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蜃気楼の岬から  作者: ピンギーノ
一・三章 幻想河の遺歌(上)
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42話 よそ者

 「集落の外で意識を失っていたあなた達を見つけ、この家へと連れて来られた人物こそ、数日前からこの集落に滞在なさっている旅の剣士さまなの」


 「た、旅の……? ほほう、そんな方が居るんですね。これは是非ともお会いして、お礼を言わなければ!」


 食事を終えたニケは、小山のように膨らんだ腹を満足げにさすりながら、背もたれに身体を預ける。空いた食器を片付けながらそれを横目に見た"妹"の表情も、彼と同様に満足げであった。


 「ええ、それが良いと思う。今朝は早くから周辺の魔獣調査に出て行かれたけれど、お昼頃にはお食事に戻って来られる筈よ」




 (……美味しいご飯に、可憐なお嬢さんたち。改めて思うけど、今までの人生の中で一番幸せなんじゃないかこれぇ!? 元の世界では何故か訪れなかったけど……そんなことはもういい。僕の青春は異世界にあったんだ!)


 「あの、旅人さん……? はっ、もしかして妹の料理がお腹にあたったのかしら」


 「お姉ちゃんひどい。あたしはちゃんと教わったとーりに作ったよ?」


 ひとり忙しなく表情を変転させる少年を不審に思ったのか、神妙な顔つきで言葉を漂わせる"姉"。邪気の欠片も無い顔から放たれた変化球のような罵倒を受け、"妹"の心は小さな掠傷(かすりきず)を負った。


 「本当かなぁ。だってこの前だってお魚焦がしたり、お鍋にお水を入れ忘れたり……あら?」


 「……この前っていつのことよ。てゆーかさっき三人で美味しく食べてたよね!?」


 「……おおっと、申し訳ない! ついつい考え事をしてただけですから、ご心配には及びません。それに、先ほどの朝食は非の打ち所がないくらい美味(びみ)でしたよ!」


 その場の空気がやや険悪なものへと移り変わる予感を遅まきながら察知し、ニケは慌てて妄想の世界から脱した。先の姉妹の会話こそ冗談の混じった軽いやり取りであったが、それがあと数分でも続こうものならば話は変わる。そのやり取りは互いが意図せずとも徐々に重くなり、一言一言が刃を帯びるようになってしまう可能性があるから。

 姉妹にとってはこれが日常茶飯事であるかもしれないが、何分にも彼は臆病であるゆえ、二人の恩人が喧嘩をする場面に立ち会うなど真っ平ごめんである。彼が発した仲裁とも取れる一言は計算されたものではなく、本能的に飛び出したものだった。


 二人は彼に目を向けた後、互いに視線を交わし合う。

 困ったように微笑む"姉"と、まぶたを閉じ、頬を緩める"妹"。そんな二人の反応を目にしたニケは少々戸惑うも、波風立たぬ場の雰囲気を感じ取って眉を開いた。




 「……い、いやぁ、ランチタイムが待ちきれませんな! ところで、剣士さんもお昼はこの家で?」


 「いえ、残念だけど昼食は振る舞えないわ」


 「っ!? そ、それってどういう。まさか、僕なにか失礼なことを……」




 突如として告げられた言葉に、ニケは顔をこわばらせた。思えばウィルの勝手な行動やミサの態度など、自分たちが姉妹に与えている印象はそれほど良いものではないだろう。まだこの場に居たいという思いは拭えぬが、これ以上恩人である二人に面倒をかけるわけにもいかない。二人が去れと命ずるならば黙って従うしかあるまい、とニケは覚悟を決めた。

 だがそんな彼の覚悟など露知らず、"妹"は前髪をいじりながら口を開く。


 「いや、そーいう意味じゃなくて、あたし達はみんな、お昼になったら中央の食事場に集まって食べるの」


 「ええ。長も、民も、剣士さんも、自然の恵みに感謝しながらみんなで同じご飯を頂くのよ。少し紛らわしい言い方をしてしまってごめんなさい」


 「あ、謝ることないですよ! 僕の方こそ、早とちりしてしまって申し訳ない」




 両の手の平を相手に見せ、左右に振る。言葉の終わりに爽やかな笑みを見せる彼であったが、内心は見た目ほど穏やかではない。


 (あ、あ、焦ったぁぁァ! 突然お昼は作らんとか言い出すもんだから、絶対嫌われたと思ったわ! でも、安心するのはまだ早い。ウィルの奴がまた失礼なことを仕出かすかもしれないし、そこで今度こそ本当に嫌われちゃうかもしれない。ならば今のうちに聞くべきことは聞いて、同時に僕の好感度を上げまくるしかないな! そしたら……ふふ、僕は二人の好意を独り占め出来るって可能性も……いやコレ全然あるわ! 寧ろ大チャンスだよこれ! 僕は確信できる。これこそが世間一般で言うところのモテ期)




 「あ、あの、旅人さん? やっぱりどこか具合が……」


 「いえ全く!! えっと、じゃあお昼は集落の皆さんと一緒に頂くとして……そうそう、実はどうしても聞かなければならないことがあるんです」


 妄想の世界に再び片足を入れ始めたニケを不安げに見つめる"姉"。彼女の声に気付いた彼は強引に踏みとどまった。そんな少年に対して何か不埒な気配を感じ取ったらしき"妹"の乾いた視線に、気付く素振りも見せない彼は幸せ者なのかもしれない。

 こほん、と小さく咳払いをし、彼は表情を真剣なものへと切り替える。


 「メナス河……でしたっけ。僕たちそこを渡りたいんですけど、何か良い方法ありますかね」




 少年に向けられる"妹"の視線に、より訝しげな色が浮かび上がった。

 彼の訊ねを最後に、水を打ったような沈黙が家中に広がる。終始穏やかな態度を保っていた"姉"ですらも、掛ける言葉に迷う様子であった。小鳥の囀りも聞こえぬ空間で、台所の蛇口から滴る雫の拍だけが淡々と反響する。人の声を取り除いた部屋は、不気味に感じてしまうほどの静けさに包まれていたのだ。


 (…………)


 まるで空気の質量が増したかのような錯覚を起こし、無意識に息を呑むニケ。"姉"は口元のもの柔らかな笑みを消し、数秒間目を伏せた後、ゆっくりと話を切り出す。


 「……ごめんなさい、はっきりと言うわ。それは絶対に無理よ」


 「………………え?」


 簡単に物事が進む、などとは思っていない。例え如何なる条件や制約が設けられようとも、仲間と力を合わせれば必ず良い方向に向かえると、彼は信じている。だが眼前の少女から発せられた言葉には、彼の確信を根本から覆すような哀憐が含まれていた。


 「絶対に……って、いや、そんなこと……」


 「この集落には古い伝承が沢山あるんだけどね、その中の一つに、"大河に巣食う悪魔"というお話があるの」


 「…………あ、悪魔……?」


 表情を硬直させ、ニケは耳にした言葉をそのまま返す。"姉"は頷くと、軽く呼吸をした後、話を続けた。


 「だいぶ昔のこと。今よりも人が沢山いて、小さな村として成立していた頃の話。外の世界に憧れて、村を飛び出そうとした人が居たの。その人は人ひとりがやっと乗れるくらいの小さな船を造って、対岸に渡ることにしたらしいわ」


 「ふね……というと?」


 「私たちの家から河に沿って南に行くと、河畔林……木が沢山生えている場所があって、そこに生えている大木を削って造られたみたい。語り継がれる歴史の中でも前代未聞の試みだったから、何十年も構造を模索したと伝えられているの」


 「あ、あぁー! なるほど。木であそこを渡るのか! て、天才か?」


 悲しげな眼差しで語る"姉"の向かい、本題とは若干斜めに逸れた話題への興味を示すニケに、彼女は微苦笑した。向かい合う両者を退屈そうに見つめていた"妹"も、思わず溜め息をついてしまう。

 そんな空気に肌で触れ、自分が余計な口を挟んだと理解した彼は、即座に「続けて下さい」と促した。




 「船が完成して、河にそれを浮かべる。明け方だったけれど、村中の人に門出を祝福されたそうね。その人は家族や大勢の村人の声を背に、誇らしげに河を渡って行った……らしい」


 言葉の終わりに間を置き、彼女は少量の水を口に含ませる。

 声色から緊張感が伝わり、首裏にうっすらと汗が滲んだ。


 「その日の天気は対岸がくっきりと見えるような快晴で、旅立つ彼の背中をはっきりと視認することができた……みたいね。村人は何事もなく船を漕ぐ彼の姿を見て、安堵したその時…………それは起こるの」


 「それって、まさか」


 大河に巣食う悪魔。連想されるイメージは、決まりきっていた。それはこの世界における恐怖の象徴。そして、人類の天敵。


 「底から這い寄る巨大な黒い影。大きな地響きと共に、悪魔(まじゅう)は乗っている人ごと船を丸呑みにした……と伝えられているわ」




 「…………しょ、所詮は言い伝えっすよね。まぁそれにしてはやけに詳しく伝わっているとは思うけど……い、いや、仮にそれが本当だとして、その魔獣は今そこに居るとは限らないですよね!」


 「落ち着けって。その話はまだ続くからさ」


 "姉"の話を耳にしたニケは、予想通りの結末を語られたにも関わらず、顔を青くしていた。パニックのあまり早口になり始めた彼を見兼ねたのか、珍しく"妹"が口を挟む。


 「確かに私もこの目で見た訳じゃないけれど、妹が言うように、この話はここで終わりじゃないの。その後造船の技術は代々受け継がれていって、代を重ねるごとに改良がなされていった。でも、どれほど工夫を凝らしても船は結局魔獣に沈められてしまう。長い歴史の中で、対岸に渡った人はいないと言われているわ」


 「……確かその話って、最後の代で河の魔獣の怒りを買って……村が壊滅しちゃった的なオチだよね。だから河に近づくとバチが当たるとか、集落の外に出てはいけないだとか……。あたし達が子供の頃から散々言われてきたけど、正直息苦しくて嫌いなんだよね、ここのこーいう古くさいところ」


 テーブルの上に突っ伏した状態で、気怠そうに呟く"妹"。"姉"はそれを聞いて叱るでも宥めるでもなく、何故かこれといった反応を見せずにいた。


 どんよりとした、重たい空気が喉に詰まる。伝承が事実ならば河を渡る手段は既に無く、よしんば渡るための手段があろうとも、河の魔獣とやらが一行の行手を阻むという話だ。


 暫く、頭を回す。

 だが、如何に思案を重ねようとも、自分たちが河を無事に渡る姿を思い描くことは叶わない。この膠着した状況下、幼馴染の利発な少年は、果たしてどのような策を捻り出すのだろうか。

 「食器洗うのよろしくね」と、何やら用事を思い出したらしい"妹"が家を後にしたが、枯渇感に苛まれる少年はそれに構わず、黙ってテーブルを見つめていた。










 「分かりました。では、その剣士さんには昼食の時に伺うことにします」


 「ええ。それが良いと思うわぁ」


 「えっと、最後にひとつだけ聞きたいのですが、金髪の女の子を見かけた……みたいな噂は耳にしていませんか? こう……髪を腰の辺りまで伸ばしていて、結構目立つ見た目をしてる、のですが」


 集落の中央広場にて、少年は少しでも多くの手掛かりを掴むべく奔走していた。手掛かりとは無論、未だ姿を見せぬ少女、ナズナの行方に関するものである。


 「うーん、そんな娘は見てないわねぇ。残念だけど他を当たって……」


 だが、その努力もむなしく未だに収穫は無い。そればかりか尻尾を拝むことすら出来ず、時間が経つほどに焦りが積もるだけだった。


 「……と言いたいけれど、あなたの顔見てるとどうも放って置けないわぁ。アタシもちょっと気にかけてみるわねぇ」


 「た、助かります。……教えていただきありがとうございました」


 ウィルは、人柄の良い婦人に向けて頭を深く下げる。見渡す限り集落の住人はみな忙しなく動いており、一人一人から聞き出せる情報量はほんの僅か。だがそれらを繋げてゆくことで、彼は自らが置かれている現状の解明に近づきつつあった。


 (そろそろ、集めた情報をまとめるか。まず、ここは旅の目的地の一つであるメナス河の畔で間違いない。俺たちは自分達の足でここに辿り着いた訳ではなく、"危険な魔獣"に襲われて意識を失ったところを、たまたまこの集落に滞在している"剣士"によって救出され、運ばれてきた。でも、何故かそこにナズナの姿は無くて、そもそも魔獣と接敵した時の記憶も曖昧で……)


 去り行く婦人に感謝の言葉を告げた彼は一度、得られた情報の整理を試みる。一方で、そんな彼の下へ歩幅を大にして近づく、複数の人影があった。

 その者らは彼の側で立ち止まるなり、明確な敵意を含んだ声で呼び掛ける。


 「おい、そこの小童。此処で何やらコソコソと嗅ぎ回っている"よそ者"がいると耳にしたが……それはお前のことだね?」


 その悪感情を抱かれている対象が自分であると気付いたウィルは、反射的に声がする方向へと視線を送った。

 痩せ細った老婆に老爺。そして一人の大男が、できものを見るような目でウィルの姿を()め付けている。先ほどの声の主は、片手で木製の杖をつく腰の曲がった老婆だ。


 「す、すみません。確かに、あちこちお話を聞き回っているのは僕です。えっと、お邪魔してすみませんでした。い、今すぐに戻るつもりです!」


 自分の立場を一瞬にして察した彼は、考えるよりも先に頭を下げて謝罪をした。

 今までの行動を振り返れば、ごく簡単なことである。住人は皆、慌ただしく働いている。にも関わらず、他所から来た得体の知れない人間が彼らの貴重な時間を奪い回っているのだ。ものの見方は千差万別。そのような人間の話に耳を傾けるような者もいれば、日常の光景が乱されることを良しと思わない者もいる。

 郷に入りては郷に従い、律を知るべきだ。彼は自分の姿しか見えておらず、集落そのものへの配慮が及ばなかった己の勝手さを恥じた。


 「戻る……ね。(わっぱ)、お前なにか勘違いしておりゃあせんか?」


 「……?」


 痩せ細った老爺が、釘を打ち付けるような視線を放つ。その獣のような剥き出しの威圧感に、ウィルは(ひる)んで言葉を失った。


 「よそ(モン)が、この地に土足で踏み入りおってからに、それに飽き足らず今度は集落の人間にちょっかいかけおるたぁ。お前のようなたわけ共がここに居るんは我慢ならん。目ェ覚ましたんなら早よう去ねや」


 「ちょっかいだなんて……ご、誤解です! 俺はただ、今の状況を把握したいだけであって、皆さんの邪魔をしようなどとはこれっぽっちも……」


 「ええかげんにさらせや、鼻垂れが! なにが悲しゅうてわしらがよそ者風情と会話せなならんとじゃ。荷ィ纏めて早よう出て行げや!!」


 ウィルは相手側の生活を害する意がないことを弁明しようとするも、老爺は聞く耳持たぬ様子で激昂し、立て続けに暴言を吐き捨てた。


 相手の本意は、対話による探りを入れずとも明らかだ。目の前の三人としては彼の行動の是非など二の次であり、寧ろ集落の外から来た人間に対する嫌悪感を抑えきれないのだ。なれば、説得以前の問題である。誰であろうと、理解の及ばない人物や思想は必ず存在するもの。であれば、それらを無理に理解しようとする必要はない、と彼は考えている。

 それを踏まえた上で、彼は強い意志の込もった眼差しを返した。


 「……逸れてしまった仲間がいるんです。俺が集落のために出来ることなら、何でもします。だから彼女を――ナズナを見つけるまで、ここに滞在することを許していただけないでしょうか」


 眼前の三人から放たれる怒気から目を逸らさず、ウィルは堂々たる面持ちで意思を届かせんとする。彼の必死な形相が意外なものと感じたのか、三人は少年の目を凝視し、押し黙った。

 数秒後、老爺と老婆は互いに顔を見合わせ、深く頷く。続いて老爺は大男に顔を向け、ウィルに向かって指を差した。




 「おい、こりゃよそ者どころの騒ぎでねぇ。……聞く耳すらもたぬ集落の仇者(アダモノ)じゃて。わしが許す。ドぎつういわしたれや」


 蔑みが混じったような囁き。ウィルがその言葉の意味を理解するよりも早く、大男はだんまりと口を閉ざしながら、彼の下へじりじりと詰め寄る。

 体格差は圧倒的だ。男の全身から発される威圧感のお陰で、遥か上空から見下される気分に陥った。


 問答に夢中になっている内に、周囲には大勢の野次馬が集まっていたことに気付く。


 大男が、右手を固く握る。

 煙の球と形容すべきか、小刻みに震える拳が魔力に覆われる、その瞬間が目に焼き付いた。

 上方に振り上げられる握り拳。金属のような重量を乗せながら、それは空を切って眼前に迫り――




 苦々しい衝撃が、鼻の奥から広がった。









老爺の言葉には"メナス弁"が色濃く表れております。

発言内容は、フィーリングでなんとなく感じ取っていただければ結構です!

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