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蜃気楼の岬から  作者: ピンギーノ
一・三章 幻想河の遺歌(上)
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46話 純潔アウェイク

 時刻は昼過ぎ。

 大河の畔は陽光を浴び、天からこの地を見渡すならば、瑞々しき緑、豊穣なる茶、透き通った青が織りなす風景が広がっているのだろう。


 ほんのりとした温もりを孕む風に吹かれ、少年は独り、せせらぎに思考を泳がせる。




 (もう、これ以上この集落に関わるのはやめよう。俺たちを歓迎しない人もいるし、今度はナズナやニケが俺みたいに酷い目に遭ってしまうかもしれないんだ)


 そんな少年を、背後から不思議そうに見つめる者がいた。




 「ウィルさーん? さっきからぼーっとしたりしてどうしたんですか? あんまり考え過ぎると、頭が爆発しちゃいますよ。ぼかーん! って」


 「……! …………いやいや、流石にボカンはあり得ないからな。物理的に考えて」


 「ははっ、相変わらず堅物だなぁ! ナズナちゃんは君を元気付けようと冗談を言ったのさ。それなのに君はいちいち間に受けて……」


 「……え、爆発しないんですかー?」


 「………………え?」




 振り向いた途端に耳に触れるは、悩みなど欠片も入り込む余地のない脳天気なやり取り。あまりの馬鹿馬鹿しさに、ウィルは思い惑う自分の姿が滑稽に思えてならない。

 だが、これによって心が定まった。


 「ニケ、あの姉妹がどこに行ったのかわかる?」


 「……えーっと、妹さんはちょっと分からないけど、お姉さんなら今は家に帰ってると思う。ミサに昼食を持ってってあげるとか言ってたっけな。……見た目だけでなく、心も美しい。そう、あの方はまさに僕の理想とする女性さ……」


 問いかけに答えるなり、自然とひとりでに笑みが溢れ出ている様子。そんな普段通りの幼馴染の顔からすぐに目を逸らし、ウィルは姉妹の家がある方角に目を向けた。


 「姉妹……ですか?」


 「…………あ、ナズナは知らなくて当然だな。実は、この集落でお世話になってる人たちがいるんだけど……」


 ウィルは、現状を知らぬ少女にことの顛末を説明する。少女は非常に興味深そうに、目をくりくりと開きながら黙して耳を傾けた。




 「今すぐ会ってみたいですっ!!」


 「……うおっ、なんだよびっくりしたなぁもう」


 姉妹の人となり、そして彼女らの家での出来事を一通り聞き終えると、金髪の少女は表情を輝かせながらウィルの手を自身の両手で握った。その唐突さと勢いからか、何故かウィルではなくニケが過剰な反応を見せていた。


 「ああ。実は俺も、彼女たちのもとを訪ねようと思っていたところなんだ。そこで、こちらの話を親身に聞いてくれる(かのじょ)の下に向かおうと思うんだけど……ニケ、ナズナ。そういうことで問題ないな?」


 「……? お、おう。僕もそれでいいと思うよ」


 「私は問題ありませんよ! さっそくお邪魔しちゃいましょう」


 「ありがとう、二人とも。じゃあ……なるべく目立たないように、回り道をして行こう」


 少年は二人の仲間に足並みを揃え、人目につかぬ緑色の道を歩み始めた。"よそ者"に不寛容な人々の目に付いたならば、また襲われないとも限らない。さらに、ナズナが一行に加わった現状が連中に伝わったならば、どんなに恐ろしい暴力が振るわれるのか。彼はそれを想像するだけでも身震いしてしまった。

 よって今打てる最善手は、ナズナの存在を連中に隠しつつ、メナス河を渡る手段について"姉"に相談する。そして、ミサを連れてすぐにでも四人で河を渡ること。


 (ここは、いつまでも留まってて良いような場所ではない。親切にしてくれた人たちにはお礼もできなくて申し訳ないけど、俺たちは旅を急がせてもらう。それが、互いのためなんだよな)








 「えっと……お邪魔します」


 日差しが傾き始めた、昼過ぎのこと。ウィル達の元の世界で云うなれば、午後の二時を回って暫く経ったような時間帯である。

 最初に目覚めた場所――姉妹の家を再び訪れるウィルとニケ。そして此度が初訪問となるナズナの三人は皆、少々緊張を含んだ面持ちで扉を開け、玄関に足を踏み入れ、居間に目を向けた。




 「あら、旅人さん。帰ってきたのね!」


 「あ、はい……。その、ごめんなさい。大変なご迷惑を何度もお掛けしてしまい……」


 「ふふ、全然いいのよ。色々と大変な旅だったんでしょう? あの子見てると、それくらいは伝わるわ。色々と思い悩んじゃうのも、仕方ないことよ」


 視界の奥……小さなキッチンにて、とある女性の姿がひょこっと現れる。

 ダークブラウンのロングヘアに、お淑やかな立ち振る舞い。大人びた雰囲気を醸し出しているが、じっと目を凝らせばその面持ちには僅かながら幼さが残されていることに気付く。

 この少女が二人の言っていた"姉"なのだと、ナズナは呆けた表情で感じ取った。


 「……ミサはどんな具合でしょうか」


 「えっと、わたしの持って行ったごはんは全部食べてくれたわ。部屋に入ることも許してくれるし、話し掛ければちゃんと答えてくれた。でも、なんというか……わたしの目を見てくれなかった。あの子の目には、たぶんわたしは映っていないのかも」


 「…………」


 「そう、まるでお人形さんと話しているかのような…………ご、ごめんなさい。あの子を悪く言うつもりは無いの。そもそも、わたしがもっと楽しい話題を作ってあげられれば……」


 衣服の裾を掴み、伏し目で語る少女。言葉は水のように絞り出され、徐々に語気が窄んでゆく。


 「……自分じゃ、あの子を笑顔にできない。もちろん他人だから仕方ないんだけど、だからこそ、何もしてあげられないことが余計に悔しい、かな」




 言葉終わりの寸秒の間、笑みをほつりと滲ませる。

 気丈に見せるための振る舞い。だが、その表情には本人でも自覚出来ぬほどの感情が色濃く表れていた。




 「…………」


 ナズナは少女の様子を見るなり、何を思ったか足を前に運び始める。


 「ウィルさん、ミサちゃんはどこに?」


 「……え、えっと、二階の奥の部屋に居ると思うけど」


 「わかりました。……ちょっと、行ってきますね」


 そう言い残すと、彼女は"姉"に軽く会釈をした後、部屋の端に見える木製の階段を駆け足で上っていった。口調や仕草は普段通りの様子だ。しかし、駆け行く少女の横顔に一瞬だけ視線を向けると、その瞳には明瞭な真剣さが宿っていることに気付く。

 ミサが気を許している人物がいるとすれば、残るはナズナを置いて他にいない。いかんせん短い付き合いゆえに、二人は既に友人同士であるかと問われれば、ウィルは少々目を逸らすだろう。

 だがウィルからすれば、ナズナほど特別な人間など他にいなかった。彼女から溢れる穢れなき陽気に触れれば、ミサも心を開いてくれるのではないか。そんな期待を抱かざるを得ない。

 かくして少年は、黙ってナズナの背中を見送った。



 「……」


 「……あの子が、旅人さんが探していた?」


 「……ナズナっていいます。無邪気で、明るい、俺たちの大切な仲間です」


 "姉"の問い掛けに、数秒の間を空けて言葉を返すウィル。それを聞いた彼女はゆっくりと顔を上げ、階段のある方向に目を向ける。

 ウィルはその表情を見ることは叶わなかったが、彼女の纏う雰囲気は先程までの自虐的なそれとは異なる、慈しみに満ちたものであると、漠然と感じ取ることができた。








 "最初の森の遺跡"にて。彼女を一目見た時の印象は、"キラキラと輝いている"、"御伽噺のお姫様"であった。嘘偽りない、その言葉通りの衝撃が心に響いたのだ。

 果実を思わせる仄かに甘い香り。端正な顔立ちに加え吊り目がちな目をしているが、心根は穏やかな人物であると即座に見抜いた。身に纏う衣服は華奢な身体によく似合っており、いずれは自分も彼女のように丈の短いスカートを穿いて、洒落た恰好に身を包んでみたいと願った――否、今でもそう願っている。


 彼女(ミサ)はとても暖かく、何より女の子らしかった。だからこそ、ナズナは彼女に対して真っ直ぐな想いを寄せるのである。その想いこそ、極めて純粋な"憧れ"に他ならない。




 「ミサちゃん、いま入っていいですかー?」


 コンコンと軽く触れた後、目の前のドアに向かって語りかける。

 断片的な記憶。以前の彼女はそこにはおらず、森を抜けてからは、揺蕩う意識の中でその変わり果てた様子を眺めることしか出来なかったのだ。果ては道中立ち寄った洞窟の中で、まさかあのような……


 「…………その声は……ナズナ?」


 微かに、ドアの奥から声が聞こえた。

 か細く弱々しい、今にも消えてしまいそうな声色だ。


 「そーです。私ですよ〜」


 「……受け答え、出来るようになったんだ」


 ミサの言葉の途中にも関わらず取手を引き、部屋の中へと入るナズナ。


 部屋は薄暗く、中の様子はカーテンの隙間から差す光によって辛うじて視認できた。

 布が張られた木製のベッドの上にて上半身を起こす彼女の表情は、想像していたよりもずっと落ち着いており、その様が逆に、部屋の入り口に立つ少女の不安をひらりと煽る。


 「私にもよくわからないんですけどね。いつの間にか元の私に戻っていたみたいです」


 「なにそれ。ナズナとはなんか久しぶりに会った気がするけど……不思議っぷりは相変わらずだわ」


 「ふふふ、そう言われるとなんだか照れますね」


 「……いや、今のは別に褒め言葉というか……」


 「…………」


 「…………」


 始まりは、他愛のない会話。

 そして、ナズナはものの数秒で気付く。自分が目の前の少女に対してどこか遠慮をしていることに。




 体調はいかがですか。

 お昼ごはんは食べましたか。

 へぇ、どんな料理を食べたんですか。

 ふふ、私も味わってみたいです。


 窓の外は良い天気ですよ。


 今はゆっくり身体を休めて下さい。

 悩み事とかあれば、何でも私に言ってください。

 えっと、それから……




 紡がれる意思は、せせらぎ。

 ひらりと落ちた言の葉は、緩やかな河の流れに流されるがままに、やがて見失われる。




 (違う。どれも違う。私が聞きたいのは……私がミサちゃんと話したいのは、こんなことじゃない)


 笑顔に疲労感を覚える日が来ることなど、彼女は想像だにしていなかった。まるで見えない壁を通して話しかけているような、そんな苦しさに歪む声色が、ぎこちない空気が、あらゆる物事が精神的な枷を掛けんとする。


 しかし、ナズナはそれを拒む。

 理由は単純で、自分の目の前に居る少女は友達だから。出会った当初は一方的に話し掛けるばかりだったが、ミサは決して突き放したりなどせず、自分を受け入れてくれた。

 ウィルとは異なり、他人を友達たらしめることの定義など、彼女にとっては至極どうでも良い。その人のことが好きで、共に居て心地の良い存在であれば、みな彼女にとっての友達なのだ。

 ナズナは背後で両手の指を組み、何気なさを装って天井を見つめる。


 (どうして、出てこないんでしょう。私は、ミサちゃんとふつうにお喋りしたい。そのためにここに来たのです。でも、何でだろう。今のミサちゃんをみてるとこんなに悲しい気持ちになるのは、いったいどうして……?)




 「…………ナズナ」


 「……!! ひ、ひゃいっ!?」


 どんよりと嵌りゆく思考の中を行ったり来たりしているうちに、突然ミサが話し掛けてきた。

 ナズナにとっては予想外の出来事で、肩がびくっと跳ね上がり、上擦った声が漏れる。心音の高鳴りをじわじわと感じる中、彼女はそのまま、ミサの言葉の続きを待つ。




 「こっち、来て」


 少女は僅かに腰を横へ移し、どうにかナズナが入れる程度の空間を作る。

 彼女の意思を薄らと汲み取ったナズナは、考える間もなくすたすたと、狭いベッドの上にあがった。ヘッドボードに背中を預け、毛布を腰の位置まで掛ける。同じような体勢で隣に腰かけるミサは、少しだけきまりが悪そうに目線をナズナから背けた。


 (…………ミサちゃんの方から話しかけてくれるなんて、思わなかったです。少し、気を遣わせちゃいましたね。でも、おかげでちょっとはお話ししやすくなりました! これでやっと、いつも通りでいられます)


 互いの物理的な距離が縮まったことにより、気まずい空気感は取り払われたのだと、そっと自身の胸に手を置くナズナ。

 見えない壁は、もう存在しない。今ならしっかりと目を合わせることができると確信したからだ。怯えと共に心を偽る時は終わり、本音で語らう機が齎されたのである。


 「あの、ミサちゃ……」


 「……ナズナってさ」


 「…………?」


 我先にと口を開いたナズナだが、その直後にミサの言葉が被さったゆえ、出かかった言葉をつい押し留めてしまった。

 この状況下で自ら言葉を発するは、即ち相手に心を開きかけているとも取れる。それはナズナとしても喜ばしいことであるため、素直に話を譲ったのだった。


 「ナズナって、あったかいよね」


 「…………? そ、そうですかね」


 「ん。……こうやってくっ付いてると、なんだか安心する。身体もほかほかしてるし」


 予想外の言葉を受けた戸惑いから、返す言葉に詰まったナズナ。耳元の囁きが頭に入れば、毛布の中で触れ合う互いの脚に意識を向けてしまうのは抗いようのないことだった。


 ――不思議な感覚だ。頭の中から色が抜け落ちてゆくような体験。マトモな言葉は形成されず、触れ合っている人物を意識すればするほどより脳内の色が抜け落ちるような、少し身の竦むような感覚に襲われてしまう。少女は現在、そのような不可思議を生まれて初めて味わっているのだ。




 「…………ウチ、誰かにずっと見られている気がするんだ。……それはきっと、ウチに殺された大勢の人が……んだと思う。別に幽霊を信じてるとかそーゆーんじゃない。でも、確かに視線を感じるの。あそことか、そこら辺とか、いろんなとこからウチを呪って……」


 薄桜色の髪の少女は、震える左手の指を、枕元にあるナズナの右手の指に絡ませる。少女の指先の冷たさに、金髪の少女は一瞬だけ身を固めた。しかし、俯くミサの横顔に目を向けると、その痛ましさゆえに右手を引っ込める気にはなれない。

 ナズナとしても今はただ、彼女の話に耳を傾け、寄り添いたいという想いが強まっていた。




 「……だけど、今わかった。これ以上怖いのを感じなくなる方法」


 「……?」


 そう告げた直後、彼女は突然身体を動かし、ナズナの上に覆いかぶさる。どうやら訪れた状況を把握し切れずに固まるナズナと、頬をほんのりと朱色に染めながら、枕に掛かる彼女の長い金髪をじっと見つめるミサ。

 一つの毛布が互いを包み、自然と触れ合う肌と肌は、度外れた温もりによって汗ばんでいる。


 ――なんか怖い。よくわからないけどすごく逃げたい。


 ナズナであってもそう思わざるを得ない。ただ、その怯えは決して目の前の少女に向けたものではなかった。

 己の内に存在する心。その奥底に、生を受けてから現在にかけるまでに築き上げた心理を塗り替えんとするほどの大きな情動が、(いかずち)にも似た衝撃と共に目覚めたのだった。そういった精神的変革、或いは心情的未知を予期せぬタイミングで感じ取ったために、彼女は慄くこととなったのだろう。しかし、これはほんの取付きに過ぎない。言葉を失うには、早過ぎたのだ。


 ミサは右手でナズナの腕、肩、首筋となぞるように触れた後、そのまま耳元に手のひらを回す。そして互いの額と額をそっと近づけ、微かに告げた。




 「……ウチの中、ナズナで満たしたい。いまは、ナズナのことだけを想わせて?」


 「…………え、み、ミサちゃん何を言って……い、今のミサちゃんちょっと変な……んんっ!?」




 薄く開いた瞼の間から覗く瞳と、戸惑いゆえに乱れる視線が交わった途端。下唇に、熱い感触が流れ込む。

 ざらざらとした感触に撫でられ、優しく噛まれ、甘く吸い寄せられる。


 目を瞑り事を続けるミサとは対照的に、ナズナは大きく目を見開き、されるがまま。心を彩っていた色素は完全に抜け落ち、絡み合うふたりを真っ白な頭の中で呆然と感じていた。




 とくん、と響く鼓動が互いを伝い、重なる。

 閉じたカーテンの隙間から僅かに漏れる午後の陽光が、部屋の空気を微温めていた。

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