01話 鐘の音は未だ遠く
ーー外の景色をよく眺めるようになったのは、一体いつからだろうか......
少年ウィルは思案する。
とある学び舎の高等部に通う彼は、授業中であるにも関わらず、目線を教壇ではなく左隣の窓に向ける。そして、少し長めの栗色の髪を右手の人差し指に巻き付けた。
「コラ。授業ニ集中シナサイ」
突然の怒号に、ウィルはビクッと肩を竦める。声の主は、現在授業を行っている社会科の教員。ウィルはこの教員から目を付けられており、授業とは無関係のことを考えるときのクセを見抜かれているのだ。
「......」
ウィルは目線を黒板に向け、しぶしぶノートに板書を取る。
彼には友人といったものは殆ど存在しない。彼は入学初日から周りの生徒との間に壁を作り、関わることをやめた。
それは単に人付き合いが苦手であるからか、あるいは周りの人間を心の何処かで蔑んでいるからであるのかは実際のところは本人にもよく分かってはいない。だが当時、それが自らにとっては最善の選択だと確信して行動を起こした事だけは記憶の片隅に残っている。
それ故、月日は流れ、蝉の鳴き声に鬱陶しさを覚える今日この頃まで、そんな彼に対して声をかける者など片手で数える程しかいないのは至極当然のことであった。
無心でひたすらに、黒板に書かれた文字をノートに書き殴る。そうしているうちに授業終了の鐘が鳴り、またぼうっと過ごしているうちに放課後を迎えた。
(......帰るか)
ウィルは帰り支度を終え、席を立ったーーその時である。
「おいおいウィル君。今日も今日とてしたり顔でご帰宅かね?」
ーー声をかける者がいた。その少年の名はニケ。ウィルのクラスメイトであり、体型は小柄かつ痩せ型。クラスでは『ドルヲタの会』なるものを立ち上げ、同じ嗜好を持つ仲間と共に青春を謳歌している。
「ニケか。今日は確か連中とコンサートに行くとか言ってたような......」
「それなんだがね、聞いてくれよ! スタッフの不手際かなんかで今回のツアーは延期になっちゃったんだよぉ!!」
ニケは、ウィルが物心つく前からの付き合いで、小中高と同じ学校に通っている、所謂幼なじみだ。つまるところ、彼はウィルが心を許せる数少ない人物の一人であった。
「それは......残念だったな」
「そうそう! だから今日は特別に、したり顔の君と共に下校してあげようと思ったわけだよ。君とならこのブルーな気持ちを共有できる気がしてねぇ」
「......」
「あぁ、待って! 謝るって! 頼むから無視はやめて! 僕と君の仲だろぉ!?」
遠回しに悪口を言われたような気がしたウィルは、そそくさと教室を出ようとするも、ニケは焦って付き纏う。
だが実際、ウィルからすればさほど悪い気はしなかった。互いの趣味嗜好や家庭環境、弱みまで知り尽くしている幼なじみは、彼にとってはいわば家族のようなものである。だからこそ、目に掛かりそうな長い黒髪をかき上げながらペラペラと不幸自慢をするお調子者の彼であっても、ウィルは大切にしようと思うのであった。
廊下を進み、階段を下り、昇降口に向かい、校門を出る。
(......?)
途端、何とも筆舌に尽くし難い、寒気にも似た違和感がウィルを襲った。
(視線を感じる......)
視線の主を探すべく、辺りを見回す。左隣には、先程の不幸自慢とは打って変わり、推しのアイドルについてつらつらと語るニケ。正面には校舎周りをジョギング中の陸上部。右方には人影のようなものは見当たらない。
ふと、後ろを振り向く。
ーーいた。
その人はウィルと視線を交わした後、一瞬驚いたように目を見開き、きまりが悪そうにすぐさまそっぽを向いて、わざとらしく前髪をいじる。
「何やってるんだ、ミサ」
ウィルはその人物に声をかけた。すると彼女は振り向き、頬をほんのり赤く染めながらウィル達の元へ近づく。
「何やってるもなにもたまたま見かけただけなんだけど?」
その人物はいかにも不機嫌そうに言い放つ。
「ごめん。怒らせたなら......謝る」
「......別にいい。ウチもそんくらいじゃ怒んないし」
彼女の名はミサ。ウィルとは中等部からの付き合いである。二つ結びの薄桜色の髪にほっそりとした身体つき、整った顔立ちの清潔感溢れる少女だ。
「あれ、いつもは陽の者達と楽しそうにしてるのに。どういう風の吹き回しかなぁ」
引きつった表情で、ニケが二人の会話に割り込む。
「急な設備点検とかで今日の部活は無いの。そんでウチだけ暇になったから一人で帰ろうとした。それだけ」
「あ、そうなんですか......」
ミサとニケの間にどんよりとした空気が流れる。ニケはだんまりと地面を見つめ、ミサは呆れたように小さな溜息を一つ。
ミサは「じゃね」とウィルに別れを告げた後、その場を去ろうと足を進める。ウィルはしょげてしまった幼なじみを励まそうと、彼に目を向けた。
ーー瞬間、視界に何かが映る。
場所は、先程ミサが立っていた校門の位置。
そして、ウィルは即座に先程の違和感の正体が彼女の視線によるものではなかったと悟る。
「え......」
ウィルが目にしたものは、この世のものとは思えない光景であった。無数の目玉に人の腕と思わしきものが数本。全身の姿形は黒い靄で覆われているため不明だが、その異形が彼らをじっと見つめていた。