20話 魔女の眷属
「おまえは......"治癒の魔力"の使い手で間違いねぇな?」
臍を固めた男の声が、深閑とした暗闇の中に響き渡る。その表情は鬼気迫っており、周囲の空気は高熱を帯びたかのように震え始めた。
辺りは深い暗闇に覆われているため、ナズナの目にはその姿は映らない。しかし彼女はその揺るぎなき決意を感じ取ると、彼の居る方向を真っ直ぐ見つめ、言葉を告げる。
「シャヴィさんが言ってるのは、いわゆる"白き魔法"のことですね。あまりに異質であるため、密かに"奇跡"と呼ばれることもあるとか。その、はっきりと言います。私たちナハトの民は、それを扱う民族ではありません」
「........................」
長い沈黙。その間、男がどのような表情を浮かべていたかを知る者は居ない。
暫くして、彼は吹っ切れたかのように声を上げた。
「......なーんだ。それじゃあこれまで命懸けで求めてきたものは、全部おれの勘違いだったってか。ククク......こりゃ傑作だなァおい」
シャヴィはそう呟くと、突如として盛大な笑い声を上げる。
ナズナにはそれが余りにも自虐的で、惨めに思えた。だが、そんな彼に対して掛ける言葉が見当たらない。少なくとも、彼を失望させてしまった自分には、彼に声をかける資格など無いと悟ったのである。
ふと別の方向から、声が聞こえた。
「当てが外れたんじゃ仕方ねぇな。また拠点を移すことも考えねえと。そんでお頭、次は何を狙うんだ?」
声の主は、ガトーであった。今のシャヴィに声を掛けることのできる人物は、彼の右腕である彼を措いて他にいない。
彼は、シャヴィが抱いている感情を痛いほど理解している。若手の船乗りであった彼は、自分の叔父が船長を務める貿易船の水夫として働いていた。日々逞しく成長してゆく彼であったが、叔父はその働きを頑なに認めず、若き日のガトーは叔父に対する不信感を日に日に募らせていったのだ。
ある日、彼が船内清掃を担当していた時のこと。食糧物資が積まれている部屋を掃除していた彼は、一人の少年に出会う。船員でも客人でもない少年に対し一度は敵愾心を向けたものの、船乗り見習いである彼はまだ若かった。少年の事情を聞くなり情が移り、その夢を叶えてやろうと強く思ったのだ。
その後、船乗りという職を停泊した貿易船に捨てた彼は、シャヴィ少年の孤独な旅に付き合うことにしたのである。故に彼らの信頼は厚く、いつしか相棒とも呼び合える仲になったのだ。
彼は、これがシャヴィにとって非常に辛苦な言葉であると理解した上で声を掛けたのである。
「......ガトーか。そういやぁ、おれはおめぇらに対してとんでもねェ事をしちまったな。今まで長いことおれのくだらねェ理想に付き合わしちまって、本当に......」
「てめぇ、それ以上舐めた口利いてみろ。今すぐこの鎖を引き千切って、てめぇのクソみてぇな面に一発叩き込んでやる」
ぴたりと口を噤むシャヴィ。
相棒が放った言葉に含まれる感情は、怒りと落胆、そして慈悲であった。その一言は、シャヴィの停止しかけた心の歯車を再び動かすための源になると信じて放たれたのだ。
すると今度はまた別の方向から、冷静で知的な声が聞こえた。
「らしくないですよ、お頭。我々は貴方に人生を大きく動かされました。常に我々の先頭を走る貴方がここで振り返ってはなりません」
「......スノウ、お前まで............」
盗賊ら三人のやり取りを間近で聞くナズナ。彼女は少しだけ小っ恥ずかしい気持ちになるも、仲間という存在の大きさを改めて実感するのであった。
数秒の間を置き、シャヴィは意を決したように声を発する。
「悪りぃ、目ぇ覚めたわ。いい歳して女の子にこんなダセェ姿見せるなんざ、ホントどうかしてたわ」
彼は苦笑した。そして、自分をこの時まで支えてくれた仲間達に対し、感謝の意を込める。
「おれは、姉貴を生き返らせるって夢をまだ諦めきれねぇ。そして姉貴を殺した奴らを探し出し、必ず復讐する。だからこそ、おれは勝手に決めさせてもらう」
深呼吸を一つ。そして、言葉を紡ぐ。
「スノウ、ガトー。おれの最後の我儘を聞いてくれ」
ーー魔獣犇く森の奥深く。そこには、何が目的で建てられたのかは一切不明の、怪しげな洋館がひっそりと佇んでいた。
「も、もしかしたら、ここにお頭たちが閉じ込められてるずら......?」
「そ、その可能性もあるにはあるかもしれねぇな! ガハハ、ハハ......」
盗賊団の一員であるガーリックとジャクソンは、まるで密談をしているかのように声を潜めて会話する。八人の捜索隊の内、三人は魔獣の餌となってしまった。加えて彼らの目の前にある洋館の中には、彼らの尊敬する頭領ですら敵わないような魔獣が待ち構えている可能性があるのだ。この状況を前に臆すことなかれと言うのは、彼らにとっては無理難題であるに違いない。
「そういえばあまりにも強い魔獣って、知能を持ってるらしいぜ? ガハハ」
「それは本当ずら!? もしそうなら、拐うっていう不可解な行動を魔獣が取るのは理に適ってる気がするずら」
「そう。つまり、だ。お頭を助けるには、おれたちはその"あまりにも強い魔獣"と戦う可能性があるってことだ。 ガハハ」
その場が静寂に包まれ、誰もが下を向く。
「ああ、こんな時にリッキーの兄貴が居てくれたらな......」
「それはおいどんも思うずら。ああ見えて兄貴の戦闘能力はあのガトーさんに匹敵するらしいずら。でも、食糧の調達はとても大事ずら。お頭たちが帰ってきたらみんなで宴を開くずら!」
黄色いモヒカンヘアーの盗賊が溢すも、ガーリックは彼を上手くなだめる。
その場に居る者は、誰一人として彼の弱気な発言を責めることはなかった。おぞましい魔獣の本拠地であろう館に忍び込むということ、それは即ち死と常に隣り合わせの状況に向かって身を乗り出すということだ。
つい先ほど命を散らした三人を想起する。もし自分たちが魔獣に見つかってしまったならば一体どのような惨い死に方をするのかと、恐怖で足が竦んでしまった。
「ここでじっとしててもしょうがねぇ。サッと侵入してパパッとお頭たちを連れ戻そうぜ。ガハハ」
ジャクソンの一言が淀んだ静寂を振り払う。彼らは意を決したように、洋館への侵入を試みるのであった。
窓を破壊し、招かれざる者たちは場内の暗闇に身を投げる。侵入した小部屋の古風な扉を開き、長い廊下を足音一つ立てずに進む。
光の一切届かぬ閉鎖された空間。彼らは壁を伝いながら、魔素に残されている筈の痕跡を探す。人間は常に微小な量の魔素を空気中に放出しているため、もしシャヴィらが洋館内に連れられたとすれば、周囲を漂う魔素に何かしらの違和感を抱かせる箇所が確実に存在するのだ。
洋館内を探り続けること数時間。先頭を歩く盗賊が、突然足を止めた。
「どうしたずらー? もしかして、何か見つけたずらか?」
辺りに魔素の変化は見られない。彼の真後ろを歩くガーリックは不審に思い、彼に声をかけた。
「......」
しかし彼からの返事はなく、周囲は再び薄らとした静寂に染まる。
ますます奇妙な感覚に襲われたガーリックは、彼の身体を揺さぶろうと、肩に手をかける。
「き、聞いてるずらか? な、何か反応して............!?」
手が肩に触れると同時に、彼の身体はドサリと倒れ込む。ガーリックは思わぬ事態に愕然とし、身体を仰け反らせる。そして、気付いてしまった。彼の後ろに続いていた筈の盗賊が、いつの間にか姿を消していることに。
「こ、こ、これは一体......ジャクソン! みんな!? どこに行ったずらー!?」
想定外の事実に気が動転し、彼は恐慌状態に陥る。慌てふためきながらも、彼は右手に魔力を集中させ、小型の魔法陣を浮かべる。
「おいどん、魔法は苦手ずら。だども、取り敢えず周りの状況を確認しないとダメずら......」
すると、眩い光が廊下を覆った。光量の変化に目が順応し切れず、ガーリックは咄嗟に目蓋を覆う。
彼の放った魔法は、"月蛍の舞"と呼ばれるものだ。集中させた魔素に光を灯し、それを空気中に分散させるというもの。分散した魔素の一つ一つが蛍のような淡い光を放ち、これを夜間に使用すれば月光の如く幻想的な光景を目にすることができる故、そのように名付けられたのである。
殺傷能力は皆無のただの光の粒であるが、視界がはっきりする分ここでは魔獣に見つかる危険性が大いに上昇するため、状況を確認次第即座に魔法を停止させなければならない。
ガーリックは倒れた盗賊の首元に触れる。
「......そんな............」
彼の肌は金属のように冷たく、頸動脈はその鼓動をしんと鎮めていた。
先の見えぬ長い廊下に、彼はただ一人残された。恐怖心が体中を駆け巡り、心臓の鼓動が嘘のように早まる。
「......っ!!」
恐怖で震えるのも束の間、不意にどこか遠くの扉がバタンと閉まる音が聞こえた。もしや先程の魔法のせいで勘付かれたのかと思い、彼は急いでそれを停止して一目散に駆け出した。
(み、見つかったずら! まだ死にたくない。死にたくないずら!!)
ガーリックは脇目も振らずに昏い廊下を走る。勢いのあまり壁の突き当たりに頭を強打するも、彼は足を止めることなく近くにある階段を駆け下りた。
ーーこの洋館は、異常だ。はぐれた三人に、原因不明の死を迎えた一人の仲間。自分達が館に侵入したことは既に気付かれており、そうなれば館の構造を知り尽くしている存在にとって、必死に逃げ回るガーリックを見つけ出すことなど容易い。よって彼は頭領や仲間達の捜索を諦め、洋館からの脱出のみを考えて足を動かした。
しかし、外へ繋がる扉や窓は一向に見つかる気配がなく、何処を通っても真っ暗な廊下が現前するのみであった。これは一体どういうことかと、彼は一旦立ち止まる。
一息ついてから再び"月蛍の舞"を使用するべく、右手に魔力を込めようとしたその時。彼は、現状と駆け出す以前の状況との明確な違いに気付いた。
耳を澄ますと、彼の背後からは一定間隔で鳴り響音が聞こえてくるのである。一秒に約四拍の、急速なテンポで床から響く音。間違いない。何かが自分を追って来ているのだ。床を蹴る音は次第に大きくなってゆく。だが、周囲を調べる限り隠れる場所など有りはしない。
(まずいずら......おいどん、このまま魔獣に見つかって食われるずら? そんなの、まっぴらごめんずらよ! 助けてくだせぇ、お頭ぁ!)
ガーリックは頭を抱えて縮こまる。何も出来ず、ただ震えるだけの自分。そんな姿を友人であるジャクソンやリッキーが見たならば、果たして彼らはどのような反応を見せるだろうか。恐らく、失望の目を向けるに違いない。自分達の頭領や仲間達を助け出せるやもしれぬ絶好の機会にも関わらず、彼は先日出会った非力な少年のように怯え続ける。
だが、今は本当に動けない。何故ならば、彼の心は半ば折れてしまっているから。
(......思えば、お頭達がここに連れてこられて、おいどん達はどうしてみんなが生きている前提で行動してきたずら? 魔獣にとって、強い人間は莫大な養分になるずら。お頭は、おいどんが見てきた人の中では最強のお方。おいどんが魔獣の立場だったら、食わないわけにはいかないずらよ)
迫り来る足音は、目と鼻の先まで到達しつつあった。彼はもう逃げ切れぬと悟り、頭を抱えた体勢でその時を待つ。
近くの扉から、ギギギと金属が擦れる音。何かが自分の居る空間に侵入した気配。
それはゆったりとした足音と共に、彼の元へと忍び寄る。そしてーー
(......!!)
喰われることを覚悟した彼は、歯を食いしばって身を固めた。
(........................?)
ところが、彼の身に何かが起きることはなく、ただ時が過ぎ去るのみであった。
ガーリックは顔を上げ、周囲を確認するべく"月蛍の舞"を使用した。眩い光の粒が四方八方に弾け飛び、床や壁を優しく照らす。
彼は右、左と順に目線を移し、最後は背後に目を向けた。
「う、うおおおおぉっ!!」
ーー怯えと驚愕が混じった悲鳴。
振り向いた彼の目に映ったのは、人型の影。魔素の淡い光に包まれた肌は青白く、まるで亡霊のような存在感を放っている。
「おっと、驚かせちまったか。ガハハ」
「この声と口癖......んで、そのやつれた顔。よく見たらジャクソンじゃないかずら!」
ガーリックが目にしたものは亡霊でもなければ魔獣ですらなかった。既に亡くなってしまったものと認識されていた彼の友人は、まるで悪戯が成功した子供のようにニマニマと笑みを浮かべる。これを間近で見たガーリックはほんの少しだけ苛立つものの、友人が無事生き延びていたという事実が彼の心を喜びの色に染め上げた。
「い、生きていたずらか? よくここまで無事で......」
「再会を喜んでる暇はねえぜ? 実はな、おれは今、絶賛逃走中でよ。早くお頭を見つけねぇと本当にやべぇんだよ。ガハハ」
「逃走中って......もしかして魔獣からっすか?」
彼の問いかけに対し、ジャクソンは目を閉じて困ったような表情を浮かべる。完全に否定はせずとも、きっぱり肯定し切れないのである。
「お前は見てねぇのか。あれは何というか、魔獣とかそんな次元じゃあなかったぜ。オーラが感じ取れなかったんだよ。ガハハ......」
顔を引きつらせたジャクソンを目にしたガーリックは、より一層自分の考えを貫く決意を抱く。普段は誰に対しても能天気に振る舞う彼が、怯えている。彼のそのような姿など一度たりとも見たことのないガーリックは、状況の深刻さを改めて実感するのであった。
「ジャクソン。今は一旦退いた方がいいずら。ここはあまりにも危ないずら」
かつてない程の真剣な顔で、友人を説得しようとする。頭領らを取り戻したいという気持ちは彼にも理解できるため、反発されるのを覚悟の上での言葉であった。
ジャクソンは床を見つめ、静かに口を開ける。
「............お前の、言う通り......かもな。ガハハ」
悲壮感を漂わせながら、ジャクソンは呟いた。
予想外の言葉に反応が一瞬だけ遅れるガーリック。彼の心意を確認すべくもう一度問おうと試みるも、瞬間、彼は即座に口を噤んだ。
友人は震える拳を握り、歯を食いしばりながら涙を流していたのだ。
「もう、わかってんだよ。お頭はもうこの世にはいねぇんだよな。どれだけ探してもみつからねぇのはそういうことだろ? ここに来るまでおれ達は六人の仲間を失い、この館で生きている奴はもうおれとお前しかいない。"縁視"で調べたから間違いねぇ。おれ達盗賊団は、ハメられたのかもな......」
静かに喋り続けるジャクソン。臍を噛む思いで発せられる言葉の数々に、ガーリックまで目蓋に涙を浮かべてしまう。
"縁視"とは、探知系の魔法だ。対象の発する魔素の性質を記憶し、その人物が周囲に存在するか否かを調べるといったものである。魔法の範囲は術者の魔力に依存し、ジャクソンでは半径二百メートルが限界であった。
盗賊団は総勢二十五人で構成されており、その六人の命が数時間の内に失われた。これは明らかに異常であり、ジャクソンの言う通り何者かの陰謀が絡んでいると考えても不自然ではないだろう。
それに気付くことができず、今日という日までのんびりと過ごしてきた自分の不甲斐なさに、ガーリックは唇を噛みしめた。
暫くの間、静寂が二人の間を覆う。
だが時は確実に流れ、彼らに残酷な試練を与えるのであった。
「............こ、これは!?」
異常なまでの悪寒が体を駆け巡る。突如として起こったそれは、静寂の空間をバリバリと引き裂く。
張り詰めた空気の中、それは唐突に顕現した。まるで白紙に墨汁を一滴垂らしたかのように。
「............来やがったか。めそめそしてる場合じゃなかったな。ガハハ」
「来やがったって............まさかこれから逃げるつもりずら? こんなデタラメなヤツから?」
二人の目の前に顕れたもの。
人型のそれは頭部を獣の頭蓋骨のような物で覆っており、枝の如く細い胴体は薄い影のように朧げだ。植物で編まれたような衣を纏っているが、両手の指から伸びる巨大な爪は隠しきれない。
恐らく洋館の主であろう存在。ジャクソンの言葉通り、"それ"が魔素を発している様子はない。放たれる正体不明の重圧は、二人の心に得体の知れない不安をよぎらせた。




