55話 魂々アプレンティス
「魔法と言っても色々ありすぎるのだけど、旅人さんはどんな魔法を使いたいの?」
「と、とにかく皆んなの役に立つような……」
「…………大雑把すぎるわ……」
逃げてばかりではいられない。ウィルやミサが悩み苦しむ姿など、見ていて気分の良いものではない。
二人とも救ってやる! などと大それた事は言うまい。今の自分ではまだシャヴィのようになれないことなど承知の上だ。ただ、ニケは仲間の力になりたかった。何か行動を起こさないと、このままでは自分を許せなくなってしまう。
「……"姉"さんは、どうやって魔法を使えるようになったんですか?」
「私は、主落か……いえ、集落の偉い人たちに基礎的な理論とかを教えてもらって、以降は自分なりに探究していったかな」
「…………は、はぁ。魔法にも基礎とか理論とかあるんですね。てっきり僕ぁ簡単に、必殺技みたいにどかーんと撃てるようになると思ってました」
「ふふ、魔法は奥が深いのよ」
ニケは、学校の勉強が嫌いである。理由はごく単純で、面白さを欠片も感じないからだ。
文章を紙に書き連ねる語学。数字を複雑に組み合わせる数学。専門用語のオンパレードたる臨床医学。呪文の羅列のような論理・心理学。おまけに最も忌まわしき体育が加わるとあれば、ニケが勉強に抱く印象の決壊は免れぬことであった。
"姉"は先ほど、基礎的な理論と口にした。その一言で、ニケの魔法に対する期待感――所謂"キラキラと輝くロマン"の光は半減してしまったのだ。
(これは……魔法を使うのって思ったよりもめんどくさいんじゃないか?)
魔法に憧れた少年は今、徐々に自分の表情が固まる様を実感していた。
「旅人さん、いま面倒だな〜って思ったでしょ」
「……い、いえ、いえ! 協力を頼んだのは僕ですし、貴女に教えていただけるならば何でも! そんな、めんどいなんて失礼なこと、僕が思うわけ」
「表情が妹にそっくりだったわ。魔法を勉強するときの」
「…………あ、あはは……」
自分の気怠るげな精神状態を的確に言い当てられ、反射的に表情が引き攣る。そんなニケの様子に彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
おっとりしている彼女だが、あのお転婆な妹あってのこの姉である。ニケは最初、姉妹それぞれの性格に対照的なものを感じたが、案外その限りではなかった模様。
(そんなギャップも素敵だ……)
少年は、ますます"姉"の魅力に惹かれていった。
「……えっと、まずはそうね。旅人さんは、旅をしているのよね? 当たり前だけれど」
「…………はっ!? あ、あっ、はい! 南の遺跡からローグリンを越え、この地にやって来ました」
「なら、旅人さんは既に魔法を習得している筈だわ」
「…………え?」
見惚れている最中に話し掛けられ挙動不審になるも、どうにか言葉を返す。しかし、返答を受け取った"姉"は思いも寄らぬ一言を口にした。
既に魔法が使えている、と彼女は言うが、ニケからすれば全く身に覚えがない。ナズナのように炎の球を撃ち出すことや突風を起こすことなど、目にした事はあれど教わった覚えはないのだ。少年はそのまま、言葉の続きをじっと待つ。
「だって外を歩いてるのだから、ここに来るまでに何度か魔獣に襲われたでしょう?」
「ええ、そりゃもうウンザリするほど。……ま、僕にとっちゃ〜大した事ないですけどね! この短剣でちょちょいのちょいっすよ」
「魔獣と戦えたのね。それなら、すごい剣技や体術を身につけてない限りほぼ確実に使えてると思うわ」
「…………えっと……ですね。僕ぁただ魔力で身体と剣を覆って適当に振り回してるだけで、特別なことなんて何もやってないんです」
「やっぱり使ってるわね。……もしかして、無自覚だったのかしら」
"姉"は少年の顔に向かって、不思議そうに目をやった。当の少年はただただ困惑するのみであり、キザったらしい……もとい、紳士然とした態度を繕う余裕がなくなってきた様子。
魔力で覆い、武器を振り回す。剣技のような大層なものは知らないゆえ、単純な動きを繰り返しているだけなのだ。"姉"は確信を持って頷いたが、ニケはどうにも彼女の瞳の奥が見えない。
「体内の魔素を魔力に変換させて、全身を覆う。どんな人からどんな風に教わったのかは分からないけれど、それは間違いなく"儀式"に分類される魔法の一種だわ。入門的な魔法の一つらしいけれど、イメージの掴みづらさから初学者の習得はかなり時間が掛かってしまうとか」
「…………え、あれ魔法だったの? しかも、習得に時間がかかるって……」
"姉"の言葉を受け、ニケはなにやら小声で呟く。
三人にそれを師事した人物は、オーディンなる人物である。騙された後となっては複雑な気持ちになるが、あの男は魔法の知識が皆無であった三人に対し、戦う術を一から丁寧に教えてのけたのだ。結果自分たちは第一の目的地たるメナス河まで足を運ぶことができた。
あの男は確かに憎い。しかし、ニケは認めざるを得なかった。魔法の魔の字すら知らぬ自分たちに、いとも簡単にそれを教え込んだ確かな実力、そして自分たち三人は、彼のおかげで今を生きることが出来ていることを。
「…………魔法陣、詠唱、儀式。そうか、リッキーが教えてくれたのは、儀式の魔法だった……のか。でも、あいつそんなこと一言も………………」
緩やかに渦巻き、次第に逆立ち始める感情。
恐らくは親切心もあったのだろう。だが真実は告げられず、三人は男の告げるがままに戦闘の術を習得し、すぐさま訪れた実戦にてそれを発揮することとなった。
ウィルは魔法を使用する際のリスクを危惧していたが、それは狡猾な男のこと。今考えれば彼の恐れは予想の範囲内であったのだろう。だから敢えて魔法という単語を隠し、無知な三人に対して覚えさせたのだ。結果、あの男の浮かべた表情は満足気なもの。
まるで、遊び道具のようではないか。
誠の善意だった可能性も否めないが、森を出て残ったものは、男に与えられた武器と魔法のみ。三人の現状は未だ、かの森に縛り付けられている事と同義なのだ。
ニケは再び顔を上げ、立ち上がる。
「"姉"さんお願いします。僕、やっぱり魔法についてもっと知りたい!」
「…………」
「あいつに教わった魔法にだけ頼るわけにはいかない。このまま生き延びたとしても、それは全部オーディンに生かされてるってことと同じなんだ。計算でも暗記でも、何だって耐えてみせる! だから……だから、改めてお願いします。魔法を教えてください!!」
女性は困ったように微笑を浮かべながら、少年と同じく立ち上がった。
「……植物魔法。私と同じ魔法で良ければ、教えてあげましょう。でも、種類はなんとなく同じでも、魔法の細かい内容自体は一人一人大きく違ってくるわ。誰でも使える基礎的なものと、探究を重ねた魔法の明確な違いはそこなの。……私と一緒に、旅人さんだけの魔法を作り上げましょう!」
川沿いの集落にて、魔法使いの弟子は強き志を逃さぬよう、眼前の眩しい笑顔を目蓋に焼き付けるのであった。
※※※
「如何ですかな、我が集落自慢の甘菓子のお味は?」
「ふ、ふま〜ぅ! さくさくひへへ、ふごくおいひいえふぅ!!」
「な、ナズナ。だからあまり気を抜くのは……」
「おやおや、こりゃ何たる失態をば。あろうことか栗髪のお客人の嗜好には合わぬとお見受けするーッ!?」
「い、いやいや、全然そんなことは! むぐっ……あ、甘くて美味しいですよ!」
「そうでしょう、そうでしょう。そうでなければならんのじゃ。何にせよ、我が集落自慢の甘菓子ですからなぁ!」
「あ、あはは、ほんとにおっしゃる通り……」
ウィルがナズナの後に続いて、十数分後。二人は、集落の長と思われる老爺に茶菓子を振る舞われていた。
ナズナの歩いた先は、集落内でも一際目を引く二階建ての広い家屋。押し掛けても追い返されるのがオチであると一度は撤退を進言したウィルであったが、ナズナはその言葉を聞かず、また如何なる天の気まぐれか、壮齢の女性がその立派な門口を開けるなり中へと案内され、"東方風"の一室に通されたのである。
そして、現在の不可解極まりない状況へと至る。眼前で自慢の名物への想いを熱弁する長だが、ウィルはつい先ほど彼の身内から酷い暴行を受けたばかりである。ウィルからすれば、あの"怪物"といつ再び見えるのか、気が気でなかった。
今は無理矢理にでも笑顔を作り、長の機嫌を損ねまいと努める。それが少年の思う最善手であった。
「それはそれとしてお客人。昼間の一件につきましては、心からお詫び申し上げたい。我が集落には、外からの客人に対して寛容な者とそうでない者がいてのぉ。特に後者は少々過激すぎるきらいがあるのじゃ。これで許せとは言わんが、せめてもの詫びとしてお客人にはこの品を授けたいと思う」
「……?」
長が言葉を終えると、待ち構えていたかのように戸が開き、二人の老爺が部屋の中へと入った。
老人らは慎重に、布に包まれたその品を畳の上に下ろす。
「こ、これは……?」
「…………?」
菓子を頬張っていた筈のナズナが首を傾げる様子が目に映った。何やら知っている風であった彼女も、畳の上に置かれた長物には心当たりがないと見える。
長は布をゆっくりと解いてゆくと、"それ"は徐々に姿を見せていった。
「利剣戦火。集落に伝わる古い剣じゃが……どうかお持ちくだされ。ワシの目が正しければきっと、お客人ならば扱えましょうぞ」
長剣の放つ圧倒的な存在感は、ウィルに瞬きをする間すら与えなかった。




