16話 身支度
固い地面に、身体中を包む寒気。気付けば、眠ってしまっていたようだ。
目蓋を擦って上半身を起こし、周囲を見回す。が、辺りは暗闇に包まれており、目に映るものは何も無かった。
「よォ、やっとお目覚めか?」
何処からか、聞き慣れない男の声。その声は近くから発せられているにも関わらず、この暗闇の中ではその位置を把握することができない。
「ここはどこですか。そして、あなたは誰ですか?」
少女は声の主に向かって問いかけた。すると声の主はクククと嗤い、再び口を開く。
「おれはシャヴィ・ギーク。お前を拐ったこわーい盗賊だ」
「とうぞく......悪い人ですか。そうだ、ウィルさん達はどこですか? あの方々には私の力が必要なのです」
少女は恐れることなく、盗賊に向かって問い続ける。少女の様子にシャヴィはニヤリと薄い笑みを浮かべるも、聞いたことのない人物の名に内心つまらなそうな態度を取る。
「あァ? ウィルさん......って誰だよ」
「頭、恐らく貴方が威圧していた少年のことかと」
今度は別の方向から男の声が聞こえる。先程までの荒々しい声とは違い、冷静で知的だ。
「あー、あの腑抜けか。あまりの貧弱さに忘れかけてたわ」
シャヴィはその少年に対して欠片も興味を持った様子を見せず、乾いた笑みを浮かべた。それを聞き、少女は強く反論する。
「ウィルさんを、馬鹿にしないでください。確かに彼は弱っちいですが、少なくともそれを言い訳に逃げ出したりはしない人です」
シャヴィは一瞬黙ったものの、「あっそ」と嘲ながら適当に流す。
その時、少女は自分の身体の異変に気付いた。
「これは......なんですか?」
ーー騒がしい声。忙しなく響く足音。そして、僅かに空間を照らす光。
この世界に来て、二回目の朝が来た。彼は身体中に電気が駆け抜けたかのように、反射的に上半身を起こす。
「いたたた......」
直後、右のこめかみに鈍い痛み。そして、若干の吐き気。
「............疲れてるな、俺」
無理もない、と彼は思った。ここ数日、色々なことが起こりすぎた。魔獣の群れの強襲や、長距離の移動。そして、盗賊団との遭遇。彼の体には疲労が徐々に蓄積してゆき、それが頭痛といった形で表面に現れたのだろう。
しかし、事は一刻を争う。今にもナズナが苦しい目に遭い、助けを求めているかもしれないのだ。その光景を想像したら、自分はここで伸びている場合ではないと気付かされた。彼は自分の体に鞭を打ち、立ち上がる。
「起きたっすか! おはようでやんす!」
手を大きく左右に振りながら、盗賊団の偵察隊長リッキー・バロスは清々しいほどによく通る声で朝の挨拶をする。
ウィルは「おはよ」と挨拶を返し、彼の元へ向かった。
「いやー、ウィルはお寝坊さんっすね! みんなはとっくに準備を始めてるっすよ!」
リッキーはニヤニヤと笑みを浮かべながら、両手をウィルの頭の左右に持ってきた。それから、両のこめかみを挟むかのように指をぐりぐりと押し付ける。
「いででででで!! おまっ、なんてことするんだ! ただでさえ頭がズキズキしてんのに......」
「あれ、もしかして偏頭痛っすか? こりゃ疲れが溜まってる証拠っすねー」
リッキーはそう言うと、自分の衣服のポケットの中を探り始める。
「......薬草かなんかあった気がしたっすけどね。期待させて悪かったっす!」
リッキーは両手を合わせて謝るも、ウィルは「別に期待なんかしていないよ」と苦笑と共に告げた。
「もうすぐ、朝礼の時間っす! 普段はお頭がみんなを集めるっすけど、今日はあっしが代わりにやるでやんす」
「わかった。俺もその朝礼に参加すればいいんだな?」
「そうしてくれっす。でも、無理は禁物でやんすよ? 疲れも残ってるだろうし」
こうして、およそ十分が経過した後、盗賊らによる喧しい朝礼が始まった。場所はテントを出た、アジトの広場。その中央で、リッキーが太い丸太の上に立っている。
「みんな、今日はあっしがお頭の代わりに気合をケツの穴にブチ込むっすよー! それでは一発。おはようございまーーーす!!」
「おはよォごぜえやぁぁぁぁす!!」
「欲こそ盗みのー?」
「上手なれぇぇ!!!」
「千両の道もー?」
「窃盗ォからぁぁ!!!!」
「今日も一日、頑張るでやんすー!!」
「がんばるでやんすぅぅぅ!!!!!」
リッキーが何やら叫び、それに続いて盗賊らが大声で言葉を返す。ミサは「はよ終われ」と言わんばかりに、心底物鬱げな目つきで宙を見る。
それに対し、ニケは盗賊らに混ざってノリノリで叫んでいた。
やかましい朝礼の儀が終わり、リッキーの話が本題に移る。
「さて、みんなが今日やることについて話すっすよ。あっしを除く盗賊団八人は、森の奥地を調べて欲しいでやんす。たぶん桁外れに強い魔獣がいっぱいいるっすから、どうにか気配を消して慎重に行くっす」
「任せときな! ガハハ」
「必ずお頭たちを見つけるずらー!」
そして、リッキーは三人の方を向く。
「あっしとそこの三人は食糧の調達のため、ちと野暮用を済ませてから森を出てローグリンに向かうっす。金の心配は............無用っす。なるべく多めに買うつもりっすよ」
リッキーは続ける。
「そこでなんすけど、今の三人の格好はかなり目立つっす。という訳で、これを着てほしいっす」
確かに、今の三人の服装は元の世界にある高校の制服のままであった。行動を共にするリッキーがお尋ね者ということもあり、人目を引いてしまうのは可能な限り避けたい。
リッキーは、衣服を三着持ってきた。布と魔獣の毛皮で編まれたような、かなり地味なものだ。
「え、ダサっ。絶対イヤなんですけど」
ミサが険悪な雰囲気を漂わせる。
この反応は、リッキーにとっては想定内であったようで、「そう言うと思ったっす」と悲しそうにこぼす。
「確かに、アジトに女性ものの服はないっすからその気持ちは分かるっすよ? でも暫くはこれで我慢してほしいっす! ほら、この通り」
リッキーはミサに向かって頭を下げるが、彼女は慌ててそれを止める。
「わかった、わかったから! それにこんな状況で本気で我儘言えるほどウチは馬鹿じゃないから!」
するとリッキーは顔を上げ、安心したように微笑んだ。
「さすがは兄貴ずら。女性に対して優しく接する、お頭の行動をしっかりと心得ているずら!」
「お前は普段からもうちょい欲望を抑えろよ。ガハハ」
一部の盗賊が騒めくも、リッキーは気にも留めず話を進める。
「ひとまずこの場は解散するっす! みんな、健闘を祈るっすよ! 必ずお頭たちを連れ戻すでやんす!」
こうして、皆はそれぞれの思いを胸に秘め、行動を開始するのであった。
八人の盗賊は、森の奥へ向かった。
リッキーを含む四人は、隠れ家の中で何やら話し合いをしている。
「今から話すことはとても重要っすから、ケ......耳の穴かっぽじってよく聞くっすよ!」
胡座をかくリッキーの目の前に三人が座り、じっと耳を傾ける。それはまるで、教師と教え子達のような構図であった。
「ローグリンまでの道を歩く上で、三人には致命的な弱点があるでやんす。それは、魔素を自由に操れないから戦闘能力が皆無であるということっす! 何やら深い事情があるみたいっすけどね」
ウィルは目線を下に傾ける。事実、彼はリッキーが指摘した点については一番と言っていいほど懸念していた。戦う力がなければこの世界で生きていくことは厳しい、という現実は嫌と言うほど味わってきた。また戦闘をナズナ一人に任せていると、今回のように彼女を危険な目に遭わせてしまう。
よって、それは否応なしに手に入れなければならない必須事項なのだ。
「教えて......くれるのか? 戦いの術を」
ウィルは、真剣な表情で問いかけた。
「......逆に、この年で魔素の扱い方を知らないってのがそもそもおかしいんすよね。対価と言っちゃ何っすけど、三人は何者なのかを言える範囲で教えてほしいっす」
ーーウィルは一瞬躊躇うものの、この情報の取り引きは自分達にとって莫大なメリットを生むことになる。加えて彼は、昨夜のやり取りを通してリッキーは信用できる人物であると確信していた。よって、彼は首を縦に振る。
「俺は、その条件を飲もうと思う。二人はどうだ?」
「僕も賛成だよ! 早く魔獣なんかサクサクぶっ飛ばして、最強になってやるよ」
「......ん」
二人の同意を得た所で、改めてリッキーの方を向く。彼の目は薄っすらと光り、次第に笑みを浮かべる。
「取り引き成立っすね! 自分で言うのもアレっすけど、あっしは戦いに関してはかなり得意な方だと思ってるっす。大船に乗った気でいるっすよ!」
かくして、リッキー講師による"戦闘における魔素の扱い方講座"が幕を開けた。
「ーーてなわけで、重要なのは体中を魔素が駆け巡っているようなイメージを持つことと、相手を攻撃するんだっていう意志を持つことっす。早速っすけど、魔素を練り込んで、魔力を纏う練習をするでやんす!」
リッキーの話を聴講し始めて、かれこれ一時間強。これが中々に分かり易いものであった。まるでこの世界における魔素を使用した戦闘を隅から隅まで熟知しているかのような彼は、野蛮な盗賊らしからぬ博識っぷりである。
さすがは戦いに自信を持っていると豪語するだけある、というのが三人の素直な感想であった。
ーーだが。
「......なんでこうなっちまうっすかね?」
「............」
講座開幕から、二時間ほどが経過した頃である。丁寧かつ無駄のない指導により、ニケとミサは魔素の扱い方を順調に習得していった。しかし、肝心のウィルは苦戦を余儀なくされている様子であった。
「重要なのは魔素の流れっすよ? 風呂の中に全身浸かってるイメージっす。それを......どうしてこう、爆発させてるというか? なんなんすかね」
「リッキーさん。俺、才能ないのかな」
いつの間にかリッキーに向かって謙ったような態度を取るウィル。
彼はショックのあまり、先日どこかで耳にしたような台詞を口にした。
「......もう一度、魔素の役割を説明するっすよ」
リッキーの説明が続く。
戦闘における魔素の役割は、身体強化が主軸にある。体内魔素を魔力として放出し、身体の一部を覆うと、その部分の強度が飛躍的に上昇する。
よって戦闘の際は、身体全体を継続的に魔素で覆うことが一般的という話だ。
一方ウィルが抱える問題点は、"継続的"という言葉にある。彼の場合は一定の魔素を身体の周りにキープするのではなく、莫大な魔素を瞬間的に放出してしまうため、継続して身体を覆うことが極めて困難であった。側から見れば、針で突かれた風船が瞬時に破裂している様な印象を持つだろう。
ウィルは、濁った目でぼんやりと宙を見つめる。
「そ、そこまで凹む必要はないっすよ! ウィルの場合はレアケースっすから。......特別な人ってことでやんす」
「特別ダメな人ってことだよな......」
珍しく気分が沈み、ネガティブな状態のウィル。そんな彼を励まそうと、リッキーはある提案をする。
「まあ、身体全体を覆うことは無理でも、一部分に魔素を集中させることは出来るかもしれないっすね。例えば、魔素は感覚器に集中させればその能力を高められたりするっす。こんな感じで、独自のスタイルを探していくのも面白いでやんすよ!」
「......そうか。全くの能無しってわけじゃないんだな......!」
ウィルの顔に、僅かな陽光が差した。
リッキーは額にしわを寄せ苦笑するも、すぐさま表情を戻し、言葉を発する。
「それじゃあ、最後に一つだけ。みんなには、戦うための武器が必要っす。もちろん素手で戦う武人も沢山いるっすけど、今の三人にはお勧めしないっす。痛みに慣れてないっすからね」
リッキーがわざとらしく壁に向けて指を差す。三人の視界には壁に立てかけられている多くの武器が映る。
剣、短剣、槍、薙刀、弓。
数々の武器は光に照らされ、今にも獲物の肉を裂かんと言わんばかりの凶気を発しているように思えた。




