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蜃気楼の岬から  作者: ピンギーノ
幕間Ⅰ
41/95

幕間 緋色の追想

今回は幕間的な話です。


本来は短編として投稿する予定でしたが、量を削ぎ落として本編に追加いたしました。


それなりの文字数のため、ごゆるりとお楽しみ下さい!

――これは、罰なのか。

 いや、よくよく考えりゃ、理想に振り回されてこの世界の禁忌に触れようとした大馬鹿野郎の幕引きとしちゃあ妥当かもしれん。よって、この結末は必然だったんだ。おれが復讐を決意し、姉貴を生き返らせるという理想を抱いたあの日から、運命は既に決していたに違いねぇ。




 ガトーと出会い、この大陸に足を踏み入れたおれは、真っ先に"冒険者"と呼ばれる職を目指した。大きな理由の一つとしては、足の軽さにある。

 冒険者とはその名の通り、世界各地を旅して冒険する職業……とは一概に言い難い。てか、それこそただの旅人だ。存在意義や仕事の中身等、根幹からして全くの別物と言える。

 主な活動内容としては、民間人からの依頼をこなし、そいつらを助けること。依頼内容は畑いじりから凶悪な魔獣の討伐まで、色とりどりだ。


 だが、おれの目的はあくまで姉貴を助けるための手がかりを掴むこと。ならば、冒険者をやるよりも旅人として大陸を回った方がいいのではないか……と誰もが思うだろう。それはガトーにもツッコまれたし、勿論一つの意見としては正しい。


 冒険者となるには大国オムニス国営の組織組合、いわゆる冒険者ギルドに所属する必要があるが、おれが旅人ではなくこの職を選んだ理由はそこにあった。大陸全域に渡る影響力を持つオムニスが公的に運営していることもあり、その分周辺諸国や人々から得られる信用は厚い。冒険者とただの旅人の最たる違いは、身分の有無にあった。


 冒険者が活動できる範囲は、オムニス領全土は勿論、オムニスとの国際取引契約を交わした国々の領内にまで及ぶ。つまり冒険者という身分があれば、大国と契約している土地ならば足を運び易くなる。一見なんの縛りのない旅人の方が自由に歩き回れる気がするが、大国の権力が広く行き渡っているこの大陸に於いては寧ろ、自由度としては冒険者の方が高かったりするってコトなのだ。


 オムニスとの取引契約がなされた国々には、ギルドの支部が置かれる。ありがたい事に、どこでどのような依頼を受けるかは自由だから、おれ達は冒険者として大陸内各地で依頼をこなし、信用を積み重ねながら情報を集めていった。


 余談だが、冒険者ギルドには個人が持つ信用の証として、"ランク"という階級システムが導入されている。最も信用度の低い駆け出しはNランク。その次はDランクで、以降はC、B、A、Sと、順に信用度が高まってゆく仕組みだ。ランクが高ければ高いほどそいつの立場は有利になるものの、高ランクに属するような優秀な人材は、嫌でも大国の目に留まってしまう。さすれば、その優秀な冒険者はオムニスの膝下に置かれてしまうのを余儀なくされるだろう。待遇は格別だろうがその分自由度は下がり、本末転倒となる恐れがあった。

 よっておれ達はBランクより上に昇格しないよう調整しつつ、自分で言うのも何だが賢く立ち回ったワケだ。




 依頼をこなし続けること、二年と半年余りが過ぎた。姉貴を救う手掛かり――ナハトの民の情報に関しては特にこれといった進展は無かったが、代わりに様々な出会いを経験した。中でも特に強烈だったのが、不自然なほどに忙しない通り雨が過ぎていった日の晩、繁華な(みやこ)の生暖かい湿り気を帯びた路地を歩いてた時のことだ。


 当時はおれとガトーの冒険者としての名声がめきめきと高まり、おれら宛の依頼が溢れんばかりに舞い込んで来るような時期だった。二人揃ってちィとばかし天狗になっていたのを、今でも覚えている。ランク調整という名目で大量に稼いだ金を撒き散らし、依頼をすっぽかして賭け事や女遊びに明け暮れるような日々が続いた。あの頃は人々の感謝が込められた金を使って好き放題豪遊することに対して、後ろめたさの欠片も感じていなかった。だから、おれ達には罰が下されたのだろう。


 ――酔態を晒し、肩を組みながらふらふらと宿を目指す、千鳥足の二人。すれ違う人々の目は、やはり冷ややかだった。体中がアルコールの支配下に置かれていた為か、周囲の反応など知る由もない。それ故に気付かなかった。遥か上空から雨のように舞い降りる、不快な殺気の群れに。


 異常に気付いたのは、地を揺らすような巨大な爆撃音を耳にした時だ。空はいつの間にか魔獣の群れによって埋め尽くされ、街の彼方此方からは黒煙が上がっていた。




 よくよく考えれば、違和感だらけの状況だ。

 街には魔獣避けが至るところに設置されてるから、空中であろうと魔獣が侵入することは不可能。それに、最大の謎は魔獣の"数"だ。魔獣の生態に関しちゃ専門外だが、あの光景は冒険者であるおれから見ても明らかに異常だった。確かに群れを成す魔獣は存在するが、それは基本的に同じ種族の間でしか起こり得ないらしい。だが襲撃を仕掛けてきた魔獣共は、単なる群れなんて言葉で表せるモノじゃなかった。


 言うなれば、そう、軍隊だ。


 若干フラつく目線を空に向け、よォく目を凝らしてみる。すると奴らの中に一匹、奇妙な動きをしてる魔獣を発見した。人型に翼を生やしたような姿のソイツは空中に留まって腕を組みながら、まさに傲慢不遜といった態度で地上を見下してやがったのだ。

 驚くのはまだ早かった。その偉そうな魔獣が地面を指差し、何やら声を上げたかと思えば次の瞬間、ソイツの周囲に居た多種多様の魔獣共が街に向かって一斉に攻撃を仕掛けた。


 ――魔獣の、魔獣による統制。おれの頭では、そう判断せざるを得なかった。

 魔獣の行動の全ては非常に強固な生存本能に基づくものであると、何処かの偉い学者が書物に記してたのを思い出す。奴らは生きるために環境に適応する身体をつくり、生きるために栄養価の高い人間を喰らう。森蛇のように特殊な例も存在するが、アレは種の存続という生存本能が進化を促し、特殊な生態を作り上げたに過ぎない。


 高い知能を持つ魔獣は、極めて稀らしい。そのような個体の存在は有り得ないとさえ提唱する者もいる。

 とすれば、実際上空で踏ん反り返ってやがるアイツは一体何者なんだって話だ。多くの魔獣をまとめて命令を下す、指揮官のような魔獣。そもそも街中に侵入されたことから、命令に従っている奴らが魔獣であるのかさえも曖昧だが。




 持ち前の知識じゃ説明が付かないような状況を目前に、ぼやけた脳内には様々な考察が次々と重なってゆく。情報過多によって、完全に足が止まる。あの場で取れたであろう数ある行動の内、最悪に近い選択だった。


 街の中心部にそびえ立つカジノタワーが、大規模な爆発と共に崩れ落ちる。奴らは瞬く間に街へと降り立ち、破壊の限りを尽くしていた。おれ達がいる路地も例外ではなく、醜悪な奇声と恐怖に満ちた悲鳴が四方から流れ込んできた。




 ……おれは、一体何をやってるンだ?

 心の中でそう問いかけた時には、既に手遅れだった。身動き出来ぬほどに痛めつけられ、上空へと連れ去られてゆく人々。少しでも抵抗する者は、無慈悲にも八つ裂きにされていた。

 空虚に包まれたかの如く、途方に暮れる。そして鈍った感性は、背後から伸びる魔手を感知するに至らなかった。


 おれが敵の気配に気付いた時にはもう、鋭く尖った槍の先端が間合いに入り込んでいた。それが身体に接触するまでの時間は一秒も残されておらず、回避は不可能。また、魔力を背中に集中させて刃を受けようにも、当時はコンマ数秒で体内魔素を瞬時に操るような技術は会得していない。


 正直、あの時はマジで死を覚悟した。だが結論から言うと、おれの身体が槍に貫かれることはなかった。

 敵の首が、どさりと地面に落ちる。ガトーが助けてくれたのかと思ったが、いかんせん奴は技の破壊力ばかり追求するような蛮人だ。そんな器用な真似が出来るような男ではない。




 ――不意に、首筋に冷たい感触を覚える。


 戸惑いの最中、気付けばおれは背後を取られていたようだ。刃物を突きつけてきた者は静かな低い声で語りかける。その内容はおれ達を著名な冒険者と見込んでの、依頼のようなもの。


 殺し屋のそいつはこの街で仕事をこなし、間もなく雇い主と合流する手筈だったらしい。雇い主はカジノタワーの一室に身を潜めているが、正体不明の襲撃者の乱入によって合流が困難となってしまったようだ。現状、単身で雇い主の居る場所へと向かうのは自殺行為に等しい。よっておれ達は、男が雇い主の下へと向かうための護衛を頼まれたってコトだ。


 危ねぇニオイがぷんぷんしやがる。勿論断ろうとしたものの、男はそれを察したのか、首筋に当てた刃物を更に食い込ませてきやがった。それを間近で見たガトーは全身から魔力を滲ませて威嚇し始めるも、刃物を持った男は冷めた目つきでそれをいなす。また、奴は更に言葉を付け加えた。依頼が成功した暁には、自分が雇い主から渡される莫大な報酬の何割かを譲るとの話だ。正直金には困ってなかったから、その程度の条件を加えられたところでおれ達は動かねぇ。だがおれはその時、ソイツの内に秘められた真意のようなものを感じ取ることが出来たんだ。言葉の間や呼吸、瞳の動き。この男は、好き好んで汚れ仕事を請け負っている訳じゃあねェ。少なくとも、心の芯は捻じ曲がっちゃいねぇと確信できた。

 なんだかんだ、おれはその依頼を承諾することにした。ガトーからは色々と文句をぶつけられたが、アイツはあーだこーだ言いながらも結局はおれを信用してくれた。


 背後の男を魔法で迎撃して、さっさと街から離れることも可能だ。だが今思えば、おれ達が下した判断は正しかったのだとしみじみ思う。




 わんさかと蔓延る、魔獣に似た敵との接触を極力躱し、三人は崩れ落ちたカジノタワーへと向かう。男の雇い主には凄腕のボディガードが複数人付いているらしく、その身を案じる必要はないとのことだった。

 苦労の末、漸く目的の場所へと辿り着いた。焼け焦げたにおいに鉄のような異臭が混ざり、鼻の奥を突く。男からの依頼内容は、雇い主の下へと向かうまでの護衛。つまり目的地に着いただけでは、依頼達成とは言えないのだ。おれは、早くソイツの用事が済む事を願った。


 暫くすると、瓦礫の隙間から三つの影がゆっくりとこちらに近づいて来るのを確認した。やがてその姿は、地に根付いたかのように延々と燃え盛る炎によって徐々に鮮明になってゆく。

 黒スーツを身に纏う二人の屈強な男と、紫のタキシードに身を包む小太りの男。凄腕のボディガードが複数人付いているとのことだから、恐らくこいつらが雇い主である可能性が高い。しかし三人とも全身に傷を負っており、満身創痍といった様子だ。タキシードの男なんかは怯え切った表情で宙を見つめてやがる。


 殺し屋の男が警戒を解き、三人組の元へと静かに向かう。やはりコイツらが雇い主で間違いないようだ。

 殺し屋はタキシードの男に向かって、言葉を発する。標的は始末したからさっさと報酬を寄越せとのこと。さすがに冷徹過ぎるとは思ったが、所詮おれは部外者であるゆえ二人の会話に口を挟むことはなかった。


 あれから暫く両者の様子を伺う事にしたが、何やら揉めているようだった。交わされる言葉は徐々に毒を帯び、炎の熱気に包まれるそこは熾烈な口論の場と化す。軽く盗み聞いた話によると、雇い主が襲撃によって崩落したカジノタワーから命からがら脱出する際、自身の所有物を報酬金の入ったケース諸共手放してしまったらしい。つまり今の雇い主は一文無しであり、殺し屋に報酬を支払えないことを嘆く以前に精神的に相当参っているように見えた。


 暗殺者を雇えるほどの人間だ。さぞご立派な地位に身を置いてるに違いねぇ。コイツがこの街に居を構えてるのかどうかはわからんが、もしそうだった場合、今の惨状を見るとさすがに同情しちまう。


 言い争いは続く。

 すると、タキシードの男が突然頭を下げ始めた。つい先ほどまでは顔面に血管が浮き出るほど激昂していたものの、今となっては文字通り血の気を引かせ、そればかりか殺し屋の男を敬うような目つきで見上げていた。まるで翼をもがれた隼のような態度の豹変ぶりに驚いたおれは、より二人の会話に集中することにした。


 両者の様子を詳しく見るべく姿勢が前のめりになったその時、おれは衝撃的な光景を目の当たりにすることになる。

 怯え切った表情の雇い主と、ボディガードと思しき男二人。彼らの首から上が、大量の鮮血と共にドサリと地に投げ棄てられたのだ。気付けば殺し屋の片手には、二の腕ほどの刃渡りを持つダガーが黒い輝きを放っている。

 僅かに遅れて状況を理解したおれは、俯く殺し屋の男を見つめ、ただ立ち尽くすだけだった。あの時のおれは、何でもいいからソイツに語りかけたかった。そうでもしないと、目の前の男の苦しみは増すばかりだと思ったんだ。だが、どうしても行動に移れない。頭ン中に生成された言葉は、喉を通る前に眼前の光景によってかき消されちまう。結局は、後に男から声をかけられるまで、おれが一歩でも動くことはなかった。


 話の内容は、男がおれ達に支払う報酬について。冒険者への依頼という名目で(半ば強制的に)付き合わされたゆえ、男は必ず何らかの対価を支払わなければならない。しかし当初契約した報酬金の支払いなど、この状況下ではまず不可能。

 相手は暗殺術の練達者だ。わざわざこんな事を相談しに来なくてもおれ達の前から姿を消すことは可能だろうに、コイツは逃げずに面と向かって歩いて来た。やはりおれの見込んだ通り根は真面目で、律儀なヤツだと確信した。そんな男だと知れたから、おれは迷わずその提案を口にすることが出来たんだろう。

 ――おれ達の仕事に協力して、支払う筈だった報酬金の埋め合わせをしてくれ、と。




 街を襲った奴等は、惨たらしい痕跡のみを残して姿を消してしまった。おれ達は新たに出会った仲間スノウと共に、冒険者としての活動を始めるのであった。どうやらスノウは南の帝国出身で、生き別れの兄を追ってこの大陸までやって来たらしい。暗殺術は故郷での生活で自然と身に付いたのだとか。


 ……あの街で味わった後悔は、生涯に渡っておれに呪いを振りまく。救えた筈の幾つもの命への償いってワケじゃないが、この先続くであろう長い道のり、せめて真っ当に進もうと思った。




 しかし、現実は畳み掛けるかのようにおれ達を苦境に立たせんとする。

 功績を積み上げる者ほど、ほんの小さな失敗が無視できねェ程の傷となるのは何処の世界でも変わらんらしい。さっきも言った通り当時のおれ達はそこそこ有名だったから、良くも悪くも行動一つ一つが一定数の人間の耳に入っちまう。

 例えばおれが何処で依頼を受けてるかなんて情報も当然出回ってるワケで、嫌味ったらしいことに"若手冒険者シャヴィ・ギーク、立ち寄った都市にて魔獣の群れに攻め込まれるも、力及ばず。都市は炎の海と化した"なんて記事が書かれる始末だ。




 冒険者が動くときってのは、依頼を受けるとき。だから、街が被害を受けようが誰かが助けを呼ぼうが、ソイツらを助けるかどうかは冒険者自身の正義感に委ねられる。要するに、おれ達がどう動くかは自由なんだ。"あの街を防衛しろ"なんて依頼を受けた覚えはないし、英雄視されるのは困るから、依頼されたとしても速攻で拒否するだろう。それは恥ずべき行為ではない。あくまで冒険者という職業が持つ権利の範疇なのだ。

 だが事実として、あの一件以来おれ達に対する世間の信用は目に見えて急降下してしまう。僅か二年足らずでBランクへと上り詰めた、新進気鋭な二人組の新人。そんな形で期待を背負われてた分、多少の失速でさえ多くの人々を失望させてしまうのだ。


 悲劇は、まるで止まることを知らない。一体ドコから広まったのかは知らんが、以前あの街でおれ達が豪遊してたって話も明るみになった。もしかしたら運良く生き延びたヤツが居て、ソイツがおれ達への報復の意味を込めて流したのかもしれん。もしその通りなら、その報いの矛先はとんだ筋違いだ。そのお陰で、余計なことをしてくれたと憤ることも、生き残りがいる可能性があると歓喜することも憚られてしまう。そん時のおれの頭ン中は、えも言えない不快感に支配されていた。

 結局、程なくしておれ達は冒険者を退くことになる。そんな中、スノウが何も言わずに付いて来てくれたのは意外だった。アイツは賢くて、なんだかんだ優しいから、おれやガトーのやり切れない心情を察してくれたのかもしれない。


 "賢く立ち回った"とか言った気がするが、撤回する。忘れてくれ。あん時のおれは間違いなく焦り過ぎてた。目的を正面に見据えて突っ走るあまり、生じるリスクや自分を取り巻く環境の変化に気を配れていなかった。そして迎えてしまった現実こそ、この罪に対する罰だ。

 許しを得るという事は、即ち試練を受け続ける事なんだと、生まれて初めて思い知った。




 それ以降は、冒険者時代に蓄えた資産が許す限り旅人として大陸を回ることになる。だが実際はBランク程度の冒険者の積み金などたかが知れていて、節約したとはいえ三人分の宿代や食事代を考えれば、資産の奥行きなど手を伸ばすまでもなく、あっという間に底へとぶち当たっちまった。手持ちの金が減ってゆくにつれ、おれ達の心も徐々に摩耗していった。

 殆ど強制的だったとはいえ、冒険者を辞めたのは自分らで決めたこと。後悔だけはしちゃならねぇとは思ってたが、いざ困窮が極まったような状況に陥ってみれば、つい余裕があったあの頃に思いを馳せてしまう。安酒で喉を潤すことすら叶わぬ窮迫、毎晩のように三人で愚痴をぶつけ合うのは仕方のねェことだった。


 心象に飢餓が蔓延するにつれ、ソイツの人間性は(すさ)んじまう。全てが尽きたおれ達は、いつしか何処かの町の貧民街に住むことになった。おれは、何よりも自身が依然として生にしがみついている現実にひどく驚く。ただ野垂れ死ぬばかりと思っていた矢先に偶然辿り着いた場所が、この環境。神が与えたせめてもの慈悲である……とか言う奴もいるだろうが、当時のおれはそんなコト欠片も思っちゃいなかった。

 荒れるに荒れ切った心から絞り出した感情には形が無く、ただただ悲観的に、自暴自棄になってその日その日を見送った。こんな生きてるか死んでるかさえ曖昧な日々を過ごすならばいっそ、自ら命を断ちたいと思ったことなど、両手では数え切れない。

 だが、体のどこかがそれを拒否していたんだ。全てを放り投げたくはないという意地と、生きて(もが)く限り再起のチャンスが降りるのではないかという願望、それからもう一度姉貴の顔を見たいという理想が死を受け入れることを強く拒み続けていた。




 おれ達がそこに住み着いてから、幾日かが過ぎた頃。おれはふと思い立ち、貧民街の連中に盗みの術を教えていた。何年も住んでいるワケじゃないが、さすがに何回も顔も合わせればそこにいる奴らの本質など手に取るように視えてくる。

 連中が抱くものは、その時のおれの心情と似ていた。死のうにも、死にきれない。或いはマシな生活を望むも、現状を変える勇気も気力もない。自分(テメェ)に課せられた現実を、誰もがのうのうと受け入れていた。――否定はしねぇ。おれもソイツらと同類だったからだ。だがそんな奴らの生活に身を置いてると、次第に"今"を変える"何か"を投じたくなってきた。そこで思い出したのが、幼少期の、スラム街で育った記憶だ。当時のおれは姉貴に救われるまで、大人に命令されるがまま盗みを働いた。それでどうにか日々の食い扶持を稼いでた。

 貧民街に居る連中の大半は、何も最初からそこに居るわけじゃない。何かが原因で落とされたり、もしくは逃げて来たという話だ。この街の敷きたりでは、一度貧民街に落ちた者は二度と元の生活には戻れないらしい。ならばせめてもの復讐として、上の連中が美味そうに吸っている蜜を恵んでもらおうと思い至ったんだ。倫理観や道徳心を完全に否定した選択だが、正義感に考えを巡らせる余裕など無く、ただ連中に変化を与えたい一心で……いや、そんなのは単なる建前で、実際はおれ自身が大きな変化を望んでいたが故の行動だった。


 ただ、先も説明した通りここの連中の多くは気力を失っている。最初こそ乗り気な奴は少なかったものの、盗んだ食糧を街の連中に振る舞えば、奴らの目はみるみるうちに輝いていった。以降、おれ達に協力する者は日に日に増えてゆき、数ヶ月もすればかなりの大所帯となった。気付けば、盗みを敬遠していた筈のガトーやスノウまでも参加している。

 活気に溢れる貧民街。腐り切ったその場所に光を灯したのは、消し去りたかった幼少期の記憶。その皮肉がどうも面白く思えたのか、日の当たらぬ街の隅で、おれは何時(いつ)しかひとりでに嗤っていた。




 時が経過して、おれ達の存在は貧民街の盗賊団として警戒されるようになる。町からは警備隊やギルドからの刺客が放たれるようになり、もはやそこに暮らすことすらままならなくなったから、盗賊団は街から離れることを余儀なくされた。だが、上側はそんなおれ達をみすみす見逃してくれるほど優しくはない。

 追手から逃げ続けると同時に、一人、また一人と犠牲の数が増えてゆく。どうにかして状況を打破せねばならないと考えたおれ達は、スノウの提案により団を三つに分けることにした。この策によってそれぞれ小回りの効いた行動が可能になり、敵戦力の分散にも繋がるというワケだ。結果、おれは二十三もの若い連中を率いることになった。

 おれのグループはガトーとスノウを含めて二十六人と、他のグループからすれば三分の一程度の規模だ。スノウは最初、どのグループも戦力や人数が均等になるよう上手く配分していた。だが、一人の老人の声がそれを遮った。人々から"長老"と呼ばれるその老人は、おれ達が街に流れ着く以前からのリーダー的存在であり、盗賊の活動に様々な助言を与えてくれた恩人でもある。それ故さすがに無下にするわけにもいかず、スノウは彼の声に耳を傾けた。


 こうして出来上がったのが、このやけに偏りがある編成。大々的に編成が告げられた当初はガトーでさえも疑問を浮かべる様子を見せていたが、人々の多くは不思議とそれに納得しているようだった。追われている身ゆえ時間的な余裕もなく、長老の口からは何も語られなかったが。


 ――未熟な若者たちを最も動きやすい少数部隊としておれ達に預けた理由。頭領としての自覚が芽生えて暫く経った今なら、わかる気がする。




 渺漠たる枯れた荒野を、猛烈な日差しで色褪せた平野を進む。貧民街から遠ざかったとはいえ、おれ達が生きてゆくためにやることは変わらない。各地で急増する盗賊被害。おれが"緋虎"として恐れられるに、さほど時は流れなかった。


 拠点を設けては壊し、また新しく別の場所に作っては、正義の手を振り切るためにまた壊す。こうして転々と移動するうちに、とある情報がおれの耳に流れ込んできた。


 この世界に太古から伝わる、"魔女"の伝説。どうせ御伽噺(おとぎばなし)とか童話の類だろと思っていたが、どうやらナハトの民とその魔女とやらには深い繋がりがあるらしい。一説によると、魔女の子孫がナハトの民として人目を避けて暮らしているのだとか。

 ……この大陸に渡って数年。幾つもの奮闘や、苦痛の果てに辿り着いた手掛かりだった。結局は理想であると断じ、実際のところは手放しかけていた唯一の(しるべ)。もはや信憑性の有無などに拘ることはない。この情報を手にしたおれは、仲間と共にいち早くローグリン方面へと向かった。土地に魔女信仰が根付いていると言われるそこに拠点を構えれば、ナハトの民に大きく近づけると確信したからだ。








 紆余曲折あったおれの追想も、そろそろ幕引きとなる。

 思い残す事があるとすれば、姉貴との別れ際だ。別段後悔してるって程でもないが、あン時は本当に我を忘れてた。もっとアイツの顔をちゃんと見ておけばよかった、って今更ながら思う。




 ……あとは、最後に出会ったアイツらだな。

 不思議な奴らだった。経緯はウィルの口から全て聞き出したものの、これがどうも信じ難い。異世界から飛ばされたってのは常軌を逸してる話だし、そもそも森の南側は平野が広がるのみで、集落なんてものは無い。アイツの言葉に偽りは無かったと思うのだが……まぁ、ここで考えても仕方ない。気がかりなのはアイツらの道行きだ。中途半端に関わっちまったお陰で、どうも後味が悪いンだよな。




 おれの旅は多分、ここで打ち止めだ。思考も視界もあやふや。身体はボロボロにくたびれて、呼吸のために肩を上げ下げすることすらしんどい。今は魔力と勘が反応するままに身体を動かしてる状態だ。火事場のなんとかってヤツか? 正真正銘の化け物相手にここまで食い下がれるとは思わず、我ながら凄まじい根性だと感心する。だが、悪足掻きの時間もそろそろ刻限……だった。




 片膝は地につき、両手の指先がだらりと下を向く。辛うじて動いた視線の先には、憎き男のシケっ面がある。見下してんじゃねェよ。何か口を動かしてるが、そこに意識を向けるつもりはない。なぜ死に際に奴の憎まれ口を叩かれにゃならんのだって話だ。


 目の前の男の片手には、一本の素朴な槍が握られている。柄の長さは大体一メートル弱。どうやら投擲用の槍らしい。

 刃先がこちらに向けられた。視認できない猟奇的な重圧がそれを覆い、締め付けるような冷気がこの心臓を包み込んだ。




 視界が霞むと共に、やけに眩しい光が瞬く間にその場を覆い尽くす。

 



 おれが最後に見たものは、天から手を差し伸べ、柔らかく微笑む姉貴の姿だった。

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