53話 幽閉バックヴィレッジ
金髪の少女は、ひどく憔悴している様子だった。
正確には、痩せ細り疲れ切っているように見えたと表現すべきだろうか。彼女は、両目を丸く見開きながら少年の顔をじっと見つめている。
「……な、ナズナ? ナズナ…………なのか?」
恐る恐る訊ねるウィル。
心から待ち望んだ光景だった。勝手な行動で恩人に迷惑をかけた自分への嫌悪も、理不尽な暴力に遭ったことも、ナズナの無事さえ確かめられれば報われるだろうと確信していた。だが、何故だろうか。彼女の表情を見ていると、得も言われぬ不安心に包み込まれそうになるのだ。
「…………!! は、はい! 私こそ正真正銘、ナズナ・ナハトですよ〜! あはは……」
突然の問いかけに焦りを見せたナズナの浮かべた笑みは、ぎこちなかった。彼女の身に、何かがあったのだろうかと、少年は綻んだ表情を再び引き締める。
近くに寄ってみたものの、目立った外傷等は確認できず、衣服も多少汚れてはいるが森を発った時とさほど変わりないと見た。
(……ん? 待てよ……?)
先ほどの短い会話で生じた微かな違和感を感じ取り、少年は少女の顔をじっと見つめる。
「え、あ、あの? 私、何か変ですか……?」
「しゃ、しゃべってる!?」
ローグリンの地で起こった壮絶な戦闘によって、まともな会話が出来なくなったナズナ。だが彼女は今、確かに言葉を口にしたのだ。
こんな奇跡的なこと、起こり得るのだろうか。これもまた、魔獣の見せた幻覚ではないのか。歓喜と同時に疑念が次々と湧き出るも、ウィルはそれらを無理矢理に払い除けた。
伝えたいなければならないことがある。謝るべきことなど、星の数ほどある。ナズナの症状が回復して会話することが叶えば、第一に伝えようと心に決めていたことがあった。彼は両膝を地に付け、下を向く。
「……ナズナ、ずっと謝りたかったことがある」
「…………? そんな、ウィルさんは悪くないです。私だって、どうしてあんな……」
「……いや、全部俺のせいなんだ。沢山君に無理をさせた。無理難題を押し付けたり、俺の根拠のない賭けに付き合わせてしまったり…………君を都合の良いように使ってしまった」
「………………あれ……」
ゆっくりと、顔を上げる。自分を見下ろす彼女の表情は、怒るでも困るでもなく、鳩が豆鉄砲で撃たれたかのように呆けていたのだ。思わぬ反応だが、少年は構わず言葉を続ける。一度解放した感情は滝のように流れ落ち、収拾がつかなくなったからだ。
「終いには、独りにさせてしまった。こうなった責任は全部俺にある。本当に、本当にすまなかった……」
「…………ど、どうしたんですか。まだそんな事気にしてるんですか? 私はてっきりいつも通りのウィルさんに戻ったのかと……相変わらずうじうじさんですね」
蔑み? 或いは懸念か。このようなジトっとした目付きで見つめられるのは、ウィルの記憶上では初めての出来事である。
どういうわけか、彼女は明らかに当惑していた。
緑の傾斜を下り、なるべく人目に付かぬよう集落の道を歩き、食事場へと向かう。その間、二人の間に会話は一言たりとも発生しなかった。ナズナは何かしら考え込んでいる様子で、そんな彼女に対して気軽に話しかける気にはなれない。
ただ一つ気付いた点があるとすれば、傾斜を降りる直前、集落の家屋が目に入った瞬間の彼女の目は、先ほどウィルの顔を見た時のものと同じく丸く見開かれていた。それが彼女の如何なる感情を意味するのかは不明だが、逆にそれを境にナズナの心情は一転したのではないかと、ウィルは漠然と感じ取ったのだ。
具体的に述べるならば、"当惑"から"困惑"への転換である。客観的な印象ではあるが、その気付き以来、ナズナの瞳にはどこかすっきりとした意志が宿り始めたような気がした。
しかし、そんな彼女を見てどこか安堵はすれど、気にならない訳ではない。
(集落を見てあの反応、少し普通ではないな。普段の彼女なら、『凄い景色ですね、ウィルさん!』なんて満面の笑みではしゃぎ出しそうだけど……もしかして、ナズナはこの地について何か知っているのか……?)
未だ考え込んでいる端麗な横顔を横目に、ウィルは一つの可能性を思い浮かべる。
(……いや、まさか。俺たちがここに訪れるのは初めてだし、それはナズナも同じことだよな)
しかし、馬鹿げていると感じ即座に取り下げた。仮に幼少期に何らかの理由でこの地に立ち寄った事があったとしたら、それはそれで僥倖である。対岸へ渡るためのヒントが彼女の記憶の中にあるかもしれないからだ。しかしこの世界に限って、物事はそれほど都合良くは進まない。
ウィルは余計な口を挟まぬよう、敢えて彼女を放っておくことにした。
「……ウィル! きゅ、急にいなくなるのはやめ……な、ナズナちゃん!? よ、良かった。無事見つかったのかぁ!!」
食事場にて、ウィル達ふたりの姿に気付いたニケは、ウィルが声を掛けるよりも早く声を上げ、駆け寄ってきた。
道中、集落の人間にふたりの姿を見られる事が全く無かった訳でもないが、よそ者と非難し責め立てられる事も無かった。そればかりか、『お友達、見つかったのかい? 良かったねぇ』などと喜んでくれる者もいた。ウィルのことは"旅人の少年が逸れた金髪の少女を捜している"という噂で集落中に広まっており、よそ者に否定的な人間の目に止まらなかった事は、非常に運が良かったのだろう。
そういった安堵感もあり、ウィルは幼馴染の声を聞いた瞬間、力が抜けるような感覚を味わうのだった。
「ニケさん。どちらでも構いませんけど、ミサちゃんはいま、どこにいらっしゃいますか?」
「え、ミサ? えっと、今は外れの姉妹の家に……あ、姉妹っていうのはね、僕たちの恩人なんだ。実際に助けた訳じゃない……っていうか、ちょっとそこんとこ曖昧なんだけど、とにかく良い人たちなんだよ!」
「え、あ、そ、そーなんですね! そんな方々が。あ、後で私もお礼を言わないとですね! あはは……」
何故か少しだけよそよそしい態度をとるナズナ。ウィルは黙して彼女の姿に目を向ける。
「ですが、そうですか。ミサちゃんはちゃんと無事なんですね」
「そうそう。僕たち三人はあの家で目を覚ましたんだけど、なぜかナズナちゃんだけ別の場所で……不思議なこともあるもんだね」
「そ、そうですよね。全然見当もつきません。はぁ〜、さっぱり、さっぱりって感じです」
この際ナズナのふわふわした言動についてはさておき、これでナズナを含む四人全員が揃ったことになる。であれば、次はメナス河を渡る方法に関する情報を得なければならない。
この集落の中で、ウィルが安全に、確実に情報を仕入れることができる場所。それは……
「ニケ。あの姉妹がどこに行ったのかわかる?」
「……えーっと、妹さんはちょっと分からないけど、お姉さんなら今は家に帰ってると思う。ミサに昼食を持ってってあげるとか言ってたっけな。……見た目だけでなく、心も美しい。そう、あの方はまさに僕の理想とする女性さ……」
言葉を発するなり、ひとりでに笑みが溢れてくる様子。そんな普段と何ら変わらぬ幼馴染からはそっと目線を外し、ウィルは食堂の入り口に目を向けた。
「よし、じゃあ早速家に戻ろう。二人とも、それで良いかな」
視線を移さず、傍に立つ二人に向かって提案する。
「ははっ、勿論さ! 早くまた"姉"さんのお顔を拝みたいからね」
「……ホント自分の欲望に対して正直だな」
その言葉を待っていたと言わんばかりの勢いで、ウィルの目の前に歩み出るニケ。対するウィルは、若干引き気味な対応を返した。
次なる返事を得るべくナズナの方を見ると、彼女は少しだけ肩を弾ませた後、複雑な表情で答える。
「えーっと、じゃあ私は、"妹"さんを探しに行こうかな〜と思います!」
「……え、そ、それはどうして?」
「……あー、んーっと、一人だけ仲間外れなのはかわいそうかな〜みたいな」
「いや、仲間外れ……というか、夕食の時には自然と皆んな集まるだろうし……それに彼女が何処に居るかも分かんない今、無闇矢鱈に集落を歩くのはちょっと」
「いやいや、だいじょーぶです。私、わりと勘がはたらくほうなので!」
自信満々に胸を張るナズナ。だが、その根拠は何処にも見当たらない。一人で出歩かせれば、よそ者非難派の人々に見つかり、ウィルのような目に遭う可能性もある。ただ、彼よりは魔力を自在に操れるだろうナズナのことだから、もしかしたらどうにか危機を切り抜けられるかもしれない。
因みにこれはウィルの目算だが、四人の総合的な戦闘力を数値で表すとこのようになる。
基準であるウィルを5とする。
ニケも恐らく5程度。
ミサは鎖鎌の撃破力や状況判断力を踏まえ、8あたりが妥当。
問題はナズナだが、彼女の戦闘力を数値として換算するならば、恐らく30は下らないだろう。
あくまで少ない経験に基づいた所感であり、正確性には当然欠ける。ただ分かることは、肉弾戦であれ魔法であれ、ナズナの力はウィルを大幅に上回るのは確実ということだ。
つまり、仮にあの大男に襲われたとしても、ナズナならば最低限の対応はしてのけるに違いない。ウィルの懸念点は、それとは別にあった。
「…………やっぱり一人は危険だ。もしもあの人たちに遭遇したら、本当に殺されてしまうかもしれない。どうしてもって言うなら、俺も付いて行くよ」
「そ、そうですか……。うーん、どうしよっかなぁ」
今はその懸念点を隠し、彼女の反応を伺う。
結論がどうであれ、重要なのは"ナズナを見る"ことと考えたからだ。
「ま、まぁ。付いてきても別に良い……ですけど」
「……そ、そうか。それは……ありがとう?」
「それじゃ、みんなで一緒に"妹ちゃん"を探しましょう〜!」
二つ返事で同行を許されたのはウィルとしても意外な事であり、つい言葉を詰まらせてしまった。だが、これは彼女を見極めるための好機。
懸念点とは、ナズナの反応から読み取れる違和感。彼女は何を知り、何を考えているのか。
元の世界で云うなれば、午後の二時に差し掛かる時間帯。彼らの一日は、再び始まる。
作者です。
戦闘力の数値化に関する描写がありますが、今回につきましてはあくまで目安ということで。
数値が一つ違うとどれだけ差があるのか?
魔力量やオドの違いはどのように反映されてるのか?
等の細かい部分は、現時点ではあまり考慮しておりません。あくまでウィルの所感ということで(まだ作者がそこまで考えてないとは言えない)。
完全に余談ですが、あえてその数値を参考にするならば、二章で登場したシャヴィの戦闘力は1000を軽く越えるでしょう。
以下、二章に登場した主要キャラクターたちの"大雑把な"イメージです。
騎士団長: 350
ガトー: 250
スノウ: 230
オーディン: ???
以上、後書きと余談でした。
引き続き、次回もお楽しみに!




