可能性がある。例え彼女なりに的を得たアドバイスをしても、それが彼に馴染む保証はないからだ。
最初に披露したとっておきに加え、簡単な魔法は一通りの紹介を終えた。現段階で彼女に出来ることはこれが全てである。
あとは、少年が"勘"を捉えること。
術式という先人の軌跡を辿らぬからこそ、直感やイメージは最も重要な事柄だ。ただ想像を働かせるのではなく、体内の魔素流動を感じつつ行うため、意識を深層に漂わせねばならない。
極限の集中状態。
ある種の覚醒に近い現象を、意志の力で引き起こすのだ。
ニケは深呼吸をし、ゆっくりと気を鎮める。
("姉"さんが折角協力してくれているんだ、僕なんかに。……なにがなんでも成功させる。なにがなんでも、だ…………っ!)
魔素の流れに少しずつ意識を寄せ、それと同時に高まる決意。激る意志は魔素と共鳴し、今、烈火の如く隆盛を極めんとしていた。
――ここは薄暗く、深閑とした木々の下。
瑞々しき生命のながれの一部となり、調和を奏でる。
「…………い、いけない。旅人さん! これ以上は駄目だわ……っ! すぐに目を開くのよ!」
突然、じっとニケを見守っていた"姉"の様子が急変した。旅の少年のもとへと駆け寄り、ゆさゆさと激しく彼の身体を揺らす。
「…………」
しかし、どれほど大きな声で呼び掛けようとも、少年が反応を見せる事はなかった。
「……旅人さん? 旅人さん……っ!?」
曰く、魔法とは魂と魔素の対話である。
曰く、"識"――即ち生命が生み出す意志こそが全ての魔法に通ずる源である。
自身の体に張り巡らされた魔素器官を覗き込んだ少年は今、まるで意識が虚空へと霧散したような、優しい眠りへと落ちていった。
それが示す先には――




