03話 夜
手を振り、こちらへと向かう幼なじみと同級生。
ウィルは、それを目にして少しだけ心が暖かくなるのを感じた。
「ふ、二人もここにいたのか」
「そうなんだよ、我が友よ。僕も気付いたらここで寝ててさ。先に起きてたミサと周辺をちゃちゃーっと探索してたんだよ」
小柄な幼なじみはそう語る。まるで自分が探検家であるかのような物言いからその姿がやけに誇らしげに見え、彼のいつも通りの様子にウィルは思わず苦笑する。
「てゆーか、マジでなんなの、ここ? 早く帰りたいんですけど。あと、あんた誰?」
ミサが不満げに呟き、金髪の少女を睨みつける。この誰もが理解不能な状況下、普段は感情をあまり表に出さない彼女も相当気が立っている様子だ。しかし、当の金髪少女はウィルの顔を怪訝な表情でまじまじと見つめるのみで、その声に応える様子は見られない。
「......」
「は? 無視とか何様のつもり? あんたに聞いてんだよあんたに」
すると、金髪の少女はようやくミサの存在を認知したかのように、キラキラとした瞳で彼女の姿を見上げた。
「わわっ、すっごく良い香りですね! それにお顔もお召し物もすーっごく可愛い!! お名前は何てゆーんですか? ぜひお友達になりましょ!」
「............ミサ」
「ミサちゃんですね! 私、ナズナっていいます。ナズナ・ナハト!」
「..................」
先ほどまでは苛立ちを露わにして金髪の少女ーーナズナを見下していたミサだが、邪気の欠片もない上目遣いで好意を向けられたとあっては罵る気にもなれず、押し黙る他なかった。
(......ぐいぐい来るなぁ、この子。............まぁ、褒められて悪い気はしないけど)
若干引き気味ではあるが、彼女はナズナの容姿を一瞥し、真っ直ぐ向けられる無垢な目線から目を逸らしながら素っ気ない態度で告げる。
「............変わった名前。......でも、可愛い名前ね」
すると、ナズナは"可愛い"という言葉に反応したのか、「えへへ、そうですかぁ?」だの、「そんなことなくもないですよ〜」だのと嬉々とした様子を見せ始めた。あくまで名前に対する褒め言葉だが、容姿を褒められたと勘違いしたのだろうかと、その場にいる者は察する。
因みに容姿は悪いわけでなく、寧ろ美少女と言えるほど整っている。その美貌と相反するような天然じみた言動が、彼女の独特な存在感を際立たせているのであった。
「こほん。ナズナ......さんでいいのかな」
「呼び捨てでいーですよ! えっと......」
「......あ、俺はウィルだ。こちらも呼び捨てで構わない。それで、俺の隣にいるのが......」
「ニ、ニケと申します。......至って無害な男ですので、今後ともどうぞよしなに......ふへっ」
言葉を詰まらせる少女の様子から、彼は自分が未だ自己紹介を済ませていなかった事に気付く。人に物事を訊くより先に、自らを名乗ることは最低限の礼儀であるーーとは、いつか読んだ小説にて共感を覚えた格言だ。
頭の片隅に仕舞われていた物がふとした瞬間に思い起こされることは珍しくもないが、彼はそのお陰で数分前の失態をまたもや後悔する羽目になった。
「ウィルさんにニケさんですね。たぶん覚えました! それで、なんですか?」
「だ、だから別に呼び捨てでも......いや、なんでもない。それよりもナズナ、幾つか聞いてもいいか?」
「なんなりと!」
ミサとの僅かなやり取りから感じてはいたが、実際にコミュニケーションを取ると、ひしひしと伝わる。金髪の少女の醸し出す雰囲気はまるで陽溜まりのように眩しく、暖かみに満ちていた。彼女と言葉を交わす事で、少しでも不安を紛らわすことが出来るのではないかと、漠然と思ったのだ。
「えっと、まず、此処はいったいどういった場所で............っ!?」
突如として、揺らぎ始める視界。
目に映る景色が霞み、金髪の少女の顔が朧げになる。今しがた鳴りを潜めていた頭痛が急激に広がり、締め付けるような痛みが頭部全体に浸透した。
「............??」
意識の乱れから、上手く言葉が形成されない。
手足は痺れ、嘔気が波のように襲い来る。胃の中のものが押し上げられる不快感を、何度も何度も押し留めた。
身体中が痺れ、徐々に動かなくなる。
プールの底のように薄暗く、寒い。ナズナが必死で呼びかけているのが伝わるが、その言葉が頭に入り込む余地はなかった。
この不快な感覚の正体は何なのか、そしてこの場所は何処なのか。訳が分からぬまま、彼の意識はプツリと途絶えてしまった。
*****
ーーひどく、長い夢を見た気がした。
けれども、その全てが苦痛だったかと問われれば、きっと自分は首を横に振る。心なしかそう断言できた。
向かいに佇む、どこか見覚えのある黒髪の少女。
羽根のように軽い意識の中、少女の居る方角へと足を進め、彼女には一瞥もくれずに側を通り過ぎる。
見据える先は、夢の終わり。
不意に、微かな温もりが背中を押す。
すーっと、肩の荷が下りた気がした。
門出の決意が固まり、茫々たる道を行く。色素が抜けたような白い花びらが、辺り一面に乱れ散った。
*****
......酷く、長い夢を見ていた。
いつも通りの日常が唐突に崩壊する夢だ。思い返すのも憚られるような気味の悪い風貌の化け物が目の前に現れ、自分たちを知らない場所へと連れ去ってしまう、そんな恐ろしい悪夢だった。
薄く開かれ、ぼんやりと霞む視界に描かれるは、いつも通りの教室。
起床、登校、下校、就寝のワンパターンな日々から抜け出したい、と願うことは多々あった。だが、あの孤独感や恐怖を味わってしまえば、もう下手な妄想や願いなど思い描くのもおぞましい。
未だ記憶から剥がれない、ゾッとするほどの現実味。少年は再び目蓋を閉じ、顔を腕の中に埋めた。あらぬ妄想には懲りたから、次こそは良い夢を見れますように、と。
先ほどから、騒々しい雑音が周囲を取り囲んでいる。授業の合間にゲラゲラと馬鹿騒ぎする、同級生らの姿が目蓋の裏に浮かんだ。
(......やかましい連中だ。ただでさえ無駄に疲れたってのに)
教室中を飛び交う、他の生徒に対する侮蔑や下品な笑い声。それを平気な顔で発し、当然のように受け止める彼らの気持ちは、毎度のことながら理解に苦しむ。
早く、眠りたい。早く、帰りたい。
飛び交う雑音から耳を塞ぎながら、少年は逃げるように意識を微睡みの中へ詰め込もうと試みた。
......飛び交う、雑音。
普段の彼であれば、決してそれらに意識を傾けることはない。さすれば耳障りな言葉など、意味を持たぬノイズと同じであるからだ。
だが、いま耳に触れている雑音は何かがおかしい。言葉を聞き取らぬように敢えて意識を閉ざさずとも、それは既に単なるノイズであった。
詰まるところ、その音からは人間特有の間や抑揚が一切聞き取れなかったのだ。
ーー急な悪寒に見舞われたウィルは、両目を見張って勢いよく上体を起こす。
その瞬間、灼熱を帯びた橙色のエネルギー塊が、彼の頭上を猛烈な勢いで通り過ぎた。
「..................」
エネルギー塊が着弾した方向から響くは、背筋が凍てつくような甲高い悲鳴。
ーーあぁ、また夢か。
不可思議な現象も、映画の感動的な結末も、一世を風靡する笑いのネタも、初出の衝撃を二度体感することはまずあるまい。立て続けに奇怪な現象を目の当たりにしたウィルは、改めて現状の馬鹿馬鹿しさにため息をついた。
宙を駆ける炎に、獣の雄叫びに似た悲鳴。あまりに現実離れした光景を目の当たりにした結果、彼の心は霜のように冷え切っていた。
(これは......疲れてるな。割と真面目に生きてるつもりだけど、まさか俺の頭がこんなにイカれてたなんて知らなかった。............さっさと起きよう)
右手を右の頬に寄せ、親指と人差し指で摘む。そして、ありったけの力を二本の指に込めた。
「......しまった! ウィルさん......っ!!」
何処からか響く、聞き覚えのある少女の叫び声。その声は震えており、今にも崩れそうな心が投影されているように感じた。
不意に、生温かい微風が後ろ髪を撫でる。
ウィルははっと息を呑み、頬に片手を添えたままゆっくりと、その方向へ目を向けた。
(......!?)
弧形に揃った包丁ほどの大きさの刃物群が、何かを挟み込まんと向かい合っている。
粘性のある液体が滴る。恐る恐る見上げた時には既に遅く、それは少年の首へと狙いを澄ませ、息つく暇も与えずに襲い掛かった。