13話 緋虎
三人は、咄嗟に背後に目を向ける。
不敵な笑みを浮かべてそこに立っていたのは、淡い赤色の髪を肩まで伸ばした男。その眼は肉食獣の如く鋭い光を放ち、筋骨逞しい身体からは野生的な獰猛さが醸し出されている。
「............!」
男が放つ凄まじい気迫に圧倒され、ウィル達は声を上げることができない。大量の冷や汗が身体中を伝う。
「あァ? ビビりすぎだぜ、お前ら。魔力の隠し方もしらねェ分際で隠れたつもりだったのかよ」
男は吐き捨てるように言葉を発した。つまらなそうな態度であったが、その視界に金髪の少女を入れた途端、彼の目は凶暴な輝きを帯びる。
「なぁ、兄ちゃん。俺たちがどういう集まりか、知ってるか?」
男は前かがみになり、目線をウィルと同じ高さにする。そして不自然なほど落ち着いた、爽やかなトーンで話しかけた。
「............」
ウィルは首を横に振り、否定の意を伝える。
すると男は笑みを浮かべ、ウィルの頭に右手を乗せ、ポンポンと軽く叩く。
「俺らな、盗賊なの」
男は相変わらず笑みを浮かべたままだ。しかしその表情とは真逆の、微笑の欠片も感じさせない両の眼が、ウィルの恐怖を限界まで引き伸ばす。
小刻みに震える唇に、頬を伝う汗。息をすることも困難に思えるほどに乱れる呼吸。恐ろしさのあまり、思考が停止する。
「あぁ、可哀想に......今にも泣きそうなツラじゃねェか。だが安心しろや、そこの金髪の娘さえ渡してくれりゃ、おれァ何もしねーからよ」
男は憐みの視線をおくる。言葉が発せられる度に、際限なく背中を伝う恐怖。最早人間を相手にしているとは思えない程の重圧を間近で浴び、魔獣と相対した方が幾分かマシであると思わずにはいられない。
痺れを切らした男がナズナに手を伸ばしたーーものの、彼は何を思ったか、その手をすぐさま引っ込める。
「頭、ここは俺たちが」
盗賊の一人と思わしき逞しい男が、頭と呼ばれた男に告げた。
何が起こったのか理解が追い付かず、ウィル達は呆然とした。頭と呼ばれた男は口を開き、言葉を返す。
「いいや、ここはおれがやるわ。どうも最近身体が鈍ってるからよォ」
男は立ち上がり、仲間の元へと歩み寄りながら右腕を横に伸ばして手を開く。すると、何も存在しないはずの空間から突如として巨大な剣が顕れた。男は片手でその剣の柄を掴み、背負う。
次の瞬間、木々の隙間から巨大な影が出現する。長い胴体に、無機質な表情。
ーー森蛇だ。だが男達は慌てふためく様子を全く見せず、余裕のある態度で構えている。
(......! 何をしているんだ、相手は巨大な魔獣だぞ!?)
ウィルは信じられないといった表情で、巨大な剣を持った男を凝視した。
男は立ち止まり不敵に嗤ったかと思えば、今度は全身から、緋色に染まった大量のエネルギーを放出する。
周囲の大気は震え、続け様に巻き起こる風圧が草木を揺らし、焦がす。マグマのような熱気を浴び、ウィル達は思わず怯んでしまった。
森蛇が唸り、男を威嚇しようと口を大きく開いたーーその僅かな時に、それは訪れた。
ほとばしる光熱と共に空間を裂く、緋色の剣。
直後、突如として裂け目から出現した凶刃は紅蓮を纏い、飛躍。森蛇の喉元を完全に捉え、瞬く間に胴と頭を綺麗に分断した。
以後、森蛇は再び起き上がる様子を見せることはなかった。
「あァ? こんなもんかよオイ」
男は不満そうに呟き、悔しげに自分の右腕を睨み付ける。
まさに、開いた口が塞がらないとはこの事である。目の前の男は強大な魔獣に臆することなく、攻撃を仕掛けた。おまけに一撃で仕留めてみせたとあれば、この男は本当に人間であるのかどうかと疑いの目を向けてしまう。それほどまでに、男の存在には強烈なものを感じた。
男は再び四人に目をやり、歩み出す。そしてウィルたち三人には目もくれず、気を失っているナズナを抱き上げた。
「おれは先にアジトに戻ってるわ。ガトー、スノウ、付いてきてくれるか?」
「構わねぇぜ、お頭」
「御意に」
頭と呼ばれる男は、屈強な二人の男に声をかける。二人に漂う強烈な気配から、恐らく彼の側近たる存在であることが伺える。
「リッキーと残った奴らは......そうだな。そこの三人を任せるわ。煮るなり焼くなり好きにしろや」
「りょ、了解でやんす!」
青年が、威勢の良い声で返事をする。すると頭と呼ばれた男はナズナを抱えたまま、二人の男と共に去っていった。
屈辱。ナズナが拐われたというのに、自分は必死に抵抗するでもなく、ただただその様を見ていることしかできなかった。自分の不甲斐なさと情けなさに、激しい苛立ちを覚える。
両目から流れる涙が、頬を伝って地に落ちる。歯を食い縛り、震える拳を、地面に叩きつける。その震えが激しい怒りによるものか、もしくは先程の恐怖によるものなのかは定かではないが、今の惨めな自分を意識すればするほど、彼は莫大な敗北感の波に飲まれてしまうのであった。
「......」
ニケやミサも、その屈辱を存分に味わう。もし自分がウィルと同じ立場で、あの化け物のような男にナズナを渡すよう言われたならば果たして抵抗できるだろうか。
ーー問うまでもなく、答えは否だ。当然できる筈もない。よって彼らには今のウィルを責める権利は無く、自分達の惨めな姿をひたすらに悔やむことしか出来ずにいた。
「あのー、めそめそしてるとこ悪いんすけど、あっしらも盗賊なんで......その、身ぐるみ全部置いてってもらっていいっすかね」
青年が申し訳なさそうに、また馬鹿にしたように問いかけた。
ウィルは、反射的に青年を睨み付ける。
「おお、こわいこわい! 勘違いしてほしくないんすけど、これはあっしなりの優しさっすよ? 普通ならここは力ずくで無理矢理奪う場面っすけど、それじゃあ可哀想すぎて見てられないっすからね!」
はははと笑う青年。あまりに自分たちを馬鹿にしたような態度に腹を立て、ウィルは青年に掴みかかった。
「お前......さっきからゴチャゴチャと!!」
「ウィル!!」
その様子を見て止めにかかろうとする二人。だが、ウィルは二人の声など構わずに両手に力を込める。
「おお、やるんすか? ええ?」
青年は、茶化すような眼差しでウィルを煽る。すると、青年の胸ぐらを掴む彼の手には更に力が篭った。
「............ぁ......?!」
ほんの一瞬、脳に揺れるような衝撃が伝わる。気が付けば彼は地に横たわり、腹を抱えていた。
「え、ちょっと。幾らなんでも脆すぎじゃないっすか? ちょちょいとお腹をつついただけっすよ?」
青年は眉をひそめ、今度はあくまで煽りではなく、素で訴えるような態度で語りかける。
「むむ、そういや珍しい服装でやんすね......」
青年は横たわるウィルをじろじろと観察する。すると、彼の背後から悲鳴にも似た声が聞こえた。
「ちょっ、やめ......ろっ!」
「ぐへへ、こうして見ると結構可愛い娘ずら! リッキーの兄貴、この娘はおいどんが好きにしていいずらー?」
ウィルの背後にて劇的な動揺を見せるは、体格の大きい盗賊に両腕を掴まれて抵抗するミサと、腰を抜かしてあたふたしているニケ。
ミサは苦虫を噛み締めたような表情で盗賊に蹴りを入れるものの、盗賊は全く堪えていない様子だった。
「ガーリック、それはちょっと待つでやんす」
リッキーと呼ばれた青年は、体格の大きい盗賊、ガーリックに抑止の声をかけた。そして、ウィルに問いかける。
「そこの......確かウィルって呼ばれてたっすね。ウィルは、緋虎って聞いたことあるっすか?」
突然の問いかけに、戸惑うウィル。彼は慎重に言葉を返す。
「知ってたら......どうするんだよ」
「あー、今はそういう腹の探り合いとかどうでもいいっす。悪いようにはしないって約束するから正直に話してほしいでやんす」
盗賊は真剣な表情でそう告げると、横たわるウィルに手を差し伸べる。一体どういう風の吹き回しだろうかと訝るも、投げかけられた先の問いに対して答えを偽る意義は見当たらない。よってここは彼の手を取り、素直に応じることにした。
「............聞いたこともないね」
「......緋虎のシャヴィっすよ? ここらじゃちょっとした有名人っすけど」
「何度も言うけど、知らないものは知らない」
わざとらしく右手を顎に当て、考える素振りを見せる盗賊の青年。
「じゃあ、オムニス王国は知ってるでやんすか? この大陸の北方に位置する国っすけど」
「......知らない」
「ベル・ネアラ帝国はどうっすか? あぁ、皇帝の名前でもいいっすよ」
「......わからない」
「......この世界に君臨する絶対神といえば? 一代目と二代目、どちらでもいいっすけど」
「............ゼッタイ、シン?」
突然、リッキーの目の色ががらりと変わる。これまでとは別人のような形相に、ウィルの背筋は冷たいものが降りる感覚を覚える。
「最後の質問っす。魔素について、どこで教わったっすか?」
ウィルはごくりと唾を飲み込み、答える。
「今日の朝、ここより少し南に行った集落で」
リッキーは、静かに目を瞑る。そして再び目を開けると、何事も無かったかのように盗賊たちの方を向き、言葉を告げる。
「みんな、気が変わったでやんす! こいつらは一旦、アジトに連れていくでやんす!」
驚愕の声を上げる盗賊の面々。中には、その言葉に意見する者もいた。
「おいおいリッキーの兄者、金になるもんなら剥ぎ取りゃいいがよ、わざわざ面倒を連れてきてどうすんだい。奴隷商人にでもなろうってか、ガハハ」
髭面の盗賊が、リッキーの唐突な提案に異議を唱える。腕を胸の前で組む盗賊の青年は「確かに、ジャクソンの言う通りでやんす」と頷き、彼の言葉を肯定した。
「でも、あっしが思うにこれは明らかな異常事態でやんす。そこでお頭のお力ならば、これを儲け話に利用できると思うんすよ」
リッキーの言い分により、盗賊の中からはいくらか歓声が上がる。
「さすがは兄貴ずら! やっぱりデキる男は違うずら!」
「ま、おれは最初からそう言うと思ってたけどな! ガハハ」
リッキーは振り返り、ウィルたちを見る。
「というわけで、これからアジトに案内するっす」
「そんなこと勝手に決められても......!」
「これはチャンスでもあるっすよ。ガールフレンドを連れ戻したくはないでやんすか?」
リッキーの巧みな言い回しに、ウィルは押し黙る。そして、渋々と頷いた。
「わかれば良いでやんすよ。あっしの名前はリッキー。リッキー・バロスっす。皆の前では気軽に元気良く、"リッキー"って呼んでくれっす!」
「......ウィルだ。こっちはニケとミサ。」
リッキーは右手で頭を掻き、自分の名を告げる。ウィルも軽く自己紹介すると、ニケはそれに続いて会釈をした。ミサの方は先ほど掴まれた両手を気にするあまり、こちらに目を向けることはない。
こうして、三人はリッキーに案内される形で盗賊のアジトへと向かうことになるのであった。




