24話 薄靄
「ど、どうしてこんな所にいるんだよ、リッキー?」
四人でローグリン城の廊下を渡る中、ウィルは突然現れたきらびやかな衣服を身に纏うリッキーに向けて問いを投げた。
彼は立ち止まり、口を覆うように左手を添えて、こそこそと喋り始める。
「そりゃ勿論、あっしの得意な変装っすよ。盗賊団の偵察隊長であるあっしは、この国では"旅行に来た他国の大貴族リッチー・バロス"ってことになってるっす。......ぷぷっ」
頭を右手で軽く掻き、湧き出る笑いを誤魔化すかのように外の景色へと目を逸らすリッキー。
「............これもまた、お得意のギャグってやつか? そんなの、あまりにも無茶苦茶だ。手形も無しに一体どうやって......第一、この国に入る時に何故その設定を利用しなかったんだ? そうすれば、俺たちがこそこそ歩き回る手間が省けるはずだろうに」
「そりゃ、食糧調達っていう目的を穏便に済ませるためでやんす。大貴族が町の外からやって来て、飯食って食糧だけ買って再び町の外に出る。こんな可笑しな話なかなか無いっすよ。それに、あっしらの服装は盗賊のボロっちいものっす。大貴族よりも旅芸人って言った方がまだマシっすよ〜」
「それは......確かにそうだけど」
自身の行動に相当な自信を持っているのか、リッキーの勢いはウィルに言葉を挟む隙を与えない。
ウィルの言葉を最後に時が些か経過した後、リッキーは廊下に飾られた甲冑を横目に口を開く。
「......ちと、怖い思いをさせちまったかもしれないっすね。あっしの戻りがもう少し早ければこんな面倒を起こさなくて済んだっす。そこでなんすけど、城の中に留まってもう少しだけ帰りを遅らせていいっすか?」
「え、り、理由はなんだよ......食糧買ってさっさとアジトに帰ろうぜ? 今頃ナズナちゃんが僕たちを待ってる可能性もあるんだろ......?」
リッキーの唐突な言葉に、ニケがその真意を訊ねた。
大貴族に扮した青年は薄い笑みを浮かべると、疑問に思うのも仕方ないといった様子で再び静かに声を発する。
「さっきも言ったっすけど、今のあっしらは大貴族とその召使いみたいな感じの設定っす。騎士達には......その、苦労の末なんとかして信じてもらったっすから、そこは心配ないでやんす。残る問題は、どうやってアジトに戻るかっす。大貴族がこの時間帯に護衛もなしに外出するのは、よく考えたら違和感あるっす。もうヘマはしたくないから、慎重にいきたいんすよね」
リッキー曰く旅の者としてならば違和感の無い行動も、自身の不手際もあってかウィル達が捕まったことにより貴族を名乗らなければならず、非常にやり辛くなってしまったとのことだ。
「............もう、任せていいんじゃない? リッキーも今回は色々と考えてるみたいだし、ウチらがあれこれ言うよりも......ね? ......正直、今日はもう疲れた......」
いち早く状況を飲み込んだであろうミサが、半ば呆れたような顔で提案した。彼女の提案について簡潔に言うなれば、それは単なる思考放棄である。
如何なる時も冷静に状況を分析することができ、三人の中でも比較的頭が切れる彼女であったが、疲労の蓄積による倦怠感を隠しきれず今にも座り込みそうな様子であった。黙ったままのウィルも、内心その提案には同意している。
何しろあのような形で自分の弱さを痛感させられたばかりだ。彼女の倦怠とは別の意味であるが、全てを任せたいという気持ちも理解できる。
だが、彼は心の何処かで予感していた。本当にリッキーの考えに従っているだけで、良いのだろうか。彼の言う通りに事が進めば、なにかとんでもない事が起こるのではないかと。無論根拠もへったくれもない、ただの馬鹿げた予感であるが。
また、このままでは自分の弱さと向き合える時が遠のいてゆく......といった懸念も無くはない。様々な思考が脳内で渦を巻き、詰まるところ彼は自らの心情をうまく言葉に表せないのであった。
「こ、この中で一番頼りになるのはリッキーだよな。だから、ぼ、僕もやっぱり任せた方がいいと思う............」
ミサの提案を後押しするのは、ニケだ。強い者の意に従う、単純かつ明確な意見。道理にかなっているように聞こえるやも知れないが、それは即ち、ミサと同じく自分の明確な意思を示さぬことと大方同義である。
安直にこのような発言をしたことからミサが一瞬だけ物言いたげな目線を彼に向けるものの、今の自分が指摘できることではないと割り切り、押し黙った。
「二人はこう言ってるっすけど、ウィルはそれでいいっすかね」
「......」
口を噤むウィルに、リッキーが声をかけた。胸の内を蔓延る感情に収拾がつかず未だ黙したままの彼であるが、ここは何か言わなければならないと悟り、どうにかして口を動かす。
「............ああ。俺も、リッキーの意見に賛成だ」
「そうっすか! あっしはこれから計画を練るために暫く来客室に行くつもりっす。三人もよければそこで休憩するでやんす。最悪、アジトへの道を急いで駆け抜ける事態にもなり得るっすからね」
ーー心の中に、モヤモヤとした霧のようなものがかかる。本人さえもうまく表現することのできない、マイナスな感情の蝟集。
(......そうだ。今日はもう、疲れたんだ。ナズナは他の盗賊達が助けている筈だし、町を出るための方法なんて俺たちの専門外じゃないか。皆の言う通り、ここはリッキーの策に従おう。それが最善......だよな)
少年は、悩むことを放棄した。依然心の中には霧が立ち込めているものの、それを払うことを諦めてしまったのである。そして三人は、貴族らしく堂々と歩き始めたリッキーの背中に続くのであった。
ーーローグリン城、来客室。四方を豪勢な装飾が施された壁に囲まれる広々としたこの部屋は、まさしく客人をもてなすに相応しい場と言えよう。
しかし、ウィル達の居た薄暗い尋問室との違いは言わずもがな。それは城内の廊下や活気のある街並みと比較しても、少々奢侈が過ぎるのではないか、と思わずにはいられない程の華やかさであった。まるで王族が招待されているかのようである。
リッキーは上品なソファに腰掛けるなり「ゆっくりしていってくれっす」と告げ、テーブル上に用意された高級感漂う菓子を優雅に頬張った。ここはお前の部屋ではないだろ、と三人は心の中で静かにツッコミを入れる。
「......え、やわらかっ! ウチ、ここで暫く寝てるわ」
部屋内を散策していたミサが触れているのは、最低でも大人二人程度は余裕をもって横になれるサイズのベッドである。彼女は余程疲労が溜まっていたらしく、「おやすみぃ」と一言だけ発した後、布団に潜るなり早々にすぅすぅと寝息を立ててしまった。
「僕は......なんだか甘いものが食べたくなってきたぞぉ」
「おぉ、好きなだけ食えっす! 例えお菓子だろうと、タダ飯ほど美味いものは無いっすからね!」
甘い香りを漂わせるテーブル上の菓子を凝視しながら、ニケは普段と変わらない様子で振る舞う。子供のようであるが、その様が場の雰囲気を少しだけ和ませる。しかし、その後に続いたリッキーの大貴族らしからぬ言葉。やはりこの男は腐っても盗賊なのだな、とウィルは再認識するのであった。
(俺は............どうしようかな)
一人棒立ちになっている彼は、キョロキョロと辺りを見回し、手軽に暇を潰せそうな物がないかと探る。
ところが壁に立てかけられている装飾品や、入念に仕上げられたであろう食器やタンスのような家具など、この空間内のありとあらゆる物体が庶民には触れることも叶わぬようなハイグレードな品に思えてしまい、彼は目を細めて溜息をつくのであった。
「ちょっと、外の空気を吸ってくる」
ウィルはそう言い放つと、扉に向かってすたすたと歩き始める。この場合の外とは城の外ではなく、あくまで部屋の外の廊下という意味だが。
(うーん、どうもああいう部屋は落ち着かないというか......あちこちキラキラしてて目が眩んじゃうんだよなぁ)
扉を開け、廊下に出て、そのまま真っ直ぐに足を進める。
ふと、何となく外の景色を眺めたいような気分になったので、彼は近くにある窓に目を向けた。
空は未だ明るい。
明るいとはいえこの国に着いた時からは随分と時間が経過したようで、その時のように燦々と光が降り注いでいるわけではなく、まるで空が蒼紫色のベールで覆われているような、そんな夕暮れ前の寄る辺のない薄日が、城壁に囲まれる町を包み込んでいるのであった。
ウィルは現在、城の三階にある来客室前の廊下に立っている。窓から外を覗けば、そこには一面に広がる城下町。あと少しの間この場で待てば、いずれ夕焼けの橙の光が町を染めるだろう。しかしその光景は一瞬で覚める夢のようなもの。瞬く間に真っ暗な夜の闇がゆっくりとその光を塗り潰すに違いないのである。
にも関わらず、彼は何気なしに窓を見つめ始めた。
ーー外の景色をよく眺めるようになったのは、一体いつからだろうか。
この世界に来る前のこと。彼はいつからか、このような疑問を自分自身に抱いていた。もっとも彼には幼年期の記憶はあまり無く、青春の殆どの時間を孤独に過ごしている身にとっては自然にできた癖のようなものーーと言い切れば、そこまでである。
だが、どうも釈然としないのだ。それはまるで部屋の四隅の埃のようなもの。普段はさほど気にも留めぬ存在であるが、発見したからには取り除きたいという欲求が溢れ出てしまう。
思索を重ねているのか、はたまた放心しているだけなのか。ただ何事もなく、じりじりと時間が過ぎてゆく。
じっと外を見つめている最中、不意に重量感のある金属同士が擦れるような音が背後から近づいて来るのを感じた。表情を引き締め、ウィルは何事かと振り向く。
すると、偶然通りかかったのだろうか、その場に立っていたのは先程ウィルの尋問を担当していた騎士であった。
畏れとも、恐れとも取れぬ表情で騎士を見つめる。両者の間に、何とも形容し難い緊張が流れた。
「.....まさか、部屋の外に出ているとはな」
「............悪いですか?」
「......いや、別に咎めるわけではない。大方、豪勢な雰囲気を醸し出す部屋の中が落ち着かないといったところだろう?」
「............」
尋問の時とは打って変わった騎士の陽気な態度に、ウィルの表情には困惑の色が浮かんだ。
「ウィル君......だったか。先程は余計な真似をしてすまなかった。君達の事情を一切知らぬ私が言えたことではなかったと、今更ながら思うよ」
「い、いえ。別にいいですよ、謝らなくて......騎士さんのお陰で自分の弱さを痛感しましたから。」
先の非礼を詫びるように、頭を下げる騎士。
とんでもないーーと、ウィルは思った。確かに指摘を受けている最中は快く思わなかったものの、騎士の言葉は的を得ていた。その言葉は自分自身を見つめ直すきっかけとなったのだ。もっとも、今はあらゆる物事から逃げ出すように、外の景色を眺めて呆けていた訳であるが。
「そ、その、まさかこれを言うためにわざわざここまで?」
「いいや、私は城内の見回りをしている最中でね。そしたら、偶然君を見かけたという訳だ。何せ、今は城の中には騎士が殆ど居ないから」
「......そうですか」
城の中に殆ど騎士が居ない。それはかなり異常な事態では、とウィルは考える。普段の彼ならばその状況についての詳しい情報を求めるだろうが、今はどうしてかそのような気分にはなれない。よって騎士に対して深く追及することはなく、再び窓の外に目を向けるのであった。
騎士は少年の背中を見て、静かに語りかける。
「............弱い自分を見るのは辛かろう。だが、そんな時こそ仲間の姿に目を向けてみるといい。何しろ、君は孤独ではないのだからね」
騎士はそう言い残すと、その場を後にした。
(仲間に......目を............)
頭の中を、彼の言葉が駆け巡る。思えばこれまでの道のり、積み重なる焦燥から気付かぬうちに無駄な責任感を感じていた。そのため、自分が如何に仲間たちを上手く引っ張るか云々、それを主軸として考えていたのだ。
彼は、勘違いをしていた。
誰も、彼にリーダーをやってほしいなどとは言っていない。当然、最初からそのように期待されていたわけでもない。
(俺は、自分しか見えていなかったのか......? いや、実際そうなんだろうな。現に今、情け無い自分を誤魔化し切れなくなって、そんな事実から逃げ出したくなっている自分がいる。ニケ、ミサ、リッキー、そしてナズナ。仲間に、頼っていいのか? でもそうなった場合、俺は、独り置いていかれるなんてことは..................)
途端、町全体が眩い輝きを放った。
ウィルは、目を見開く。そして、すぐに理解した。町自体が光を放ったのではない。
ーー斜陽だ。傾き、残り僅かな時間で沈まんとする太陽の光が町全体を照らし、心から奥ゆかしさを感じられるような黄金色が城下町全体を照らしている。
「..............................」
絶句した。単に美しい光景に感動している、というのは勿論だ。だがそれ以上に、彼はこの光を、この輝きを知らなかった。生まれて初めて見るような暖かな光の色が、目の奥にじんわりと染み渡ってゆく。彼はこの光景を目に焼き付けようと、暫くの間じっと窓の外を眺めることにした。
瞬きを二つ。夢のような光景はじきに終幕を迎えんとし、目覚めの時が訪れる。ウィルはそろそろニケたちの居る部屋に戻るべく、振り向いた。
ーーその時であった。
窓の外から差し込む、煌びやかな光。
同時に地を割くような轟音が鳴り響き、衝撃波によって周囲の全ての窓が小刻みに振動した。
(一体何が............っ!?)
窓に飛び付き、音がした方向に視線を向ける。
立ち込める黒煙と、山のように燃え盛る炎。どうやら城内の何処かで爆発が起きたようである。密集する炎の位置からして、恐らく下の階層だ。発生場所が来客室のある居館ではなく、別棟であったのは不幸中の幸いか。ウィルは急いでこの事をリッキーに伝えようと、来客室へと足を運ぶ。
「な、な、なんすかぁ!? 今の音は!!」
来客室の扉がバタンと開き、中から冷静さを失った様子のリッキーとニケが飛び出してきた。
「なに......? どうしたのぉ......?」
一足遅れて、ミサが目を擦りながら歩いてきた。どうやら爆発音によって強制的に叩き起こされたらしく、未だ意識がはっきりしていない様子である。
「......城の、今俺たちがいる所とは別の棟で、爆発が起きたらしい。……まど、窓の外を見るんだ」
ウィルの言葉を聞くなり、三人は外の様子を見るべく、駆け足で窓に向かう。だが、彼らが窓に触れる前に、再びそれは起こった。
「......ひえっ!」
ーー張り裂けるような爆音、大きく振動する窓。
ウィルが最初に聞いたそれよりも、更に激しい爆発が発生した。窓ガラスの振動は、先程とは比較にならないほど大きい。いつまでもここに居ては危険だと考えたウィルは、リッキーにこれからの行動についての相談を試みる。
しかし、それより先に口を開いたのは当のリッキーであった。
「......ずっとここにいるのは危険かもしれないっすね。いつ被害がここまで及んでくるかわかんないっすから、今は城の外に出ることを考えるっす」
「ら、来客室に閉じこもるってのは......どうなんだよ。もし階段を降りてる途中に近くで爆発が起きたら、僕たちは......」
「うーん、残念ながらそれは愚策っすね。なんせ炎のは上へと昇るものっすから、このフロア全体が炎に包まれちまう可能性があるっす。今ヤバい状況なのは別棟だからアレっすけど、もしもこの真下で爆発が起こったらと考えると......想像できたでやんすか?」
「......ま、まぁ? やっぱり僕もその方がいいんじゃないかなーってちょっぴり思ってたんだよね! ははは......」
リッキーの冷静な説明に対し、青褪めるニケ。しかし、今はこのやり取りを見て表情を緩めている場合ではない。ウィルは、今度こそ意思を伝えるべく口を動かす。
「なら、いつまでもこうしている訳にはいかない。急いで階段を使って下に降りよう」
「いや、ちょっと待つっす」
「な、なんで? 迷ってる時間なんてないだろ」
「さっきも言ったっすけど、真下から爆発が起こる可能性もゼロじゃないんすよ。原因が不明っすからね」
「な、ならどうしろって......」
「あっしに任せるっす」
リッキーはそう告げると、窓に向かって足を進めた。そして、右手に魔力を込め、窓に触れる。
ーー直後、一瞬空気が歪むような錯覚が起こり、同時に彼が触れた窓のガラスは粉々に砕け散った。




