12話 賊
「魔素の、温度ちょうせー? ですか?」
金髪の少女ーーナズナは、呆けた顔で答える。
「......できるか?」
「いやだから、私に出来るのは......」
「その三つの術式、俺の予想が正しければ共通点みたいなのがあると思うんだけど」
ナズナに話しかけている者は栗色の髪の少年、ウィル。ナズナは彼の言葉を適当に流していたものの、彼の放った最後の言葉には並々ならぬ覚悟のようなものを感じた。よって、今一度その内容を深く考え始める。
「......言われてみれば、無いこともないような」
「やっぱりか。じゃあ、術式のその部分をいじることは?」
「いや、それこそ無茶です! 術式ってゆーのはご先祖様たちの知恵の結晶なんですよ! 魔法を使うことと創ることでは、お肉とお野菜ほどの違いがあるんです!」
彼のあまりにも突飛な発言に、ナズナはつい早口で返してしまう。しかし、ウィルはそれに構わず話を続ける。
「俺、ミサ、ニケの三人は、周囲に体内の魔素を撒き散らす。そこで、ナズナは魔素の温度を一気に下げてくれ。水を凍らせるようにさ」
ーー彼は知っている。この提案は容易に受け入れられるものではないと。だからこそ、言葉に意志を込めてその策を包み隠さず明確に伝える。
「え、ちょっ、魔素を撒き散らすだぁ? そんなこと、ナズナちゃんに教わって半日も経ってないし......僕にはとても無茶振りに聞こえるぞ!?」
「ウィルさん、いい加減にしてください! 私はそんなこと出来ないって何度も......」
「やらなきゃ、あと一分もしないうちに幼体共が俺たちの身体中を喰い散らかすぞ」
脅しとも取れる一言。だが、哀しくも人を従わせるに、恐怖という感情は最適な手段となり得る。その様を想像した二人は、押し黙る他ない。
「滅茶苦茶言ってるのはわかってる。でも、やらないと俺たちは死んでしまうんだ」
ウィルは、彼らに素直な思いを伝える。彼が行っているのは寧ろ説得ではなく、懇願だ。迫り来る恐怖の中、彼自身にも相当な焦りの色が見える。生き延びるためには、この四人の中の一人でも欠けてはならないのだから。
「......いちおう、準備はしとく。ウィルの言葉じゃないけど、まだ死にたくないし」
ミサはそう告げると、黙して体内の魔素の流れを意識し始めた。その様子を見たニケとナズナは、不承不承ながらも言われた通りに行動し始める。
(ありがとう、ミサ。それと、二人には本当に申し訳ないな。後で絶対に謝るためにも、なんとしてでも全員で生き延びてやる......!)
皆は、覚悟を決める。命運を分けるのは、ナズナの魔法の発動が成功する一歩手前。その一瞬のタイミングに合わせる為、彼らは全神経を魔素の放出に捧げる。
ーーナズナの魔法陣が展開する。その瞬間、三人が放った霧状の魔素は徐々に濁った白色へと変化してゆく。
幼体の群れの進行は、その速度を段々と落としていった。霧状の魔素は更なる広がりを見せ、地面には霜のようなものが付着する。白く染まった魔素は、幼体の体力を確実に奪っていった。
幼体の一匹が、先程獲物が立っていた位置に辿り着く。だがその頃にはもう、彼らの姿は跡形もなく消えていた。
森の中を、ひたすら駆ける。
背後を振り返る余裕など無く、脇目も振らずに走り続ける。
「はぁ、はぁ......付いてきてる......?」
息を切らしながら、ミサが口を開いた。
背後からは何かが滑るような、恐怖を煽る不気味な音が耳を引っ張って離れない。
「幼体は何とかなったが......デカい方はそう甘くはないらしい......!」
苦し気に答えるウィル。先程の策で、ナズナは見事に術を成功させた。それによって幼体の対処はできたものの、成体にとっては足止めにすらならなかったらしい。
「......」
ナズナは表情を曇らせていた。
それもそのはず、彼女は一度霧状の魔素を用いた魔法を発動させた後、退路を開くために一方向に向かって炎の玉を連射したのだ。
故に、彼女の体力は底をつきかけていた。
「......!!」
前方に巨大な影が飛び出した。その影の主は、無機質な表情と鋭い眼で四人を凝視する。
森蛇は回り込み、彼らの退路を完全に塞いだのだ。
「ひっ、もうお終いだ......」
ニケは後退りし、ガタガタと震え出す。
これには流石のウィルも打つ手がないといった様子だ。必死に策を練ろうとするも、今にも倒れそうなナズナを見る限り、この状況を覆すような手段はどう考えても見当たらないのだ。
森蛇は大きく口を広げ、こちらに向かって迫り来る......
ーーと、思われた。
一瞬、悪寒のような感覚が彼らの体を逆撫でする。それは森蛇も体感したようで、あろうことかウィル達には目もくれず、何処かに去ってしまった。
途方に暮れる四人。何が起こったのか分からず、ただ立ち尽くす。沈黙に耐えかねてウィルが何かを告げようとしたその時。
「......なんか......きもち、わるいです」
ナズナが苦しそうに呟き、両手で口を抑えて嘔吐を我慢するような仕草とともにしゃがみ込む。
「ナズナ......? おい、しっかりしろ! ナズナーっ!!」
ーー数十分が経過した。あの後ナズナは意識を失い、倒れてしまった。よって今は魔獣に見つからないよう祈りつつ、ナズナの目が覚めるのを待っている状況だ。
「い、今、何か聞こえなかった?」
「やめてよ、そういうの」
「ごめん」
何かの気配を感じたらしいニケが唐突に喋り出すも、ミサに睨まれるなりたちまち萎縮してしまう。
「......いや、案外気のせいじゃないかもしれないな」
ニケの言葉が気になり、ウィルは耳を澄ませる。すると、遠方からなにやら話し声のような騒がしい音が聞こえて来るのが分かった。
「......魔獣......かな」
「どうだろう、同じ人間の可能性もあるけど」
ミサはそっとウィルに話しかけるが、彼は曖昧な言葉を返すことしかできない。人ならば取り敢えずは安心だが、人に化けた魔獣という可能性も否定できない。
「なんか......近づいてきてないか!?」
ニケが焦り始めた。だが、これにはウィルも警戒を強める。隠れてやり過ごすべきか、それとも一か八か接触を図るべきか。急な選択を迫られ、彼は頭を抱える。そんな彼を見て、ミサが声をかける。
「隠れるか、助けを求めるか、でしょ?」
「その通りだよ。......どうすべきかな」
もし相手が善良な人間ならば、これ以上ない程の幸運だ。戦力を失った自分達を救助してくれる可能性があり、更にはメナス河を越える為の手助けも期待できる。
ただ、悪質な人間ならば話は違う。どんな手段を用いて罠に嵌めてくるか不明であり、下手をすれば魔獣よりも厄介である。
魔獣ならば、その時点で終了だ。
接触を図る選択はどうもリスクが大きいように思えた。しかし善良な人間と話し合うことができたならば、現実世界に戻るという目的に大きく近づけるという見込みがある。まさに、ハイリスクハイリターン。この賭けに乗るか否か、ウィルは再び頭を悩ませるのであった。
「ウチは、接触するのはやめといた方がいいと思う。ナズナがこんな状態だし、賭けに乗ること自体危ない気がする」
「でもよぉ、もし良い奴らだったらナズナちゃんを治してくれるかもしれないんだろ?」
ミサもニケも、各々の意見を出し合う。迷い悩んだ挙句、ウィルは決断を口にする。
「確かに善良な人たちだったら良いかもしれないけど、ナズナが倒れた今じゃ、やっぱりリスクが大きすぎると思う。ここは隠れてやり過ごそう」
二人は納得したように頷き、彼の決断に肯定の意を示した。こうして、彼らは生い茂る草むらの中に身を屈ませることになった。
ーー時間が経つにつれ、徐々に大きくなる声と足音。僅かに聞き取れる会話の内容から、それが人間のものであることは疑いようがない。
「いや、あん時はどうなることかと思ったでやんす! いきなり森蛇が襲ってきたんすから!」
「あぁ、森蛇だァ? 奴が直接人間を襲うのは珍しいぜ? お前が臭ぇから獲物だと勘違いしたんだろうよ」
「酷いでやんす、お頭! こう見えて二日に一回は水浴びをしてるでやんすよ!」
荒々しく、けたたましい笑い声。それを聞いた直後、三人は自分達の選択は正しいものであったと確信する。
足音が近くで止まった。
「あーれ、おっかしいなァ。ここらにいる筈なんだが」
男たちは何かを探しているようだ。ウィル達は息を殺し、見つからないように小さく蹲る。どうやら彼らが探し物を見つけるまで、ここでじっと身を隠すしかなさそうである。
ふと、男の荒々しい声が聞こえる。
「チッ、面倒くせぇな......おーい、隠れてんのはわかってんだよ。早く出てきた方が身のためだぜー?」
背中に、嫌なものが走る。
そして、男たちが探しているのは自分たちであることに、遅まきながら気付いた。一体なぜだろうかとウィルは自身の記憶を探るも、思い当たる節は一切無く、ただ困惑するのみであった。
二人は不安げな表情でウィルの顔を見る。このまま隠れ続けるか、意を決して飛び出すべきか。再び迫られる選択に、彼は黙って頭を悩ませ続ける。
「あー、わかった。もういいわ」
再び男の声。そして、重く響く足音。あろうことか、男はこちらへ歩みを進める。
(まさか、居場所がバレている!? 有り得ない。ただの勘か? それとも魔素が関係したーー)
ウィルの左肩に、大きな手の平がどさりと乗る。
「みぃつけた」
直前に迫られた二択。迷いに迷った末の遅すぎた決断は、彼をひどく後悔させた。




