22話 尋問室
「君達は、本当に旅芸人なのかね?」
薄暗い小部屋に、男の低い声が響く。
尋問室ーーと彼らが呼んでいた場所は、窓一つ無い密室であった。中央の机に置かれた蝋燭の光が部屋を照らし、その机上の光を挟むようにウィルと騎士が向かい合って椅子に座っている。
部屋内には、人の影が三つ。向き合う二人と、入り口に騎士が一人。当然ながら、逃げ場など存在する筈もなく、ニケやミサも今頃同じような部屋で似たような境遇に遭っているに違いない。
(リッキーのやつ、もしかして捕まったのか? あれだけ忠告したのに! まずい、非常にまずいぞ。もし俺がここで真実を全て話したのならば、どんな罪を着せられるだろうか。盗賊団に協力したと見なされ、重い罰が下るのか。それとも、盗賊の口車に乗せられたとして、保護されるだろうか......)
「何故黙る? 君は真実のみ話してくれれば良いのだ。もう一度聞くぞ。君は、本当に旅芸人か?」
「すみません、一つ質問させて下さい。その......師匠は、どうなったのですか? 今、何処にいるんですか?」
騎士が問いかけるものの、対するウィルは言葉を選びながら問いで返した。リッキーが咄嗟に考案したシナリオでは、彼は三人の弟子を持つ貧しい旅芸人であった筈だ。それに、盗賊団に加担している今の状況に於いても彼は戦闘面における師であることに相違ない。無論"リッキー"という盗賊の名前を出すのは避けなければならない故、あえて"師匠"と呼んだのであった。
すると、騎士は不満気に腕を組む。
「さて、どうだろう。教えるかどうかは君達の返答次第だ。それと、次に返答以外の言葉を喋れば、否応なく君を牢に入れるから覚悟するように」
ごくり、と唾を飲む。騎士から放たれる異質なプレッシャー。恐らくこの騎士は本物だ。戦いを生業とする者の重圧はウィルの体を震え上がらせ、指一本動かすことすら許容しない。
彼は、ひどく後悔した。対話の際、相手の顔色を見ずに自分の探究心を優先してしまうのは昔からの癖であり、その性格が原因で人間関係を壊しかけたことは少なくなかった。今では出来るだけそれを抑えようと努力してはいるものの、それに気を配る余裕が無い時などは思わず口走ってしまうのだ。
もう一度誤った対応をすれば、ウィルは確実に疑われてしまう。また、騎士は真実を隠しながら相手の出方を観察している様子だ。下手に偽りの供述をしようものならば即座に見抜かれ厳重な罰が下るだろう。
かと言って自分達は盗賊リッキーの正体を隠し、彼らに協力しているのもまた事実。
(......ダメだ、なんて答えたらいいのかさっぱり分からない。仮にリッキーが捕まったとするが、果たしてあいつは自分たちの正体やこの町に来た目的を喋ったのか? それとも、この状況から逃れるべく未だに"旅芸人"を名乗っているのか? くそっ、この騎士の方が俺より完全に一枚上手だ。この男からすれば、この尋問は恐らく戯れのようなものなのかもしれない。きっと俺が正直者であるか否かを試しているんだ。俺はどっちを名乗ればいい? 盗賊か、旅芸人か......っ!)
数秒という、僅かな間の思考。されど、数秒である。一秒でも回答までの間を開ければウィルへの疑いは濃厚になる一方であり、最早考える時間など無に等しい。
時は、時として人に慈悲なき審判を下すもの。そしてこの状況下での沈黙は罪だ。何かしら自分が何者であるかを示さなければ、瞬く間に裁きの時はやってくるだろう。
心臓の鼓動が速まり、大量の汗で服が全身に張り付く。彼は、震える唇を動かす。
「............仰る通り、俺たちは旅芸人で、俺はあの人の弟子です」
この世界に来て何度目になるであろう、一か八かの賭け。よく考えれば、仲間想いのリッキーに限ってそう簡単に自分の正体を明かすはずがない。それに、ウィルは彼に対して普通の盗賊とは違う何かを感じていた。あの男は、このような場所で簡単に諦めるような男ではないと信じる。よって、ウィルは再び旅芸人を演じることにしたのだ。
「ふむ、そうか..................ひとまず君の言葉を信じよう」
騎士はチラッと部屋の壁に目を向け、言葉を発した。緊張のあまり注意深く騎士に目を向けていたウィルは、その一瞬を見逃さない。
(......? なんだ、いまの仕草。それに、言葉の合間に妙な間があったような)
ウィルが思索する間もなく、騎士はまたしても口を開く。
「では君が旅芸人というのならば、証拠を見せてはくれないか? 師の元で何かしらの芸を学んでいるのだろう?」
「............」
痛いところを突かれたと、戸惑うウィル。彼がリッキーから学んだことは戦闘に関する体内魔素の基礎的な使い方であり、芸と結び付けることは困難だ。元の世界の人間にその技術を見せつければ多少のリアクションは貰えるだろうが、この世界に於いては一般人がそれを身につけていても何ら珍しいことではなく、ましてや現在彼が相対している者は戦闘のプロだ。教わった技術をそのまま披露しても、冷淡な視線が返されるだけであろう。
その場凌ぎで誤魔化すことは流石に無理があると判断し、彼は正直に告げることにする。
「その、大変申し上げにくいのですが......僕達は未だ半人前でして、芸を教わったことすらないのです。教わった事といえば多少の戦闘に関する心得と、あとはちょっとした魔法......くらいです」
言い終わると同時に、ウィルは"収納"の魔法で亜空間に隠していた短剣を出現させる。暫くの間、騎士は黙ったまま彼の目をじっと見つめる。そして、一言。
「なるほど。私は剣の道しか知らぬ身ゆえ、そちらの指導や心構えなどについてはとやかく言うべきではあるまい。ひょっとして、その短剣は芸に使用するための物か?」
「............! はい、そうなんです。これを使った芸から学べと師匠に教わりまして......」
咄嗟に浮かんだ、もっともらしい言い分。これならば誰が聞いても違和感なく自分の説明を受け入れてくれるだろうと、ウィルは自信有り気に答えた。確かに筋は通っており、疑り深い騎士であっても納得せざるを得ないだろう。彼は短剣の切っ先を横に向け、いかにも大切に扱っているように両の手の平の上に乗せる。
(なんとか......言葉を繋げたか。その調子だ。少しずつ、少しずつでいい。自分が旅芸人であることに違和感を抱かせないようにするんだ。俺が演じるのは、一芸すらまともにこなせない未熟者......その心象に近づけるんだ。少しずつ、少しずつ......)
ウィルは冷静な気を保ち、心を鎮めた。先程のような焦りは無く、騎士を真正面から見据えて次の質問に備える。
彼の様子を見た騎士はどこか暖かな表情を浮かべ、再び口を開く。
「緊張がほぐれてきたか? さっきとはまるで別人みたいに堂々としてるじゃないか。ふふ、大きな目標を見据え、夢を追いかける少年はこうでなくては」
騎士は、話を続ける。
「場の空気が緩んだところで、一つ聞こう。君の短剣に満遍なく付着している、その赤黒いものは一体何かな?」
「え............」
蝋燭の明かりが照らす手元。すかさず短剣の刃の部分を見る。すると驚くことに、彼が指摘した通り短剣のあらゆる部分に赤黒い液体がこびり付いている様子が確認できた。
ウィルがこの短剣を使用した機会は一度だけ。森を出てすぐのところ、猪のような魔獣を刺した時である。よって赤黒い液体は魔獣の血液であり、短剣はそのままの状態で亜空間に収納されていたということになる。
「こ、これは魔獣に襲われた時に仕方なく......」
ウィルは必死に口を動かすも、騎士の疑り深い表情は一切変わらない。
「ふむ。そういった塗装ではなく、魔獣を刺した際に付着した血か。より生々しさを表現するため、彼らは血臭のする塗装を用いることもあると聞いたことがあるのだが、まさか芸に使用する商売道具をこのような事に使うとは」
「ぼ、僕たちも必死だったんですよ! 職の誇りも、さすがに命に代わることはありません!」
焦りから、彼は徐々に自分の息が荒くなることを実感した。じわじわと、逃げ場の無い細路地に追い詰められるような感覚。どこかに抜け穴がないかと探すも、それらは全て塞がれている。否、今の彼は偽りを述べ続けているため、辻褄を合わせようにも必ず何処かで綻びが見つかってしまう。抜け穴など、最初から存在しないのかもしれない。
溜息をついた騎士が、次に放つ一言。その一言によって、ウィルの退路は完全に断たれることとなる。
「そういえば気になっていたのだが......君達は何処から来たのだろうか」
「き、北の地です」
「ああ、そうだったな。私もそう聞いている。だがこの短剣......よく見ると、柄の部分に特徴的な紋様が刻まれているな。この紋様は蟹手といって、その製法で作られた武具はローグリン公国やその周辺の地域にしか流通していない代物なのだよ。君は確か北の地からやって来たと言っていたが......はて、これは一体どういうことだろうか」
ーー目を見開き、息が詰まるような感覚を覚える。もはや、言い逃れは出来まい。目の前で飄々たる態度で此方を凝視する騎士の目からは、一切の暖かみを感じない。罪人を裁く冷徹な瞳に射抜かれ、ウィルは平常心を保てなくなっていた。
「どうした、何か言いたまえ。それとも、やっと口を割ってくれるのか? 君のお仲間は未だ粘っているようだが」
「............な............っ!?」
その瞬間、ウィルは理解した。この尋問は三人同時に行われており、尋問を行う騎士達はそれぞれの質問とその答え、その全ての内容を互いに共有し合っていることを。
リッキーは言っていた。この国の騎士達は魔素信号のような手段を用いて壁の向こうの人間と連絡を取ることができるらしい、と。恐らく彼らは似たような内容の質問を三人同時に行い、その答えが揃っているか否かを確かめていたのだ。
「ど、どうしてそんなことを俺たちに......!?」
「さあ、私にはわからんよ。これも全て騎士団長殿の指示だからね。まったく、私のような徴兵騎士はこのような雑務もやらされるゆえ、全くもって頭が痛い」
またしても衝撃が走った。この騎士、凄まじいほどの圧を放っておきながら、本職ではないと明言するのである。
全身の震えと、滝のように流れる冷や汗。ウィルは、自分がこの世界に於いていかに矮小な存在かを改めて実感したのであった。
「ひいいいっ! 僕は悪くないんだぁ!」
薄暗く、狭い小部屋に甲高い声が響く。泣き叫ぶ黒髪の少年への尋問を担当する若い騎士は、思わず苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「あー、ニケ君。分かったから落ち着きたまえよ? 別に君を取って食おうって訳じゃあないんだ。ただ正直に話してくれれば牢に入れるなんてことはしない。ね?」
「ひ、一人は嫌だぁぁぁ! みんなに会わせてよおおぉぉぉ!!」
完全に恐慌状態に陥っている少年を前に、騎士は戸惑いを隠せない。
(最初に牢という単語を出した瞬間これだよ。かれこれ十分以上はこの調子だから、会話すらできないじゃないか。だから嫌だったんだよなぁ、徴兵って。碌な仕事じゃないよホント。俺、招集された当初は国のために戦うんだーって感じで割とノリノリだったけど、これなら町外れの農家でのんびりやってた方がマシだわ)
騎士は、壁に目を向ける。隣の小部屋から送られてきた魔素信号からは、"偽"の一文字が読み取れる。
(チッ、隣の少年は素直な奴だったか。それに比べてこいつは何だ? ただ泣き叫ぶだけでまともに尋問できやしない。まあいい。コイツらが嘘を付いていることはこれで明白だ。あとはもう片方の騎士に信号を送れば......)
騎士は、手のひらにこっそりと小型の陣を展開させる。
"囚人達の密謀"。特殊な術式を用いた陣に意思を込め、それを念波動として飛ばす簡易な魔法だ。その波動はあらゆる障害物を貫通することから、連絡手段としては非常に便利な魔法である。元々は獄中に囚われた男女が恋に落ち、彼らが互いの思いを伝え合うために創られた魔法と伝えられているが、その真偽は定かではない。
若き騎士は泣き叫ぶ少年を見ながら、溜息をついた。
「ほう。これまでの話を纏めると、君達は旅芸人ではなく、かと言って盗賊でもない。本当にただの旅人ということかね」
「その可能性があるってだけです。それに、私たちは南の森で幻惑の類いを操る魔獣に洗脳されたこともありえますから、私たちの故郷は北の地ではなく、南の集落である可能性も否めません」
「うーむ、確かに君達の魔力はあまりにも微弱だ。それも、不自然なほどに。これならば体内魔素の大半を魔獣に吸い取られ、洗脳とまではいかなくとも、そのショックで君達の記憶が一部混同してしまっているという線も考えられる......」
同じく薄暗い小部屋の中。ミサは騎士からの尋問に対し、善戦を繰り広げていた。
彼女は、これまでに記憶したありとあらゆる情報と経験を巧みに使い分ける。前提として、彼女はリッキーが用意した偽りのシナリオを利用するつもりは皆無であった。状況設定があまりにも突拍子であり、更に彼女は旅芸人の情報など知る筈もない。その職業についての知識量で相手の方が勝っている場合、こちらは圧倒的に不利な立場となってしまう。よって、彼女は自分たちの現状を表すに最も相応しいであろう旅人を名乗ることにしたのだ。
「それでも信じられないと言うならば、どうでしょう。南の集落に私たちを連れて行っては下さいませんか? 記憶が正しければ、私たち四人の旅はそこから始まったのですから、そこに私の知り合いが居るのは当然です。その者らがきっと私の話の信憑性を裏付けて下さるでしょう」
「............しかしだな。我々の現在の兵力では、あの得体の知れない森に近づくことは決して簡単なことではないのだ。困ったことにな......」
ミサは内心ニヤリと微笑む。騎士は、上手いこと彼女の策に嵌っている様子であり、更に上手く行けば、騎士団の情報を少しでも聞き出せる可能性があるのだ。
先日聞いた話では、この国の騎士団の大半が徴兵された素人である故、森を調査するだけの力は無いとのことである。そんな彼らが森に潜む全ての魔獣についての知識を持ち合わせていることはまずあり得ない。また、魔素の扱い方をつい最近覚えたばかりの三人は、この世界の住人としては異様なほど衰弱しているように見えるという話だ。
以上から、魔素を吸い取る、或いは洗脳を得意とする魔獣が森に現れて彼らに襲われたと虚言を述べても、騎士がそれを否定することは出来ないのである。幸い彼女たちは南の集落に赴いたことがあるため、万が一再び集落を訪れることになったとしても、そこの長である老婆が都合よく話を合わせてくれると読んだのだ。
「森に近づくことすらままならない現在の兵力......ですか? 妙に引っかかる響きです。失礼ながら、騎士団の状況について詳しい話を聞きたいのですが」
「あぁ、いや、そう大した話ではない。実は現在、騎士の多くは城に捕らえたネズミの監視をしているのだ。それも、とびきり大きな泥棒ネズミだ」
「ネズミ......? それってどういう......」
「おっと、これ以上喋ったら騎士団長殿の小言を貰ってしまう............む?」
騎士はそう告げると、壁に向けて目線を送る。その行動についてはとりわけ疑問に思わず、彼女は脳内で現状についての考察を行う。
(......? どういうこと? 国内で盗賊の名を騙ったアホでも出たのかな。お頭さんは森の魔獣に襲われたって聞いたし............)
「あ......」
彼女の脳内に、ある男の顔が浮かぶ。その男は嘘が下手で、どこか抜けていて、先を考えずに行動してしまうような人物だ。
(あいつ............まさか既に捕まっていたっていうの!? お店になかなか戻って来なかったのはそういう理由......? いや、さすがにそこまで迂闊な奴では............うぅ、ありえるのかなぁ)
激しく動揺するも、ミサはその感情を表に出すまいと無理に抑えつけた。
唐突に、騎士が口を開く。彼女の様子など構わずに放たれる言葉は、彼女の心を激しく揺れ動かす。
「......どうやら君と君の仲間との供述に齟齬が生じているようだ。仕方ないが一旦君達には牢に入ってもらって、この続きはそこで話してもらおうか」
「なっ......え? ちょっと意味がわかんないんですけど」
目の前で尋問を行っていた騎士が立ち上がり、拘束具のような物を亜空間から取り出す。いつの間にか扉の前に立っていたもう一人の騎士は彼女の背後に回っており、両腕を掴んで彼女の動きを封じた。抵抗するものの、騎士の力は凄まじく、とても逃れることは出来そうにない。
彼女はされるがままに拘束され、部屋の外へと連れ出されたのであった。




