09話 旅立ち
「異世界から来た人間......」
安堵、期待、緊張、不安。
様々な感情が三人の頭の中で渦巻く。その人物はこの世界からの脱出方法について何か知っているのだろうか。また、どんな性格で、どのようにこの世界で暮らしているのだろうか。
次から次へと湧いてくる期待感と探究心。そして僅かながらも希望が見えてきたことに、三人は目を輝かせる。
「あくまで噂の範疇にすぎないよ。されど、調べてみる価値は充分にありそうだ」
老婆はニヤリと笑う。つい先ほどまでの意地の悪い笑みとは違い、心の底から楽しんでいるかのような笑みだ。
「そこで、あんた達三人に頼みがある」
彼女は、真っ直ぐな眼差しで三人の目を見る。
「あんた達がそこへ向かうと言うならば、どうかこの娘も共に行かせてやくれないか?」
そう言うと、今度はナズナの方に目を遣る。
意外な展開に、三人は少しだけ戸惑う。ウィルからすれば、その申し出は逆に願ってもないことである故、断るという選択肢などある筈もない。
彼は頷き、ナズナを見る。
「わかりました。正直、とても助かります。俺たちだけじゃ不安だったので。皆も、良いよな?」
「そりゃ良いに決まってるだろ! 少しでも僕たちが安全になるならその方が良いさ!」
「ウチも賛成」
ウィルが目配せすると、二人は快く頷いた。それを見た老婆は満足そうな顔で、「あんた達ならそう言うと思ってたよ」と笑みを浮かべる。
「みなさん、ありがとうございます! こんな私ですけど、しばらくの間、よろしくお願いしますね!」
ナズナはにこりと微笑むと、三人に向かって軽く一礼した。
恐らく、彼女には彼女なりの目的というものがある。それについては今の彼女の口から聞くことは叶わないが、この世界を生きて渡り歩くには、兎も角互いに身を寄せ合って行動しなければならない。疑念や思惑などは置いておき、今は素直にナズナという仲間の加入を喜ぶウィルであった。
その後、皆は集落で食事を取り、旅の支度をした。そして、一通りの準備を終えた昼下がりの頃。彼らは新たな一歩を踏み出すべく、集落の北側に立つ。
「色々と、お世話になりました。」
「礼はいらないよ。前にも言ったが、その気持ちはあの娘に向けるべきだ。さ、あたしに出来ることはここまでだ。後はあんた達が道を選び、それを踏みしめて行くんだよ」
ウィルは老婆に感謝の気持ちを伝える。
老婆は皆を激励し、彼らの背中を押す。
「......そうだ、そこの、ウィルだったか」
「......はい?」
次の目的地に向かうべく、集落に背を向けた彼に、突如として老婆が声をかける。
「何があっても、自分を見失うんじゃないよ。もし戦いの場に立つことがあったとして、あんたは決して、誰かを傷つけるために戦ったりはしない。あんたの目は、そういう心優しい奴の目をしているからね」
「......? 心に留めておきます」
皆は、再び足を進める。元の世界への帰還のために。そしてナズナの目的のために。
目指す先は、北東のメナス河。照りつける陽の光に、吹き抜ける冷たい風。彼らの新たな出発は、草原の匂いとともに祝福された。
ーー男は、嗤う。ランプの灯が、薄暗い布の壁をぼんやりと照らす。煙草の煙と、強烈なアルコールの匂い。それらに囲まれながら、胡座をかいて静かに目を閉じる。
外が何やら騒がしい。恐らく、奴だ。与えられた任務をこなして帰還したのだろう。
「お頭。ちと様子を見てきますわ」
左隣で呑んでいた男がそう言うと、頭と呼ばれた男はその様にしろと顎で指示を出した。
布製の粗雑な扉が、勢い良く上方にめくれる。
「お頭。偵察隊長リッキー、孤独な任務から一人寂しくめそめそと、ただいま戻ってきたでやんす!」
野蛮で、快活な声な飛んできた。声の主は、二十代前半ほどの未だ青さを隠しきれない青年だ。
「ご苦労。そんで、成果は?」
「先程、森に商人とその護衛と思われる連中が入り込んでくるのを見たでやんす。恐らくローグリンの商人が品物を仕入れて、帰ってくる頃っすね」
自信有り気にはきはきと報告する青年。だが頭と呼ばれる男は、そこに含まれる小さな違和感を見逃さない。
「なるほど、商人の帰還か。この森を越えるとすりゃ、余程良い護衛を雇ったのか......さぞ懐が暖けぇに違いねぇな。でもよ、まだ昼過ぎだぜ? ちと早すぎるんじゃねェの?」
口調こそ砕けたものだが、男の鋭い目と耳は、青年の微かな声帯の震えと視線の揺れを正確に感知する。
男はあくまで冷静に、青年の姿を凝視しながら語りかける。
「なぁ、リッキーよぉ。怒らねェから正直に言えや。お前が見たのは本当に商人連中だったのか?」
「............」
男が纏う威圧的な雰囲気に、リッキーと呼ばれる青年は萎縮し、黙りこんでしまう。
「聞き方を変えるわ。お前が持ち込んだその情報、おれは何パーセントくらい信用すりゃいいのよ」
男は苛立ちを顔に出さない。だが、醸し出される圧力は、まさに凶気そのもの。リッキーは目尻に涙を浮かべながら震える両手を目の前に掲げ、指折りで何やら数え始める。
「んじゅう......いや、んじゅうごくらいかな......」
「聞こえねぇなァ腹から声出せや」
「に、二十五パーセントくらいっすかね......ははは」
ーー場が凍りつく。それ故に、リッキーや周りの部下の男達は、頭と呼ばれる男の小さな舌打ちを聞き逃さなかった。いや、正確には聞いてしまったと表現するべきか。彼が怒りを表面に出すことは滅多にないので、部下たちの顔はより一層青褪める。
「お前、その情報をおれに信じさせようとしてたのかよ」
「い、い、いや、そんな事、け、決して......」
リッキーは全身から冷や汗を垂らし、足をガクガクと震わせる。だが、頭と呼ばれる男は彼の様子などお構いなしに話を続ける。
「あのな、おれはお前のことを気に入ってるんだわ。人当たりもいいし、能力的にも割と......いや、かなり優秀だからね? でもよォ、あまり期待外れなことされると流石に失望しちまうわ」
「............」
男は席を立ち、リッキーの元へと歩き出す。
リッキーは、恐怖のあまり頭が真っ白になっている様子だ。ただひたすらに、自分への処罰の時を待つ。
「お前さ、そもそもなんでそんな曖昧な情報持ってきたん? お前は普段から鈍臭い奴だがよ、仕事のミスはしねーじゃん」
男はリッキーの目の前に立つ。肩まで伸ばした淡い赤色の髪。筋肉質だが、程よく引き締まった傷だらけの肉体。荒々しくも、野生的な美を感じさせる顔立ち。おまけに高身長であるため、その男は他人を寄せ付けぬ圧倒的なカリスマを放っていた。まさに、数多のならず者を束ねる頭領として彼以上の適任者は存在しないだろう。
その男の前では、中途半端な嘘など自分の寿命を縮めるだけと判断し、リッキーは男の瞳を真っ直ぐ見据え、言葉を紡ぐ。
「その、森の中に何者かが集団で入ってくるのは見たんすけど......その直後、突然現れたデカい魔獣に襲われまして、必死こいて逃げてきたんすよ。う、嘘じゃないっすからね!」
頭と呼ばれる男はそれを聞くと、リッキーの顔をまじまじと見つめる。そして、一言。
「魔獣相手にケツ向けて一目散にとんずらだぁ? ......ぷっ、だっせぇ!」
突然腹を抱えて笑い声をあげる、赤髪の男。
リッキーはそれに対し、ひたすらに困惑する。
「ひ、酷いでやんす! あっしはホントに命がけだったってのに!」
「あぁ、悪りぃ悪りィ。でもよ、おめぇの顔があまりにマジだったからよぉ!」
「り、理不尽でやんす」
二人のやり取りによって、周囲からも騒がしい笑いが起こる。
この頭と呼ばれる男。普段は野蛮で、手の付けられぬ荒くれ者のような印象を持たれるが、実際のところ仲間に対しては寛大である。その器の広さこそが、彼を頭領たらしめんとする要因の一つであった。
「じゃあ、リッキーよォ。今からおれをその連中の所に案内しろや。今ならお前が見つけた場所からはそう離れちゃいねぇ筈だ」
「え、お頭自ら出向くんすか?」
「おぅ。たまには身体を動かさねェとな。あー、勿論念のため十人くれぇは同行させるつもりだ」
男は、凶悪な笑みを浮かべる。まるで、獲物を発見し、静かに狙いを定める狩人のように。




