35話 演者は笑う
「ペンガース......都市同盟?」
シャヴィの発した言葉の不思議な響きに、思わずそれをそのまま鸚鵡返ししてしまう。
「ああ。都市同盟ってのは、その名の通り幾つかの都市によって組まれた同盟だ。中でもペンガースは商業、政治的な連携が頭一つ抜きん出ていて、もはや一種の国家として成立しちまってるらしいんだわ」
「......存在が不明な割には、やけに現実味のある内容ですね。もっとぶっ飛んだ噂でもあるのかと」
「同盟の中心都市がある島は空中に浮かんでるらしく、そこには"神獣"と呼ばれる伝説の生き物が百万匹以上は生息しているんだってよ」
「............」
やはり所詮は作り話か、とウィルは期待に胸を躍らせていた数秒前の己の姿を恥じる。だが同時に、彼はそれに似たような話を以前何処かで耳にしたような感覚を覚えた。彼は深く思考しようとするも、「因みにペンガースとかいうヘンテコな名前は、例の神獣の名前からもじったものらしいぜ」という何気ないシャヴィの言葉によって妨げられた。両者共に、乾いた笑みを浮かべる。
「えっと、そのペンガース......と異世界について、一体どんな関係が?」
表情を戻し、核心を突いた問いを投げるウィル。よそよそしく接してはいるものの、シャヴィは彼の率直な性格を気に入っていた。知識量、経験共に自分より上の立場にいる人間に対し、自分の考えを素直に示すこと。それは、ある意味で彼の立派な能力であると評価できた。少年のこうした人格も踏まえ、自分は彼らの望みを叶えてやりたいと真に思うことが出来るのだ。
「実はな、風の噂によると、その盟主が異世界からやって来たっちゅー話なんよ」
「......!!」
目を見開く三人。
出鱈目だ。あまりに話の現実味が無さすぎる。世界を動かす四つの勢力の内の一つ。その中心となる人物が、実は自分たちと同じ境遇に置かれているなどと、一体誰が信じられようか。
盗賊や騎士のような強者、人間の命を喰らう魔獣という天敵。このような超常的な存在が無数にいる世界で、元の世界からやって来たような非力な人間が大舞台に立っているというのは、些か無理があると思わざるを得ないのだ。
例えその噂が本当であるとして、その人物はウィル達とは異なる世界から転移した可能性が高い。僅かな経験から、この世界においては強者が絶対的である事を理解した上での結論であった。
「......やっぱり、噂は噂じゃないでしょうか。俺たちのような弱者は生きるだけでも精一杯なのに、巨大勢力の中心となるなんてそんな......」
「ウィル、ウィル! そういえばお頭さんの話に似たようなこと、前にも聞いたぞ!」
失意の底に落ちたような感情を抑え込まんとしているウィルの肩を、ちょんちょんと指で突く者がいた。
黒髪の幼馴染はウィルの表情とは対照的に、キラキラと輝きを放っているように見える。そっと彼に目をやると、幼馴染は自信あり気に語り始めた。
「ほら、集落でばーさんが言ってたじゃん。たいりくの一番東、そこには空に浮かぶ小さなしま。そんでそこには都市があって、僕らと同じような人がいるって。これ、偶然じゃないよね!」
「............確かに、一致している箇所は多々あるな。忙しすぎてイマイチよく思い出せなかったけど、そうなればシャヴィさんが聞いたっていう噂もあながち出鱈目じゃないかも。でも......」
全てが繋がった、と笑顔を見せるニケ。彼の頭の中には、帰還の可能性が高まったという希望の光が満ちているに違いない。ウィルは、自分も彼のように純粋であったならばどれ程楽だろうかと思わずにはいられなかった。
ニケの言う通り、老婆とシャヴィの話には共通点がある。しかし残念ながら、最もな共通点として両者の話は人伝に聞いたであろう噂であり、実際に確認したという証拠もなければ根拠もない。正直なところ、ウィルはシャヴィの話を素直に受け入れられなかった。
彼の様子を間近で見るシャヴィは、小さな笑みと共に語りかける。
「さっきニケが言った場所。実際に行って、確かめてみよーぜ」
「......本当に、確かめる価値があるでしょうか」
「............例えば、火山に眠る伝説の秘宝。人体蘇生の秘術。それから無尽蔵のオドを持つ少数民族。こういった嘘か本当かわからねぇような未知を探究することを、おれ達は冒険って呼んでる。結果的に噂が間違ってたとしても、苦労して歩んだ道のりは自分たちの力や知識になってくれるんだ。そこからまた新たな道が開かれるし、もしかしたらその道の先にお前らの探し物が見つかるかもしれねぇ」
彼の瞳にはどこか影が差しており、ウィルを適当にはぐらかしているような様子は見受けられない。その言葉に対して素直に頷けるか否かは別だが、不思議な程に強い説得力がウィルの心に響き渡ってゆく。
「まぁよーするに、確かめてみねェことには何も始まらんってこった。なに、おれも一緒に付いてくから大丈夫よ」
背を伸ばし、自分の胸を強く叩き、おれに任せろと言わんばかりの表情で三人を見つめるシャヴィ。その姿は何よりも頼もしく感じられ、意識せずとも自然と笑顔が溢れてきた。ミサも今は頬をほんのり赤く染め、表情を緩めている。
「お頭。空気を乱すようで申し訳ないですけど、我々にとって聞き捨てならないことが。確かにお義姉さんのために再び旅立つとは聞きましたが......」
「そうだぜお頭。なーにが『おれも一緒に付いてく』だよ。こちとら初耳なんだが」
丁度話が途切れたところで、すかさず口を挟むスノウとガトー。シャヴィは彼らの言葉に一瞬だけ顔を凍りつかせたが、直ぐに二人が向ける眼差しの暖かさに気付いた。無論、彼にとっては想定外の反応だったようだ。
「旅をするに当たって、頭脳は一つでも多い方が良いでしょう」
「つーこった。お前らの会話を聞いて、俺ぁ目が覚めた。奴への復讐を諦める気はねぇが、確かにそれは今じゃねぇ。お前の新たな冒険、引き続きお供させてもらうぜ、シャヴィ」
「......お前ら............」
最も気を許せる、二人の仲間。シャヴィは彼らの曇りなき表情を真っ直ぐ見つめるなり、無意識のうちに言葉がこぼれ出た。彼らは勝手な判断を下した自分を責めるどころか、この先も行動を共にすることを表明したのだ。
言葉が、詰まる。別段目頭が熱くなっている訳ではないが、このような感覚を体感したのは二十五年に渡る人生の中で、義姉に出会った時以来だった。
心が揺らぎ、ほんのりとした温もりに包まれる。
これこそが。きっとこの心の揺らぎこそが"幸せ"なのだと、彼は何となく感じ取ったのであった。
「......あー、そうだな。うん。やっぱりお前らならそう言ってくれるって信じてたぜ。ははは」
「嘘つけ。さっきから冷や汗たらたらじゃねーかよ」
自分らしからぬ心情の変化を勘づかせまいと無理矢理平然を装うも、付き合いの長い二人にはいとも簡単に見破られてしまう。
普段ならば羞恥心に耐えかねるような場面だが、不思議なことに、沸き立つ感情はそれとは異なるものだった。今はただ、自分を支える二人への感謝の気持ちに溢れていた。
数秒の間を置いた後、スノウが突然ぷっと吹き出す。
「いや、失礼。お二人とも、随分柄にもない顔してるなと。いえいえ、貴重なシーンですからそのまま続けていただいて構いませんよ。私もこの独特な空気感を味わっていたく......」
「......お前は一体どの立場で喋ってんだよ」
「シャヴィ言う通りだ。一人だけインテリ傍観者面してるけど、お前本当はシャイなだけだろ? その眼鏡は自分を内向的に見せる為のカモフラージュなんだろ? いい加減本性現せやこの性悪が」
スノウのからかいに対し、冷めたような目を向けるシャヴィと、溢れんばかりの暴言を浴びせるガトー。その後、触発されたスノウもまた負けじと罵倒を返し始めた。
飛び交う険悪な言葉の数々に、もはや置いてけぼりのウィル達。平穏とはとても言い難い状況だが、思いのほか場の雰囲気はそれほど悪いものではなかった。
本音で語り、本気で戯れ合える関係。旅の仲間とはこのようなものであると、ウィルは存分に味わえたのであった。
あれから小一時間ほどが過ぎた頃。
獣害のような喧騒は収まり、ウィル達三人はいつの間にか深い眠りへと落ちていた。だが安らかに眠る彼らに対し、盗賊達の表情は険しい。
「遅いな、明らかに」
ガトーは眠りにつく者たちに気を遣い、ボソッと呟いた。彼を除く二人も、そっと彼に目を合わせる。
「リッキーのやつ、帰ってくるよな。アイツは森の魔獣にやられるような奴じゃねぇ......ってシャヴィ、何してんだ?」
外の空気を吸いに行く、と言い残して行った仲間の身を案じるガトー。しかし彼の言葉が終わらぬ内に、何を思ったのかシャヴィが突然立ち上がり、テントの出入り口に無言で向かう。
「......おぉ、だよな。探しに行くってんなら俺も付いてくぜ?」
「..................盗賊団の頭として、最後の命令だ。ガトー、スノウ。今は何も言わず、ここで待ってろ」
さすがのシャヴィも待ちくたびれたのか、と思われた。しかし、どうやらそれは全くの思い違いであったようだ。ランプの薄明かりが照らす彼の表情は異様なほど冷たく、そしてどこか悲しげな色を纏っていた。彼の心情をイマイチ飲み込めぬ二人だが、どういう訳かここで頭領の命に異論を挟む気にはなれなかった。
頭領が放つ気に圧倒されるように、ガトーは黙ってその背中を見送る。訳の分からぬままに。
木葉の間から、草花に降りる月明かり。
静謐な光の下、舞台に上がる赤髪の男が独り。
男はまるで導かれるように、一切の迷いもなく、確かな足取りで歩み始めた。
向かう先には、ヒトの陰。
この一幕を待ち焦がれていた演者は今、台本を捨て、その場に立つ。終幕へと向かう舞台の緊張感を全身で堪能しながら、演者は薄い微笑を浮かべていた。
「いやぁ、今宵は月がよく見えるっすねぇ。お頭?」
「............」
空っぽになった倉庫の前。差し込む月光を浴びるように、男はそこに立っていた。彼は微笑み、赤髪の盗賊に話かける。
「お頭、話し合いは順調っすかね? ガトーさんとスノウさん、もしかしてまだ喧嘩してるっすかねぇ? ははは」
「............」
乾いた笑い声を上げる男。それに対し、赤髪の盗賊ーーシャヴィは表情一つ変えずに、男を貫かんばかりの冷酷な瞳でじっと見ていた。
何らかの反応を期待していたのか、男はつまらなそうに肩を竦めると、再び言葉を発し始める。
「でもお頭ってば、ひどいお方っす。だってテントで皆と話し合ってる中、一言もあっしに声を掛けてくれなかったっすからね! あっし、地味に傷付いてるっすよ?」
「............」
男の言葉は、深閑とした森の中へと吸い込まれてゆく。それでもなおシャヴィは身動き一つ取らず、男に視線を送り続けていた。男は痺れを切らしたのか、その表情から笑みを崩し始める。
「お頭? もしもーし。聞いてるっすか? 返事くらいはしてほしいんすけど」
「......ローグリンから帰ってきて、お前をこの森で見つけた時。おれは嬉しくて、堪らなかった」
「......へ?」
自ら急かしたものの、唐突に口を開いたシャヴィに驚き、思わず疑問の声を上げる男。男は黙り込み、シャヴィの声に耳を傾けた。
「でも、お前のその姿を見た瞬間。おれはお前のことが分からなくなったんだ。......責任感じて、行方不明になった仲間達を探してたんだよな。なのにどうして。どうしてお前は、普段通りのお前でいられるんだ?」
「ん? ..................あー、あー、なるほどそういう事っすか! やっぱ流石の洞察力っすね。あっしが見込んだだけの事はあるっす」
男は、シャヴィの言葉に疑問の色を浮かべた。しかしその意を理解するなり、拍手と共に流れるように喋り始める。
普段通りの、おどけた態度。まるで末っ子のような快活さを備える彼は、団員に愛されていた。彼の存在が場を明るく染め上げ、彼の物腰の柔らかさが皆の心を癒し続けていた。
だが、仮にその行動に台本が用意されていたならば。
シャヴィにとって、この先を知ることは計り知れぬほどの恐怖。
苦心の末それを打ち払った彼は、今まさに真実を知る。
「思えばずっと疑問だったんだ。少し前からお前の気配は別人のように変化していた。おれがあえて仲間達から遠ざけるような指示をお前に出してたのも、どこか嫌な予感を肌で感じていたからだ。......教えてくれ、リッキー・スティンガー。お前は一体、何者なんだ?」
「ふむ。あの子達にだけはあえて本姓を名乗ってたから、そこで生じる齟齬からあっしを疑わせて、上手いことこの状況を作り出せるかなとか考えたんすけど。......まぁ結果オーライっすね。この独特な喋り方も嫌いじゃなかったっすけど、そろそろ潮時でやんすな」
男は柔らかい笑みを浮かべ、シャヴィの目をじっと見つめる。
その瞬間、シャヴィは信じられぬ光景を目の当たりにした。男の姿は霞に包まれたかのようにぼやけ始め、みるみるうちにその影を変化させてゆく。
暫く時が経過した後、シャヴィは自身の目を疑った。
先ほどまで対話していた人物が偵察隊長リッキーであった事は疑いようの無い事実。しかし現在目の前にて微笑む人物の容姿は、リッキーのそれとはあまりにかけ離れていた。
男は軽く咳払いをした後、静かに口を動かす。
「初めまして、と言うべきかな。"緋虎"のシャヴィ君。オムニス王国軍特務機関、そこの総司令をやっているオーディン・バロスだ。以後、お見知り置きを......ってね」




