38話 再出発
お待たせしました。
本日より一部三章を開始致しますので、応援のほど宜しくお願い申し上げます!
視界はあまり良好ではなかった。目に映る全ては、空から降りる闇に覆われている。空に目をやれば、分厚い大きな雲によって月が包まれていた。シャヴィらと移動している時は、上空に浮かぶ水滴のような丸い粒が、白銀の光で地を照らす光景を見ることができたのだが。
空気は冷え、何となく湿り気を感じる。
休める場所でも無いものかと見回してみるも、自分たちの居る場所はだだっ広い平野。今は、薄暗闇の中を真っ直ぐ歩き続ける他ないのだ。
周囲からは複数の足音が聞こえる。少年はふと思い立ち、それらが鳴る方向へ振り向いた。
先ず目に入ったのは、淡々と足を進める金髪の少女、ナズナ。彼女の容態については相も変わらず謎めいており、知識不足ゆえに考察する余地もない。
今は少年の取る行動に反応を示すのみで、意思の疎通は不可能だ。意識の有無すら不明であり、まるで操り人形にでもなってしまったかのように無機物然としていた。
次に二つ結びにした薄桃色の髪がよく似合う少女、ミサ。彼女は先日の一件以来酷くやつれており、今も虚ろな両目で地を見つめている。
彼女の支えにならんとしていた唯一の存在は帰らぬ人となった。固く閉ざされた彼女の心には、少年の如何なる言葉も煙の如く掻き消されてしまうだろう。当の彼もまた、オーディンと名乗る男の提案を拒んだことに罪悪感を抱いていた。
最後に、辿々しく歩く黒髪の幼馴染、ニケ。臆病者の彼は、キョロキョロと忙しなく頭を動かす。
魔獣の恐怖がその身に染み付いているのだろう。だが実のところ、怯えているのは少年も同じだった。魔獣は自分たちを喰らう存在だ。出会ってしまえば最後、命の奪い合いとなる事は避けられない。
だが頼りになるナズナは其の有り様で、他二名も戦力になるとは考え難い。仮に襲われたならば一人でそれらを撃退する他ないのである。表に出ぬよう隠してはいるが、少年の呼吸は小刻みに震えていた。
涼しげな風が吹き抜け、栗色の髪がさらさらと揺れる。一行の先頭を歩く少年ウィルは、かつてない程の孤独を感じるのであった。
(自分の足でこの地を歩くことがこんなに怖いなんて、思わなかった。今まではリッキーやシャヴィさんが前を歩いてくれたお陰で、それに続くだけで良かった。少なくとも、恐怖心とかは一切感じなかったんだ。……駄目だ、過去を振り返るな。この道を自分で選んだのは事実。仲間を巻き込んでしまったからには、俺が責任を持たないと駄目なんだ。後悔は、もう許されない)
ウィルは、己を奮い立たせる。
崩れ落ちそうな両脚に無理矢理力を入れ、背後を振り向かずに前進した。
グルルルル……と唸る声。
ウィルは待っていたと言わんばかりに、腰に下げていた短剣を構える。
敵の数は、視認出来る限りでは前方に三体。外見は狼のような肉食獣。どうやら、一行がこの位置に足を踏み入れる瞬間を待ち構えていたようだ。
身体を前に傾け、右手に持った得物の先を視界に映る右端の魔獣に向けた――その瞬間。四肢に魔力を込め、少年はそれを迷う事なく全力で解き放った。
草を薙ぎ、矢を射るような速度で直進する身体。その疾さは本人でさえも知覚できぬほど。そのため彼は目を閉じ、標的を貫かんばかりの速度に身を任せたのである。
数秒後、彼は二種類の感触をその身に覚える。一つは、手にした短剣が何かを貫く感触。もう一つは、自身の頭部と溝落ちに響く強烈な衝撃だ。
短剣は、魔獣の喉元を深々と貫いていた。攻撃が通じて安堵する反面、慣れぬ感触に対する後ろめたさはやはり拭えない。なお後者に関しては魔獣の攻撃を受けたのではなく、あくまで勢いに任せ切った突進による二次被害のようなものだが。
慣性力によって地面を転げ回った後、程なくしてどうにか立ち上がることができた。
魔獣が、ばたりと地に伏す。その様を見届けたウィルは、ほっと息を吐いた。だが彼が顔を上げた時にはもう、次なる脅威は彼に眼を向けていた。
「……っ!?」
ウィルに狙いを定めた二体の魔獣が、獲物目掛けて飛びかかる。
――息を整える間も与えぬ怒涛の追撃に、僅かに反応が遅れた。致命傷を予感した彼は咄嗟に頭上を両腕で覆い、暴発する魔力で反射的に上半身を覆った。極端な魔力放出しか出来ない彼だからこそ成せる、荒技である。
幸い、防御は辛うじて間に合った。……だが、受けた傷は決して浅くない。
「……ぁ」
魔獣の鉤爪によって皮膚を深く裂かれた両腕は、彼が構えを解いてから少し遅れた後、灼けるような痛みに支配されていた。あまりの激痛に、思わず短剣を落としてしまう。膝を突き、左腕の抉られた皮膚を右手で覆った。
(痛い、痛い、痛い。もうこんなの嫌だ。でもこのままだと、確実に死ぬ。鉤爪で獲物を弱らせた後に、身動き取れなくなった身体を少しずつ齧るんだろう。そんなの、もっと痛いに決まってる)
目尻を湿らせ、痛覚を強引に吹き飛ばし、再び短剣の柄を握りしめる。よろめきながらも腰を上げ、振り向いたその先には――魔獣の鋭い牙があった。
(……!!)
武器を持つ右手を、なりふり構わず振り回した。結果、右腕は魔獣の顎に強く打ち付けられる。魔力を纏う間が無かったゆえに、露出した腕への衝撃は凄まじいものだった。計り知れぬほどの痛みに心身を硬直させたウィルは魔獣の体重に力負けし、地面に押さえつけられてしまう。
――肉食獣の大きな口が、胸部に迫る。
何かを考える余裕など、ある筈もなかった。
一瞬の爆発力を右手に宿し、殴りかかる。直後、強烈な打撃に怯んだ魔獣の隙を見逃さず、逆手に持った短剣を何度も突き刺した。
……同時に左腕から流れ込む、激しい痛み。だが、今は眼前の脅威を取り除く事が先決。焦燥に駆られる彼は、ひたすら無心で刃を刺し続けた。
魔獣の力が完全に抜けた事を肌で確認した後、彼はすぐさま頭部から短剣を抜いた。
休む間などある筈なく、もう一方の魔獣の頭に突き立てる。
ウィルの左腕に歯を立て、今にもそれを噛みちぎらんとしているようだった。
「――――っ!!」
獣の顎の力が緩んだことに気付くなり、一度敵の頭部から短剣を引き抜いた後、これが止めだと示さんばかりの渾身の力で、再び右手を振り下ろした。
静けさが戻り、ウィルは三人の元へと足を運ぶ。
幸いな事に、どうやらこの場に居た魔獣は先程現れた三体のみだったようで、仲間たちが無事でいる様子を目にした栗色の髪の少年は、全身を蝕む痛覚を押し殺して安堵の表情を浮かべた。だが、ウィルを見つめる彼らの顔は、どこか怯えている。
凍りつくような視線をウィルが感じ取ったのは、仲間に脅威の収束を伝えるべく口を動かす、ほんの直前だった。
「…………」
視線の正体は、即座に判明した。
何故ならば、彼自身も気付かぬうちに目を合わせていたからだ。
両目を見開き、瞳を小刻みに震わせながら立ち尽くす金髪の少女。その表情は、狂ったように魔獣を斃した少年への軽蔑でもなければ、疲弊による苦悶に満ちたものでもない。彼女は他二人と同様に、"何かに対して怯えている"のであった。
――頭が、くらくらする。
血液を大量に流したためだろうか。身体の平衡感覚を失い、危うく正面から地に突っ伏してしまいそうになる。終いには吐き出しそうな程の激痛が、今もジリジリと全身に刻まれ続けていた。微風が傷口に触れるだけで、叫び出しそうになるのだ。
辛うじて繋ぎ止めていた理性に、間もなく亀裂が生じた。ウィルは怯える仕草を見せる金髪の少女の側に寄り、彼女が肩に掛けている大きな鞄の中をまさぐり始める。
無抵抗の少女に一瞬だけ目をやるが、その表情に変化は見られない。少年は小さなため息をつくと、鞄から右手を取りだした。赤く汚れた手の中には、大量の薬草と、それをすり潰す石造りの道具が握られている。片手に収まるサイズのすり鉢に謎の野草やら木の実やらを入れ、適当にかき混ぜる。いつかの光景が、脳の片隅に映し出された。
ものの数分も経過せぬ内に、すり鉢の中のそれらは一つの緑色の物体へと変化していた。何故か粉末状ではなく、粘り気のある液体のような形状となったのは少々意外であったが、現在の彼の心境では考察を深めるに能わず、漠然と生じた些細な疑問は、至極どうでもよい事として切り捨てられた。
緑色の物体を右手で掬い取り、そのまま勢いよく左腕を覆う。
傷口が、とてもしみる――程度の次元ではなかった。緑色のそれが深い傷に染み込んだ瞬間、思わず自分の振る舞いを後悔してしまうほどの激痛が、皮膚の内側から迸る。喉から悲鳴が漏れかけるものの、仲間に無様な姿は見せまいと全身に力を込め、奥歯を無理矢理噛み締めた。
枯れた呻き声を刻むと共に、少年は自身の愚行を自覚し始める。たかが三体とはいえ魔獣の群れに単身で飛び込んだ挙句、あられもない状態で仲間たちに顔を向け、その仲間の所有物を誰の断りも無しに使用したのだ。痛みで我を忘れていたとはいえ、自分の取った狂気的な行動には身震いを覚える。薬草の効能は、思わぬ外傷に作用したらしい。
(でも、俺の判断が間違っていたとまでは思わない。ナズナの薬を勝手に使ったのはさすがに論外だけど、あの場面で俺が突っ込まなかったら、魔獣の狙いはミサ達に向けられていた可能性がある。戦えないみんなを、俺がしっかり守らないといけないんだ。……そう、それが一番なんだ。二人は俺が必ず元の世界に帰すし、ナズナの容態も戻してみせる。そのためにも、早く慣れなきゃいけない)
石造りのすり鉢から、今度は残った物体を全て左手に掬い取り、右腕の損傷部分に塗りたくる。彼は表情を濁しながら立ち上がるなり、手に持った道具をそそくさと鞄の中に返した。俯く少女に「ごめん」と小さく告げると、彼は再び前を向き、歩き始めた。遥か前方に見えるは焼け焦げた国の残骸。シャヴィによると、メナス河の正確な位置は公国の北東にあるとのこと。
足音が背後から聞こえ始めたのは、暫く間が空いた頃であった。
魔力を手足に込め、こちらに飛び掛からんとする獣に駆け寄る。相見えるのは一瞬だ。
ここは夜の平野。幾多の魔獣と遭遇し、その度に命懸けで対処してのけた彼は、僅かではあるが己が魔力の操作感を把握しつつあった。
この世界の大気中に存在する、"魔素"という不可思議な物質。人間はそれを体内に取り入れることができ、更にそれらを練り込み"魔力"として体外に放出することで、身体強化、或いは魔法等の不思議な力を発現させることができる。
魔素を体に溜め込める限界量――即ち容量が"オド"であり、放出する魔力の強さは"オーラ"、またはそのまま"魔力"と表される。
ウィルは、自身の体質と魔力の関係を二つに纏め簡単に整理した。
その一、身体全体を継続的に覆うことは不可能だが、両拳または両脚など、限定的な部位に短時間だけ纏うことは可能。その際に発せられる魔力量は膨大であるため、彼が魔力を纏った部位による攻撃を試みたならば、圧倒的な威力が生み出されるのだ。その代わり、身体の魔力に覆われていない大部分を狙われると悲惨な事態に陥ってしまう。
そのニ、魔力の制御ができない。莫大な魔力を発するは良いものの、その量をコントロールする技術が無いために、自身のオドを一瞬で空にしてしまうのだ。その間、僅か五秒ほど。
――まさに魔力を爆発させているという表現が相応しいが、それを発する度に容量を空にしていては、体に過剰な負担をかけてしまう。そのため、戦闘は常に短期決戦を余儀なくされる。
厳密に云えば、"オドが空になる"とはやや過剰表現であり、彼の体内魔素が完全に無くなる訳ではない。この場合の"空になる"とは、あくまで体内魔素量が魔力を発するための規定値を下回ってしまうという意味だ。再び規定値に達するには、暫くの間空気中の魔素を呼吸によって体内に取り込まなければならないのであった。
戦闘にもほんの少しだけ慣れ、感性が麻痺し始めた時、少年は酷い目眩に襲われていた。無理もないことだ。魔力を放ち、オドを枯らして敵を倒す。その一連の流れを、魔獣と遭遇する度に行っているのだ。何十分と時が流れる間、ひっきりなしに襲い来る魔獣を相手に、仲間を守り続ける。あり得ぬほどの疲労が蓄積しており、身体は傷だらけ。その状態でなお手足を動かせていることには、本人でさえも驚愕を禁じ得なかった。
現在接敵しているのは、棍棒を片手に持つ人型の魔獣だ。体躯こそ子供のようだが非常に好戦的であるため、軽やかな身のこなしで次々と得物による殴打を仕掛けてくる。深傷を恐れず真っ直ぐに突っ込んで来るその姿に、彼は心底やり辛さを感じていた。
刹那に全霊を込めるウィルと、軽快に動き回る魔獣とでは、実力差が均衡しているならば前者が不利な状況にあるのは言うまでもない。このような相性の良否も一つの要因ではあるものの、彼が感じる妙な感覚はその奥底にあった。型こそ異なれど、本質は限りなく近い。
少年は、血走った眼でこちらを殴りかからんとする魔獣を、自分の姿と重ねていた。
景色が、グラグラと揺れ始める。気を抜けば、体幹を保つことすら叶わない状況下。手数の多い魔獣の打撃を躱すことはほぼ不可能であるため、ひたすらに身を固めつつ、敵に隙が生じる瞬間を待つ。
――が、その直後、耐え切れずに下った変動が、形勢の優劣を決定付けた。
揺らぐ身体は支えを失い、真横に迫る草むらに吸い寄せられてしまう。当然、魔獣にはそれを易々と見逃す選択肢はない。
天高く振り上げられた両手が握る鈍器。手軽ながらもずしりとした重量感を持ち合わせるそれが、今眼前に迫り……
痛みより先に身体を襲ったのは、肺に何かが詰まるような感覚。
地に正面から打ち付けられると共に、激しく咽せる。
鈍い痛みが背中から全身にじわじわと広がり、暫く立ち上がれる見込みはない。それでもなお上半身を起こそうと腕を動かすも、とうに限界を迎えている筈の身体に力が入る気配は一向になかった。
ぼんやりと映し出されるは、魔獣の醜悪な笑み。
視界が、不規則なリズムで振動している。それに合わせるように、背後から重い衝撃が響き渡る。
人型の魔獣は、少年の身体を片足で思いっきり踏み続けていた。憎しみの発散か、或いは快楽を覚えているのかは不明だが、この魔獣は獲物の命を即座に奪わず、じっくりとなぶりながら壊す気質があるようだ。僅かな時間の中、少年はあまりに多くの傷を負ったために、身体の感覚が殆ど消失していた。それが幸いしてか、魔獣の責めによる痛みそのものを感じることはなかった。
――このまま気を失えば、次に目が覚めた時には元の世界に戻っているのではないだろうか。
ウィルの脳裏によぎる、可能性。
それが垣間見えた途端、彼は抵抗の意思を放棄した。
不規則な拍が、突如として崩れる。
閉じかけていた目蓋を思わず開き、どうにか意識を呼び起こす。震える両腕で上半身をゆっくりと起こし、急いで周囲に目を向けた。
「!? これは……」
真っ先に彼が見たものは、先ほど自分をいたぶっていた魔獣だった。だがその姿は変わり果て、生い茂る雑草の上に胴体のみが捨て置かれている。
目線を上げ、さらに辺りを見渡した。
「……!」
微かに瞳へと差し込む細い光。視界に映り込んだのは、鉄鎖の灰色。
両手に鎖を携える少女は、片手で口元を覆い始めるなり、急に力が抜けたかのように膝から崩れ落ちる。
この時、ウィルは自分が見失った僅か数秒間の出来事を完全に理解する。最も忌避していた事態を呼び起こしてしまった事実に、彼の表情は焦燥感に苛まれていた。彼女が武器を取るということ。詰まるところ、それは彼女が自身を蝕む光景を再び呼び覚ますということに他ならない。
身体を砕かれた人々の悲鳴が、肉片と化した子供の姿が鮮明に浮かび上がり、彼女の周囲を執念深く取り囲む。
「……ミサ……っ」
少女の下に駆け寄らんとするが、身体が命令を聞き届ける様子はない。脚部の感覚は遠のき、今や惨めに這いつくばることしか出来ない有り様だ。
しかし、当の少年はひたすらに前を見据えていた。目指す先は仲間の下。如何に傷ましい姿になろうとも、彼らを守るという決意だけは手放すわけにはいかないのであった。ゆえに彼は歯を食いしばり、手を伸ばす。
(彼女を――ミサをこれ以上傷付けるわけにはいかない。絶対に……!!)
次の瞬間、想像を絶する激痛が身体を貫いた。固い意志の力でどうにか縛りつけていたものの、急激な膨張によって紐の強度が耐え切れずに途切れてしまうかの如く、抑え込まれていた痛みが暴発し、全身を駆け巡るのであった。
伸ばした右腕が、地に向かって落ちてゆく――
かと思われた。
(え……?)
どういう訳か、何者かが右手を掴んだことにより、腕が地につくことはなかった。ウィルは惚けた表情を浮かべ、咄嗟に目線を上に向ける。
「…………めん、……ごめんよぉ……っ!!」
臆病な幼馴染が、大粒の涙で顔を濡らしていた。
「僕は怖くて動けないのに……ウィルは、一生懸命頑張ってて……っ、でも、こんなに傷ついてるのに僕は……やっぱり全然動けなくて……っ」
「…………」
止めどなく溢れる感情をそのまま吐き出す。震えるばかりだった彼もまた、葛藤の渦に囚われていたのだ。仲間を救いたいという、心からの願い。しかし、竦む両足がどうしてもそれを理想に押し留めてしまった。
許しなど要らない。たぶん、求めてはいけない。
酷い傷を負った友人を前に、果たして自分は何が出来るのだろうかと自問するも――やはり、答えは出ない。
その答えはきっと、止め処なく溢れ出るものと共に押し流されてしまったのだ。
「……別に無理しなくていいよ。もし魔獣が現れたら、迷わず俺を置いて逃げるんだ」
「ば、ばか言うなよ!? 何のためにこの僕が肩を貸してやってると思ってるん?」
時が少しだけ経った後、ウィルはニケの肩に支えられながら、平野を進んでいた。無論、女子陣もしっかりと付いて来ている。
ニケの手を借りて、どうにか二足で立ち上がることが出来たウィルは、ミサの容態を確認すべく即座に駆け出した。だが彼の身体こそ酷い有様であるゆえ、足を踏み出すと同時に平衡を失い、再び地に伏してしまうのは誰もが容易く予想できたこと。これにはニケも表情を緩める他なかった。
肝心のミサに関する状況は、これまた意外な展開を迎えていた。彼女の陰りは変わらず、今も挙動に怯えの色がみえる。だが、そんな彼女の手を引いているのが、ナズナだった。
ナズナは何を喋るでもなく、やはりウィル達の言葉への反応は皆無だ。しかし、確かに自らの足でこの地を歩んでいる。
現在のナズナの行動は、突発的で予測不能。気付けばミサの手を握っていたのだから、どのような手段で彼女の心を安定させたのかはウィル達では知る由もないのであった。
足を進めていると、十分も経たぬうちに、遥か上空から小さな水滴がざぁざぁと降り注いできた。
思いがけぬ僥倖と取るべきか、一行はとある岩壁に小さな洞穴を見つけると、雨宿りと休憩を兼ねてそこに向かうのであった。




