第53話(1184年2月7日) 一ノ谷の戦い③・昼前
(神楽隊隊長・蓮華視点)
「さあ、みんな! カグヅチストーブに火を入れたら、敵のこない方向から下山して。あっ、トップヲタ隊は残ってて!」
六甲山の偽陣。神楽隊隊長の蓮華は5000の石炭ストーブに火を入れたのを確認すると、神楽隊を含む兵を偽陣から遠ざけた。
そして、神楽隊のライブの最前列でいつも絶叫している熱狂的なファン10人を、あらかじめ決めてあった場所に移動させた。
「崖から落ちないよう足元をよーく見て渡るのよ。作戦が上手く行けば推しメンとご飯させてあげるからねー」
トップヲタ隊が喜びの声をあげる。指定の場所に着くと蓮華は、鉄のメガホンと紙を配り始めた。
「はい、これが、叫ぶ言葉ね。合図したらライブのコールぐらい全力でやるのよ!」
紙に書いてある内容を見て、ヲタたちが不満を言う。
「ねえ、蓮たん。俺たち男の名前なんて呼びたくないよー」
「つべこべ言わないの! 出禁にするわよ!」
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(源氏軍主力の将軍・源範頼視点)
「とうとう何も見えなくなってしまった……」
源範頼は煙に包まれた六甲山を見てつぶやいた。
戦場の変化は他でも起こっている。源氏軍の主力は平家が降らせる矢の雨と防御柵を突破し、平家軍の中に突入し始めていた。
「よし、いいぞ! 後は平家軍の奥から煙が上がるのを待つだけだ。いつでも総攻撃の合図ができるよう鐘の準備をしておけ!」
範頼が配下にそう命じたとき、六甲山を包んでいた大量の煙が六甲おろしの突風に乗って源氏軍主力に向かってきた――。
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(貴一視点)
京へ向かった源氏軍1万を蹴散らした出雲大社軍が反転して、源氏軍主力に襲い掛かったころ、六甲山からの煙は完全に範頼のいる本陣を覆っていた。
「煙の中に火矢を浴びせろ! 煙から飛び出した敵を包囲する。鶴翼に陣を張れ! 坂東武者だからといって怯なくていい! 目がギラついたやべーやつらは、先を争って平家軍に飛び込んでいるから、こっちには来ない」
貴一は声を上げ、指揮をする。
しばらくすると煙の中からパラパラと敵が出てきた。その様子を見て貴一は舌打ちをする。
「弁慶、予想よりこちらに逃げてくる敵が少ない。ここは民兵に任せて、弁慶隊7000は俺とともに煙の中を突っ込む。駆け抜けられるよう隊を整えてくれ」
――少し遅かったか……。まあ、すべてが上手くいくと思うほど自惚れてもないけどね。
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(六甲山に攻め込んだ源氏兵視点)
源氏の兵たちは石炭が出す煙で、視界がほとんど塞がれていた。
「ゴホッ、ゴホッ。これでは何も見えん。山を下りるか」
「まったく、ツイておらん――いや、待て。上の方から何か聞こえんか?」
源氏の兵たちは耳を澄ます。
『我こそは、平家の大将軍、平知盛なり!』
『侍大将、平教経だ! 我はと思うものはかかってこい!』
『平清盛が五男、平重衡!』
「おい、聞こえたか?」
「ああ、大将首ばかりだ! 声のほうに向かおう! この煙は下に向かって流れている。上に行けば煙からも抜けられるはずだ」
源氏の兵たちは先を争うように上へ上へと駆け登った。
しかし、煙を抜けた兵士たちを待ち受けていたのは断崖絶壁だった。
崖の向こう側で平家の大将の名を叫ぶトップヲタ隊に気付く前に、源氏の兵は後ろからの兵に押し出されるように、次々と崖下へ落ちていった――。
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(源氏軍主力の将軍・源範頼視点)
「これで良かったのか? それすらもわからぬ。兄上に叱られなければ良いが――」
範頼は煙に包まれた後方を見ながらつぶやいた。
範頼は煙を見て迷ったあげく、総攻撃の合図である鐘を鳴らすよう命じ、煙から逃げる格好で平家軍内に突入させた。ただし、全軍は間に合わず、主力軍3万のうち、1万は脱出し遅れて、まだ煙の中にいた。
早い総攻撃の代償として将軍の範頼自身が大乱戦の中に身を置くことになり、戦況の把握が困難になった。また主力の戦いが、平家軍3万に対し、源氏軍2万になってしまっため、勝敗の行方もわからなくなった。
――こうなると、義経の別動隊に期待するしかない……。
範頼は戦局が自分の手から離れていくのを感じていた。
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(源義経視点)
「なぜ、決めた合図を待たずに総攻撃をする! 私の邪魔をするな!」
一ノ谷の断崖の上に立ちながら、義経が苛立って爪を噛んでいた。
遠くで鐘を連打する音が風に乗ってかすかに聞こえてくる。
御家人の一人が言う。
「戦機だと思ったのだろう。御曹司(義経のこと)も昨日言ったではないか。才能があれば作戦は――」
「範頼兄に才能などない!」
義経は癇癪を起こした子供のように叫んだ。
御家人たちは、義経の無礼な物言いに顔をしかめる。
「範頼様も義経様の邪魔をしようなどとは考えていないはず。何か理由があったのでしょう。それよりもまずはこちらの平家を崩さないと――」
熊若はなだめるように義経に言った。
別動隊が戦っている北側の夢野口も西側の塩谷口も、兵数が1万対1万と同数のため、一進一退の攻防が続いていた。
まずはここを崩さなければいけない。
義経は戦場に目を戻すと、顔から表情を消して行った。
半眼になり、視界全体に均等に意識を配る。
周りが、どうしたのかと声をかけようとすると、義経の腹心の伊勢義盛が、「お静かに」と言って制した。
義経が叫ぶ。
「――敵軍の柱が見えた。皆続け!」
言い終わるより先に、義経は断崖を駆け降りていた――。




