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蜃気楼の岬から  作者: ピンギーノ
一・三章 幻想河の遺歌(上)
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43話 いくじなし

 弾き飛ばされ、宙に投げ出される身体。空の蒼色が迫った後、白と黒の急速な交錯が視界を埋め尽くした。

 身体の側面を、張り裂けるような衝撃が焼く。地に打ち付けられた、という状況を知覚するのにそれなりの時間を要したのは、彼にとっては思わぬ事態であったに違いない。

 意識がぐらぐらと揺らぐ。重い頭を持ち上げ、薄く開いた目に映り込むもの。眼前にて無表情で見下す大男は、()()()()()()()拳を振るったのだと悟った。立ち上がろうと踠くも、手足には力が入らない。まるで自分の身体の一部が自分のものでなくなったような錯覚にとらわれる。


 「――!!」


 次第に眠気に似た感覚に襲われる――と感じたのも束の間。ウィルが目蓋を閉じかけた途端に、彼の腹部は強烈な打撃を受けた。男が地を這う自分の横腹に蹴りを入れたであろうことは、例え五感に靄が掛かっている状態の彼であろうと容易く想像できた。

 生じた衝撃によって息が詰まり、意識の底から強制的に引きずり出される。


 (に、逃げなきゃ。本当に、殺される……!)


 視覚も、聴覚も、触覚すらもゆらゆらと揺らいでいる。甲高い耳鳴りが、頭を一直線に貫く。

 暗闇の中、何かを目印にして突き進むでもなく、ただひたすらにこの場から離れようと踠き始めた。しかし大男は無言で、表情をピクリとも変えずに少年を蹴り、踏みしだく。何度も、何度も。


 「……っ!?」


 瞬間、身の毛がよだつ程の殺気が頭上から降り注ぐ。

 その直後、渾身の力が込められた踏み込みが、頭部を押し潰さんと撃ち下された。


 頭が地にめり込むほどの、猛烈な圧迫。殺気を感じ取った途端に魔力を発していなければ、彼の頭蓋骨は粉々に砕かれていただろう。だが、大男はそれで満足するような人間ではなかった。

 今も足裏から伝わる、体重と魔力。それがウィルの頭部を更にめり込ませ続けるのだ。


 (何で、こんな事に……? 俺は、ここまでされるような事をこの人達にしてしまったのか? 俺はただ、もう一度ナズナに会いたいんだ。それで、みんなで対岸に渡って、それで……)


 見開かれた目が何処を見つめているのかは、自身にも見当がつかない。

 大男に対抗しようと魔力を発するも、圧倒的と感じるほどの力の差をもってねじ伏せられる。地に這いつくばる彼の表情を覗き見ることは、周囲を取り囲んでいる如何なる者にも叶わなかった。


 口の中に、土と砂が混ざる。それを気に留める余裕もなく、命懸けで声と魔力を絞り出して抵抗する。

 魔力を放出し、オドが尽きる寸前でそれを止める。すると頭部が再び地に押し付けられるため、痛みと屈辱に耐えながらオドの回復を待ち、再び魔力を放って上へと抗う。

 本人はとうに気付いていた。この流れの断絶が時間の問題であることに。


 (俺が、間違ってたんだ……。あの森で俺が出しゃばらなければ、こんな思いをすることはなかったんだ。ニケ、ミサ、ナズナ、そしてシャヴィさん。本当にごめんなさい。俺のせいでシャヴィさんが殺された。三人が苦しんでいる。俺のせいで……)


 空気中の魔素を少しでも多く取り込むべく、口を大きく開けた。だが、男がそれを許さない。

 砂が気管支に入り込み、激しくむせ返る。もはや空気を体内に取り込む事にすら手こずり、それが繰り返される様は、まるで呼吸を制限されているようであった。

 肌や口内の至る所が切れ、流れ出る血液と土が混ざる。きっと、酷く惨めな貌となっているに違いなかった。


 (ナズナが連れ去られたあの時から、もう彼女を独りにしないって決めたんだ。決めた……筈なんだ。でも、こうなってしまった。……何度同じ過ちを繰り返せば気が済むんだ。何度俺の間違いに仲間を巻き込むんだ?)


 追い討ちをかけるように、または思い出されたかのように、痛みが唐突に増してゆく。骨に亀裂が生じたのか、皮膚の擦傷か口内の切傷によるものかは不明だ。心も身体もごちゃごちゃで、彼にすら何が起こっているのかが分からない。そもそも、関心の外である。


 (責任を負うと誓った。後悔は許されないと腹を括った。けど、それをするだけの器が伴っていなかった。結局俺は、何一つとして変わっていない!)


 頭部を押し潰さんとていた男の足が離れる。ようやく飽きが来たかと徐々に呼吸を整えるも、間もなくそれはぬか喜びであったことを痛感する。

 頭上から感じる、背筋を凍りつかせるような視線。地に伏したまま、どうにか片目を開いて見上げた。


 (…………)


 両手で棒状の何かを振り上げ、それに魔力を込める大男。其の表情に映る心情は蔑みか、悦楽か、或いは倦怠か。これほど残虐極まりない行為を平然としてのける人物だ。微動だにしない眼球の表面には、さぞ寂寞たる景色が広がっていることだろう。それ故に、人の感情の機微に敏感な少年の目は、直視出来ぬほどに(おぞ)ましい怪物の姿を捉えてしまったのだ。




 (…………!? こ、この人の目、汚れが一切見えない。な、なんで? どうしてそんなに純粋な――)


 冷酷さ、無感情、といった類ではない。踠く少年を見下ろす男の表情に滲み出るは、純然たる好奇心に他ならなかった。

 人が故意に他人を害する時の心情は知っている。敵意、興味、背徳、或いは歪な正義感。大抵はそれらが斑のように入り混じった感情を抱いているものだと、ウィルは己の経験からそう結論付けている。ところが、この大男の存在は彼の持論を真っ向から否定してしまった。

 男が現在手にしている棒状の物体が振り下ろされた時、ウィルは間違いなく致命傷を負う。最悪の場合、事切れる。にも関わらず、男は微かに口角を上げていた。彼の心は今、混じり気のない"感動"で塗り固められており、それは言葉ではなく、無垢な眼差しを対象に向けることによって表に漏出されているのである。


 ――今すぐに、頭を中身を覗いてみたい。

 そんな狂気じみた高揚が伝わってきた。




 「……や……てくだ……い。すぐ……に、出て行……ますか、ら。だか、ら……もう……」


 滑稽に思われようが、真の恐怖を目の当たりにしたならば些細なことだ。必死の形相で大男を見上げ許しを乞うも、血液に塗れた口から発せられる声は羽虫のようにか弱く、掠れていた。

 だが、眼前にて獲物を見下す狂人に対し命乞いなどまるで意味を成さず、その願いが届かないのは必然である。そればかりか、男は片腕を地につけながら惨めにもがく少年の姿にある種の歓楽を覚えたようで、少年の身体を足で仰向けにした後、彼の無防備な腹を右足で勢いよく踏み付ける。


 「――!!!」


 声にならない叫び声が洩れた。その音が、大男の脊髄を更に昂らせる。


 男の魔力によるものか、その手で掴む棒状の物体の先端部分が禍々しく膨れ上がった。原型を留めぬほどの変形を果たしたそれは、持ち手の心象を表すかのように猛烈な脈動を始めた。不規則な音波うねりを大気中に放つ様まるで、血の通った生物のようである。


 ――だれか、これを止める者はいないのか。

 と周囲に目を移すも、憐れんだ視線を向ける者、当然だと言わんばかりに見下ろす者、コソコソと口元を手で覆いながら談ずる者ばかりで、救いの手には期待できなかった。




 自然と、上空に目線が移ろう。

 その目線に、男が曇りなき視線を突っ掛ける。




 それを皮切りに、目で追えぬ程の速度で振り下ろされる変形した鈍器。迫り来る狂気の圧迫感に耐え切れず、ウィルは顔を逸らし、目を瞑った。






 「こーれこれ、坊や。それぁ新しいオモチャでねぇぞ」


 鈍器が顔に衝突する寸前。猫を撫でるような、老人のしゃがれた声が遠くから投じられた。やけにはっきりと耳に届くその声は大男の心にも同様に届いたようで、少年に向けられた激情は、奇妙なことにピタリと停止した。


 「おさ」


 男が初めて声を発した。

 筋骨隆々の外見通り低く野太い声だが、その薄く単調な声色はどこか幼さを感じさせ、ウィルはやや不気味に思う。感情が、欠片も読み取れないのだ。


 「あや、お客人。どうやら集落の者が失礼を働いたようで。であればその詫び……と言っちゃぁ何ですが、その傷が癒えるまで暫く此処で過ごすと宜しい。そうそう、きっとそれがお互いの為になるに違いないのじゃ」


 「……!?」


 ウィルが大男に気を取られている僅かな間に、"おさ"と呼ばれた老人は彼の傍で腰を下ろしていた。

 いつの間に――と驚く間もなく、温厚な老人はするすると話を進める。ウィルは声を発しづらい状態にあるため、こちらへ向かう一方的な言葉を飲み込む以外やりようが無いものの、老人の提案は異を唱える必要性を感じさせないものだった。


 (この人は……集落の長、か? 信用できるか……いや、滞在が許されるならそれに越し……)


 身の危険が遠のいたことにより、ふと気を抜いた瞬間、意識が何処かへ飛んでゆくのを感じた。慌ててそれを呼び止め、耳に神経を集中させるも、ひっきりなしに全身を蝕む激痛も相まって言葉の裏を探る事は儘ならない。彼は老人の顔に目を向けて小さく頷いた。


 「おぉ、話の分かるお客人で助かりましたわい。む……ああ、そうじゃった。これを言いに来たんじゃった!」


 そう告げるなり、おさと呼ばれた老人は両目をグイッと見開き、口角を吊り上げて歯茎を剥き出しにする。


 「いやはや、あなた方は大変巡り合わせがよろしい。実は今日から数えてちょうど四日後でしたかな。その日は我々の集落に古くから伝わる、百年に一度の"祝福の日"とされておるのじゃ。それはそれはめでたい日じゃから、この地への感謝を込めて数日前から祭りを催すのがしきたりとなっておってのぉ」


 声を高らかに、嬉々とした表情、そして身振り手振りを交えつつ語る老人。その感情の昂りようは凄まじく、ウィルは思わずその仕草に見入ってしまう。


 「そこでじゃ。お客人がここへいらしたのも何かのご縁に違いあるまい。お客人さえ良ければ、我々と共に祭りを楽しみ、共に感謝の祈りを捧げてはくれんかのぉ。何せ百年に一度しかない機会じゃ。感謝の気持ちが多い方が、地もお喜び下さるじゃろうからに」


 ウィルは、どこか腑に落ちたように目を瞑る。そこはかとなく肌で感じていた、この地の空気から伝わる慌しさに合点がいったのだ。そのような記念日が間近に迫っているならば、事情も知らずに勝手な事をした自分には尚更気が咎める。

 少年は改めて謝罪することを心に留め、老人の口から発された提案を吟味し始めた。




 「む、お客人、聞いておりますかな? ……お客人?」


 そしてそのまま、眠るように意識を失うのであった。










 見上げれば、清々しいほどの晴れ空だった。ぼうっと意識を向け始めたら、揺蕩う雲の一欠片をつい目で追ってしまう。時の流れに身を委ねながら、少年はこの世界の不規則をじっくりと観察し続けるのだ。


 独特な、土と木材の香りが鼻を優しく刺激する。

 ぽかぽかとした、心地良い感触。少年はまたもや布団の中にいた。


 「……なんだ、意外と早かったわ」


 未だ思考が彷徨い意識が覚束ぬ中、何者かの声が脳内に反響する。だが、生憎彼を包むのは心地よい温もりである。となれば、引き続きその心地よさに身を任せたくなるのは抗い難き人の本能。

 故に、その声が泡のように消えてゆくのは仕方のないことであった。


 「おい、いい加減おきろー。あたしも暇じゃないんだよー」


 (…………!?)


 再び意識を深部に向け始めた途端、少女の声と共に謎のビートが耳元で鳴り始めた。あまりの騒々しさに、彼は覚醒を余儀なくされる。


 「う、う、うるさっ! 朝からなんなんだよ、もう」


 「寝ぼけてんの? いま昼間なんだけど」




 瞼を開け、辺りを見回す。

 部屋の中は、柔らかな白色で満ちていた。時折光が暗く薄まるが、雲の流れによる日差しの遮断であると気付くことに然程時間はかからなかった。

 


 「お、俺は一体……痛っ!?」


 「あまり身体動かさない方が良いかもよ。この魔法薬(ポーション)、遅効性だから」


 「ぽー……なんだって?」


 彼の右隣に座しているのは、小さな空き瓶を片手に持つ"妹"だ。どうやら、気絶してしまった彼が目を覚ますのをじっと待っていたらしい。

 反射的に謝罪の言葉が飛び出そうになるが、少なくとも彼女がそれで笑顔を見せるような性格でないことは察しが付く。そのため一旦息を呑み、新たに生じた疑問を口にした。


 「ポーション知らないの? 旅してるのに?」


 「全然。あ、怪しい薬とかじゃないよね」


 「えぇ? こんな田舎者のあたしでも知ってるのに……アタマどっかにぶつけたんじゃないの?」


 「…………実際、頭を何度も踏んずけられたんだよ。全く、あの時は死ぬかと……それより、ホントに変な薬とかじゃないよね!」


 「しっつこいなぁ。だから普通のポーションだって。ただの傷薬!」


 少女の手の中にあるのは、元の世界にて見かけた市販の栄養ドリンクを、更にひと回り小さくしたようなサイズの空き瓶である。

 思えば顔を含む全身の痛みが緩和されており、苦も無く声を出せている。彼女の口振りから、自分が気絶してから目覚めるまで、その間隔は三時間にも満たなかったと推測した。この僅かな間でこれ程の治癒効果をもたらすことができる飲料など、当然のことながら元の世界では聞いたことがない。それを彼女は"ただの傷薬"と宣うのだ。

 やはりこの世界の常識に慣れるのは容易ではないと、ウィルは空き瓶をぼうっと眺める。


 「で、そこの打楽器みたいな物は? 俺を起こす時に鳴らしてた騒音がそれっぽいけど」


 「騒音とは失礼な。これ、お祭りに使われる楽器だよー? 神聖な音が鳴り響くのじゃーとか言われてるし、大人たちの前でそれ言ったら今度こそ半殺しじゃすまないかも」


 「......聞かなかったことにして下さい」


 少女の言葉に反応したウィルは、よそ者呼ばわりされた記憶を思い起こして身震いしてしまう。それが面白いのか、少女はニヤニヤと表情を歪め始めた。そのような貴重な道具を何ゆえ彼女が持ち歩いているのかは、あえて問わなかった。少しでも狼狽える様子を見せれば、そこを突かれて再びからかわれてしまうと予感したからだ。


 「じゃ、早く食事場に行きましょう。あたし達以外、みんな食事中ですからね」


 少女はウィルの考えなどお構いなしに、その場から立ち上がって戸のもとへと歩き始めた。

 先ほどまでは人を小馬鹿にするような表情を浮かべていたが、後ろ姿はそのような態度を微塵も感じさせない、"姉"と見分けの付かぬような気品を放っていた。驚くべき切り替えの速さには、ウィルも脱帽である。


 「ま、待っ……いててて」


 布団の中から慌てて身を持ち上げるも、未だ激しい痛みが体内を駆け巡り、思わずすっ転んでしまった。

 戸の前に立つ"妹"に目を向ける。


 "そのザマを見たかったんよ"と言わんばかりの満面の笑みで見下す少女が、そこに居た。




 この女は要注意人物であると、少年は再認識したのであった。










 集落中の人間が集まるだけに騒がしい大広間を想像したが、実際に入ってみれば全くの見当違い。そこは見渡す限り小ぢんまりとしている、落ち着いた場所だった。

 あのような惨事が降りかかった矢先。なんとなく居心地が悪いウィルは、俯きながら少女の背中に続く。


 「連れてきたよ」


 小さな背中から、溜め息まじりの声。

 それと同時に、ウィルはゆっくりと顔を上げた。


 木を粗く削ってそのまま接合したような、無骨で大きなテーブル。その周りに座すのは、幼馴染の少年とダークブラウンのロングヘアが特徴的な大人びた少女。そして……






 「揃ったのか? それで、私に聞きたい事とは何だ。一応答えてはやるが……まぁ、無意味な時間だとだけ言っておこう。私にとっても、君たちにとっても」


 

 茅色の短髪で、筋肉質。そして長剣を背中に背負った男が、薄い瞳でこちらを覗いていた。

作者です。


いつも拙作を読んでいただき、感謝致します。


唐突な話ですがリアルの生活が多忙になり、更新頻度を少し落とそうと考えております。

具体的に述べますと、現在の週3投稿から週1〜2投稿に。あるいは不定期投稿という形に変更するつもりです。


しかしながら更新ペースを落とすだけであって、投稿を休止する訳ではございません。


今後は緩いペースで物語を綴ってゆく所存ですので、どうか引き続き、拙作を楽しんでいただけると幸いです!

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