25話 崩れ落ちる
パリン、と窓ガラスの割れる音。
否、そのように可愛らしい響きではない。例えるならば......そう。まるで拳大の大きさの石を思いっきり叩きつけたようなーー
「............」
彼の行動に、空いた口が塞がらない三人。さらに彼は振り向き、このように告げる。
「あっし、これから飛び降りるんすけど、二人までなら抱えられるからこっちに来てほしいっす」
「......え、ちょっとまっ............」
貴族に扮した盗賊団の偵察隊長リッキー・バロスはウィルの制止の声に耳を傾ける様子を見せず、半ば強引に話を続けた。
「残った一人はそのままここで待機っす。二人を抱えて着地した後、あっしは外から合図を出すっす。そんで合図を確認したら、この窓から飛び降りるっすよ! なに、あっしが必ず空中で受け止めるから問題ないっす」
ウィルは無言で窓から下を覗く。
冗談じゃない、と彼は思った。彼らのいる場所は城の三階である。低く見積もっても地上との距離は目測十五メートルほど。リッキーが常人離れしているとはいえ、人を抱えた状態で無事で済む筈もあるまい。また、この高さから飛び降りるには相当な恐怖が付き纏うため、リッキーの提案は総じて現実的ではなかった。
しかし、その場の全員が理解しているように、いつ何処で次の爆発が起こるのかが不明である以上、一秒たりとも時間を無駄にできないのもまた事実。
「............リッキーが受け止めてくれるなら、安心だよな」
ウィルは呟くと、独り窓から離れ、二人の同級生に目を向けた。
「俺が後で飛び降りる。二人は先に言ってくれ」
「......おまっ、まじでやる気かよ」
「......」
ウィルの発言に、二人は驚愕の視線を向ける。というのも、今の彼の言葉には躊躇いの色が欠片も感じ取れなかったからだ。
ごく平凡な男子学生で、決して目立つような存在ではなく、人前に立つ度胸すらも持ち合わせてはいない。これが、二人のウィルに対する印象だ。
勉学の成績は中の上。発想力や記憶力は人並み以上であり、魔獣との戦いに於いてはそれが発揮されていた。だが、自ら率先して勇気ある行動を起こすことなど、二人の知る彼が取る選択としては万に一つも考えられない。
「じゃあ、ニケとミサを先に下ろすっす。ウィルは窓の近くであっしの合図を待ってるっすよー!」
そう言って二人の腰にそれぞれ腕を回し、雑に運び始めるリッキー。だが窓に片足を乗せ始めるなり、左脇に抱えている少女が悲鳴混じりの声を上げる。
「え、これめっちゃ下見えるじゃん。いやいやいや、ちょっと待って勝手に決めないで。ウチが残るから」
「ど、どうしたっすか急に。落下は一瞬っすからたぶん怖くないっすよ?」
「いいから。一回おろして。怖いとかそーゆーんじゃなくて」
「ええ......? なんなんすかもう」
思わぬ真剣みを帯びた少女の声に、リッキーは渋々頷いた。
身体が床に触れるなり一目散に窓から離れ、ウィルのもとへと駆け寄る。
「ウィル、ウチはいいから先に行ってよ」
「......抱えられる方が楽だと思うよ。迷惑かけたお詫びじゃないけど、キツい方は俺に任せてくれ」
「いいから早く行って。それと、高いのが苦手だったらこんな事言わないから」
「............め、目がこわい。......まあ、そこまで言うなら仕方ないか」
ぐだぐだなやり取りが交わされた挙句、リッキーは二人の少年を抱えて窓の外へと飛び降りることになった。
「もっと良い方法があるかも知れないっすけど、あっしの頭じゃこれが限界っす。なんか、申し訳ないっすけど、そのぶん速攻でみんなを避難させるから任せてくれっす! じゃ、行くっすよー!」
盗賊の青年が窓の桟に足を掛け、外へと身を乗り出す。ウィルは、思わず両目を強く瞑った。
ーー風が、上に向かってゆく。
といった感覚を覚えるまでもなく、下腹の辺りに浮遊感のようなものを感じた刹那。直後全身に襲い来る筈の衝撃は、まるでその場面だけを切り取られたかのように消失した。
(......?)
異様なまでの静穏を耳に、恐る恐る目を開く。
「着地完了。お疲れっす」
リッキーはそっと囁くなり二人の身体をゆっくりと地面に降ろした。そして城へと駆け寄り、三階の窓を見上げる。
(............)
身体が宙に出た際、リッキーの呑気な声が聞こえた気がしたが、あまりに一瞬の出来事であったために聞き取ることができなかった。
全身が、妙に暖かい。恐らくリッキーが両腕から発する魔力が、衝撃を和らげるためにウィルの全身を包んでいるのだろう。
本当に、瞬く間の出来事。まさしく瞬間移動であった。
飛び出した瞬間に三人の身体を自身の魔力で覆ったのだろうが、内臓が浮き出るような不快感を一切感じなかったのは明らかにおかしい。
或いは、重力を感じさせぬほどの強大な魔力で二人の身体を守ったのだろうが......一人の人間がそれだけの事を成すのは可能なのかと問われれば、さすがに首を傾げてしまう。
周囲の地面に目を向ける。
所々で湯気が湧いているように見えるが、それらに微弱な魔素が感じられることから、リッキーの魔力による影響と見て取れた。
(......底が知れないな)
城を見上げる青年の背中に目を向けながら、ウィルは眉を顰めるのであった。
「......と、ところで、どうして残ったやつが飛び降りる必要があるん? リッキーならジャンプしてあそこに戻るくらい余裕だろ......?」
「あぁー、それっすけど、実はあっし細かい作業が苦手で。窓から飛び降りるのは良いんすけど、ここから跳んであの窓に入るのはちょっとね。下手すりゃ周りの壁まで壊しちまうっす」
リッキーは、ニケが発した些細な疑問に対して頭を軽く掻く。
三階の窓は大人が屈んでようやく入れる程度の大きさであり、外部からの侵入は困難という話だ。このような大雑把な性格で、よくも偵察隊長が務まるなとつくづく感じるウィルであった。
その場に居る三人は、不安げな表情で三階の窓を見上げる。
ーーローグリン城三階、来客室前の廊下。
(..................そうだよね。どうせやらなきゃいけないことだもんね)
窓の前に佇むは、薄桜色の髪の少女、ミサ。
彼女は、無事着地に成功した二人の姿を想像しながら、窓に背を向けて立っている。
ーーリッキーの、こちらを呼ぶ声が微かに聞こえる。ウィルやリッキーとのくだらないやり取りのおかげですっかり忘れていたが、今は一応危機的な状況なのだ。
城のとある場所で大きな爆発が生じるという異常事態。それが単なる事故なのか、或いは人為的に引き起こされたものなのかは定かではないが、そのような判然としない状況であるため、このまま城内に留まるのは大変危険なのである。
冷静かつ聡明なミサは、当然それを理解している。しかし、彼女はどうしても次の一歩を踏み出せずにいた。
いつまでもこうしてはいられないと、思い切って窓から顔を出す。
「......ひっ............」
短い悲鳴を上げ、すぐさま窓から顔を逸らした。夕陽に照らされ、不自然なほど輝く街並み、それを汚さんとする黒煙、そして真下にいるリッキーら三人。
真下を見た瞬間、地面に吸い込まれるような錯覚を覚えたミサは、思わずへたり込んでしまった。
直前に見た光景が、脳内に焼きついたように離れない。立ちあがろうにも、足がすくんで思うように動かないのであった。
(はぁ、無理。............早くしなきゃいけないのに。みんな、ウチを待ってるのに。......ウチはやっぱり、最低だ)
様々な思いに呼応するように、何かが目の奥から込み上げてくる。彼女は蹲り、じっと床を見つめていた。
窓を見上げ続けること、数分が経過した。
ミサは、一度だけひょこっと顔を見せたきり再び動くような気配はない。さすがに妙だと思い感じ、リッキーは両手でメガホンの形を作り、声を上げて呼びかける。
「おーい! どうしたでやんすかー! あっしがちゃんと受け止めてやるから心配ないっすよ〜」
可能な限り声を張り上げるも、返事が来るどころか彼女が顔を覗かせることすら叶わなかった。
リッキーは顔を顰め、胸の前にて腕を組む。
「......あれれ、どうしちゃったっすかね? もしかして、彼女高いところ苦手とか?」
「いや、そんな話は聞いた事がないな。......まぁ、俺がミサと話すこと自体あまりなかったんだけど」
一同は顔を見合わせる。リッキーは痺れを切らし、「しょーがないっすね!」と両足に魔力を集中させた。
ーーと同時に、それは再び起こった。
焼き付くような閃光と、町全体に響き渡る超大音量の重低音。
引き起こされた大爆発によって、城の一部が崩れ落ちるのを確認できた。恐らく、これまで発生した中でも最大規模の爆発であることに違いない。
「い、一体この国で何が起こっているんだ!」
ウィルは叫ぶも、その疑問に答えられる者は居ない。
「迷ってる暇はないっすね。ここ一帯が焦土になるのも時間の問題かもしれないっすから、壁をぶっ壊してでもミサを連れてくるっす」
そう告げるなり、リッキーは両足に力を込めて跳躍する。
打ち上げられた身体は風を纏うようにして宙を突っ切り、先ほど宣言した通り三階上部の壁を粉々に砕き、吹き飛ばしてしまった。
「おーい、大丈夫っすかー? ってあれ、どうしたんすか、小さく蹲っちゃって」
窓の側で震えて縮こまる、少女に声をかける。
少女は一瞬だけ盗賊の男を見ると、すぐに顔を背けてしまった。男は、そんな彼女に対して柔らかい声音で話しかける。
「悪かったっす。まさかミサがこんなに高いところが苦手だったとは。それも、泣いちゃうほどなんて」
「........................」
「へ、なんか言ったっすか?」
微かに聞き取れた呟きに対して聞き返すも、彼女はだんまりとしてそれ以上口を開く気配はない。リッキーはやれやれとわざとらしく肩をすくめ、両腕でミサの身体を横にして抱えた。
「おおぉ、これが俗に言うお姫様抱っこってやつっすかね。実はさっき二人にもやろうと思ったんすけど、さすがに男子をお姫様って呼ぶのは......というか、二人をお姫様抱っこするってどんな絵面なのっていう......はは、何言ってるんすかね、あっしは。はい、では飛び降りるっす」
慰めようとしているのか、果ては気弱になった彼女を前に困惑しているのか。その場の思い付きとしか思えぬリッキーの言葉を聞かされた彼女は、何も言わずただただ彼の身体にしがみつく。
その様子を間近で見守りながら、盗賊は窓に向かって飛び出した。
少女を抱えた盗賊が、三階の窓から飛び降りてくる様子が見える。足下の魔力を変形させて空気の抵抗を増やしたのだろうか、彼は慎重に彼女を抱え、ゆったりと地面に降り立った。
「ほい、着地したっすよー」
リッキーは彼女をそっと横たわらせ、声をかけた。ウィルとニケは、彼らの元へと駆け寄る。
「ミサ、大丈夫だったか!?」
「も、も、もしかして......泣いちゃったのかな? お、驚いたぜ。あの恐ろしいミサさんにもこわいものがあったとは......ひえっ」
同情の目を向けたニケを一瞬だけ睨みつけた後、ミサはすぐさま立ち上がって三人を見つめる。
「......ごめん......なさい」
顔を赤らめながら、ミサは上目遣いで自らの至らなさを詫びた。
三人は少々驚いたものの、笑って彼女を許す。もっとも、彼らにとってそれは謝罪を受ける程のことではなく、彼女の新しい一面を知れた、良い機会であったとさえ思ったのだ。
一方、ニケの笑顔は不自然なものであった。何より、目が笑っていない。ウィルが、「どした?」と問うたら、彼はこのように答えた。
「いや、昔、好きな子に告白してフラれたことがあるのよ。僕ほどの男がだよ? で、そん時の時間帯が放課後で......今みたいな薄暗い空模様だったから、涙ぐんだ顔で"ごめんなさい"って言われてついその光景がフラッシュバックしちゃったん」
「......あぁ、なるほど......そういう事......」
思った以上に真剣なトーンで言葉を返され、ウィルは彼に問いを投げたことを猛烈に後悔した。
先ほどまで見せていた表情を完全に消し去ったミサは、まるでゴミを見るかのような視線を黒髪の少年に向けている。
「まあまあ、談笑はここまでにするっすよ。あっしはこれから爆発が起きた現場を見に行くっすけど、三人はどうするっすか? 勿論疲れてると思うっすから、さっきの店で休ませてもらうのも全然アリでやんすけど」
ウィルは、二人にそっと目を向ける。
すると、彼らは黙ったままコクリと首を縦に振った。よって、ウィルはリッキーに向けて告げる。
「当然、俺たちはーー」
焼け焦げた匂いが空気を染め、鼻腔を刺激する。空を見上げれば、そこは一面の黒。黒煙の影響も受け、辺りはすっかり闇に包まれていた。向かう先はこの惨劇が生み出された中心部。
彼らが走っている合間にも幾度か小爆発の音を確認した。今や城は半壊し、原型を留めていない。
城下町では城内の警備をしていた騎士達による避難誘導がなされているようで、現状はさほど混迷を極めているわけではないものの、町を見渡せば視界に映るのは、泣き出す子供や怒鳴り散らす男性。
そのため、現状は避難を誘導する以前に騒ぎを鎮めることに手一杯という状況であった。恐らくその騎士達の中にはウィルの尋問を担当した騎士もいる筈で、叶う事ならば彼らの力になりたいと思った。
だが決して振り返ることなく先頭を走るリッキーを見て、彼はその考えを已む無く捨てた。
ーー何者かが、そこで高嗤いを上げている。
それを聞くなり、リッキーは急に足を止めた。息を整え、一言。
「............しんじ......られないっす」
彼の言葉に三人はただならぬものを感じ、その目線を追った。
ーー目を疑った。何故ならば、各々の目に映ったのは本来そこにいる筈のないとされる人物であったからだ。
肩まで伸ばした淡い赤色の髪に、野生的な逞しい肉体。右手に持つは、緋色の巨大な剣。距離があるにも関わらず、彼の全身から放たれるマグマのような魔力からは圧倒的なエネルギーをはっきりと感じ取れる。
「......シャヴィ............ギーク......?」
ウィルが、何気なしにぽつりと呟く。それを聞いたリッキーはハッとしたように振り向き、宙を見つめ、目を見開きながら声を発した。
「......っ!! それなら、ジャクソン、ガーリック達は今......!?」
彼の様子の変貌を見ていた三人の背中に、冷たいものが走る。リッキーはウィル達を視界に入れると、冷静を装ったように声をかける。
「野暮用ができたっす。あっしはこれからアジトに戻るっすけど、三人はやっぱり店に戻っててほしいっす」
「ちょ、ちょっと待てよ! リッキーが行くなら俺たちも......」
「............誰かを守りながら向かう余裕なんて無いっす。気持ちだけ受け取っておくっすよ」
「か、勝手に決めるなよ! ぼ、僕だってガーリック達の仲間だ。そんなみ、見殺しみたいなこと、できないよ......」
リッキーの言葉に、必死の形相で意を唱える二人。だが、彼は聞く耳持たずといった様子で冷ややかな眼差しを二人に向ける。
「悪いけど、言わせてもらうっす。昼間の低ランクな魔獣に三人がかりで苦戦した時点で、お前達は足手まといなんすよ。この状況であっしに意見したいなら、あっしを納得させるほどの強さを見せてくれっす」
温厚なリッキーの口から出たとは信じ難いような言葉に、思わず怯んでしまう二人。しかしながら、彼の言うことも事実である。現状は一刻を争う事態であることは三人とも理解しているゆえ、彼らは何も言い返せずに項垂れる他ないのだ。
「......おやっさんに会ったら、『バロスさんに言われて来た』って言えばなんとかなるっす。あっしが今日中に戻れる保証は無いから、一晩泊めてもらうことになるかもしれないっすけど......そこはおやっさんを信頼してくれっす。では、また」
「......リッキー............」
地を踏みしめた仲間の背中は、今にも遥か遠くへ行ってしまうような哀しさを漂わせている。されど少年は彼を引き止めることは叶わず、ただ彼の名を口にするのみ。
少年は、己の無力を呪った。同時に、先日集落の老婆にかけられた言葉を思い返す。
ーーこの世界は弱肉強食で成り立っている。
弱者には、目の前の現実を突き進む為の選択肢すら与えられないのだ。この世界を生きてゆくには、力が。即ち強大な魔力が必要なのである。
少年の微かな声が届いたのかは定かではないが、盗賊は一瞬だけ足を止め、三人に告げる。
「次に会う時は必ず迎えに行かせてもらうっすから、待っててくれっす。お互いの無事を祈るでやんすよ」
その言葉を最後に、彼は夜闇の中へと姿を消した。
ーー沈黙が長い。だが、その場を包むのは静寂ではなく、強烈な熱風と金属同士が激しく打ち合う音、そして、度重なる爆発音。どうやら、盗賊団の頭領は何者かと戦闘を繰り広げているようである。
ウィルは二人の仲間をじっと見つめ、問う。
「......ここにあの人が居るってことは、ナズナももしかしたら近くにいるのかも知れない。みんな、どうする? リッキーの言う通りこのまま店主さんの所に戻るか、それとも......」
彼の言葉を聞いたミサは迷うことなく、口元を緩めて彼を見つめ返した。
(豆情報です。会話の内容から察せる通り、ミサは高所恐怖症です。実は彼女、他にも色々な恐怖症を抱え込んでおり、周囲への態度こそ強気ですが心は決して強くはないのです。
次回もお楽しみに!




