第1容疑者 イクシラ
異世界における善悪とは倫理に基づいた概念ではない。
極めて俗悪的だがその本質は即ち、主人公に利するか害するか、その一点に尽きる。
故に主人公ならぬこの身が転移した異世界の地で生存するか否かは、主人公を発見し取り入れるか否か。
その一点にかかっているのだ。
「ゲァアアアア!!
こ、この虐殺のジェノサイダー様がァァアアアッ」
十を超える街々を焼き滅ぼした巨竜の断末魔が轟いた。
黒鉄の鱗に覆われた天を突くような巨躯はたった一太刀で頭から尻尾の先まで唐竹割になって爆散した。
ひび割れた大地と灰色の雲の間にどす黒い血の雨が降り注ぎ、びたびたと俺の鎧を染める。
「す……すげえ! 一撃でぶっ殺しやがった!」
「へっ!何も知らねえんだな! あの人が本気出しゃ一睨みで魔物が百匹は吹っ飛ぶんだぜ?」
「流石は勇者様です!」
「ふぉふぉふぉ…今日は宴じゃのう!」
……違う。俺は勇者なんかじゃない。
教会とは縁もゆかりも無いし祖先がどうのと言うのでもない。
握りしめているのは聖剣でも何でもない普通に鋼から打たれた剣だ。
どう考えたっておかしいだろ。
なんで鋼の剣で斬っただけで爆散するんだよ。
おまけに睨んだだけで吹っ飛ぶって何だ。俺は全盛期のイチ□ーか。
しかし、そんな文句もはや枯れ果てた。
ひたすら沈黙するのみだ。
最初の方こそ、
『ええ~! ち、違いますよ~!』だの、
『ひぇ~! 何もしてないのにー!』だの、
『僕また何かしちゃいました!?』だの、薄ら寒い勘違い系ムーブをキメてきたが、すぐに怖くなってきてやめた。
こんなことがあり得る筈が無いのだ。
俺のレベルもスキルもパラメータも、ひいき目で冒険者ランクCってあたりだ。
魔王軍幹部を一撃でぶっ殺せる道理などない。
明らかに実力と戦果が釣り合っていない……
にも関わらず誰も気付かずに俺をチヤホヤしやがる。
「ありがとうございます勇者様! あの悪竜は魔王の命令で、もういくつもの街を犠牲に…!」
「ここは何もねえちっちゃな町だけど、精一杯礼をするぜ! 今夜は泊ってってくれよな!」
「そ、その…勇者様さえよければ私、今夜…ポッ」
怖い。
怖すぎる。
なんか周りが盛り上がってるが、それどころじゃない。
これは絶対にフリだ。
俺は踵を返して脱兎のごとく駆け出した。
「「「あっ! 勇者様ぁ~!!」」」
黄色い声が俺を追いかけるが無視して全力でその場を脱出する。
俺の頭の中にあるのはただ一つ。
イキらぬこと。
決して、決してイキらぬこと。
それのみだった。
◆◇◆◇◆
「副長!聞きましたよ東部の話!
大戦果じゃないですか」
「フッ。漸くお前も騎士に相応しい仕事をするようになったか。
これからも騎士団の名に恥じぬようにな」
「副長スンマセン。
お疲れのとこアレなんすけど、この書類今日までに確認いいっすか?」
「ふ、副長! おお、おかえりなさい!
あ、あ、あの! 今度の訓練! てっ…手合わせ願えますか!」
「ふくちょー今週末の祝勝会はー、参加でいーんですよねー。
半年ぶりに虹孔雀亭抑えたんですからー、ドタキャンはなしですよぉー」
ハイハイハイハイハイハイ。
ペコペコ頭を下げながら手渡された書類の山を抱え、兵舎隅っこの自室に戻る。
ふぅ……お茶でも淹れるか……
――帝国が魔王と散発的な小競り合いを繰り返し、時には街と無辜の民が戦火に焼かれる日々。それでも戦況がほぼ膠着してしまった今となっては、人々の営みの大部分は変わらず忙しく回る。
市場では商人たちの威勢の良い掛け声と往来が行き来し、開拓村では農夫が懸命にクワを振るう。貴族は税の取り立てと軍費の捻出に余念が無く、冒険者は依頼遂行と迷宮探索に精を出す――
が、そんなのは些末事だ。ただの背景だ。
俺の抱える難題に比べれば語るに及ばない。
ここ、帝国の西海岸に程近い城壁で囲まれた交易都市をスケーナという。
スケーナ騎士団の遊撃隊として東部戦線で竜を討伐した俺は、旅の疲れを癒すべく薬草茶をズズズ…と啜っている。
気が休まるのはこの一時だけだ。
転移してからこっち、常に焦燥感と不安感にさいなまれている。
異世界ってやつは理不尽極まりない場所だからな。
理不尽とは冒険の手柄や財宝がお貴族様に横取りされるとか、
精一杯開拓した村が盗賊やゴブリン達に焼かれるとか、
素晴らしい発明が宗教から異端扱いされて弾圧されるとか、
そういうことを言ってるんじゃあない。
最大の理不尽は、全ては主人公をヨイショするために用意されているが故に、路傍の石の如き端役など如何に善良な小市民であっても何時何処でドラマのために殺されるかわからぬ、と言う点にある。
理屈がよく分からんという方はジョン・スコルジーのレッドスーツを読んでくれ。大体アレが全部だ。
ともかく、すべての物語に通ずる必要悪とも言えるだろう。
外野なら『それはお芝居の中の話だろ?現実とごっちゃにするなよ』と笑うかも知れない。
だがそのお芝居のような世界の真っただ中にいる俺にとっちゃ笑い話じゃすまされない。
ここが俺が読んできた異世界物と同じような世界なら同じ理屈が通るってのは、実に当たり前の推測じゃあないか?
クラス丸ごと転移して以来ずっとそれを疑っている。
最近になって特に疑惑を深めた原因は先ほどの竜殺しのような身の丈に合わぬ戦果が増えてきたことだ。
これを自分の実力と己惚れたり単なる偶然で片づけられるほど俺の頭はおめでたくない。
明らかに俺以外の誰かが関与している。
本当の勇者ないし主人公がどこかにいる。いるはずだ。間違い無く。
それだけじゃない。
この状況は『勘違いしてイキったザコが真の勇者の登場により全てを失い残酷される』というシチュの前フリに思えてならない。
絶対最後に梯子外すんやろ。騙されんぞ。
だが怖い……本当に怖い。
ゴールの見えない綱渡りを続ける恐怖を飲み込むように、またズズズとお茶を啜る。
……俺が主人公なら、いい。何の問題も無い。
でもそうじゃなかったら?
多くの場合、主人公ってのは一人だ。世界でたった一つのポジションだ。
自分が正しくその一人なんだって発想はムシが良すぎるを通り越して誇大妄想の域だろう。
もちろん『誰もが自分の人生の主人公』なんて戯言には付き合わんぞ。
それにどんな物語でも主人公を張るようなやつは大なり小なりどこかネジが外れているのがセオリーだ。ジャンプを読めばわかる。
絵に描いたような小市民代表の俺が主人公である可能性は極めて低い。
だから俺は探した。探し続けたさ。
そう、この異世界の真の『主人公』ってやつをな……
「セーンパイっ! おかえりなさい!!
んもぅっ! この僕が来てあげたっていうのに、相変わらず濡れたコボルトみたいな顔ですね!」
……こいつか?
ノックもせずに仮にも上官の部屋へ上がりこんだ青髪の新米騎士。
名をイクシラ。女性。17歳。元冒険者。特技は猫の鳴き真似。
容疑者1号である。
◆◇◆◇◆
日本と言えばサムラーイ、ニンジャーってなぐらい、異世界と言えば冒険者ギルドだ。
ひょんなことから交易都市の騎士団に拾われる前は、ご多分に漏れず俺も冒険者としてセコイ依頼をシコシコこなしていた。
イクシラとは冒険者時代からの付き合いであり、初めて組んだパーティの一員だ。
だがこいつは当時から殺人級のガラクタだった。
ジョブは盗賊でパーティの命綱となる筈が、罠は踏む地図は間違える道具は落っことすで惨憺たる有様だった。
極々稀に大当たりを引くこともあったが、その戦果を差っ引いて余りあるトラブルメイカーぶりだ。
もし仮に俺の冒険譚を読んでくれるような奇特な人がいたとしても『イクシラが不快なので読むのやめます』とかコメント付けてくれちゃいそうなほどの害悪級のドジだった。
俺はリーダーとしてコイツを追い出すような真似は素振りすら決してしなかったが、仲間達の不満は常に暴発一歩手前だった。
決定的だったのが『ダンジョン水没事件』だ。
幸運にもとある迷宮の主の前まで辿り着いた我ら一行だったが、財宝まであと一歩と言うところでこのポンコツ娘は何を思ったか超希少な緊急脱出用ワープ魔法が込められた巻物をやおら取り出した。
不穏な気配を察した仲間の一人が羽交い絞めにしようとしたが、時すでに遅し。
閃光を放った脱出用スクロールは光と共に大砲のような鉄砲水を迷宮の主に噴射し、木端微塵に爆砕した。
そこまではまだ良かった。
しかし反動の勢い余って吹っ飛んだポンコツ娘の手を離れたスクロールは宙を舞い、四方八方に極太水レーザーをまき散らし始めたのだ。
空中をやたらめったらに回転する殺人砲台だ。
一抱えほどの水の柱が巨大な斬撃の如く床も壁も天井も関係なく走り回り、射線上の一切を破壊し尽くす。
俺達一行はあわやウォーターハンマーの塵と消えるところだったが、タンク役の咄嗟のシールド捌きによって辛くも仲間一人として失うことなく最下層の部屋を脱出した。
だが災難は続く。
水は最下層の部屋を迷宮の主の死体と財宝ごと破壊しつくしてなお止まらず、とうとう完全に水没させて溢れ出した。
俺達は足を休める暇もなく全力疾走で迷宮を脱出した。
あれは俺の『異世界人生、九死に一生スペシャル』でも未だにベスト5は固い。
真っ直ぐ出口を目指せば少しは余裕もあっただろう。
しかし同時に各所で攻略を進めていた他のパーティにも避難を呼びかけながらでは正しく紙一重の脱出劇だった。
不幸中の幸い、誰一人迷宮に取り残されずに命拾いしたが、結局は俺達パーティは別の形でとどめを刺されることとなる。
財宝や魔石が得られたダンジョン一つを完全に潰した罪と賠償のためにパーティ全員がギルドの命により強制労働を課せられ、丸1年鉱山から出られなかったのである。
その間に聞き出したのだが、どうもこのバカ娘はワープ先を湖の底に繋げたらしい。
何処からか『ワームホールで繋いだ先で水は水圧で大砲になって』どうのこうのと聞きかじって真似たらしい。バカだ。バカすぎる。
どうして聞きかじりの思い付きを実戦のここ一番でいきなり試そうとするんだ。
『先輩はおバカさんですね♡
奥の手はここ一番で使うから奥の手なんですよ♪』
だそうだ。ぶん殴りてえ。
元ダンジョン付近は今では湖の底になり、帝国のとある別の湖は今も乾いたままだ。
もしこのトンデモ娘が繋げた先が深海だったらと思うとゾッとする。
艱難辛苦の労役を終えて再び集まってくれた義理堅い仲間達がガラクタ娘の追放を叫んだのは当然と言えよう。
仲間の一人なんか次の盗賊候補を連れてきさえした。
だが、それでも俺は追放を許可しなかった。
代わりに俺と害悪娘がセットで追放された。
『先輩は人望無いですねぇ…
でも天才美少女シーフの僕がついててあげますから、元気出して下さい!』
うーん、殺したい。殺してェ…!
その後も腐れ縁は続いた。
こいつが稀に引き当てる大当たりで王国騎士団にセットで拾われたが、俺は何もそうした奇跡を当て込んでこいつを手放さなかったわけじゃない。それじゃ大赤字だ。
もちろん慈悲や情けでもない。
本当は、こういう可能性を危惧していたからだ。
『こいつがパーティ追放系の主人公だったらどうしよう?』
俺はその懸念を拭えなかった。
いや、もちろん『それは違うんじゃないか』と言う人もいるだろう。
俺達からすればこいつは百害あってギリ一理有るか無いかの、要るか要らないかで言ったら満場一致で要らない奴だが、その判断は当てにならない。
何故なら追放系主人公にとって重要なのはあくまで『有能な働き者なのに理不尽にも追放された』というシチュエーションだからだ。
この『理不尽にも』ってのがキモよ。
そのシチュエーションを成立させるため、主人公がいかに優れた陰の立役者でもパーティ側は『決してそれに気づけない』。
この不文律は道理を捻じ曲げるほどの暴力性がある。
些か病的なまでに警戒しているこの俺の目をすら因果によって曇らせている可能性があるのだ。
もしそうだとしたら、こいつを切った瞬間に俺の破滅フラグが立つことになる。
故に俺はこいつを切ることが出来なかった。
絶妙のタイミングで完全上位互換のトレード要員が来ただけに、シチュ的な疑念は余計に深まった。
結果として俺は道連れになってパーティを追放されたが、元パーティの仲間達は別段ザマァされることも無く、順調に冒険者ランクを上げている。
まあこっちにもザマァするつもりなんて微塵も無いけどね。
『薄情な奴らですよね、先輩!』
うるせえ!!
俺は!むしろ!お前に!いつかザマァしてやりてェんだボケがッ!
◆◇◆◇◆
騎士団の遊撃部隊として雇われてから数か月。
イクシラへの個人的疑惑はまだ晴れていない。
騎士団に潜り込めたのはギルドからの偵察依頼中にイクシラが落っことした爆裂茸が邪悪なピタゴラスイッチと化して魔王軍の拠点を丸ごと吹き飛ばしたおかげだから、その点では大いに感謝している。
日本人の大半を占めるであろう『秩序―中立』のアライメントを持つ俺としては、明日をも知れぬ冒険者生活よりは組織の下にいる方が断然安心する。
冒険者時代よりもイクシラの動向を見張っておき易いという利点もある。
現容疑者の中で俺に最も近いポジションを占めるが故に、俺に工作を仕掛けるのもこいつが一番容易なはずだ。
本当はお前が主人公なんやろ。騙されんぞ。
いつかボロを出すはずだと半ば確信しつつ俺はイクシラを監視し続けようとした。
だってのに……!
代わりに別のボロがボロボロ出てきやがる……ッ!
この前の潜入任務なんか、この野郎、イクシラが手配した冒険者が一人残らず奴隷商と繋がってるやくざ者で、剣から鎧から任務の支度金まで丸ごと相手に預けて馬車でドナドナされやがったんだぞ。
仮にもお前もう女騎士だろ!?
一から十まで手前でお膳立てして自分からくっ殺されに行く奴があるかよ!カモ葱ってレベルじゃねーぞ!
悪党共がズボン脱いで『さっすが~! ボスは話が分グェーッ!』ぐらいのギリギリのタイミングで俺が間に合ったからいいものの……
そん時のイクシラの言い分はこうだ。
『普通に行っても門前払いだけど自分が商品になれば奴隷市場に潜入できるでしょ?
ほら、だって僕、美人じゃないですか。
放っておかれるわけないですよね♪』
アホがァーッ!!
元盗賊のくせして碌に鍵開けもできないお前が手錠嵌められてから先、どうするつもりだったんじゃーッ!
思い付きで行動すんなって何遍言えば分かるんじゃボケーッ!!
……思い返すだけでも眩暈がする。頭がギリギリする。
しかしその破天荒さが逆に俺の疑惑に拍車をかける……
トラブルメイカーとは主人公の“正しい資質”だからだ。
それだけではない。
このボンクラ娘は性懲りもなく禄でもない思い付きで破滅的なトラブルを巻き起こすのだが、奇妙なことに人的被害を出したことが一件もないのだ。
もちろん金銭的な被害や物的な迷惑は山のように周りにかけるし、俺自身が死ぬような目に会わされた経験も両手で足りない。
だが不思議なことに死人が出たためしは一度もない。少なくとも俺の調査では確認できなかった。
事あるごとに俺がフォローに回っている点を差っ引いても奇跡的な確率だが、仮にこいつが主人公だとすれば奇跡でも何でもない。全ては必然だ。
主人公はどれほど雑な戦い方をしようが、絶対に無辜の人々を殺めることは無い。くたばるのは外道ども悪党どもだけである。
何故か? 主人公だからだ。
街を守るために殴り抜いた隕石が散らばって降り注ごうと。
モンスターの軍勢を押しとどめるために山一つごっそり切り崩そうと。
悪い魔術師を抹殺するためにビルを丸ごと爆破解体しようと。
魔物を殲滅するために砦に火をつけダンジョンに川の水や毒ガスを流し込もうと。
それで同業の冒険者や善良なる人々が死ぬことは無い。
どれだけ杜撰な安全確認であっても、いっそ全く行っていなかったとしても。
主人公の『勇敢で素晴らしい行動』によってキャワイイ女の子が無残に死ぬことは有り得ないのだ。
何故か? 読者の心に負担がかかるからだ。
この因果作用は先に挙げたシチュエーション固定の呪いと同じく極めて強固であり、世界によっては登場人物がツッコむことすら許されない。
特に作中でマウントを取るために主人公の無謬性を重要視する世界はその傾向が強い。
主人公は絶対であり、致命的な間違いを犯さず、批判するような奴はみんな悪者なのである。
その前提の下、仮に主人公に何らかの瑕疵が生じても世界の方が修正されてしまう。
俺はイクシラのポカが如何に多くの人命を危険に晒したかをその都度につい説教してしまうが、逆にそれすらも追放後に俺をザマァするためのヘイト稼ぎとして因果が俺に強要している可能性がある。
怪しい……見れば見るほど怪しく見える……
「元気ないですね、先輩。
顔色悪いですよ。
大丈夫です? おっぱい揉みます?」
やめろや。触らせる気もねえ癖に。
ニヤニヤしながらブレストプレート外すな! 平べったいもんを無理に揺らそうとすなッ
くそっ! こんな危ない奴と同じ部屋にいられるか。
俺は外に出させてもらう!
「あっ先輩、警邏ですか?
僕も僕も」
うるさい!
今日ぐらい大人しく留守番してなさい!
俺は容疑者から距離を取るべくバタンと扉を閉めて兵舎を飛び出した。