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蜃気楼の岬から  作者: ピンギーノ
一・二章 緋色の盗賊(下)
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36話 この上なき愛を

 冷たい空気が、辺りを包み込む。

 透き通るような白き月明かりは霜のように舞い降りて、夜の静けさを一層引き立てていた。


 二つの影が、そこにあった。


 片方は人間。片方は人間の形をした何か。


 興に乗じて自ら正体を開示した偽りの人影は、徐々に冷静さを欠いてゆく人間の表情に更なる興を見出す。汗の染み付く重い衣を脱ぎ捨てたような快感に支配されそうになるも、今は人間との対話が最優先であるゆえ、破裂しそうな心の昂りを強制的に噛み殺した。




 「......オムニス王国............機関......っ!?」




 目の前の男が発した単語を、顔を青褪めながら繰り返すシャヴィ。あまりにも衝撃的な展開に理解が追い付かず、その瞳は小刻みに揺れている。

 男の全身から発せられる無色透明の圧は、呼吸する間すら与えぬような凄まじいもの。それを体感してしまったからには、この男は"本物"であると認めざるを得ないのだ。




 「別に怖がらなくていいんだよ。何も君を粛清しに来たってわけじゃない。寧ろその逆さ。オレがこんなメンドい真似をしたのは、全ては君を勧誘するためなんだ。......君をいじめるつもりはないってコトは分かってほしいな」


 「............勧誘? 機関に......? 訳がわからん。それよりもリッキーだ。アイツは今何処に居る?」


 飄々とした態度を取る男の言葉は、シャヴィを更に困惑の沼へと突き落とす。何一つとして飲み込めない彼は、自分が真っ先に知るべき事柄を聞き出すべく問いを投げた。相手が如何に恐ろしい存在とはいえ、会話による意思の伝達は可能であると判断しただめだ。


 しかし程なくして、彼の見込みは全くの見当違いであった事に気付く。


 「そこでだ。今からオレと一緒にオムニスに来てくれない? 旅費......とかの心配をする必要はないよ。なんせ、オレの協力者が一瞬で転移させてくれるからさ」




 男の容姿を一言で表すならば、洒落た好青年である。パーマのかかった長い黒髪。前髪を後ろに撫で上げているゆえ、その容貌をはっきりと確認出来た。

 彫りの深い顔立ちに、優しげな目元。下部を覆う無精髭は丁寧に整えられており、不思議と清潔感に溢れている。高身長で体躯も良く、やはりリッキーとは似ても似つかぬ程の美丈夫であった。


 されど好感が持てる見た目に反し、この男はシャヴィの話に聞く耳を持たぬ様子で、次々と自分勝手に話を進めている。

 苛立ちを覚えたシャヴィは亜空間に収納した武器を掴み取り、その切っ先を男に向けた。


 「......おい。勝手にペラペラと喋ってんじゃねェよ。会話してぇなら、まずはおれの疑問を全て解消してからにしろや」


 目を見開き、最大限の殺気を込めて威圧する。ただ、それすらも男にとってはどこ吹く風。苦笑と共に受け流し、目を軽く細めて見つめ返した。


 「はは、そう怒るなって。でもそうだね、確かにちょっとだけ説明不足だったかな。超絶メンドいけど、これも"勧誘"のためだし仕方ないね」


 男は笑顔でそう呟くなり、なるべく相手を刺激せぬよう、細やかに事の真相を語り始める。


 それと同時に生じる、微々たる疑問。

 そもそもこの男が本当にシャヴィをオムニス王国へと連れたいのであれば、律儀にターゲットの要望を飲む必要などないのだ。


 認めざるを得ない事実として、男の持つ力はシャヴィのそれを遥かに凌駕していた。力を有する者が弱者の上に立つ世界に於いて、強者が謙る道理はない。圧倒的な実力を持つならば、それを振るわねば宝の持ち腐れも同じ......という理屈が、シャヴィが長き旅にて学んだこの世の真理である。

 しかし、眼前に立つオーディンと名乗る男はまるで違った。おまけに冴え渡る洞察力を持ってしても、男の感情は全く読み取れない。

 シャヴィはどことなく違和感を抱えながら武器の先を地に下ろし、男の話に耳を傾けた。自分が翻弄されているとも気付かぬままに。




 「異世界の子達に会う三日くらい前のことかな。同盟国のローグリンから、盗賊の被害から助けてくれって頼まれたんよ。そんでもってオムニスから協力者を引き連れてやって来たのがオレってわけ。あ、協力者ってのは死体を色々いじれる能力を持ってる奴でね。君達のアジトを割り出すために偶然鉢合わせた適当な盗賊を一匹殺して、協力者に頼んでそいつの姿と記憶をコピーさせてもらったのよ」


 「......その"適当な盗賊"がリッキーか」


 「ははっ、その通り」


 男は一切の躊躇いも見せず、相手の仲間の命を奪ったことを告げた。まるで小虫を潰したかのような軽々しい物言いに、シャヴィはじりじりと沸き出る苛立ちと屈辱に奥歯を噛み締める。

 柄を握る右手が震え出す。だがここで男に攻撃を仕掛けたとて、ヘラヘラといなされてしまうことは容易に想像できよう。迸る感情を抑え、引き続き男の言葉を待った。




 「因みにローグリンを粛清したのは、あの国が陰で大国の地位を狙ってる事を知ってたから。オムニスが特務機関をここに送ったのは、もしかしたらそっちが本命だったのかもね、知らんけど。......ほんなこんなで今に至うわえだへど......正直、君のような実力者をただ殺してオシマイってのはちょっと気が引ける。だから、スカウトしに来たの。どう? 納得した?」


 男は話途中に亜空間から袋を取り出し、そこから更に小ぶりな包みを取り出した。包みを開けた男の手には、握り拳ほどの大きさの菓子。恐らくローグリンの屋台で買ったものだろうが、あろうことか彼はそれを頬張りながら言葉を続けたのだ。


 言動、行動、態度。男の全身から醸し出されるあからさまな蔑みに、ついにシャヴィの憤りは頂点に達した。男の姿を捉える目は血走り、理性の灯火が徐々に失われてゆく。




 「ーーッ!!」


 武器を振り上げ、裂帛の気迫を込めて叩き下ろす。同時に、宝石のような緑の輝きを放つ魔法陣が、裂かれた空間に出現した。

 直後、まるで物珍しい生物に遭遇したかのような微笑を浮かべる男目掛け、強烈な破壊力を秘めた光線が超高熱を伴って放射される。




 シャヴィが全力を注いで駆動した渾身の魔法は、木々や草花、そして所有者を失った小さなテントすらも焼き払う。その威力は以前騎士団長に向けて放ったものとは比較にならず、彼が会得した数々の魔法の中でも最大の攻撃手段であることが窺えた。


 視界を覆う閃光に、辺り一帯を吹き飛ばすかのような激しい熱風。魔法が発動する直前の位置関係から、光線が男に直撃したことは確実。そして如何に強者といえども、自身の全力が込められた一撃を無傷で受け切った者など存在しない。

 今相対している男こそ簡単に打ち倒せるような存在でないことは理解しているが、表情に浮き出る腹立たしい余裕は崩せた筈と確信し、眼前に広がる黒煙を射るように睨みつけた。




 ーー煙が晴れる。

 シャヴィは再び武器を構え、襲い来るであろう反撃に備えた。

 散々卑下していた人間から傷を負わされ、屈辱に苛まれた男の姿が現れる瞬間を待ち侘びる。


 薄煙の中、男のシルエットを確認した。従って魔法が命中したことは確実ーー




 「おいおいおい。一応この服結構するんだぜ? 焦げ臭くなったらどうすんだよ。......まぁあん時は丁度値下げされてたから、出費自体は安く済んだんだけどさぁ」




 男の憐れな嘆きが響き渡った瞬間、シャヴィは戦慄した。全身に煙を被り、衣服の汚れを払うように軽く叩く男の身体には、傷一つ見当たらない。


 まさに、正真正銘の化け物。戦闘能力には確固たる自信を抱くシャヴィだが、この時をもって自分が井の中の蛙であったことを痛感した。

 大海の広さなどもってのほか、実の所、彼は自分の実力を超える者など滅多に現れぬと自惚れていた。それ故いつしか力を求める貪欲さは停滞し、井の底から日々眺めていた筈の空の蒼さすら記憶の彼方へと放ってしまったのだ。


 とはいえ、シャヴィの力は自身が認めるように多少の衰微を見せてはいるものの、それは鍛錬を怠けた事による一時的な劣化に過ぎず、この世界では相当の手練れであることに違いはない。


 詰まるところ、専ら相手が悪すぎたのだ。




 オムニス王国軍特務機関。

 四大国家に数えられるほどの大国が誇る軍事力の中でも、極めて異質な位置付けである軍事組織ーー通称"機関"は一部の人間の間のみに知れ渡る正体不明の組織であり、その存在はいわば都市伝説に近い。

 現在のオムニス王国が敷く国家体制に於いて、国王は国内の軍事力を独占せず、代わりに軍の指揮権はそれに相応しい人間に握らせている。しかし、世界を動かすほどの巨大勢力に裏の事情が付いて回るのは必然。その一つとして挙げられている事情こそが、国王が自ら命令を下し、王直属の軍事力として密かに任務を遂行する特務機関である。

 過去に機関の情報を掴むべく探りを入れた者は多少なりとも存在したが、彼らはみな決まって謎の失踪を遂げている。その薄気味悪さから、機関の正体に関しては軽々しく触れてはならないとされ、今や知る人ぞ知るブラックボックスと化しているのだ。語り草としては稀に耳にすれど、あやふやな情報しか出回っていない為、シャヴィも実際に男と出会うまでは半信半疑であった。


 そして事もあろうに、男は例の得体の知れない組織の"総司令"であると自らを称した。そのような未知の怪物に逆らうなど甚だ愚行であり、向こう見ずな振る舞いである。最大の攻撃手段が全く通用しないといった悪夢を目の当たりにし、シャヴィの脳内には漸くその実感が冷や汗と共にじわじわと滲み出てきたのであった。






 「お、おーい! さっきの魔力波は何だぁ!? まさか、奴が攻めて来たのか!?」


 複数の足音に紛れ、野太い声が背後から響いた。

 八方塞がりの状況に思考を放棄しかけていたシャヴィは、咄嗟に振り向く。




 「馬鹿野郎ォ!! 来るんじゃねぇ!!」


 自分の身を案じ、早急に駆けつけた仲間達。普段ならば歓喜に胸を躍らせる状況だが、現状を視れば事態を最悪の方向に進めかねないのは自明。冷静さが吹き飛んだ彼は、仲間達に向けて振り向き様に怒鳴り散らした。


 頭領が発した予想外の言葉と鬼気迫る表情に、五人は戸惑いを隠せず足を止める。


 「あんれ、ガトーさん達じゃないっすか! ちょうど良いところに!」


 「り、リッキーか! 良かった、無事だったようで安心したぜ。それよりも、シャヴィの奴は突然どうしちまったんだ?」


 衝撃は、間髪入れずにシャヴィを襲う。ガトー達は、正体を現わした筈の男を未だにリッキーと思い込んでいるのだ。しかしそのお陰か、彼はその原因と頭の片隅に残った違和感の正体を即座に突き止めることが出来た。




 ガトー達は今......否、男の言葉によるとウィル一行に出会った日の三日前から今に至るまで、幻覚を見続けているのだ。


 先ほどリッキーの姿が男のそれへと戻ったように見えたのはシャヴィの思い込みであり、実際は男が何らかの手段を使って彼に見せていた幻覚を取り払ったに過ぎないのである。

 つまり、男は最初から姿を変えておらず、"自分の姿がリッキーに見える"といった幻覚を周囲の人間に見せていた、という事に他ならない。彼は仲間達にこれを伝えるべく、口を開こうとした。


 「ガトーさん、助けて下せぇ! お頭が突然あっしに攻撃して来たでやんすよ! どうやら幻覚が再発したみたいなんすけど......そこで、どうにかお頭にあっしがリッキーであると説明してほしいっす」


 「なっ......それは本当か、リッキー!? 今からそっち行くから待ってろ」




 シャヴィの意図が読まれたかどうかは定かではないが、彼の言葉は男によって遮られてしまった。ただ遮られただけだったならば、まだ良かったと言える。幻覚という単語が共有されている今、男は現状を上手く利用した。

 先手を打つことによって、後手の人間が発する言葉の信憑性を薄める心理的な意識誘導。

 知識無きガトーらを"起こり得る可能性が無いとも言えない"幻覚作用の再発といった出鱈目で騙し通す力技。

 極め付けは、シャヴィからの叱責を頻繁に受けている"リッキー"という人物への印象を活かした、同情を誘う演技。


 役者顔負けの芝居と計算し尽くされた台詞回しにより、男はたった一言で場の流れを掻っ攫っていったのだ。




 ーーまたしても、この男にしてやられた。


 シャヴィは自分の憐れな姿に、反吐が出そうな気分に陥る。自分は今、たった数日前に現れただけの男の手の平の上で弄ばれているのだ。多くの仲間を失い、実力の差から心を折られ、今この瞬間にも大切な二人の友や、あわや三人の新たな仲間たちまでもが手玉に取られようとしていた。


 抗えるならば、既にそうしている。

 理不尽がそれを許さないのだ。








 「ーーーーぇ?」


 間の抜けたような低い声が通り抜けた直後、空気中の魔素が弾けるように流動し始めた。何者かが付近で魔力を放出した証拠に他ならないが、意外なことに、発生源は憎き男が立っていた位置である。


 視界に映り込んだ光景に、シャヴィは驚愕した。




 「............シャヴィが仲間を傷付けようとした? 笑わせんじゃねぇ」


 後ずさる男を見下ろすガトーは静かに、限界まで蓄積した怒りを徐々に解放するように、告げる。




 「アイツがどれだけ俺たちのことを見てきたと思ってる。お前が本当にリッキーなら、んなこた痛ぇほど分かる筈だ。シャヴィは妙に勘が鋭いから、もし悩みを抱えてる奴が居りゃすぐに気付きやがる。余計な世話と思う時もあったけどよ、そのお節介は盗賊団を何度も救ってきたんだ。......幻覚如きで俺たちの姿を見紛うほど、アイツの愛情は薄っぺらくねェんだよ!!」




 「............一つ。お頭の全力を無傷で受けるないしは躱すなどといった芸当、本来の貴方の実力では不可能です。......二つ。幻覚の再発と仰いましたが、魔力量オド量共に微弱且つ店主から幻覚遮断の術を受けていないウィル少年には、未だその様な症状は現れていません。そちらの発言に疑念を抱くための材料としては、充分でしょう?」




 絶望の淵に響いたその声は、地上への足掛かり。二人の友は敵の姿を見定めており、表情は不明だ。だが面差しなど見るまでもなく、目を凝らせば伝わる背中越しの覚悟を感じ、その意志は手に取るように理解できた。


 男は身体をふらつかせ、二人を睨みつけて不満気な雰囲気をひしひしと放っている。ガトーは男の口車に乗せられたように見せかけ、敵が油断した隙に強烈な殴打による不意打ちを食らわせたのだ。


 ガトーが男に接近したと同時に、スノウも動いていた。相方が拳に魔力を込める一瞬を見計らって空中へと飛び上がり、高所から急接近してダガーで喉元を狙うといった離れ業を仕掛けたのである。


 純粋な威力のみを追求した拳と、暗殺術の奥義。見方によれば正反対とも取れる双方の技だが、積み重なる経験が互いの呼吸を伝い、絶大な相乗効果を生み出した。


 男の目に映る盗賊二名は、シャヴィを勧誘する為の駒でしかない。人質として利用する以外の価値を見出しておらず、もはや単なる道具に過ぎなかった。

 しかし、その見解が現状を招いた。正体を勘付かれぬよう中途半端な"魔力"量で身を覆っていたこともあるが、よもやリッキーの姿で不意を突かれる事態など、想定の範疇になかったのである。予想外の損傷に己の認識を改め、ガトーら二名の盗賊の存在を初めて認めた。


 「ヒュウ、いいコンビネーションだ。オレ、君らのコトだいぶ舐めてたかもね」




 「......何だコイツ。正真正銘(モノホン)のバケモンじゃねぇか。あのクソったれの異形も、コイツを目の前にしたら赤子のように霞んじまう」


 「..................」


 男は突然左手を自分の顔の位置まで上げ、左右に軽く振り始めた。すると、その場に居合わせた全員の幻覚が解け、その姿が皆の目に映し出される。

 ウィル達からは小さな戸惑いの声が聞こえたが、二人は微動だにせず、じっと男の姿を凝視している。




 『もう充分だ。お前たちはよくやったよ』

 『ここはおれに任せて、早くウィル達を安全な場所に連れて行ってくれ』




 ーー掛けるべき言葉は、幾らでもあった。格上の相手と知りながら、退く素振りなど一切見せない彼らのお陰で、先ほどの自分が如何に頭領らしからぬ体たらくであったか気付かされた。よって、ここで男の相手を引き受け、仲間達の安全を確保することが頭領の責務であると強く自覚する。

 それにも関わらず、その意思が行動に繋がることはなかった。まるで自分を守らんと勇敢に男の前へと立ち塞がる二人を前に、制止の声を掛けることはどうしても憚られてしまったのだ。

 友の覚悟は、言葉を交えずとも伝わっていた。




 「我々の言わんとすることは分かるでしょう。お頭、今のうちに少年らを連れてお逃げ下さい」


 敵から視線を外さずに、理知的な青年は背後に居る友に向けて言葉を贈る。


 「......スノウ? お前、なに言って......」


 「おい、シャヴィ」


 眼前の敵を見据え、自分の背中越しに語りかける意味。当然、分かっていた。しかし頭の中は、それを完全に理解する事を拒んでいる。思考がぐるぐると掻き乱され、知らぬ間に声を発していた。

 その最中、今にも崩れ落ちそうな彼の心を包み込むように、逞しき友の声が意識の下へと響く。


 シャヴィはゆっくりと、友の背中に目を向けた。




 「死んじまった義姉さんに会いてぇんだろ? それが半端なく困難な道ってのはよぉく知ってる。だからよ、今立ち止まってるお前の背中を、せめて最後に押させてくれ」


 背中越しに語る友は、言葉を終える一瞬、振り返って友の姿を見た。そして、告げる。


 「......お前との旅、悪くなかったぜ」




 赤髪の青年は何か言葉を返すでもなく、ただ歯を食いしばる。やがて、彼は二人に背を向けて歩み出した。


 「......り、リッキー? どうして、こんな......」


 一方、目の前の唐突な状況を飲み込めず錯乱状態に陥るウィルは、何故か現状を狂わせているであろう張本人に疑問をぶつけようとする。ただ、俯きながらこちらへと歩みを寄せるシャヴィの姿に思わず口籠もってしまった。その悲哀に包まれた様子は見るに耐えられず、表情を伺うことすら躊躇われる。

 ウィルは口を閉ざし、無言でシャヴィに続く。自分勝手な行動で彼をこの場に留めてしまうのは、あまりに非情な行為であると感じたのだ。










 「お前ら準備はいいな? とにかく急いで森を出て、遠くに逃げる。まだ思考が追いついてねェだろうが、今はこの事だけ頭に入れておれに付いてこい。追手を振り切るにはローグリンの北東にあるメナス河を越えるのが最善だから、そこまで休まず走ることになる。昔聞いた話だが、(ほとり)には小さな集落があるらしい。だから、そこに住むやつらに船を出してもらおう」


 隠れ家を発つ準備は、ウィル達が眠りにつく直前に済ませてある。各々が着ていた学制服は一つに纏め、ニケが収納した。

 シャヴィは、未だ朦朧としているナズナをおぶろうとしたが、驚くことに彼女は手を左右に振り、気を遣う必要はないと意思を示した。完全に意識を失っているわけではないようだが、やはりウィル達の言葉への反応は見られない。彼女の容態については不可解だが、今はシャヴィの言葉通りこの場から逃げる事を最優先とすべく、一行は木々の暗がりへと転がり込むのであった。

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