23話 臆病者
ーー強引に腕を掴まれる。
片方の騎士が拘束具を取り出し、扉の前に立っていた騎士と共にウィルを壁に押さえつけ、それを彼の腕に嵌める。彼は抵抗するでもなく、立ち尽くしたままそれを受け入れた。彼はあたかも自分の無力さを思い知ったかのように、下を向き続ける。
「............」
その様子が拍子抜けだったのか、騎士は暫くの間無言で彼に目線を落とすと、突然声をかけ始めた。
「......少々、意外だったな。こんなにも容易く受け入れるとは」
「............何のこと、ですか」
そう告げる騎士に対し、ウィルは少しだけ顔を正面に持ってゆき、上目遣いで騎士を見た。騎士の身長は彼よりも遥かに高い。目測だが、ニメートル弱はあるだろう。その騎士は、表情を変えずに言葉を続ける。
「君は既に気付いていただろうが、私たちは三人同時に尋問を進めていた」
「..................はい」
「その三人の中で最も早く参ってしまったのは、君だ。黒髪の少年はある意味最初から心が折れていたが、彼はその臆病が幸いして、突き付けられる尋問から逃げ続けていた。全くもって感心はできないが、この世の中において逃げることは最善の手段となり得る。少なくとも敵の傘下に降るよりかは幾分か良いだろう」
「......」
「薄桜色の髪の少女は、最後まで戦っていた。彼女の話は一応筋が通っており、何より信憑性があったのだ。その全てが真実とは我々も思わぬが、検証するだけの価値はあると思ったよ。キツい言い方になるが、もし尋問を受けているのが彼女だけだったならば、これ以上疑われることは無かっただろう」
「............だから、一体何を......?」
話の意図が読めず、ウィルは自分を見下している者に対して鋭い眼差しを向けた。
「............今の話を聞き、君は何を思う?」
放り投げられた、弱者を心底憐れむような声。それに含まれるは怒りでも失望でもない。その声色は、ただただ哀しみだけを運ぶのであった。
「もし仮に、君達が盗賊団の一味若しくは協力者であるとする。実際はそうでないことを願いたいが、この尋問によってその疑いが大きくなってしまった。現在、盗賊団は国賊という立場に置かれているのは知っているだろう。もし君達がここで捕まってしまえば、最悪の場合処......いや、この先の人生を全て牢の中で過ごさなければならない可能性があるのだよ」
「............」
「君だけでなく、君"達"なのだ。それなのに、君は最も早く諦め、尋問という苦から楽になろうとした。ーー君がうっかりあの短剣を私に見せたことで疑いの色が濃くなってしまった、それは確かに重大な失敗だ。取り返すことなどできない。だが、その後の態度は何だ? 現実から逃れるように下を向き、震えるのみだったではないか」
「......あの短剣を見せたことは、後悔しています。でもそんなこと言われても、あの後僕が何を言ったって無駄に決まってるじゃないですか。あの状況から疑いを晴らす言葉なんて、正直僕には思い付きません............何を言っても、きっと手遅れだ。牢に入る未来は変わらない」
ウィルの言葉を、黙って聞く騎士の男。
口を閉ざし、場がしんと鎮まり返る。男は彼の目を見つめ、静かに告げる。
「そうだな。現に君たちは拘束され、これから牢の中へと送られる。だが......私が言っているのは答える内容がどうこうではない。分からぬのなら、教えよう。あの後君がするべきことは、下を向くことなのか? それは否だ。男ならば私の目を見るべきだろう。最初に決めた自らの意志を決して曲げてはならん」
「......は............?」
「額を床に付け、自分を信じろと懇願するも良し。泣き叫び、それでも尚自分は旅芸人であると主張するも良し。君がすべきだったことは、最後まで足掻くということだったのだ。違うかね?」
「さっきから、何を一体......説教ですか? それにそんな子供じみたことするくらいなら、いっそ潔く捕まった方がまだ男らし......」
「甘えてはならん。君に格好付けている余裕など無いだろう。捕まるまいと必死にもがく仲間のことを、今一度考えてみるがいい」
「............っ」
突き付けられた、言葉の数々。何故この騎士は自分に対してこのような事を口にするのだろうかと疑問に思うものの、ウィルは現在、彼の指摘に心を揺れ動かされているのであった。
脳内に響き渡り、反響する言葉。それらは、彼の思考の逃げ道を完全に塞いでしまう。
「............すまない、つい余計なことを言ってしまったな。年長者の戯言とでも思って忘れてくれ」
我に返ったかのように騎士はそう告げると、黙ったままのウィルを連れて扉を開ける。
尋問室を出て、騎士に連れられるまま足を進める。歩くこと三分ほど。行き着いた先は、先程の尋問室よりも広く、あちらこちらに豪華な装飾が飾られている部屋であった。中央には大きな机と、机を挟んで向かい合うように置かれている二台のソファー。そこに、見覚えのある黒髪の少年と薄桜色の髪の少女が座っている。
ウィルは、思わず眉間にしわを寄せた。それもそのはず、彼らがこれから連れて行かれる場所は牢であり、この様な小綺麗な部屋に入る必要などないのだ。
戸惑うウィルを他所に、部屋の奥に立っている騎士は事の説明を始める。
「えー、実はほんの数分前。君達にかかった疑いを晴らす人物の介入があったらしい。その者については今すぐこちらに向かわれるとのことなので、君達には暫くここで待っていてもらいたい」
予想もしない展開に、目を丸くする三人。ウィルは急な話に付いていけず、騎士に対してより詳細な説明を求めようとするものの、騎士はそれに応じる様子もなく、彼をソファーに座るよう促した。
「うぃ、ウィル! だ、だ、大丈夫だったか?」
怯えた表情で、ウィルの身を案じるニケ。小部屋で行われた尋問は彼にとっては余程恐ろしい体験であったのか、未だに足が小刻みに震えている。実に情け無い姿だが、そんな彼を見たウィルは、心の底に淡いあかりが灯るのを感じた。
思えば、この世界に来て孤独を味わったのは初めての事であった。如何なる困難に直面しても、彼らは必ず側に居てくれたのだ。それはある意味で精神的支柱になっており、ウィルがこの時まで生き延びることができたのは、実際にそのような意識は無くとも互いに背中を押し合ってきた故であると実感したのである。
(............)
連れ去られたナズナも孤独を感じたのだろうか、と思いを巡らせる。彼女の背景については全くと言って良いほど掴めていないものの、心細い思いをしていることには違いない。今は彼女の存命を信じ、再会を待ち望むのであった。
ふと、ミサの顔が視界に入る。彼の目線に気付いた彼女の表情には、何やら複雑な色が浮かんで見えた。
「その......多分、俺のせい......だよな」
ウィルはすぐさま彼女から目線を逸らし、下を向いて呟いた。騎士の話によると、最も奮闘していたのは彼女であったとのこと。彼には、自分が足を引っ張ってしまったという自覚があった。故にその後ろめたさと罪悪感から、今は彼女の顔を直視することは叶わない。
「そっか、仲間の一人が私の話と矛盾した......物的証拠? みたいなのを見せたって聞いたけど、やっぱりウィルだったんだ」
「............」
後悔と羞恥が相まって、今にもどこか遠くへ逃げ出したい感情に襲われるウィル。厳しい非難を覚悟した彼であったが、彼女の言葉は彼の想像するそれとは大きく異なるものだった。
「まぁ、しょーがないよね。あっちは情報共有していて、ウチらは打ち合わせ無しに話を合わせなきゃいけないなんて......そんなの普通むりっしょ」
「え............ま、まぁ確かにそうだけど......」
「ウチの話にも所々穴があったし、ウィルがやらかさなくてもいずれバレてたんじゃないかな〜」
ミサの口から出たのは非難ではなく、気遣いの言葉であった。彼女の予想に反した対応に、ウィルは言葉を詰まらせる。今一度、彼女の顔を見る。その表情はどこか柔らかく、寧ろ清々しく見えた。
「............だが、俺は謝らないといけないんだ。二人が必死に牢に行かないようにしてたのに、俺は早々諦めてしまって......」
「え、なに? 僕が必死の抵抗をしたって? まさか。僕はただ叫んでただけさ」
「いや、謝るとかそーいうのいいから」
突然調子良さげに割り込むニケと、それに続いて謝罪を拒否するミサ。ウィルが吐き出そうとした償いの言葉は、二人の仲間によって無理矢理押し留められる。
にも関わらず、二人の優しさはウィルに更なる自責を強いることになってしまう。
(もしかして、二人はここまで生き延びる事が出来たのは俺の知識と発想力のおかげ......とでも思っているのだろうか。冗談じゃない。本当の俺は、どうしようもなく臆病者だ。俺は、勝てない敵とは戦わない。今まで遭遇した魔獣となんとか渡り合えたのは、全てナズナという存在が居たからだ。魔法が使えるナズナが居てくれたからこそ、俺は弱気になれず冷静に振る舞えた。策まがいのものを練ったり運任せの勝負に出ることができた。でも、そんなのは俺の力じゃない。勝てない敵と戦わない? 違う、戦えないんだよ。戦う勇気すら無いんだ。今はニケたちの同情がとても辛い......苦しい。謝ることしか、卑怯者の俺にはできないというのに............)
そんなウィルの様子を、遠目に見る者がいた。その者に彼らの声は聞こえていないが、少年の哀れな背中はその者の心に何かを訴える。
「しかし......君の尋問、やけに長かったじゃないか。確か北の国から来たというあの少年が、この国と周辺の村にしか流通していない短剣を、何故か師から賜った品だと騙った......という話だろう? それならば、即刻部屋から連れ出してもいいだろうに」
「いやいや、先輩。北の国から来た......という偽りの記憶を植え付けられた可能性もあるって話してたじゃないっすか。しかも、先輩の口から」
「む、そういえば、私が担当していた少女がそのようなことを言っていたな。ハハハ、こりゃ確かに黒と決めつけるにはまだ早いかもなぁ」
その者の隣には、二人の男が居る。彼に話を振る真面目な騎士と、真面目な騎士の話に指摘をする若い騎士だ。
「............」
その者は何も答えず、ただただ非力な少年の背中を見つめている。
徴兵された身である彼だが、若き日の彼は本職の騎士を目指すべく、独り鍛錬に励む日々を繰り返していた。孤独を強いられる環境下、毎日が地獄のような時間であった。それほどまでに、護国の騎士に対する彼の情熱と憧憬は凄まじいものであった。
血の滲むような努力の末、ローグリン公国騎士団の入団試験へと臨んだ彼であったが、その結果は散々たるものであった。別段彼の能力が劣っていた訳ではない。
幾つかの項目からなる入団試験には、実戦形式といった項目が存在する。それ即ち、本職の騎士と実際に手合わせをし、その内容の良し悪しで評価を下されるといったものだ。最も重要視される項目である実戦形式の評価は、入団への可能性を大きく左右する。しかし、彼はそこで大きな壁に阻まれることとなった。
孤独な環境に居た為か人や魔獣と相対する経験など皆無であった彼は、試験官である騎士の威圧に圧倒されてしまったのだ。最早立ち直ることは出来ず、鍛え抜いた身体は震えるばかりで脳からの命令を拒否し続ける。結局彼は、何の成果も残せぬまま試験をリタイアしてしまったのだ。
その騎士もまたウィルと同じく、臆病者であった。
無論、尋問官としての彼の行動は行き過ぎたものであり、それは当然自覚している。しかし彼の目に映ったウィルの姿は、昔の臆病な自分に酷似していたのだ。それ故に堪えきれぬ感情が過剰なほどに沸き、説教じみた行動に出てしまったのである。
(少年よ、誰ともわからぬ私の言葉など君にとっては余計な物でしかないだろう。私も、先程取った咄嗟の愚行を後悔しているつもりだ。だが、もし君達に盗賊との関わりが無いものと判り、疑いが晴れた暁にはどうか、私のような人間にならぬよう己の道を突き進んでほしい)
臆病な騎士は、そっと目蓋を閉じるのであった。
ガタン、とドアの開く音。
皆は、開かれたドアを一斉に刮目する。部屋の外に見えるは、数人の騎士。そしてーー
「あ、あんたは......」
騎士に紛れるように平然とそこに居る人物に、ミサはつい声を上げてしまう。
「いやー、みんな何処に行ったのかと思えば、まさか騎士団に捕まってたとは。飯屋に戻ったら誰もいなかったっすから、びっくりしたっすよ!」
気さくな様子で部屋に入ってきた男は、ウィルたちのよく知る人物であった。その男はフランクな笑顔で歩み寄ると、先程声を上げたミサの頭を撫で始めた。
「バ、バロス殿!? ......こ、この度は大変失礼致しました。まさか、この者らがバロス殿のお知り合いだったとは......」
「全然いいでやんすよ。ちゃんと伝えてなかったあっしも悪いっすからね〜」
部屋に居る騎士の一人が、男に向かって深々と頭を下げる。
一人の騎士だけではない。ウィル達の尋問をそれぞれ担当していた三騎士までもが、男に対して恭しい態度を取り始めたのだ。その様子を見て唖然とする三人に、男は一言だけ告げる。
「さあ、一緒に帰るっすよ。そろそろ日が暮れる頃っすから」
その男ーーリッキー・バロスはウィルの手を引くなり、そそくさと部屋の外へと歩き出す。ニケとミサも、急いでそれに続くのであった。




