18話 自責の念
ーー気が付けば、駆け出していた。
ミサの身体が、弾き飛ばされる。
その光景から目を逸らさず、ウィルは彼女に向かって全力で駆ける。
「あぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
喉を焼くような、憤怒に満ちた叫び声。
彼は両手で短剣を握りしめ、一瞬の爆発的な魔力をそれに込める。そして、魔獣に切っ先を向けて狙いを定める。
魔獣は背後からの殺気に気付き、振り向こうと身体を動かす。だがその時にはもう、刃は魔獣の横腹部に突き刺さっていた。
(............!!)
短剣の先端が、硬いものに当たる。それを感じた瞬間、ウィルは突然血の気が引いたように狼狽え始めた。
手にした刃物が、命脈打つ生物の肉を裂く。その感触は手の平から脊髄を伝い、脳内を寄生して罪悪という名の種を植え付け始める。
頭の中に、白いノイズのようなものが流れた。彼は何も考えることができず、何気なしに魔獣に突き刺さった短剣を抜く。
「ぁ......ぅぁあ............」
ーーその瞬間。生々しく、赤黒い色をした液体がほとばしる。その液体を頭から大量に浴び、ウィルは思わず声にならないような声を上げた。
手足が震え、寒気が止まらない。彼は朝食を口にしていないにも関わらず、胃から何かが込み上げてくるのを感じた。
「いやぁ、よくやったっす! 正直今回はダメかなーとか思ったっすけど、まさかウィルがトドメを刺すとは!」
リッキーが拍手をしながら、彼の元へ足を進める。その顔はやけに楽しげだ。教え子が成果を上げたのだから当然ではある。だが、今のウィルには彼の笑顔がとても恐ろしいものに見えてしまった。
「......」
ウィルは顔を伏せ、血に染まった短剣を見つめる。そして、理解した。自分は命を奪ってしまったのだと。
リッキーは、今度は別の方向に向かって歩き出した。
「..................そ、そうだ、ミサは?」
ふと目を見開き、リッキーに問うた。
「今のところ命に別状は無さそうっすね。気を失ってるだけっす。避けきれないと判断し、咄嗟に全身をなけなしの魔力で覆ったのか............なるほど、戦闘のセンスは人並み以上にありそうっすねぇ」
リッキーは横たわるミサを凝視し、彼女の頭に優しく触れた。
「あ、あんなの......聞いてねぇよ。ぼ、僕はそんな筈じゃ......」
また別の方向から、か細い声が聞こえる。声がした方向を見ると、そこには怯えた様子のニケがボソボソと独り言を呟きながら歩いて来るのが見えた。
「あー、ニケは腰が引けてたっすね! ま、最初は誰でもあんなもんっすよ!」
リッキーは彼を励ますように、声をかける。
彼はリッキーに対して笑顔を向けるが、その目は怯えの色で染まっていた。
「さて、ローグリンまではもう二十分も歩けば到着するっすよ! みんなちょっと疲れてるとおもうっすけど、辛抱するっす」
リッキーはそう告げるとミサを背中に担ぎ、北へ向かって歩き出した。ウィルの両手には肉を裂いた感触が未だ残っており、震えが止まる様子はない。込み上げる負の感情を強制的に抑え、赤黒く染まった短剣を収納した。
彼は、立ち尽くす幼なじみに声をかける。
「......行こう」
幼なじみは声を発することなく、ただ自分の足元を見ている。だがウィルが歩き出すと、彼はそれに続いて足を進めた。
それからと言うものの、一行はローグリン公国に着くまでの間、終始完黙を貫いた。彼らは、この世界で生きるという意味の本質に触れたのだ。何かを傷付けるということ、その言葉にのしかかる重みと苦痛を。
もし傷付ける相手が魔獣ではなく人間であるならば。果たして自分は正気を保てるだろうかと、いずれ待ち受けるやも知れぬその時に向けて思いを巡らすウィルであった。
暫くすると、遠方に大きな建物群を確認した。
「お、見えてきたっすね! あとちょっとでメシっすよー!」
リッキーが、黙りこくる二人を励まそうと声をかける。とても食事をする気分にはなれないウィルだが、栄養を補給しなければならないのも事実である。彼は「ああ」と一言だけ返し、笑顔を作った。
ローグリン公国、城下町正門。
高々とそびえ立ち、国全体を囲う石造りの城壁は見上げるだけでその迫力に圧倒されてしまう。更に、現在は国中に盗賊へ対する警戒が敷かれているという話だ。リッキーの粗末な変装では一瞬で見破られてしまうのではないかと、ウィルは憂色を漂わせる。
「......? あれは一体......」
ウィルの目に止まったのは、巨大な正門ーーではなく、城壁周辺のあらゆる箇所に設置されている篝火だ。篝火とは主に夜間に用いられる道具であり、警護や照明としての役割を担うものだ。よって城の周辺に置かれているのはとりわけ珍しいことではないだろう。しかし、彼が注目したのは篝火の存在ではなく、その炎の色であった。
照明としての炎は、一般的に橙などの暖色であることが殆どである。だが、ウィルの目に映る炎の色は青紫色、即ち寒色なのであった。盗賊の隠れ家でも幾つか目にしたものの、聞くタイミングを逃していたことを今になって思い出した。不思議がる彼の様子に微笑み、リッキーは口を開く。
「もしかして、魔除けの炎のことっすかね。......あれは魔獣を遠ざけるための物っす。いわゆる魔法道具って呼ばれてる代物で、あっしにも原理はよく分からないんすよね」
「へぇ......そうなんだ」
"魔除けの炎"についての説明に、納得したかのように頷くウィル。原理が不明というのはどうもすっきりしないが、一先ずはその効能を知ることが出来ただけでも良しとした。
「じゃあ......あそこに居る、亀みたいなやつは何なんだ? 魔獣......なのかな」
次に彼が指を差したのは、巨大な鎖によって城壁に繋がれた、まるで小さな家のような巨体を誇る動物だ。爪や牙を生やしているが、背中は大きな甲羅で覆われており、その姿は一見亀のように見えなくもない。
「あぁー、こりゃ珍しいっすね。あれはカゴ・タルタスっす。魔獣と違って、"竜"と呼ばれる生物の一種でやんす」
「......?」
「そうそう。自然発生する魔獣とは違って繁殖するし、明確な人類の敵ってわけじゃないっす。基本的に人間よりも強力な魔素器官を持っているんすけど、主食は魔獣だったり植物だったりするんすよ。......因みにカゴ・タルタスは割と友好的な種で、裕福な人間が移動用に飼い慣らしてたりするっす」
竜と呼ばれる生物。この世界に生息する人間以外の動物は全て魔獣であると思い込んでいたが、どうやらそれは思い違いであったようだ。
何はともあれ、彼はこの世界における見聞を深めることができ、多少は憂鬱な気持ちが緩和されたのである。
すると突然、男の高圧的な声が響き渡る。
「おい、止まれ」
正門には二人の騎士が立っている。その片方が一行を睨みつけ、右手に持った長槍の石突の部分を地面に叩きつけた。
「お前たちは何者だ。それに、何故貴様は少女を背負っている?」
騎士はリッキーに威圧的な視線を送った。それに対し、リッキーは若干腰を低くして対応する。
「やや、これは護国の要たる高名な騎士殿。あっしは決して怪しい者ではございませぬ。ただ三人の弟子を連れて大陸を渡る、貧しい旅芸人の端くれでやんすよ!」
ウィルとニケはぽかーんと口を開き、信じられないという面持ちでリッキーを見る。
(何が旅芸人だ。これ、嘘を見破られたらまずいんじゃ......)
彼が発した予想外の言葉に、ウィルは思わず冷や汗をかいた。騎士もさすがに不審がり、怪訝そうな顔で口を開く。
「旅芸人だと? 笑わせてくれる。見たところ小道具の一つも持ち合わせていないようだが」
「それがですね、騎士殿。あっしらが北の地からローグリン公国へ芸の披露のために足を運ぶ道すがら、不幸にも強大な魔獣に遭遇してしまいまして。逃げようにもこちらには三人の若い弟子がおりまして、商売道具を持っていては魔獣の牙からこの子らを守ることは叶いませぬ。よって泣く泣く道具を捨て、弟子を守りながら苦労の末ここまで辿り着いた次第でやんす」
リッキーは申し訳なさそうに腰を折り、右手で頭を掻きながら長々と偽りの経緯を話す。それに対し、騎士は再び問いかける。
「北の地? となればオムニス方面か。なるほど。ではその娘は貴様の弟子の一人で、魔獣に襲われた故にこうして気を失ってると?」
「いえ、いえ。この娘は確かにあっしの弟子でやんすが、魔獣に襲われる数刻前に急に倒れ込んでしまいました。何せあっしらは貧乏っすから、ここ数日間何も口にしておりませぬ。それが原因と思われますがはて......」
リッキーは苦しそうに顔を歪め、目線を下を向ける。その様子を目にした騎士は手を顎に当て、「ふむ」と何やら考え込む素振りを見せる。
すると、隣に立っていた騎士が彼に向けて密かに告げ口をした。
騎士は考える動作を止め、堂々たる態度で口を開く。
「事情は理解した。入国を許可しよう。では全員分の通行手形を見せてもらおうか」
「通行手形......っすか?」
媚び諂っていたようなリッキーの表情が一変し、緊迫したものに変化した。今朝、彼に受けた説明ではそのような物が必要といった話は聞いていない。ウィル達は黙って彼の言葉を待つ。
「どうした。旅人ならば知っていて当然だろう? 我が国は年々盗賊の被害に悩まされている。よって余所者が入国する際にはこの様な方式を取っているのだ。北の関所にて発行されている筈だが......もしや手形までも魔獣から逃げる折に置いてきたとは言うまいな」
「............」
リッキーは表情を固めたまま、口を噤む。暫くその状態を維持した後、目線を上に向け、首を傾げながら「あれ、どこにやっちゃったかなぁ」などとボソボソと独り言を呟いた。その様は、その場凌ぎの言い訳を必死こいて探しているようにしか見えなかった。
熟考の末に何を思ったのか急にしゃがみ込み、手汗に塗れた手のひらを石畳で塗装された地面に向けて押し付ける。そして何事も無かったかのように立ち上がり、騎士を堂々と見据える。
(おいおい、正気かよこいつ)
次に発される彼の台詞が読めたような気がして、ウィルはこの上ないほどの軽蔑を込めた視線を彼に突き刺した。
「......手形は、置いたでやんす。さあ、門を開けて......ほしいっす」
今度は騎士の表情が固まり、一瞬だけ口を閉ざした。されどその形相は徐々に熱を帯び、憤懣やるかたない様子で口を開く。
「貴様、ふざけているのか? 通行手形を出せないのならば、事情はどうであれ今すぐ牢にぶち込むぞ」
「やや、これは手厳しい! やはりお国の玄関を任される騎士殿の守りは実に手堅いものですな!」
彼は台詞を吐き終えた後にフフッと笑い、「手形だけに......」と続けたのをウィルははっきりと耳にした。
顔を真っ赤に染めた騎士は隣の騎士に何かを伝え、城壁内部に向かうよう指示をする。恐らく、四人を捕らえるべく応援を呼ぶためであろう。
非常にまずい事態になったと、ウィルは焦る。
リッキーの頬には大量の汗が流れ、焦燥感を誤魔化すように引きつった笑みを浮かべている。もしここで捕まって仕舞えば、リッキーが盗賊であることは確実に発覚してしまうだろう。さすれば食糧の調達が困難になるどころか、三人は盗賊に加担していると疑われ、それ相応の仕打ちを受けるに違いない。
ーー片方の騎士が城壁内部に向かって足を進めた、その瞬間であった。
「お師匠様......喉が............渇きました」
か細く、今にも消え入りそうな声。その場に居る全員が、声の発された方向を見る。
「おお、ミサ! 意識が戻ったっすか......」
声の主は、虚ろな目を弱々しく開き、リッキーの背中にぐったりと身体を預けるミサであった。リッキーは彼女の身体を降ろして静かに石造りの地面に横たわらせると、彼女の額をそっと撫でる。
「ミサ、生憎ここには水も食糧も無いっす。ローグリンに着いたらメシをたらふく食わせるって約束したっすけど......うう、この不甲斐ない師匠めを許してほしいっす......!!」
溜め込んでいた感情が一気に弾けたかのように、おいおいと泣き出す旅芸人の男。その姿は、師が愛弟子に向ける愛情そのもの......であるように思えた。
「......あの茶番は瀕死の弟子を抱える焦りから来たものであったか。ええい、やむを得ん! ここを通るがいい! だが長居は許さん。日が暮れるまでには必ず国を出て行くがいい!」
厳格な騎士だが、彼の正義感は人一倍であった。規則に反するとはいえ、目の前で苦しむ少女を見殺しにすることは彼の騎士道が許さなかったのである。よって、四人はローグリン公国への滞在を数時間だけ許可された。
ーー門を潜れば、そこは人々の快活な声が飛び交う大通り。
明るい黄色を連想させるような光景。広い道の脇には多くの商店が並んでおり、そこら中から漂う食欲を刺激する香りが鼻の奥をくすぐる。
「ミサ、起きていたのか?」
ウィルがほっとした様子で問いかける。
「ん。騎士に話しかけられるちょっと前にね。それにしても......」
彼女は自分を背負いながら歩く男に、もの言いたげな目線を向ける。
「あんた、やっぱり阿呆でしょ」
リッキーはびくっと肩を動かした。
「いやー、あっし的にはいい誤魔化し方だと思ったんすよ。助けてもらったんで何も言い返せないっすけどね。ははは」
苦し紛れの返答。彼も彼なりに門を突破する方法を考えていたらしいが、あの様な失態を晒してしまっては返す言葉もないだろう。
「だって通行手形が必要だなんてこと、今までなかったんすよ! 確かにこの地域に来るには、北の川沿いにある関所を通るか危険なメナス河を渡るしかないっすけど......あれさえなければ、あっしの持つ必殺のギャグで旅芸人らしく門を突破できた筈なんすよね。ここ最近、急に盗賊への警戒が強まったってことっすかねぇ」
「......自業自得ね。どうでもいいけど、そろそろ下ろしてくれない? さすがに恥ずかしいんだけど」
リッキーの言い訳を流し、彼女はせがんだ。だが、彼はその言葉を受け入れようとはしない。
痺れを切らし、ミサは盗賊の青年に向かって強く迫る。
「......ちょっと、なんで無視するわけ? 早く下ろしてって......」
「南西の洋服屋の看板付近、東南方向の肉屋の前、それから北西のレストランの中っすね。今あっしらは北に向かって大通りを歩いてるっすけど、今言った三つの箇所。何のことかわかるでやんすか?」
唐突に投げられたリッキーの問いに、三人は戸惑う。彼はニヤリと笑いながら、楽し気に口を開く。
「正解は、"今あっしらを監視している騎士の居場所"っす」
三人は驚愕して目を見開き、先ほどリッキーが告げた三箇所に目を向けようとする。だが、彼はそれを察し、すぐさま三人の行動を止める。
「おっと、キョロキョロするのはNGっすよ。あっしらに少しでも怪しいところが見つかれば、その時点でアウトっすから。当然、あっしがミサを下ろせば完全にアウトっす」
リッキーはそのまま続ける。
「国も馬鹿じゃねえっす。正式な許可なしに入国する余所者を放ったらかしにするなんて話、あるわけないでやんすよ」
「で、でも、それにしては行動が早すぎる気がする。俺たちが門に着いたのは五分くらい前だろ? その間にここまでの配置をするなんて、幾ら何でも......」
ウィルは、彼に素直な意見をぶつける。彼は少し口元を歪め、生徒を指導する教師のように再び問いを投げた。
「時にウィルくん。最初に会った二人の騎士っすけど、あの二人のうち、より騎士としての階級が高い方はどっちだと思うっすか?」
「え、最初に話しかけてきて、その後も色々と質問してきた人じゃないのか?」
ウィルの答えを聞くなり、彼は意地の悪そうな顔でウィルの目を凝視する。
「な、なんだよ......」
「ウィルもまだまだっすね! 正解は逆。騎士として優秀なのは、あっしらとは一言も交わしていない方の騎士っす」
意外な事実に、三人は驚きを隠しきれない。自分達を監視している者に少しでも表情の変化を悟られまいとし、頑なにリアクションを抑える。
「こ、こ、根拠とかあるんだろうな?」
ニケが突然口を挟むも、ウィルとミサはそれに頷く。
「沢山あるっすよ? まず、奴は魔力を抑える技術の精度がかなり高いっす。あっしらを威圧してきた方の騎士は......抑えてるには抑えてるんすけど、正直まだまだ素人っすね。常時放たれている必要以上の圧がいい証拠でやんす」
彼は目線を宙に送る。
「あと、目が違うっすねー。奴はあっしが演技してる時も一切動じず、常に一定の距離から観察してきたっす。それに、一流の騎士は情に流されたりしないでやんす。よって、あっしらに話しかけた騎士は徴兵された新米くんで、沈黙を貫いてた騎士は本職の強い人ってことっす!」
ウィルは唖然とする。一見ふざけているようにしか見えなかったリッキーだが、実際は相手の様子をじっくりと観察していたのだ。
この男、やはり他の盗賊とは何かが違うと感じるウィルであった。




