44話 花園うつろ
燻んだ黄色の短髪の男。
男はテーブルに両肘をつき、両手の指を重ねながら言葉を発した。その表情はどこか病的で、鍛え抜かれたであろうその身体とは似合わぬ雰囲気を漂わせている。
「う、ウィル。生きてて良かった」
「ニケか……三人とも、今朝は勝手なことをして悪かった」
怪我を負って運ばれたと聞き、気が気でなかったのだろう。幼馴染の少年は心の底からほっとしたような表情を作る。彼の隣に座る"姉"もまた、同様に胸を撫で下ろした。
彼らに余計な心配をかけた原因が自分の考え無しな行動にあると自覚しているウィルは、何かを考えるよりも先に、謝罪した。
(もう二度とあんな事はしない。そして、もう二度と皆んなを引っ張らない。俺が先頭に立つと、皆不幸になる。俺自身もあんな目に遭う。……償い続けるしかない。少なくとも、俺はそういう器じゃなかったんだ)
少年の心の内に、黒とも白とも見分けのつかぬ煙が充満する。表情を綻ばせる面々を前に俯き、彼は錠を固く閉ざすのであった。
「……」
やけに弱々しい視線を、肌で感じ取る。
その方向に目線を送るなり、ウィルは頭を深く下げ、静かに口を開いた。
「旅の剣士とは貴方のことですね。先刻は僕達の命を救っていただき、感謝の言葉もありません」
「先ほど、そこの姉妹や黒髪の少年も同じように頭を下げ、私に礼を言ったよ。だが……そうだな」
すると、長剣を背負った男は笑みを見せるでも謙遜するでもなく、何故か顔をしかめながらテーブルに目をやる。
「私には、君たちが何に対して礼を述べているのかが分からない。私はいま、君たちの顔を初めて見たのだから」
「え……?」
男はぴくりとも表情を変えずに、面白くなさそうに呟いた。
彼の発言に対してウィルが唖然とする中、幼馴染はどこか腑に落ちない様子で囁き掛ける。
「そういうことなんだ、ウィル。剣士さんは倒れてる僕たちを助けたどころか、昨晩は外に出てすらいないらしい」
「え、じゃあ、俺たちを彼女らの家に運んだのは別の人物なのか? となると一体誰が……」
「いいえ、旅人さん。私の記憶では、確かに剣士様は夜遅くに訪ねて来られた筈よ。背中に貴方を背負って、残る二人を両脇に抱えられていたわ。……もしかして、剣士様も記憶が……?」
はっと息を呑むなり剣士へと目線を送る"姉"。その仕草を見たウィルもまた、彼女と同時にその仮定へと思い至った。
剣士と自分には共通点がある。それは、お互い外からこの集落へとやって来たことだ。更に、人々から集めた情報によると、剣士は"此処らに生息するらしき恐ろしい魔獣"を追ってこの地へと足を運んだという話だ。
(剣士さんがやっつけに来たっていう魔獣。そいつが仮に人の記憶に何らかの影響を与える能力を持っているなら、全て繋がるな。これは俺の推測だが……)
聞き込みから得た情報と剣士の発言から、ウィルは一つの推論に辿りついた。顔を上げ、その旨を伝えんと口を開く。
「剣士さんは、ある魔獣を追ってこの地に来たんですよね」
「……確か、そうだったな。なぜ君が知っているのかは分からんが…………ああ、大方その通りだ。私は冒険者ギルドに届いた依頼を受け、大国オムニスよりこの地へと足を突っ込んだ愚者。確かに私は、ある魔獣の討伐を依頼されているんだ」
(……大国、オムニス…………!!)
ウィルとニケの表情が、一瞬のうちに強張る。
今もなお鮮明で、忘れられない光景。一行の歩む道は、オムニスの使者を名乗る男によって潰えかけているといっても過言ではない。
しかし、無関係と決めつけるには早計であるにしろ、オムニスは大国。どうやらあの男は陽の目を浴びぬ組織に属しているらしいが故に、剣士と直接的な関係があるとは言い切れない。冒険者ギルドとやらに関しては不明だが、一先ずそれに関しては後回しにするが吉と判断した。
それを踏まえ、ウィルは再び話を続ける。
「仮に、その魔獣が人の記憶を消せる能力を使えるとすれば、綺麗に繋がります。僕たちは件の魔獣に襲われ、そのはずみに記憶の一部を無くしてしまった。その後剣士さんが討伐に向かう途中、倒れている僕たちを発見し、救出しようとした隙に魔獣の攻撃を受けてしまったのかと」
ウィルの推理に、ニケは感嘆の声を漏らした。しかし隣に座る"姉"や、その向かいの剣士は複雑な面持ちで首を傾げている。
「……旅人さんの考えは的確だと思うわ。だけど……」
「仮に、私の討伐対象がそのような能力を持っているとして、だ。君たちが襲われたならば、どうして君たちはソイツに食われていない? 記憶を失った私は、如何なる手段を用いて君たちをこの集落へ運んだ? ……正直穴だらけで、これでは単なる妄想に過ぎないね」
「………………悔しいですが、その指摘はもっともです。魔獣という生物の知識を持たない身でありながら、それに甘えて都合よく解釈していました。しかし……食われてない? ええ、確かに"僕たち"は食べられていないし、それらしい傷も見当たりません。ですが……」
「……! ウィル、それ以上はよくない。お願いだからやめようよ」
吐き捨てるような剣士の態度に、ウィルは口調を早める。そんな彼の口から放たれる言葉に対してただならぬ予感を感じ取ったニケは、怯えつつも彼を宥めようと囁きかける。
にも関わらず、彼の声は途切れなかった。
「……俺たちには、もう一人仲間がいました。その子は今、行方が分からないんです。記憶を失う前の時点では、確かにあの子は俺たちと一緒に居たんです。でも、救出されたのは三人だけだった」
両拳を握り締め、全身を震わせる。
声に、乱れが生じ始めた。
「……ナズナは、凄いやつなんです。もう駄目だって思っても、その度にナズナの魔法が道を切り開いてくれた。たった数日間だけど、何度も命を救われたんだ。……きっと、今回もあいつが俺たちを救ってくれたのかな。俺たちを安全な場所に逃すために、また無理して魔法を使って、それで自分だけが犠牲に――」
一度淀んだ感情を解き放ったが最後、言葉が溢れ出て止まらなかった。剣士に訴えるためではない。外から差し込む陽だまりが、現実を見ろと執拗に訴えかけてくるのだ。
「いい加減にしてくれよっ!」
そんな彼を止めたのは、俯きながらも歯を食いしばる、幼馴染であった。
幼少期からの長い付き合いだが、ニケが声を荒げる姿を見るのは初めてである。これには流石のウィルも口をつぐむ他ない。
「しっかりしてくれよ。昨日からずっと、君は俯いてばかりだ。ただでさえ根暗なのに、これ以上うじうじしてどうするんだよ」
「……」
上を向き、相手の両目をじっと見つめながら、そっと語りかける。語調が強くなり過ぎないよう、一言一言を噛み締めるように。目線が交差することはなかったが、目の前ではっきりと意思を伝えた。
声はしっかりと聞こえたはずだ。届いたに決まっている。
ウィルは途端に魂が抜けてしまったかのように、両目をゆっくりと、薄く見開く。以降、彼は周囲の声に対して反応を示さず、ただそこに棒立ちするのみであった。
「…………えっと、剣士……さん? 自己紹介がまだでしたね。僕はニケと申す者なんですけども。一つ聞いても……よろしくて、ございますでしょうか?」
「私程度の人間にわざわざ不慣れな敬語を使う必要は無いよ。……何でも聞きたまえ。何度も言うが、どうせ会話の意味など無いのだから」
ウィルが黙り込んでしまったこの現状。頼りになるのは自分しかいないと、深く呼吸を入れて剣士を見据えた。だが、そんな彼に対しても剣士の対応は冷ややかなものだ。
「え、そうですか? じ、じゃあ改めて......剣士。ぼ、僕はニケだ。これから僕は質問するから、ちゃんとそれに答えろよ?」
「………………あ、あぁ、そうだな。私に答えられる範囲のものであれば」
そこは素直に口調を崩すのかと、その場に居る者全員が頭の中で突っ込む。そんなことなど露知らず、ニケは緊張した面持ちで剣士に向かって問うた。
「魔獣をやっつけろって依頼されたんだろ? なら、その魔獣の特徴とか、わか、分かってるんじゃないか? どんな能力持ってるかとか、なんか知ってることあったら……教えろよ」
「……私が依頼された魔獣の特徴? それは……」
剣士は目を伏せながら、何かを思案するように組んだ両手を額に当てる。
「魔獣……魔獣…………? すまない、少しだけ待ってくれ。……妙だな。この霧が掛かったような感覚はなんだ? そもそも私は、どのようにしてこの地に足を? 私は、私は一体……」
ニケの問いに対して律儀にも返そうとした剣士。ただ何か引っ掛かるものがあるのか、ボソボソと独り言を呟き始めた。
その場に居る四人は、固唾を呑んで剣士の返答を待つ。
「私は、オムニス王国冒険者にギルド所属している剣士。階級はA級。そしてあの日、魔獣討伐の依頼を受けたのは確かだ。……あの日? あの日とはいつのことだ? ………… 冒険者としての活動を開始したのは、齢が十八になった頃で……そうだ、私の……う、生まれは王国外れの…………? わ、私の。私の……、名、は…………??」
言葉は次第に有耶無耶になり、その意味を汲み取れなくなる。挙げ句の果てに、剣士は突如として頭を抱え始めたのだ。急な様子の変貌に、一同は気を動転させる。
「剣士様? どうされたのですか!?」
「お、おい。しっかりしろよ、剣士のおっさん!」
椅子から崩れ落ち、片手で頭を抱えたまま苦悶の表情を浮かべる剣士。呻き声を発するその姿は、まるで重病におかされる患者のよう。
予想外の出来事を目の当たりにした"姉"とニケは、驚愕すると同時に声を発さずにはいられなかった。
「剣士……さま?」
糸のようにか細い声で、身体をゆする"姉"。しかし、剣士がその呼びかけに応えることは無かった。
身体中に、寒気が走る。剣士の様子の急変は、自分が問いを投げたことが始まりだった。ニケはそれを漠然と感じ取った故に、呼吸が次第に荒くなる。
――もしかして、僕のせい?
頭を過ぎるは、巨大な粘土に押し潰されるような圧迫感。ドクドクと打つ鼓動が頭の下で響き渡った後、重力の喪失を思わせる浮遊感が全身を揺さぶる。その光景を見下ろす瞳には、もはや身体を震わせる"姉"や倒れる剣士の姿など、映り込む余地もなかった。
「……まだ、息はあるみたい」
妙に落ち着きのある声。浮遊感がかき消され、ニケは咄嗟にその方向に目を向けた。
「音でわかる。お姉ちゃんもよく見て。剣士さんはちゃんと呼吸してるし、内部の魔素も正常だよ。ちょっと血の巡りが悪くなってるみたいだけど」
剣士が倒れるまで沈黙を貫いていた"妹"が、突然言葉を発し始めた。ただ、その内容には疑念を持たざるを得ない。
「ど、どうしてそんなことがわかるんだよ。こんなに離れてるのに」
生じた疑問を包み隠さず、真っ直ぐ伝えるニケ。彼の問いは真っ当なものだ。事実"妹"はウィルの左後ろから剣士の姿を覗いているため、彼の消息を確かめる術などない。
"妹"は浅く溜め息をついた後、横たわる剣士を見下ろしながら呟く。
「あたしの、生まれ持った能力みたいなもの。特に意識してる訳じゃないけど、あたしの耳にはどんなに小さな音でも流れ込んでくるの。範囲は大体、ここからあたし達の家まで」
「え、す、凄い! そんなの、盗み聞きし放題じゃん!」
「うん、凄く厄介。頭の中が訳わかんなくなっちゃう。悪口だとか、聞きたくない話も聞こえちゃうから余計にね。だから、いつもは魔素を使ってその範囲を狭めてるの。……で、狭めたは良いけどそのぶん音はより鮮明に聞こえるようになった。ちょっと頑張れば人の脈とかもはっきり聞こえるくらいに」
「…………」
彼女の話の真意を確かめる術はない。だが、ニケは不思議と納得してしまった。
今朝の会話を通じて感じたことがある。"妹"には……否、この姉妹の瞳に反射する光は、どういう訳か屈折しているように見えたのである。
漠然と感じ取った憂惧。正体不明の違和感が立ち込め、心の何処かでは恐怖に似た感情が生じていた。そういった体験も相まって、ニケは現在、この姉妹の妙な魅力に引き寄せられているである。
「……あなたが言うなら安心だわ。今すぐに、剣士様を運びましょう。休憩所……さっきまで旅人さんを寝かせていた部屋まで」
「わかった、お姉ちゃん。…………あんたも手伝ってよね」
"姉"の言葉に頷くと、"妹"はニケの居る方向に目を向けた。唐突な指名に、ニケは肩を弾ませる。
「ぼ、僕と!? べ、別に良いけどね。え、じゃあ、一緒に運びますか!」
「運ぶのはあんた一人だよ。一時的に強化の魔法を施したげるから、魔法が解ける前に剣士さんをあの部屋まで運んで」
しかし"妹"が提示した案は、ニケが想像したそれとは大きく異なっていた。凄まじいほどの虚しさ、或いは呆気なさに、ニケは暫く表情を固めたまま粛々と手を動かす。腰を下ろし、剣士の身体を背に回した彼は、じっと"妹"の居る方向に目を向けた。
その様子を確認した彼女は、ニケ目掛けて片手をかざし、そこに小型の魔法陣を出現させる。
(…………んん?)
『強化の魔法を施す』と言うのだから、劇的な身体的変化を想像したニケ。もしかしたら身長も伸びるのではないかと、淡い期待を膨らませていた。
しかし起こった変化といえば、彼女の手元に浮かぶ魔法陣から薄い光が放たれたのみであり、筋肉量の増加や視点の変化など、目に見えて実感できるような効果は今のところ確認できない。
「……あの、早くかけてくれると、た、助かるなぁ」
「いや、掛かってるよ。強化と言ったら魔力量以外に何があるの? 早く運んでほしいのはこっちだわ」
「…………はっ、そ、そっか! はは、ごめんよぉ……」
想定と違う魔法効果、そして息をするかのごとく浴びせられる罵倒。"思っていたのと違う"展開が続けざまに巻き起こり、小柄な少年は苦い笑みを浮かべる他なかった。
試しに、少年は言われた通り魔力を発し、軽く全身を覆わんとした。
「お、おおお!?」
ーー違いは、明確だった。
意識をほんの少し傾けた。たったそれだけで、魔力がバーナーの如く出力で噴き出したのである。
あまりの急成長ぶりに感動さえ覚えたニケは、暫く自分の魔力を眺め始めた。
「効果時間、あと二十秒くらいしかないから早くして。あとオドの量自体は変わらないから、ぼーっとしてるとすぐバテちゃうよ」
「え、そんだけしかないの!? わ、わかったよぅ」
"妹"は、感慨に浸る少年をどこかもどかしそうに見下ろす。その目は、先ほどのように冷え切ってはいない。自分の魔法を褒められたことに対して心が動じた訳ではないが、ここで少年にキツく当たるのは何か違うと感じたのだ。
彼女は、魔法使いとしては未熟だ。先の魔法は集落の老人が使っていたものを断片的に模倣しただけであり、本来の効力の二割にも満たない欠陥品。何度か教えを乞うたものの、彼女の力ではそれが限界だった。
(この人、本当に記憶がないんだな。こんなの、全然大したことないのに。外の世界には強化魔法なんて幾らでもある。なのに、この人はあたしなんかの欠陥魔法で大騒ぎしてる。……それとも、わざと大袈裟なリアクションをしてんのかな)
じっと目線を据える少女。ニケはそれを無言の圧力と捉えてしまい、剣士を背負うなり一目散に食事場を飛び出していった。
(…………俺は)
栗色の髪の少年は昼食を口にする気にもならず、無言でその場から立ち去る。溜め込んだ感情を吐き出すことは叶わない。中途半端に心に馴染ませてしまったからだ。
――認めてしまった。
心の底ではとっくに感じていたこと。ニケも、恐らくは想像していたに違いない。
外に出てどうする。
虚を求め、また空に縋るのか。
自答の末の解は曖昧だった。心の中に答えがあるならば、彼はとうに迷いなど絶っている。
家屋の群れから離れ、草花の傾斜をのぼる。
生暖かい風が揺らす、緑の水面。
――見渡す限りの草原。想定通りの光景を前に少年は大きく息を吸い、そっと力を抜いた。
ただ、一箇所だけ。ありふれた光景のほんの一箇所が、少年の視線を凄まじい引力で引き寄せるのだ。
「ふふ、相変わらず難しいお顔をしてます」
「…………?」
言葉を失うのも無理はない。何故ならば、その先には……
「…………なんだか、お久しぶりですね。ウィルさん」
金色の一輪が、陽だまりの中で笑っていたのだから。




