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蜃気楼の岬から  作者: ピンギーノ
一・三章 幻想河の遺歌(上)
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45話 始まりはランデヴー

 「…………なんだか、お久しぶりですね。ウィルさん」


 一面の草原。瑞々しさを含んだ柔らかい風が、草花を凪ぐ。

 少女は艶やかな金色の髪を靡かせながら、少し照れくさそうにはにかんだ。深い碧色の瞳はまるで辺り一帯の風景をそのまま映しているよう。

 彼女は妙に大人びた仕草で、前方に立つ少年に語りかけたのであった。




 「…………ナズナ……なのか?」


 対する少年の表情は、驚愕混じりの懐疑的なものだ。ただでさえ疑り深い彼の目には、目の前の光景は神が齎した奇跡などではなく、寧ろ自分のことをよく思わぬ集落の住人による何らかの罠のように見えて仕方がない。

 ……それは、じわじわと傾く彼の心情に比べれば然程重要なことではなかった。




 少年は、確かにこの状況を切望した。だが、今は心の何処かでそれを拒む自分がいる。それは欺瞞に満ちた世界への訝しみか、或いは己が哀れな姿を少女の瞳に映す事への恐怖か。


 仄かな輝きに満ちる中、自分という存在は薄く湿った影だった。そんな自分に、彼女は無垢な表情で声を掛ける。


 自分勝手な行動で、集落の姉妹やニケ達を巻き込んだ。結果、罰が下された後に心が折れ、俯き、言葉が続かず黙り込む。




 終いには、心の中で少女(ナズナ)を亡き者にしてしまった。




 ――泣きたくなるくらい惨めで、弱い。

 

 恥じらいだとか、資格があるかないかだとか、そういった問題ではない。

 これは、醜悪な自分への嫌悪感だった。




 「? どーしたんですか? ぼーっとして」


 なのに。


 「ふふ、実は私、覚えてるんですよ? ウィルさん達がすごーく大変だったこと」


 にも関わらず、少女は輝きの絶えない笑顔でこちらを覗いてくるのだ。


 「あ、覚えているっていうか。教えてもらった? ので、ぜーんぶ知ってるんですよ! あれ、いや、今のは無しです。何でもないですよー!」




 いつの間にやら、少女の姿はウィルのすぐ側まで近付いていた。愛嬌のある上目遣い。澄んだ瞳がやけに眩しく感じ、彼は意識を引き摺り込まれそうになる。

 少年は、咄嗟に顔を横に逸らした。その動作は意識的なものではなく、反射的なものであったが。


 そんな少年を不思議そうに見つめる少女。

 ぽかんと開く両目。パチパチとまばたきする彼女は、何を思ったのか自身の両手をそっと前に出し、少年の左手の指に触れた。


 少年がそれを感じ取ったのは、少しの間を置いた後のこと。花を思わせるような馥郁たる香りが、ふわりと広がったのだ。




 (…………)


 少しずつ、少しずつ、目線を正面へと動かす。

 蒼と碧が成す景色に意識を走らせることなく、少年の目はただ、どこか懐かしき金色の光に触れたかったのだ。




 「…………ナズナ」


 その名を、呼ぶ。

 ローグリンにて再会を果たした彼女の心は、既に停止していた。意思なき空虚。一方的だった、その行為。


 だが、目の前の光景は違った。少女は自らの意志で少年に寄り、声を掛けたのである。うつつか夢か、幻か。今の少年にとっては、いずれも大した違いはない。

 故にたとえ"これ"が魔獣や悪人によって引き起こされた罠であっても、彼の望みは途切れず、潰えないであろう。


 ナズナの返事を、その声を聞きたかった。

 それだけで、救われる気がした。




 「………………ウィル、さん?」




 (…………!?)


 信じられない、と目を開き、今度こそ少女の姿をまじまじと見つめ直す。


 呆けた表情。端麗だがどこか気の抜けているような、ほんわかとした顔。

 しかし、だからこそ安堵した。凍て付かんとしていた心に陽が差したような安らぎ。血流までもが熱を持ち、身体中を駆け始めるようだった。


 少年は自信を持って断言できる。この少女こそが、この暖かみこそ、紛れもなくナズナであると。




 「…………っ!!」


 自身の左手に触れる小さく繊細な指を、自らの元に手繰り寄せなかったのは、僅かに残された正気が去り際に脳へと命じた抑止による帰結であろう。

 その結果少年はただうつむき、力なく喉を震わせる。




 「沢山、無理をさせた。無理難題を押し付けたし、俺が頼りないせいで倒れるまで魔法を使わせてしまった。……君を、凄く危険な目に遭わせてしまったんだ」


 止めどなく溢れる言葉。心の内に仕舞い込まれた幾重にも絡まる感情を、乱暴に紐解くかのように。




 「終いには、独りにさせた。こうなったのは全部、全部俺のせいなんだ。情けなくて、愚かで、どうしようもなく馬鹿で、こんな俺で……本当に」


 「……もう、やめましょう、ウィルさん。謝るのもナシです。これ以上、そんなお顔をしないで下さい」


 臆病が直ぐに露呈し、思い通りにいかず、それでも結局希望は棄て切れない。少年は、そんな己が憎かった。どうすれば正解なのか、全くわからない。


 ただ、少女は柔らかく語りかけた。少年を悩みから解放したい、といった大層な想いに基づく行動ではない。自分を卑下する少年の姿が余りにも"ずれて"おり、見ていられなかったのだ。




 「…………ナズナに二度と会えなくなるって考えたら……胸が張り裂けそうだった。恐ろしくて、堪らなかった。なのに、お、俺は……むぐっ!?」


 「はい、うじうじするのはもうやめっ。ウィルさんが何と言おうと、私はここにいるんです。……えっと、ガトーさん風に言うなら…………」




 突如として謎の物体が口に押し込まれ、その勢いに押されて後退りしまった。口元を抑え、鼻で思いっきり空気を吸った途端、独特の苦味が鼻腔に広がる。恐らくは、これの正体は例の薬草であると意識の外にて察した。

 ナズナは指を自身の顎にわざとらしく当て、一瞬だけ空を見る。




 「これ以上なめた口きいてみろっ。てめーのうじうじしたつらに一発叩き込んでやる!」


 「…………!?」


 先ほど口に放り込まれた苦味を噛み締めながら、ウィルは呆気に取られた。唐突に発された言葉が、平常のものとはかけ離れたものを含んでいたからだ。

 上目遣いで左手を腰に当て、右の人差し指をウィルの顔に向ける……といった仕草も、ウィルを叱り付けるような口調も、本人から醸し出されるほんわかとした雰囲気によって台無しにされていたのだが。


 ウィルは薬草を飲み込み、襟を正す思いで少女の瞳を見る。彼女はそれを確認して安堵したのか、和やかな、また、どこか寂しげな微笑みを彼に向け始めた。




 「やっと、私の目を見てくれましたね。ウィルさんは、それで良いのです。理屈っぽくて、真っ直ぐな目をしたウィルさんの方が、私は好きですよ?」


 「…………え、いや、す……っ」


 「きっと、みんなそう思ってるに決まってます。ニケさんも、ミサちゃんも、……シャヴィさんも」


 「…………」




 馬鹿げた想像を(よぎ)らせたものの、それは瞬く間に砂と化して零れ落ちる。哀しみに染まりゆく少女の微笑みが、目尻の潤いが、彼の濡れかかった思考を蒸発させたのだ。

 彼女もまた、かの盗賊らと触れ合っていた。彼らと共に行動する最中、如何なる時間を過ごしたのかは、ウィルにとっては想像の及ばぬこと。だが、人情味のあるシャヴィらのことだ。


 別れるのが惜しい。赤髪の青年は、そう想わせるに適う人物だった。




 「…………行こうか。皆んなのもとへ」


 ウィルは少女に向かってそっと声を掛ける。

 こくりと頷き、ナズナは少年と共に緑の傾斜を下っていった。








 「う、ウィル! 急に居なくなるのはやめ……って、ええぇ!? な、な、ナズナちゃん!?」


 「ニケさん! 相変わらず騒がしいですね〜」


 「さ、騒が……そりゃ驚くって! 今まで一体何処に行ってたんだよぉ! この僕がどれだけ心配したかと…………え、この子いま喋ったよね?」


 ウィルは、最初にナズナを姉妹に紹介しようと考え、彼女を食事場に連れた。外部から訪れた者にも友好的に接する姉妹のことだ。ナズナの無事が確認できたことによって一行の本来の目的の相談ができ、何よりもウィルは彼女らに信頼を寄せていた。

 しかしそこに姉妹の姿はなく、部屋の片隅に置かれているテーブルにて、ニケが独り黄昏ているのみであった。


 幼馴染の様子といえば、感情の起伏、まさしく夕立の如し。ニケは思わぬ再開を前に、普段以上の慌て様を二人の前にて披露していた。まるで魔獣にでも襲われたようである。

 だがその状況とは異なり、彼の表情は明るい。ナズナとの再会を待ち望んでいたのはニケとて同じだったのだ。




 「うーん、なんででしょうね。気付けば意志を取り戻してたみたいです。森をぬけてからのことはぼんやりと記憶にあるんですけど……気付いたら草むらの上で寝てて……しばらくぼーっとしてたら、後ろから悲しそうな顔をしたウィルさんが歩いてきたのです。すたすたと」


 「……ナズナも例外なく、記憶が抜け落ちているのか」


 普段通りの気の抜けた様子で、自身の身に起こった出来事をゆっくりと詳らかに説明するナズナ。懐かしくさえ思える話し振りだが、ウィルは己やニケ、剣士に共通する点に真っ先に気付き、ぼそりと呟く。

 ニケもまた、その呟きを耳にして幼馴染の顔に目を向けた。


 集落の外部から訪れた者に起こる、記憶の異変。そして、密かにこの周辺に出現するという魔獣の存在。

 これらの情報を一見すると、件の魔獣が獲物の記憶を操る能力を持っており、ウィルらはそれに襲われた……と推測できる。ただ、姉妹の証言や剣士によると、その可能性は極めて低いとのこと。


 そもそも"集落周辺を彷徨く魔獣"という情報自体が誤りなのでは……とも考えられるが、剣士は魔獣討伐の依頼を受けてこの地へ馳せ参じた訳であるから、さすがに暴論が過ぎるだろう。


 しかし、仮に。もしもの話だが……




 (……俺たちは実際に魔獣の姿を見ていない。だから、あえて仮に"魔獣の存在"を無いものとして推測してみると…………ひとつだけ、とある可能性が見えてくる)


 ウィルは部屋の中へと差し込む陽光を見つめながら、深く思案する。




 (もし、"人の記憶を操る類の魔法"が存在するならば……? 特殊な電磁波で幻覚を見せる魔法なんてものがあるんだ。可能性としては充分にあり得る話じゃないか? そして、魔法を扱える存在といえば、魔獣を除けばただ一つ…………人間だ)




 ふと、ナズナのいる方向に目を向ける。

 なにやらニケと楽しげに談笑しており、求め焦がれた通りの笑顔がそこに在った。

 これは現実なのだと、脳裏に強く響かせる。まるで、そう言い聞かせるように。




 (この集落には、俺たち外から来た人間……通称"よそ者"を忌み嫌っている人が一定数いることは確かだ。もしかしたら、あの人たちが俺たちの頭を……?)




 当然ながら、結論付けるのは早計である。

 ゆえに、自らの目で確かめねばならない。


 ――だが。




 (…………今、俺たちにとって一番大事なのは、メナス河を渡る事だ。それさえ叶うなら、記憶がどうとかいうのは大した問題じゃない。折角四人揃ったんだ。後はあの姉妹に相談して、ここを一刻も早く出て行こう。そうすれば、元の世界への帰還にまた一歩近づくんだから)


 土俗的な雰囲気を強く醸し出す集落。

 小気味悪い謎は残るものの、旅の目的を遂げるには無理に構う必要がないのも事実。


 ウィルは気を鎮め、大きく深呼吸をするのであった。

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