幕間 密かな虫の音
「本当に、惜しい事をしたなぁ」
周囲の木々から降る火の粉を払うと、男は自虐的な笑みと共に呟いた。腕を伸ばし、視線の先に横たわる亡骸を魔素の火炎で燃やす。ふと何かの気配を察知したのか、男は顔を上げ、何事もない様子で振り向いた。
「なんだよ、見てたなら手伝ってくれても良かったんだけどなぁ」
燃える木々の間の一点を見つめる男は、いかにも気怠げな声で語りかける。すると数秒の間を置いた後、木霊のように細々とした声が返って来た。
「断固拒否ネ。ワタシ、契約外の働きはしない主義」
男の鷹のように鋭い目線が射抜く先。木々の隙間の暗闇から現れたのは、植物で編まれたような緑の外套を身に纏う、枝のように細い身体を持つ異形だった。獣の頭蓋骨を被ったような、特徴的な外見。当然その奥の顔色は不明である。
男はわざとらしく肩を竦める仕草を取ると、異形の身体をまじまじと見つめる。
「……? ワタシの身体、何かおかしいカ?」
「あー、いや、ね? あまりにも完成度が高いから、オレもつい一瞬だけ騙されちゃったなって話」
「……オマエが素直に他人を褒めるのは珍シイ。好感度、そこそこ上昇したヨ」
纏わりつくような視線をどこか嫌悪していた異形だが、男の言葉を耳にした後、先程の態度が嘘のように反転する。上半身が後ろに大きく逸れ、声は少々上擦り気味だ。また、細い両腕をバタバタと小刻みに動かしている。そしてその表情は、相も変わらず読めない。
「……何その仕草、ちょっとウケるわ。上手いことニンゲンを模倣してるつもりみたいだけど、ぶっちゃけ過剰反応だぜ?」
男の茶化すような表情を捉えた瞬間、得意げだった異形の動きが止まる。途端、異形の姿が周囲の空間ごと朧げになった。
――気付けば、異形の姿はそこにはない。
代わりに何処から迷い込んだのか、焼き焦げた木の根元には愛らしい黒猫が尻尾を振り回していた。何故かそっぽを向いており、不貞腐れている様子だ。
「好感度、仰山低下。やっぱりオマエは腐ってもオーディンネ。オマエこそ、言葉を吐く度それに法螺を乗せていタ。あれはちと滑稽だったネ。特に酷かったのがローグリンに渡った理由。アレはさすがに悪ふざけが過ぎるっショ」
「いやに辛辣だねぇ……ちょっとからかっただけじゃない。やっぱり従者ってのはどぉしても主に似てしまうもんなのかね」
せせら笑う男に言葉が返る。その主は他でもない、目の前にいる黒猫だった。軽口を叩き合う両者だが、間に流れる空気はさほど張り詰めておらず、寧ろ穏やかなものである。そっぽを向いていた黒猫は突然男の顔を見上げると、今までとは打って変わって、真剣な眼差しを向け始めた。
「……ワタシの主はああ見えて繊細なお方ヨ。オマエがあの方をそう捉えるのは、全てオマエ自身の素行の悪さに……イヤ、今はそなコトどうでもいいネ。さっさと報告会、始めヨ」
黒猫が言葉を終えると同時に、周囲を覆っていた炎が一瞬にして消え去る。月の薄い光に照らされる中、彼らは真夜中の密談を交わし始めた。
「りょーかい。まずは状況を整理しようか。……前々から"候補"に挙がってた緋虎のシャヴィ。その回収を任せられたオレは、一人の協力者を連れて、同盟国の手助けという名目でローグリンを訪れた。だがローグリンを治める公爵からすれば、その話は素直に喜べない。なんせ、オムニスに大きな借りを作っちまうからな。だからオレ達二人は、騎士団の補佐官として動くよう命じられた。作戦の立案は許すけど、手柄はあくまで騎士団のものにしろってコトだね。……ごめん、長くなるからちょっと一服」
男は右手の側に小さな魔法陣を展開させると、そこに手を突っ込んだ。取り出した物体は、小さな紙袋。彼はそこから掌ほどの大きさの菓子を摘むと、口を大きく開けて頬張り始めた。
満足げな表情で菓子を飲み込むなり、男は報告を再開する。
「……んーっと、どこまで話したっけか……そうそう、作戦立てるとこだ。騎士団長と協力して作戦立てることにしたんだけど、まずオレが盗賊団に潜入することになった。てか、話を無理矢理そう持っていった。……んで、肝心の作戦自体は単純。アジトをバレないように囲って、盗賊に偽装したオレがシャヴィと数人の盗賊を遠ざけている間に、アジトに残った盗賊を騎士団が叩く。その後、オレの協力者が騎士団や気絶した盗賊たちをローグリンの兵舎に転移させて、遅ればせながらアジトに帰ってきたシャヴィと幹部らは地下牢に直接送り込んだよって流れだ。シャヴィと他の連中を分断させるのは、我ながら名案だったかも。だって、回収対象を勝手に処分されたら台無しだかんね」
そう言うなり、男は眩しい笑顔を浮かべる。「因みにアジトを制圧した騎士団は、その場の流れで食糧庫にあった物を全て"押収"したらしいよ。宴会でも開こうとしたんかな。ウケるわ」と小咄をこぼすも、黒猫からの反応は得られなかった。
「ところがまた厄介な事に、シャヴィは相当精度の高い第六感を持っていた。手こずる事を予感したオレは、"協力者"の知り合い且つ、たまたま近くに住んでたお前の手を借りることにした。対価として巨大な実験場を用意してな。変装を手伝ってもらったり、短時間でアジトに結界を張ってもらったり……ホント、頭上がんないっすわ」
「……まさか、巨大な実験場が公国そのものだとは思わなんだナ。まあ、お陰で主が喜びそうな成果が得られて良かったケドネ」
尻尾をゆっくりと左右に揺らし、ゴロゴロと喉を鳴らす。非常に満足気な様子を見せる黒猫とは対称的に、じっと目を瞑り、自身の首裏を片手で揉む男の姿はどこか居た堪れない。
「……そうかい、そりゃ良かったな。対するオレはダメダメだったぜ。だって最後の最後に"目覚める"なんて誰が予想できるよ? 回収対象は生け捕りじゃねーと意味ないのにさ」
「アレはドンマイだったワ。いくらオマエとて、ああなっては中途半端に加減出来ないカラネ。ところでアノ子はいま何処ニ?」
「あぁ、もうじきここに来るはずなんだけど……っと、噂をすれば」
男の視線が、黒猫からやや右に逸れる。
紅色を含んだ黒い霧。地面から大気中へ続々と流れ出る魔素は、まるで地中から吹き出るガスのよう。じっとそこに目を向けていると、眼前を漂う魔素が次第に形を成してゆくことに気付いた。
霧のような魔素塊が、二つの人型へと変化する。一方は大柄の成人男性のような体躯。もう一方は非常に小柄だが、背部から一対の羽が生えているようなシルエットであった。男の目線は、後者を真っ直ぐに捉えている。
「ただいま。指示通り連れてきたよ」
羽の生えた人型は、自身を見つめる者たちに向けて無機質な声を発する。それを見た男は、つい口元に笑みを浮かべてしまう。それは興に乗じた微笑ではなく、眼前の出来事への無関心によって滲み出た失笑であったが。
「おかえりー。ってかゴメン、お前に指示出してたの今思い出したわ。マジでお疲れ」
「構わない。どうせそんな事だろうと思ってた。それより、ほら。例の公爵さんだよ」
霧を思わせる魔素の残滓は晴れ、シルエットだった二人の姿が開けた視界にはっきりと映る。
全身を魔力の鎖で縛られた、派手やかな衣装に身を包む大柄の男。小柄の麗しい少年は、自身が公爵と呼ぶ男に装着された猿グツワを丁寧に外す。口元に自由が戻るなり、公爵は己を見下している男――大国の使者に対して怒涛の気迫で目を剥いた。
「き、きっ、貴様ぁぁぁぁァ!! よくもこのワシを、我が民草を騙してくれたなぁぁっ!?」
「これはこれは、お久しゅうございます。我が王国領の一端を担いし偉大なる主、ミューズウェル・ローグリン公爵閣下。この度は政の最中、夜分遅くにご足労いただく形となり、誠に恐れ多く存じます」
「ど、どの面下げて物を申すか! ……まあよい、貴様の態度など最早些細な事よ。それより王国の使者よ、この無礼は、そしてこの惨状は一体何ごとじゃ!? ……陛下は、我が国を見捨てなさったのか!?」
突然の大逆に見舞われた公爵は、呂律がうまく回らぬほど気を動転させていた。それもその筈、彼自身はこのような仕打ちを受ける覚えなど欠片も無いのだ。広大な王国領の一部を任せられ、その身分に甘えず日々を国と民に捧げてきた。何事にも執心することなく、王国とは常に良好な関係を保ち続けているつもりだった。
数日前、公国の悪しき情勢を聞き付けたのだろうか、王国から二名の実力者が派遣された。協力を要請した覚えは無いが、事実ローグリンの兵力では盗賊被害を抑え込むことは困難である。そのため、公爵は迷う事なく二人の手を取ったのだ。
盗賊団を捕らえる算段は、名実共に優秀な騎士団長に一任した。また派遣された両名には、騎士団長の補佐として共に策を講じてもらった。強力な救い人の登場により、騎士団の士気は近年では滅多に見られぬ程の高まりを見せる。王の慈悲は、必ずや国に平穏をもたらすと確信していた――その矢先である。城は焼け落ち、城下町は惨殺を繰り広げる民衆の怨嗟の声で溢れ返っていた。国の主たる哀れな男は、その地獄のような光景を高所から眺める事しか出来なかったのだ。
一体どこで判断を誤ったのか。何故このような結末を迎えなければならなかったのか。
全ての答えを知るであろう使者は、目の前に居る。のたりと這い寄る悪寒に全身を震わせながら、亡国の主は男の答えを待った。
「いえ、我らが王にそのような意思はございません。この現状につきましては――そうですね、あくまで単なる私めの独断に基づく行動、と捉えていただければと」
「は? ど、独断? ということは、これは貴様が撒き散らした災いなのか!? いやまて、待ってくれ。そもそも貴様のふざけた話など信じられようか。ワシはオムニス領の一部を治める公爵じゃ。どこの出かも知らぬような貴様がワシを恨もうが妬もうが、陛下のご意向に従わずこのような暴挙に走る道理など無い! ここは叡智と信仰の地たるローグリン公国。貴様の言動は紛れもなく陛下への裏切りじゃ!!」
次から次へと告げられる言葉に、思考が掻き乱されてゆく。正気を疑うようなその内容には怒の感情を通り越して混迷が極まり、噛み付かんばかりの勢いで雑言を浴びせる公爵。
「……古より続く王家の歴史。王国の文化と魔女信仰とを結び付け、多様な思想を伝えたローグリンは、我が国の文明に大いなる繁栄をもたらした革新の地にございます。そのため、当時の王族は一人の後継者にこの地を継承させた。それがローグリン公爵家の起源とされております。閣下の仰せられた通り、この地はオムニスの歴史を語る上で欠くことの許されぬ財産である、と評しても何ら大袈裟ではないでしょう」
だが、それをものともせず、まるで赤子を宥めるかのように悠々と対応する男の姿は、彼の心に更なる恐怖を引き起こす。
「む、無論そんな事は周知の事実よ! であれば尚のこと。貴様は何故このような……」
狼狽える公爵は、むりやり語調を強めた。滝のような脂汗が血の気の引いた肌を濡らす。だが、彼は頑なに怯えを面に出すまいとしていた。それは紛れもなく、一国の主としての矜持に他ならない。
――幾万もの民の上に立つ者、巨像の如く堂々たれ。脳裏をよぎったのは、公爵家に代々伝わる戒め。既に民の姿は無くとも、ローグリンの主としての誇りは決して失うまいと決意したのだ。
一国を統べる者の、不動の覚悟。男はそれを横目に、何を思ったか亜空間から小さな紙袋を取り出すと、その中から菓子を摘み上げ、わざとらしい仕草で口にした。
「な……ぶ、無礼なッ! ワシの話をそのような形で遮るとは。王国からの使者とはいえそのような侮辱、断じて認めることなどできぬわ!」
「閣下、どうか落ち着いて下さいませ。私めはあくまで現在のローグリンの立場を……明示? したに過ぎません」
「我々の立場を、示すだと!? 礼儀も弁えぬ分際で何を偉そうに……」
「例えばこの色葉饅頭。これは私が先日ローグリンの市場にて購入した、いわゆる貴国の名産品でございます。私はこれが大好物でしてね、土産にすれば陛下もさぞ喜ばれるでしょう。このように、ローグリンの歩む歴史"そのもの"は大変価値のあるものに違いありません。しかし……民衆は、果たしてそれらの守り手に相応しい働きを行っていたでしょうか。特に他勢力の力を借りねば盗賊一匹すら捕らえられぬ騎士団など、陛下が嘆かれるのは火を見るよりも明らかでしょうに」
男は芝居がかった口調で、相手を見下ろしながら語りかける。公爵は言葉を返すべく再び目を剥いたが、痛いところを突かれたのか、先程の勢いはやや削がれていた。それどころか、眼前の男の表情が小気味悪く歪む瞬間を目にしてしまい、強烈な悪寒が四肢の隅々まで渡るのを感じた。
「そうそう、私の申した民衆とは閣下……貴方も含まれておりますよ」
「…………わ、ワシがこの地を治めるに相応しくないと申すか? この、遥か古来より受け継がれし王の血統、大いなる神の血を引きし――」
「うげぇぇぇぇ――っぷ! 失礼、饅頭の食い過ぎでつい生理現象が。して、何でございましょう」
あまりにも不行儀で、おこがましい。公爵だけでなく、我関せずと両者の対話を耳にしていた黒猫や羽の少年までもが唖然としている。もはや、言葉を交えることさえ馬鹿馬鹿しく思えるような不埒者。
しかし当の不埒者は、場の緩みを見逃さない。
薄氷のような微笑を浮かべ、じわじわと何かを練り上げる。
「――だいぶ、いや、この薄さはもう殆ど人間と変わりませんね。そのような体たらくで神の子孫を名乗るのは、些か傲慢が過ぎるのでは、閣下?」
「……!?」
「最後に、恩情を与えましょう。陛下は確かにローグリンの地を重宝しておられる。貴重な領土の一部ですから。ですが、それだけなんスよ。"力"を発現できない後継者も、それが生まれ育つことのない環境も、陛下は望んでおらんのです。陛下は最近になって貴国を見捨てられたワケではない。閣下がお産まれになる以前から、とっくに愛想を尽かしておられたのです」
「な……んと……」
それが、哀れな公爵が最期に放った言葉だった。
「うし、任務終了っと。みんなお疲れ様、協力してくれてありがとね。……もし良ければこの後王国来ない? 三人でぱぁーっと打ち上げしようぜ」
「魅力的な提案。でも、ワタシはパス。早く今回の実験結果を主に報告したいカラネ。あの方がはしゃぐ姿がこの目に浮かぶヨ」
「僕も今回は見送る。君に協力したのも、一応実験を兼ねてるから。僕の主も、きっと喜ぶ」
「……ちょっ、キミら付き合い悪くない? ま、あの牝狐共をキレさせるとクソ面倒だし、しゃーないか。……じゃ、改めてお疲れさん。魔法に死霊術だったか、朗報を期待してるよ! うちの王サマも楽しみにしてるもんで」
それぞれの帰るべき場所へ行かんとする両者を、オーディンは手を振って見送る。
ふと、転移の魔法が込められた陣で姿を消さんとしていた黒猫が、唐突に振り返った。
「そうだ、オーディン。今思い出したから聞くケド、あの金髪の女の子、何者? オマエが見逃してあげた子供たちの中にいたよネ」
その問いは、彼にとっては意外なものだった。そのため、目を丸くして黒猫の姿を見つめ返す。
「え、金髪の子って言うと……ナズナちゃん、だっけ? 確かにあの子のオドってオレから見ても異常だったけど……それだけって感じだったな。気になってるの?」
「……オマエのその表情は……さすがに本心カ。まぁ、ぱっと見纏っていなかったし、今は気にしなくてもいいかもしれんネ。じゃ、またいつカ」
「?」
黒猫はそう告げるなり、地に描かれた魔法陣から迸る光の中へと消えて行った。
静寂が訪れた森の中、オーディンは終幕の余韻に浸りながら、此度の舞台を追想する。
(今回はあまり退屈しない任務だったな。標的に近づくため、ソイツが頭領やってる盗賊団に潜入とか、今までに無い経験だったぜ。まぁ肝心の標的の回収に失敗しちゃったのが心残りなんだけどな。ってかそうそう。異世界だっけ? これについては要相談だな。本当ならあの子らを放って置きたくはないけど、それは残念ながら任務外だ。場合によってはまた機関が動くことになるかもしれんし、情報が手に入っただけでも良しとしますか)
両目をじっと瞑り、衣服のポケットに手を突っ込む。そっと取り出した物は、一通の便箋。その中身を確認するなり、彼は夜の闇へと姿を消した。以降、その森に彼が訪れることは無かった。
「お、やっと明るくなってきたずら」
「いやいや、ここはどこなんだよ。随分遠くへ飛ばされたみたいだな。ガハハ」
「確かに、全く見当もつかないずらね。しかしびっくりしたずら。あのおっかない魔獣が、実は変わった喋り方をするネコちゃんで、おいどん達を助けるために遠くへ逃がすなんて」
「まぁ、本人……本ニャンもタダの気まぐれだって言ってたし、おれ達は運が良かったのかもな! ガハハ」
見知らぬ何処かの地に、二人の男。
彼らは誇り高き頭領を探すべく、旅に出る。いずれ再び巡り会えることを願いながら。
作者です。
次話から物語の舞台は三章に移ります。
それに当たって、勝手ながら話の構成を再確認する時間をいただきたく存じます。
従って、38話の投稿は2022/4/25(月)を予定しております。
読者の皆さまには長らくお待たせすることになり心苦しいですが、その分ご期待以上の作品を創り上げてみせます!
「蜃気楼の岬から」の今後の展開をお楽しみに!




