表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蜃気楼の岬から  作者: ピンギーノ
一・二章 緋色の盗賊(下)
35/95

32話 虚飾と復元

 無心でひたすら足を動かす。

 気付けば、大通りに出ていた。


 「うぅ............」


 ウィルの背後から、突然喉が詰まったようなか細い声が発せられた。何事かと思い、彼は即座に振り向く。


 「ミサ? どうしたんだ......!?」


 片手で口元を抑え、全身から力が抜けたかのようにへたり込むミサ。店内に居た時と比較すると、明らかに顔色が悪い。


 「............ひょっとしなくとも、こりゃトラウマと化してンな、可哀想に」


 静かに呟き、彼女の容体を気にかける人物は先頭を歩いていたシャヴィだ。

 彼は今にも倒れそうなミサの元に歩み、「しっかりしろよ!」と心配そうに彼女の身体を揺するニケの肩をポンポンと軽く叩くと、ゆっくりと腰を下ろして片膝を地面に付けた。


 「ちと失礼」


 次の瞬間、彼はと自身の左手で彼女の両目を覆う。彼女は戸惑いその手を払い除けるかと思われたが、その隙をも与えぬまま、すぐさま自身の身体の向きを反転させ、両手を後ろに回した。

 その手が彼女の細い太ももの裏側をがっしりと掴むと同時に、彼は「よっこいせ」といった小さな掛け声と共に多少フラつきながらも立ち上がった。

 要するに、シャヴィはミサをおぶったのである。


 「......急に......なに?」


 「このまま目ぇ瞑ってろや。......何なら寝てろ。国を出たら起こすわ」


 「..................余計なお世話、だよ......」


 彼女は誰にも聞かれぬような声で囁くと再び目蓋を閉じ、彼の背中に身体を預けた。それが彼が発する暖かい声色によるものか、単に彼女の身体に力が入らなかった故か、或いはそのどちらでもない別の感情によるものか否は、彼女のみぞ知る。


 シャヴィは、大通りへと足を進める。ウィルとニケは置いてかれまいとその背中に続き、瓦礫が散乱し、腐臭漂う路へと一歩を踏み出すのであった。








 「ウィル、そういやお前......酒はいける口か?」


 「......え?」


 大通りを歩く最中、不意にシャヴィがウィルに尋ねた。訊かれた本人は戸惑いながらも、呆れの混じった目差しを向ける。


 「いや、俺まだ十六なのでお酒は......というか成人じゃないってことくらい見た目で分かると思いますけど」


 「十六......予想より二歳上だったかー。って、ん?十六だから飲めんってどゆこと?」


 「若い頃のシャヴィさんには関係なかったかもしれませんが、普通お酒は二十歳(はたち)になってからじゃないと飲めませんよ」




 「......冗談だよな?」


 酒は大人の飲み物、と認識しているウィルは、冷めた目つきで言葉を返す。型破りな性格であるシャヴィならば、幼少期から日常的に規則を破っていても何ら不思議ではないと感じたからだ。だが、当のシャヴィの反応は意外なことに、若干引き気味であった。


 「お前らんとこだと、酒は二十超えなきゃ飲むことすらできねぇのか!? キツさとか関係なく?」


 「は、はい。......お酒なんて見たことも無いし、ましてや飲むなんて考えたこともないですけどね」


 「そっちの世界の方が、おれにとっちゃ余程残酷だわ............いいか? こっちの場合、酒を飲むのに年齢は関係ねぇんよ。条件があるとすれば......そうだな、一般的に親元を離れて生活するか、或いは親の許可さえ得れば、どんだけ暴飲しようが文句は言われねェのさ」


 「な、なるほど。要は自己責任ってことですか」


 「そーゆーこと。てなわけでアジトに帰ったら皆んなで酒盛りな。今までに起こった嫌なこと全部流して、新たな仲間に乾杯しようぜ」


 先頭を歩くシャヴィは、背中に続くウィルとニケに向かってニヤリと笑う。あまり気乗りしない二人だが、不思議と不快感はなかった。

 前向きな反応を得た訳ではないものの、赤髪の青年は満足気に、進むべき道を見据えるのだった。




 「......そうだ、シャヴィさん、一つ聞きたい事が」


 一方、ウィルにはどうしても拭い去れぬ不安があった。シャヴィの手を取るか否か、もしくは酒を飲むか否かではなく、彼が店主の話を耳にしてからずっとこびり付いているものだ。

 シャヴィは前方に目を向けながらも、肯定の言葉を彼に返す。




 「シャヴィさんがあの時戦ってた何か。俺にはアレが魔獣に見えました。それは最近、魔獣に襲われる恐怖を身近に感じたからだと思っています。......シャヴィさんには、アレが何に見えたんですか?」


 「何に見えたって言われても、そもそもおれはあの場で幻覚なぞ見ちゃいねェと思うがな。"周りの不特定多数の人間が恐ろしいモノに見える"って推察だったか? 実際おれも魔法の影響を受けているが、その不特定多数に奴は含まれなかったってだけの話だ。あのにっくき騎士団長サマはな」


 取るに足らない記憶であるとでも言いたげに、彼は鼻で笑った。しかしそれを聞いた瞬間、彼の反応とは対照的に、ウィルは苦悶の表情を浮かべることとなる。

 即ち、彼の感じている"嫌な予感"が真実味を帯びてきたのである。


 「......魔法陣の出現以降、あの場で自分と戦っていた人物は騎士団長であると。そう言ってるんですか?」


 「あン? まーそう言うこった。どうした、何か引っかかるかよ」




 ウィルは確信を抱いた。シャヴィは、間違いなくあの場で幻覚を見ていたことに。


 何故ならば、彼には見えていたのだ。

 

 目が覚め、黒き魔獣に掴まれいてたかと思えば静かに地面に降ろされた時のこと。降ろされた場所は魔獣の横隣。シャヴィと対峙するような位置関係であったが、それ故に気付いてしまった。


 黒き魔獣を睨み付けるシャヴィの足元に、黒く変色した肌を包む騎士団長の鎧が横たわっていたことに。

 ウィルが気を失う以前、シャヴィと戦う彼を目にしたがゆえ、その豪勢な鎧が彼の物であると確信したのだ。

 

 シャヴィはその後、"足元の騎士団長"に気付かず躓いていた。つまり、彼には"本物"の騎士団長を視認できていなかったのである。




 ならば、ウィルが目にした幻覚ーー黒き魔獣とは一体何者なのか。


 思えば、黒き魔獣は細長い鉤爪を振り下ろしていた。刃物のような鋭利さを持ち合わせた、肉を抉るための凶器。


 ーー刃物のような、鉤爪。

 ウィルには、それを亜空間から出現させた鎧で受け止めた記憶がある。結果として、彼は鎧と共に吹き飛ばされた訳であるが、問題はそこではない。魔獣の爪と鎧が接触した一瞬、彼は明らかな矛盾を耳にしていた。

 それ即ち、周囲に響き渡った金属音だ。


 爪は皮膚の一部が角質化したもの、つまりはタンパク質である。よって、金属である鎧と激しく衝突しようと、決して甲高い金属音など鳴る筈がないのだ。魔獣には身体の一部が金属で構成されている種もいる......と言われればそれまでだが。


 ウィルは、心の中で唱える。あの鉤爪のように見えたものは、金属であった。

 細長く、鋭利な金属。彼は直近の記憶の中に、これらの条件に該当する物体を見つける。


 それは、騎士達が身につけていた剣。


 詰まるところ、ウィルが見た黒い魔獣は、ローグリン公国の騎士団に所属する騎士であった、ということになる。




 シャヴィの話によると、脱走した彼らを別棟にて待ち伏せていた騎士の大半は、彼の放った炎の渦に巻き込まれたとの事。生き延びた者はナズナ達の追跡を開始した為、その場に残った者はシャヴィと騎士団長であった。


 ならば、あの場に駆けつけることのできた騎士は、作戦に参加していない徴兵騎士の内の誰か。


 しかし徴兵騎士の大半は民の避難誘導をしており、彼らには広場に駆けつける余裕は無く......





 ーー記憶の奥底で一瞬、何者かの姿が浮かんだ。




 その者は確かに言った。「今は城の中には騎士が殆ど居ないから、自分は城内の見回りをしている」と。


 不意に、少年は足を止める。




 それ以上、何も考えたくはなかった。




 「おいおい、大丈夫かよ? 何かあったんか?」


 「..................いえ。俺の思い違いだったようです」


 シャヴィが足を止め、彼に顔を向けた。

 彼はそれに笑顔で応じ、再び足を動かし始める。








 巨大な金属塊が宙を舞い、空を裂く。

 公国付近の平野から聞こえるは、男が発する猛獣が如き雄叫びと、止めどなく続く爆撃音。


 頭領の右腕である盗賊ガトーは、自身の得物である大鎚にありったけの魔力を込め、目の前にて散開する騎士団に向かって振り下ろした。

 地を穿つような渾身の一撃は爆発的な衝撃波を生み出し、辺りを囲う無数の騎士達を竜巻のように容易く吹き飛ばす。

 直後、城壁の方向を睨み付けた。彼の視界に映るは、人型の異形。


 「うおおぉぉぉぉあぁぁぁ!!」


 闘気を滾らせ、叫ぶ。瞬時に練られた高密度な魔力が全身を覆い、異形目掛けて跳躍する。

 彼の鎚は異形の位置を捉え、今まさに限界まで絞り取られた闘魂がそれの脳天を貫くーーかと思われた。


 異形は上方から急接近する男に目もくれず、枝葉のような手のひらを夜空に向けた。瞬間、異形の足元に魔法陣が展開されると同時に、それの身体を透明な結界が包み込んだ。結果、振り下ろされた鎚は結界に阻まれ、対象に触れる事さえ叶わない。


 ガトーは全身を奮い立たせ、目の前の結界を破壊せんと鎚を無理矢理ねじ込ませんとする。その傍、異形は空に向けた手のひらを固く握りしめた。


 途端、透明な結界はその形状を変化させる。


 魔法陣から顕れる結界を構成する魔素は、吸い込まれるかのように一点に集中し始めた。その位置こそ、鎚と結界との接触部。魔素は幾重にも積み重なり、徐々にその濃度を増してゆく。

 やがてその箇所は魔素の過剰蓄積によって光を放ち、接触している鎚をガトーもろとも宙に放り投げた。


 「......!!」


 鎚を振り下ろした際の衝撃が、そのまま自分の身体に跳ね返ったようなエネルギー。その威力は凄まじいもので、大量の魔力で身体を覆ったガトーでさえも、鎚に働きかける思わぬ方向への力と両手の痛みによって己の武器を放ってしまった。


 数秒間空中に滞在した後、勢いよく地面に衝突したガトー。盗賊スノウは、そんな彼に向かって大声で呼びかける。


 「ガトーさん!? 大丈夫ですか?」


 しかし、衝突による呼吸困難のためか、仰向けに倒れ込む彼からの返事は無い。若しくは、言葉を返す余裕が無い程の痛みを全身が発しているのやも知れない。

 数多くの騎士と闘争を繰り広げる中、彼が受けた傷は一つや二つではなかった。身体中の至る箇所から血を流す姿は、あまりに悲惨なものだ。

 ただ、傷を負った者はガトーだけではない。声を掛けたスノウもまた、無事と呼べる状態とは程遠かった。彼の場合ガトーのように突っ走るのではなく、相方の援護と少女の防衛に徹している。その為好き勝手に戦う訳にもいかず、斬り込まれる頻度も必然的に上がるのであった。


 「..................」


 傷付いた二人の痛々しい姿に、泣き出したくなる感情を必死で堪えるナズナ。潤む瞳に映るは、瀕死の状態でも尚敵を見据える二人と、圧倒的な数で押し寄せる騎士達。不自然なことに、戦闘を開始した当初から全く数が変化していないように思われる。


 「これは......少々、どころか相当厄介な事態です」


 「......くっ............奴ら、一向に数が減らねぇ。倒しても倒しても、あの異形が大量に呼び寄せて来やがる......!」


 スノウの静かな呟きに対し、ふらふらと立ち上がるガトーが相槌を打った。途切れ途切れの呼吸を行う中、スノウは平常の冷静さを取り戻さんと心を鎮めようとする。


 (落ち着け。私たちが相対している敵は無限に湧く騎士。ダガーで斬った時の感触から、彼らの正体は盗賊団の幻と同じく、本物の人間でないことは明らか。恐らく多大な魔力を人型に練り込み、それに騎士の姿を投影しているのだろう。それ程の荒技を行える術式など想像も付かないが......今は置いておこう。問題は、この状況を切り抜ける方法だ。あの異形を倒す事が最適解であることは間違いないが、その為にはアレを守護する騎士達を突破せねばならない。だがどうにかして異形を捉えたとて、奴に傷を与えるのは困難。私たちの消耗は激しく、このままではジリ貧だ............正直逃げたいが、ここは遮蔽物など一切無い平野だ。アレらを撒くことは難しいだろう)


 「............ぐぅっ!?」


 どうにか立ち上がったものの、体制を崩し、無念にも地に膝をついてしまったガトー。彼が受けた傷と疲労の蓄積は、外見以上に深かった。それを間近で見たスノウは、熟考している時間など自分に残されてはいないことを知る。


 「ナズナさん、端的に伝えます。今から、どんな手段を使っても構いませんので、注意を引き付けて下さい」


 「ぇ、きゅ、急になんですかあ!?」


 「ガトーさん。貴方はナズナさんの身を守って下さい。間違っても敵に突っ込まないように」


 スノウはそう言い残すと、平野の暗闇の中へと颯爽と消えていった。


 「お、おい! 待ちやがれ! ............なんだってんだよ」


 ガトーは訳の分からぬままスノウに声を掛けるも、その声は暗闇の中へと虚しく通り過ぎ、当然のように返事はない。呆気に取られている間にも時はじわじわと経過し、騎士の集団は確実に迫り来る。


 「くそっ、んなこと言われたって俺の武器は飛ばされてる時に放しちまったしなぁ。格闘術なんてモンは使えねぇし......」


 「もう。ウィルさんといい、なんでこう私を雑に扱うんですかね! もしかして私のこと、使い捨ての女って勘違いしてません?」


 「............こんな時にコイツは何をほざいてやがるよ」


 ぷんすかと頬を膨らませるナズナに、冷ややかな目を向けるガトー。緊張感の欠片も感じられぬやり取りだが、二人の内面はそう穏やかではなかった。言葉とは裏腹に彼女の表情は固く、小刻みな足の震えが止まらない。無論、そんな彼女の様子はガトーにも伝わっている。


 「まあいい。ナズナちゃん、俺の側から離れるんじゃねぇ。頭の命令だ。俺が死んでもお前を守ってやる」


 彼はよろめきつつも、ナズナの元へと近寄る。しかし、己の意志のみで身体を支えているような状態の彼には、複数の騎士と戦うだけの力は残されていない。


 「............わかりました。絶対に離れません。でもそのかわり、なるべく多くの魔素を、私たちを囲うようにばら撒いてくれませんか? こう、壁を作るみたいな感じで」


 「......? お前も急に何を言って......」


 「お願いします。私、けっこう良いこと思いついたので!」




 ガトーはナズナに言われた通り、自身の魔素で二人を囲う円形の壁を作る。騎士の集団に火球を撃ちながらその様子を確認していた彼女は、密かに地面に向かって魔法陣を描いた。


 (まさか、ウィルさん達との経験がこんなところで役に立つとは。後でお礼を言わないとです。......それにしても、ガトーさんはやっぱりハゲマッチョですね。お頭さんはみんなが無事に帰ってほしかったのであって、命懸けで私を守れなんて一言も言ってませんでした)


 ガトーに目をやり、静かに微笑むナズナ。真剣な表情の彼はそれに気付く様子もなく、慣れない作業を手際良くこなしている。


 「魔力じゃなくて、魔素をばら撒くんだからな。なかなかやり辛ぇのなんの......って、まだか? 奴ら、すぐそこまで来てるぞー?」


 「......もうちょっと、のはずです!」


 彼女が言葉を返している間にも、騎士達は徐々に二人との距離を縮めていった。


 一人の騎士が剣に魔力を纏わせ、構える。数秒後、数尺の間合いへと肉薄する二人は、振り下ろされる偽りの剣の下に成す術なく斬り捨てられてしまうだろう。




 ーー白刃が、迫る。




 「ーー発動します!!」


 張り上げられた、ナズナの声。それと同時に、ガトーによって放たれた魔素が一斉に凍りつき、二人を囲う氷の壁と変化した。

 剣を振り下ろした騎士の両腕は壁の中にめり込み、その刃が彼女らの元へと届くことはなかった。


 「な、何とかなりやがったか? ......ははっ、なかなかやるじゃねーか、お前」


 「は、はいっ。とりあえず一安心です! あとはスノウさんの言った通り、このまま時間をかせ......」


 ガトーに目をやり、吐息混じりに安堵の声を発する。しかし、漸く勝ち取ったかに思えた安息は一瞬にして崩れ去る。


 四方から次々と聞こえる、衝撃音。


 厚い氷の壁が、ガラガラと崩れる音だ。




 「............」


 想定外の事態に、ナズナは顔を引き攣らせる。

 あろうことか、彼女は最も重要な点に気付けなかった。大量の騎士による、魔力に覆われた剣の集中攻撃。それらを防ぐには、同じく魔力で対抗する他ないのだ。つまり、彼女がすべき事は氷の壁を築いた後、それを自身の魔力で補強することだったのである。


 「ぐおぉっ!!」


 呆然とする傍ら、背後から響くガトーの叫び声が彼女の意識を無理矢理引きずり起こした。咄嗟にその方向を向く彼女が目にしたのは、騎士の剣から自分を庇い、背中から大量の血を噴き出す彼の姿。


 「え......そんな............そんなこと、って......」


 視界を塞ぐ現実を目前に、戦慄する。


 掠れた声で呟く彼女の側の背後には、再び迫り来る無機質な殺意。しかし、急過ぎる精神的な衝撃によって思考がうまく回らぬ彼女が、それに気付く様子はない。


 「............あぅっ」


 突如彼女に襲いかかるは、背後からの物理的な衝撃。それによって彼女は体勢を崩し、短い悲鳴と共にうつ伏せに倒れ込んだ。


 ーー自分も騎士の一人に斬られたのだろう。そう直感したが、何故か知覚できるのは背骨に響くジンジンとした痛みのみで、少なくとも肉を裂かれたような鋭いものは感じられない。

 訳も分からぬまま上半身を起こし、振り向く。そして、彼女は理解した。


 逞しき盗賊は確実に重傷を負ったにも関わらず、未だナズナを守る事に徹していた。彼女を突き飛ばしてでも、刃に触れさせまいとする覚悟。如何に自分の身体が傷付こうと己を貫くその姿は、まさしく彼の並々ならぬ意志の体現である。

 だが、状況はあまりに劣勢であった。多勢に無勢と言うべきか、彼の強靭な意志でさえも二人を囲う騎士の数からすれば無力に等しい。


 「............っ!?」


 騎士が、彼女の長い髪を乱暴に引っ張る。


 「く、そおぉぉーーッ!!」


 ガトーはすぐさまそれに気付く。しかし魔力が尽きかけている彼には、行手を塞ぐ敵を蹴散らし、彼女を救出するだけの力はとうに尽きていた。今は己の力不足と現状の理不尽を呪い、無様に叫ぶことしか許されないのである。




 髪を乱暴に掴まれ、身体の自由が奪われた。騎士の持つ刃が自身に向けられたと悟った瞬間、彼女の心臓の鼓動は急激に乱れ始める。


 ーー嫌だ。私は、まだ......っ


 湧き出る感情は、不思議と表情にはあらわれない。代わりに、それは両目から流れ落ちる涙として、彼女の知らぬ間に頬を濡らしていた。


 騎士が、剣を振り上げる。




 直後、視界が暗転した。

 騎士達の足音や、土の匂い、平野を駆ける風の触覚が遠ざかる。全身を包む寒気と共に肉体の感覚も薄れ、指一本を動かす事すらも叶わない。


 にも関わらず、意識だけはぼんやりと存在していた。不思議に思った彼女は暗転した景色をキョロキョロと見回し、戸惑いを抱えつつもこの不可解な現状を把握しようと探り始める。


 (............!?)


 突如、目の前に怪しげな緑色の光が灯った。驚きのあまり叫ぼうとするも、肉体の感覚なき彼女は当然声を発することは出来ない。


 ぼうっとそれを見ていると、彼女は光が徐々にその形を変化させてゆくのを認識した。

 僅かな時が経過し、形状の変化はとある模様へと収束する。独特な文字列が円形に並んだ、自身とは切っても切り離せぬような存在......魔法陣だ。

 ナズナは、どういう訳かこの正体不明の魔法陣上に描かれる術式に既視感を抱く。


 そう、あれは確かスノウが偽りの騎士に放ったーー





 ーー直後、目を焼くような閃光と同時に、耳をつんざくような爆音が鳴り響いた。


 繊細な魔素調整によって生み出された、不可避の雷撃。莫大な威力で嘶くエネルギー体は、騎士を象った目の前の対象を槍のように貫く。




 (............?)


 身体中の至るところが、ヒリヒリと痛んだ。

 気付けば、彼女は現実に引き戻されていた。意識は若干朦朧としているが、まるで温水に包まれているようで、ある種の心地良ささえ感じる。

 ぼやけた視界に浮かび上がるは、自分を見下す数多の騎士。その内の何人かは、直撃した雷撃によって魔力体とも呼べる身体の一部が魔素に還元されていった。


 だが、今も生み出されゆく騎士の大軍は数の減衰を見せず、一人、また一人と歩き始める。再び死の予感に苛まれたナズナは、この状況を打開せんと無我夢中で祈り出した。




 途端、幾つもの魔法陣が空中に展開される。それら一つ一つから生み出されるは、先ほど無意識のうちに放たれた雷撃の魔法。


 彼女は咄嗟に両耳を塞ぎ、目蓋を閉じた。




 身体を揺らすような轟音。

 眩い光が目蓋の裏に伝わった。










豆情報です。


シャヴィの年齢は20代半ばです。

いかにも強者然とした雰囲気を醸し出してますが、実年齢は意外と若いのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ