10話 巣穴
「北にずっと行けばデカい川があるって言ってたよね......?」
「うーん、どうやらこの森を越えなければいけないみたいですー!」
ウィルとナズナが呑気な会話をする中、「もうヘトヘトだよ」と地面を見下ろしながら嘆くニケ。
四人が集落を出発し、およそ一時間弱が経過した。魔獣は時折発見したが、夜に見かけたような凶暴な種は見当たらなかった。よって、戦闘による無駄な体力を消費せずに済ませることができた。その一方で、雲一つない快晴から照りつける日差しは四人の体力を急速に奪ってゆく。
しかし幸か不幸か、現在彼らの目の前にあるのは生茂る木々だ。目的とするメナス河はまだ遠いが、この森を進むとなれば、散々と降り注ぐ太陽の光を直接浴びることもなくなるだろう。
「でも気をつけて下さいね! 普通、森の中には危険な魔獣がうろちょろしてるんですよ! 下手したらお日さまに当たり続ける方がまだマシかもしれませんね」
ナズナはどこか楽しげだ。話の内容と彼女の表情の差に、三人はどこか呆れたような顔をする。
因みに、神聖な雰囲気を纏う場所には魔獣は現れないらしく、ウィル達が最初にナズナと出会った森から魔獣と遭遇せずに抜けることが出来た理由は、それらしきものが森の全域に働いていたから、ということらしい。
もしかしたら、あの遺跡のようなものが何か関連しているやもしれない。であれば、あの遺跡は何のための......だのとキリのない想像にふけるウィルであった。
「魔獣と出会っても、今の私たちは戦う手段を持っています! きっと大丈夫ですよ!」
ナズナは、健気に三人を励ます。
魔素の扱い方については、歩く途中でナズナが三人にレクチャーした。しかし、当の三人は未だ感覚が掴めておらず、全員が唯一成功したのは、体内魔素を空気中に漂わせる程度のものだ。正直なところ戦闘と呼べる程のものが出来るかどうかは定かではなかった。
「ま、まぁ。ここであーだこーだ喋ってても仕方ないし、取り敢えず進もう。もし森の中で安全な場所を発見できれば、今度は休憩しがてらゆっくりと教えてもらおう」
ウィルは皆にそう告げると森に足を踏み入れ、三人もそれに続いた。
木々の間の、狭いが何とか歩ける道を辛うじて進む。強い日差しの草原とは打って変わり、暗く、じめじめとした空気が辺りを包む。そして、それは奥に進むにつれて濃くなってゆく。
ふとナズナが足を止めて、そっと囁いた。
「皆さん、ちょっと伏せて下さい。魔獣の気配がします」
三人は頷き、木々の陰に身を隠して息を潜める。
「何も......感じないよ?」
ニケが小声で呟いた。すると、ナズナは彼を横目に小さく口を開く。
「周りの魔素の流れが変わった気がします。たぶん魔獣か何かが魔素を放っているか、身体の中に取り入れているんでしょう。この独特なドクドクは、少なくとも人間のものではありません」
「ほぇ〜」と、ニケはナズナの知識に感心する。やはりこの世界特有の物質である魔素が関連することとなると、彼女以上に頼もしい存在はいないだろう。尊敬と期待が込められた視線に、彼女は思わずニヤニヤと表情を崩してしまう。
すると、身をかがめているミサが何かに気付いたように、人差し指をある一点に向ける。
「ねぇ、あれは......なにかな?」
三人は、ミサの指の先を目で辿る。
一見ただの草木が生い茂る森の風景だが、よく目を凝らすと少しずつ小さな違和感に気付き始める。辺りは無風だが、草や花が一定の間隔で上下に動いている箇所があった。
「なんか、動いてる?」
ウィルがそう呟いた瞬間、ナズナが血相を変えて叫びだす。
「はわわっ、これもう見つかってますよ! 皆さん逃げましょう!!」
彼女は取り乱し、大慌てで立ち上がる。先程までの冷静な振る舞いはどこへ行ってしまったのか、突然の彼女の変貌に、ウィル達は自らを取り巻く状況の変化について行くことができない。
だが、一つだけ理解できた。自分達は今、窮地に立たされている。
擬態する魔獣。そう表現するのが的確であった。
ウィル達がこの場から去ろうとと腰を上げた時にはもう、"それ"は擬態を解き、姿を現していた。
ーー化け物だ。
大きな黄緑色の胴体に、その半分を占める巨大な口。両生類のような形状をした手足。頭部からは触角のようなものが何本も伸びており、その先端一つ一つには目玉が蠢いている。先ほど草花に見えていたものは、全てこの魔獣の目玉と触角だったのだ。そして、それはカエルのようにピョンピョンと飛び跳ねながら接近してくる。
「うわぁ、キモっ......」
あまりにもグロデスクな造形に、ミサは顔を思いっきり引き攣らせる。しかし、本当の絶望はここからであった。
周囲の草花が続々と動き出す。
そう。ウィル達は気付かぬうちに、この得体の知れない魔獣の群れに囲まれていたのだ。
彼らは一度、この世界で似たような状況に陥ったことがある。しかし、ここは逃げ場のない森であり、相対するは奇怪な見た目の魔獣。昨夜の体験よりも一層、恐怖の色が濃くなる。
だが、彼らには頼れる仲間がいるのもまた事実。昨夜の時点ではあくまで得体の知れない少女であったが、今は違う。三人は、同時に彼女へ期待の眼差しを向けた。
「ひぃぃ、もうむりです......食べられちゃいますよぉぉ」
ーー頼りになるはずの仲間は、半ベソをかきながら下を向いて蹲っていた。
「お、おい、しっかりしろよ。こいつらをまとめてぶっ飛ばせる魔法とか無いのかよ!」
「ごめんなさい、そんなことできません......私、才能無しのぽんこつなんですぅぅ」
ニケがナズナに強く迫るも、彼女は涙を浮かべながら嘆き続けるだけだった。
「じゃあ、ウィルだ! お前、何か作戦とかあるんだろっ! 昨日みたいに一発逆転してくれよ!」
「......」
今度はウィルに向かって必死の形相で呼びかけるも、彼は黙り込んだまま下を向くのみ。
(ここは一面に広がる草原ではなく、暗い森の中だ。昨夜のような方法が使えるわけもないし、そもそもあれはただの偶然が重なった結果であって、作戦でもなんでもない。二度も連続で命がけの賭博に勝てる筈が......)
万事休す、といった様子で黙りこくるウィル。こうしている合間にも、魔獣はぞろぞろと迫り来る。
「くそっ、なに諦めムードになってるんだよ! い、嫌だ! 僕は死にたくない!」
ニケは、半狂乱的に怒鳴り散らした。その目に映るのは、表情を歪めて必死に策を練ろうとするウィルと、観念して眼前に迫る死を受け入れようとしているナズナ。捕食者の顔を見ぬよう蹲り、手で耳を隠しているミサ。そして、嬉々としてこちらに歩みを進める恐ろしい魔獣。
魔獣がニケの目の前に立つ。そして、彼を捕食するべく巨大な口を開けたーーその時である。
「ーーぇ?」
大きく口を開けた魔獣は、ニケに喰らいつくことなく、遥か上空に向かって飛んでいった。
周囲の魔獣の足が止まった。一体何が起きているのかと、皆は辺りを見回す。
すると、何かが地面を滑っているかのような妙な音と共に、群れの中から魔獣が一匹、また一匹と宙を舞い、そして消えてゆく様子が見て取れた。
唐突な状況の変化に、固まる一同。だが、その謎の答えは直ぐに返ってきた。
何も無い空間から、なにかが突如として現れる。いや、何も無かったのではない。最初から見えていなかったのだ。
全長五十メートルは優に越えているのではないかと思われる巨大な体。幾多の鱗に覆われ、独特の模様を浮かべる表皮。チロチロと覗かせる細い舌と、不気味な細長い瞳。
大蛇。この姿を見ただけで誰もがそう連想するだろう。大蛇は次々と黄緑色の魔獣を喰らい、逃走を図る者には口から黄色い液体を浴びせる。恐らくは神経毒の一種だろうか、それを浴びた魔獣はピクピクと痙攣し、抵抗する間も無くそのまま大蛇の餌食となった。
「森蛇......?」
ふと、ナズナが呟いた。それに対し、ウィルが問う。
「それは、このデカいやつの名前か? もしかして、有名な魔獣だったりする?」
「......はい。故郷でちらっと耳にしたことなので私も詳しいことはわかりませんが、森の中ならば比較的よく見かけるとか見かけないとか」
森蛇は辺りの魔獣をあっという間に喰らい尽くすと、次はお前達だ、と言わんばかりに一行へ視線を移す。
即食べられてしまうのではないかと皆は身構えるも、森蛇はその大きな口を開ける様子もなく、じっと四人を見つめるのみであった。
ーーその場に、静寂が訪れる。
「......た、助かった?」
ニケは安堵したようにその場に座り込んだ。
皆は顔を見合わせる。ウィルは一度頷くと、森蛇に向かって歩き出した。
「その、助けてくれたのか? だとしたら礼を言うよ。ありがとう」
ウィルは、森蛇に向かって感謝の気持ちを込めて頭を下げた。森蛇は何も言わず、ただ黙って彼を見つめている。
「君は何故俺たちの味方をしたんだ? そうだ、もしかして人間の言葉がわかるのか?」
ウィルは再び目の前の魔獣に向かって話しかける。それでもなお、森蛇は固まっているかのようにウィルを見続ける。
「......うーん、さすがに言葉は通じないか」
わざとらしく頭を掻き、相手の様子を伺う。ふと、何かが自分の袖を小さく引っ張る気配。
「ウィル......あれ、見て......?」
袖を引っ張っていたのはミサだった。彼女はウィルにそう告げると、震える手で何処かを指差す。
「え、どうした?」
ウィルは、自分の思い込みの愚かさに気付いた。
周りに生い茂る木々。その上から、何かが地面に向かってスルスルとゆったりとした速度で大量に降りて来る。
「......まさか」
ウィルは再び森蛇を見やる。
その顔には浮かぶのは、先程までと何ら変わらない無機質な表情。
「完全に、やられた」
自分達は助けられたのではない。
餌になる魔獣と共に、彼らの巣へと誘導されただけだったのだ。




