第51話(1184年2月) 一ノ谷の戦い①・前日
2月4日。源氏軍は戦闘開始日を7日と決め行動を開始した。
平家軍は神戸市内を東西に広がるように防御陣地を築いていた。京都側の東の生田口に主力の3万を固め、山が連なる北の夢野口、岡山県側の西の塩屋口にも軍を配置している。
範頼軍5万は平家軍3万がいる生田口から、義経軍1万は平家の防御陣地の外側を迂回し、北の夢野口から攻める作戦だ。
出雲大社軍1万5000は先んじて六甲山の中腹に登り、源氏軍主力が集まってくるのを眺めていた。今回は兵のほかに5000人の民に荷物を運ばせている。
「♪六甲おろしに~、颯爽と~。さあ、みんな運んで!運んで!」
貴一が打者のように太刀をスイングしながら歌っていると、弁慶が呆れた顔でやってきた。
「何だ。その素振りは。木こりにでもなるつもりか?」
「感謝のスイングさ。阪神タイガースの歌で思い出したのさ。この山の特徴を」
「何を言っているのか、さっぱり分からん。それより、義仲に騎馬隊を預けて大丈夫なのか? こっちの騎馬隊は100騎程度しかいなくなったぞ」
「いいんだよ。義仲は敵味方に信用がある。義仲以外なら作戦の効果は半分以下だ」
「信用? あの義仲のどこにそんなものがある? おぬし、頭がおかしくなったのではあるまいな」
「ブーブー、言ってる暇は無いよ。早く仕掛けを終わらせて民を国に帰らさないと。さあ、行った、行った」
おぬしは何もしないくせに、とブツブツ言いながら弁慶は仕事に戻っていった。
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(熊若視点)
2月6日。
1年間の約束で義経の配下になった熊若は別動隊の一員として、平家軍の北側から西側に迂回すべく馬を走らせていた。
ここまでの義経の行軍の速さに熊若は驚いていた。「遅れる者は知らぬ」と言わんばかり、どんどん先に進んでいく。昨夜、平家軍が三草山という守りに適した地に3000の兵を置き警戒していたが、進軍の勢いそのままに、1万の兵で夜襲をかけ、あっさりと撃破した。
予定より1日早く進軍した義経は別動隊を2つに分け、有力御家人の土肥実平に平家軍の西側の塩屋口を攻めるように命じた。
「攻めるのは夢野口だけだったはずだ。決めた作戦に従わなくてよいのか?」
御家人の一人が義経に言った。別動隊の大将は義経だが、立場としては頼朝の御家人を預かって戦っている形で、主従関係にはない。だから、義経相手でもはっきりものを言う。
「凡将はそうすべきだろう。だがこの通り、1日前にここに着いた。私の才能は作戦を超えている。ならば、作戦が私に従うべきだ」
そして、最後はいつもの口癖で締めくくる。
「――兄上(頼朝)ならわかってくれる」
こう言われると、御家人たちも黙るしかない。
北側の夢野口に向かっている途中、義経は70騎だけでさらに別行動を取った。
「この数で何をするつもりですか?」
熊若の問いに義経が真面目な顔で答える。
「別動隊の目的は、『迂回して北側から攻めてこない』、という平家の思い込みの裏を突く作戦だった。だが、平家は三草山に兵を置いて警戒していた。それで西側ならどうかと思い、兵をさらに奥へ回したが、そこも警戒している可能性が高い――私はまだ敵の思い込み、つまり勝算を見つけていないのだ。それを明日までに探す」
熊若は自分が知っている奇襲に適した場所を教えたが、義経は納得しなかった。
義経は地元の猟師を探し、逆に人や馬が通れない難所をあえてたずねた。
いくつか猟師があげた中で平家軍の近いところがあった。
義経が猟師に聞く。
「馬も通れない断崖絶壁というが、鹿はどうだ?」
「鹿ですか? 餌を求めて往復しておりますが……」
義経の目が光る。
「――熊若、見つけたぞ。思い込みを」
義経は断崖絶壁の上にくると、2頭の馬を崖から落とした。1頭は足をくじいて落下したが、もう1頭は無事に崖を下りることができた。
「明日はここから奇襲をかける」
義経の命令にひるみかけた御家人たちだが、一人が「こんな崖は地元では当たり前に降りている」と言うと、坂東武者の負けず嫌い精神を発揮して、みな楽勝だと強がり始めた。
――思い込みを見つけるのは、鬼一流兵法の奥義。だが、何かが違う。
貴一の教えは『思い込みが見つけられないときは、思い込みを作れ』というものだが、義経は、『事実でさえも、思い込みと捕らえる』。2頭のうち1頭が崖から落ちたということは5割の危険がある。猟師が馬は通れないと忠告するのは当たり前で、これは猟師の思い込みではなく事実だ。
――事実が5割あるぶん、思い込みよりも相手の意表を突ける。無謀?賭け?これは何だ?
熊若の頭は混乱した。知らぬ間に脇に汗をかいている。
――義経様を敵に回したとき、法眼様は負けるかもしれない。
熊若の手は無意識に針剣の柄を握っていた――。




